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「なぁ龍之介。お前名前まで忘れちまったが…まさか好きな奴の事も忘れちまったのか?」
「……す、好きな…人っすか!?」
徐に原田がそんな質問を投げかけるから、龍之介は面白い位に顔を紅くして原田を見上げた。
「い…居たんスか…俺にそんな人」
目を逸らして言うその姿に原田もなにやらが芽生えた。
「居たも何もよぉ…もう想いが通じ合ってた仲だったんだぜ?」
「え!?」
そんな相手が居たのか、と素直に信じてしまう龍之介の反応に止まらなくなった原田は
そのまま龍之介の腰に手を回すとクイと顎を捉えて言った。
この状況には龍之介も「え?え?」と焦りを隠さずに原田を見上げるだけに終わる。
「全部忘れちまったとはなぁ…こいつは思い出すまでお前に刻みこまなきゃなぁ」
にやっと形のいい唇が笑いながら低い声でそう囁くと
龍之介自身は、え、まさか、と目をしばたたかせて顔を更に真っ赤に染めた所で
ヒュンと何かが飛んできた。
「!!っぶねぇ!!」
「危ないのはどっち。何を嘘八百を吹きこんでるんですか左之さん」
冷やかに見つめるのは沖田で、その他に藤堂と永倉も居た。
「見損なったぜ左之ぉ…おめぇ女だけでなく龍之介まで手篭めにしようとしやがって」
「ちょ、冗談だっつーのに!」
「冗談でも、今の龍之介には通用しないだろうが!!」
ここまでも節操ねぇ野郎だったは!と永倉と藤堂が刀に手を掛けている一方で
原田は冗談が通じねぇ野郎共めっと颯爽とその場から逃げ出した。
そして残されたのは沖田と龍之介。
ポカンと彼等を見送っていると、沖田が苛立ちを露わに吐きだす。
「全くどの人も。記憶を戻そうとか思わないのかな」
「……沖田さん、」
「ああ痒い。「さん」とか付けなくていいから。呼び捨てでいい」
「え…でも」
悪いッス、と申し訳なさそうに沖田を見上げる龍之介を冷やかに見下ろすと
はぁぁとこれ見よがしに溜め息をついた。
「ほんっとに調子狂う。今までの井吹君どこに隠れてんの」
「あわっちょ、止めてくださっ」
と龍之介の頭をガシッと両手で掴むとワシワシと髪の毛を掻き乱す。
表情を変えないでその様子を見下していた沖田はニッと急に笑った。
「確か頭打って記憶飛ばしたんだよね?…だったら、また頭打てば戻る気がしない?」
「えっ」
未だに龍之介の後頭部には痛みがたんこぶと共に残っている。
それをまた想像して、顔を青くした。
「や、あの…痛いのはもう…」
嫌なんですけど…とじりじりにじり寄る沖田の笑顔を半笑いで見上げていると
「沖田さん。そこまでです。…それ以上手に掛けるようなら副長に言いますよ」
「…………ちっ」
そろそろ来るだろうと思っていたのだろう、沖田は背に投げられたその言葉に舌打ちをしてから龍之介を離した。
そして顔だけを後ろに声を掛けた当人…山崎を横目に見て言った。
「だったら早く井吹君の記憶戻す為に医者にでも何でもかけるようその副長に言ってよ。正直、調子狂ってるのはみんな一緒なんだからね」
「………」
言い捨ててその場から立ち去っていく沖田を目で追う龍之介に山崎は声を掛けた。
「気にするな。あの人も心配しては居るんだ」
「………なんか…此処の皆さんには迷惑を掛けているみたいで…申し訳ないッス…」
伏せ目に元気を失くした口調でそう言う龍之介に山崎も少し間を空けて
「なってしまったものは仕方ないだろう。どうやって思い出せるか…色々と試してみるのも手だ。…副長が呼んでいる。一緒に来てくれるか」
その言葉に俯いたままに頷く龍之介に、なんとも静かだ…と山崎も正直調子が合わないと溜め息をついた。
***
土方の部屋にと通されるとそこには近藤と医者である松本も来ていた。
記憶のない龍之介の為に山崎から説明を受けると龍之介は
「えっと…お初に…でもないんですよね…なんと言えば、」
