恋は思案の外

気付いてしまった時には、もう遅かった。


前川邸の与えられた自室の真ん中で一人、井吹は何をするでもなくただ仰向けになって天井を見つめていた。
夏も過ぎ九月の少し涼しくなった風が、開いた窓から吹き抜け頬を掠める。
それに導かれるように窓へ顔を向けると、空は澄んで綺麗な青をしていた。

「……はぁ」

だが、そんな空に似合わず井吹は表情を曇らせ溜息をつき、顔を逸らす。
今は何もかもが憎らしい。
ただの八つ当たりである事は重々承知しているが、こればかりはどうしようもないのだ。
曖昧でうやむやにしておけば、どんなに楽だったか。
そればかりが井吹の胸の内を占め、縄で縛られる様にそこをきりきりと締め付けられる。
何故、何時から、と問うても彼自身わからないのだ。
気付けばその人を目で追っていたのだから。
こんな思いは初めてで、ましてやその相手は井吹と同じ男。
しかもその人はこの新選組の内部に居て、己と同じ監察方の者である。
以前は会えば口喧嘩を繰り返し、一度殴り合って互いの事について語り合い、それから和解した彼。
言葉にするのは恥ずかしいが、今や友人とも呼べる間柄である彼。
それがどうした事か、何時の間にか恋の対象へと変わってしまったのだ。
最初気付いた時は井吹自身、戸惑い何かの勘違いであろうと思い込もうとしていた。
有り得るわけがないのだ。
友人をそういう対象として見る事など。
だが、気付いた時には遅く、彼の何気ない所作の一つ一つに心の臓が馬鹿みたいに跳ね上がる。
認めてしまえば、落ちるのは早かった。

恋は思案の外、とはよく言ったものだ。
世の理では計り知れない。

しかし、伝えられる筈はない。
彼は友人と思っているだけで、そういう対象として見てはいないのだから。
それにもし想いの丈を告げたとして、嫌われたらどうする。
否、嫌われるだけならまだ良い方だ。
二度と目を合わせてはくれず、口も聞いてくれなければ、己はいったいどうなるのだろう。
それだけが、ただ恐ろしい。
そう、それを恐れるただの臆病者なのだ、己は。
きっと優しい彼の事だからここまでの仕打ちはないと信じたいが、恐らく距離を置かれるのは目に見えている。
それだけではない、彼自身を傷付けてしまうかもしれないのだ。
それはそうだ。
こんな何もない己に好かれたとて、彼は困り苦悩するだけ。
そんな彼など、好いてしまった側からすれば見たくない。
ならば、いっそ――

「井吹、また君は……、仕事だ」

襖を開けて不機嫌そうに言う彼に、井吹は困ったように笑う。

「ああ、今行く」

身体を起こし、先を歩く彼の背中を追った。


ならばいっそ、この想いを消し去ってしまおう。
九月の風に乗せて、飛ばしてしまえたら、忘れられそうだ。


END