と、戸惑った様子で挨拶の文句を考えているとそれを見た松本は
「なんだ。随分しおらしくなったじゃないか」
わっはっはと大きな声で笑い出すから近藤はそれを慌てて苛める。
「せ、先生、何とかして記憶を戻すことはできますか。やはり…井吹君がこうも大人しいのは…なんだか我々としてもやり取りづらいと言いますか…」
「なんだ。普段からうるさいだ生意気だなんだと言っておきながら…。いざそうなると元の良さに気付いたというわけか」
「きっとそうなんですな。今までの彼の明るさに我々も助けられていたからなぁ」
近藤は松本に言われてうんうんと頷く一方で土方はうーんと首を傾げていた。
すると松本は肩身狭いといった様子で伺っていた龍之介に目を戻し
「井吹。誰か今までのお前を教えてくれた奴は居るか?」
「……いいえ、それは…」
なんだか聞きづらくて、と俯いた。
すると松本は土方に目を向けて言った。
「今までの彼の性格や今までの思い出をなんでもいいから話して聴かせてやるといい。記憶は失くなるものじゃない。きっと思い出すはずだ」
「そういうもんですか…わかりました」
未だ腑に落ちない様子で土方は返すと、ずっと俯いたままの龍之介は
また肩身狭い思いでその場に座ったままであった。
***
「……とは言ってもよぉ?龍之介の事、案外知らないんだよなぁ。あんまり言いたがらなかったじゃねぇか」
「武士嫌いをしている原因が原因なだけに…な」
永倉と原田がそう言う傍らで、藤堂は懸命に龍之介の記憶を戻そうと思い出話をする。
「……で、お前はそこですぐに反論するからいっつも言い合いの喧嘩になっちまうんだよ」
「…あの…俺、結構喧嘩っぱやいんすね…」
「喧嘩ッぱやいというか、なんつうか素直じゃないんだよな」
悪い奴じゃないんだけど、いつも食ってかかるっていうか…と藤堂が苦笑を浮かべる。
ピク、と「素直じゃない」といった言葉になんだか反応する自分が居る事に気付く。
「……素直じゃない…」
「龍之介?」
小さく復唱する龍之介に藤堂は声を掛けると
はっとしたように龍之介は顔をあげてなんでもない、と軽く横に振った。
それから色々と三人で思い出話をするが糸口を掴めずに夜が更けていき今日の所はこれでお開きにと廊下を歩いていた時だった。
ふと中庭に気配を感じて目を向けると、そこには人が居た。
今までこの屯所の中では見たことのない大男の影が見て取れた。
まさか居るとは思わずに龍之介はビクッと肩を揺らして後ずさった。
とりあえず此処が屯所であることは最初に叩きこまれていたし、不審な人物を見かけたらすぐに知らせろと言われていたから
「だ、誰かっ」
と大声で言おうとした所で後ろから口をふさがれた。
「ぶっ誰か、だってよ。本当に忘れちまってるみてぇだぜコイツ」
「!!??」
すぐ後ろからのその声にまたしても驚いていると中庭に居た人物がゆっくりと歩み寄って来る。
「……全く…中身など入っていなかっただろうに…更に空にしてどうする気だ…犬」
「!!!」
犬………?あれ、この声。聴き覚えがある…。
口を塞がれながらも、その手を掴んで剥がそうと必死になると
後ろの決して柄の良くない声色で凄むように言う。
「大人しくしな。面倒事は御免だぜ。…おら風間。おめぇだろうが此処に来るっつったの」
「ふん。俺ではない…そこの亡霊に言え」
屋根の上にも人が居たようで風間と呼ばれた男はそこで寛いで煙管を吹かしていた。
「………っ」
なんだこいつ等は、と未だ整理できていないでいると
中庭に佇んでいた男が目の前にやって来て、顔がはっきりと見えた。
なんとも威圧感のある顔立ちに大柄な身体付き…そしてガラス玉のような眼。
……怖い。
印象はコレ。その眼で見据えられると萎縮してしまう…だけど。
怖いのに…何故だか泣きたくなる位に懐かしい。
誰だ。この人誰だっけ。
閉ざされた記憶の扉が少しだけ開きかけた時に、その大男は龍之介を見下しながら
「飼い主の顔をもう忘れるとはな。流石は犬並みの脳みそだ…貴様のここは」
「…っつ」
そう言った彼は手に持っていた鉄扇で額をコツ、と小突いた。
それには条件反射的に目をきつく瞑り肩を上げる。
そこにもまた既視観を強く感じた。
俺はこの感覚を知っている。
「一発見舞ってやったらどうだぁ?そしたら思い出すんじゃねぇ?」
後ろの男が事も無げにそう言うから、ギョッとした顔で龍之介は目の前の男を凝視した。
それにはふっと不敵な笑みを口元に浮かべて
「そうだな…散々これの味を身体に叩きこんだ。身体の方は大分記憶を取り戻しているようだが…」
「………っ!!」
トン、と彼はもう片方の手の平で鉄扇をあやしながら
「不甲斐ない犬にはもう一度思い知らせないと思い出さないようだな」
そう言って振り上げたその片腕を見上げた途端に、拘束されていた口元の手を力任せにずらすと龍之介の口からその人の名が飛び出した。
「や、止めてくれっ芹沢さん!!!」
きつく閉じたその目と振ってくる鉄扇から庇うように両腕を額にと交差させて
そう叫んだのを皮切りにハッと目を見開いて顔を上げた。
「………っえ、」
そこに居たはずの男達はどこにも見当たらなかった。
「……なん…」
なんだったんだ。不意に口許に手を持って言って未だ狐に摘ままれた気持ちで居ると
ドタドタドタとどこからともなく足音が廊下を走る音が近づいて来た。
「何だ!?侵入者か!?」
「龍之介!誰か見たのか」
幹部達があっちからこっちからと湧いて出て来た事に呆気に取られて慌てた。
「いや、俺の見間違いだ。すまない…騒がせた」
「え!?なんだよお前紛らわしい事すんなよっ………て、あれ?」
龍之介は先程起こった出来事を考えるのに夢中で、大した事無いと幹部達から気を逸らしていたが
龍之介の変化に気付いたのは紛れもなく此処にいる全ての幹部達。
思わず無言になって龍之介を皆が凝視するから、それに気付いた龍之介は訝しげな顔を浮かべてから
「……なんだよ。俺の顔に何かついてるか?」
幹部達の顔を見渡してそう言った。
その顔。その言葉。その態度。
「…………っも、戻ってる!!!」
そう声を揃えて言ったのは藤堂と永倉で、他の幹部達も同じ言葉を飲み込んだ。
しかし当の本人はというと
「…はぁ?何変なこと言ってんだアンタ等。大丈夫か?」
記憶喪失していた事すらも忘れていた。
覚えている事と言ったら、弾ける様に以前の飼い主の名を叫んだ所からだった。
***
「……んじゃ、お前、記憶は戻ったんだな?」
「戻るも何も、記憶失くしてたことすら覚えてないって言ってるだろうが」
土方が深い溜め息をつきつつ当人に聴けば、それはいつもの生意気な言葉遣いで返ってきた。
ああ、これだこれだ。井吹って奴は。と土方は安心した一方で一つ尋ねた。
「なんだって戻ったんだ。聴けば平助等がおめぇとの思い出話をしても全然反応なかったそうだぞ」
「…………それが、…俺にもよくわからない」
あの時、どうしてあの名を叫んだのか。
あの威圧感のある懐かしい眼に見下されたような…曖昧な映像。
はっきりとした事も言えず、龍之介はそのことについては黙って居た。
「……まあいい。お前も災難だったな。もう下がっていい」
そう言われてそのまま龍之介は土方の部屋を出た。
そして後に残った土方は龍之介の足音が遠ざかってから山崎を呼ぶ。
「…お前は確かに聴いたのか」
「はい。あの時井吹が叫んだ言葉に、芹沢という名があったのは確かです」
「………まさか…な」
この世に居ない人間が、どうやってアイツの記憶を戻す。
聴き間違いではないかと山崎を追及しても…それは形には残らないもの。
どっちにしろアレの記憶は元に戻ったのだ。
もしも万が一、あの人が関わって居たとするならば
「……未だ、あの人は飼い犬の事が心配らしいな」
皮肉るように呟いて、本日の騒動に幕が引かれたのだった。
end