浪士組の屯所には名物が三つある。
一つ目は稽古に駆り出された隊士達の今にも死にそうな顔。
二つ目は副長と呼ばれる土方の怒声。
そして三つ目。これはつい最近のものだが、今では古参の隊士は殆ど知っている名物だ。
それは、まぁ見渡せば勘の良い者なら分かるだろう。
何故なら、彼等は所構わず甘い雰囲気を放出しているからだ。
「いーぶーきーくんっ!」
「ぉわっ!?」
広間で藤堂と談笑していた井吹に後ろから抱き着く者が居た。
しかし、皆はもう見なくても分かる。
殆ど日常になっているので、周りで談笑する隊士達ももうざわめく事は無くなったが、正直な所反応に困る。
古参の者こそ過剰に反応はしなくなったが、新参の者はやはり目のやり場に困る様で。
目に毒だ、とまで言う程狭量な器ではないが、場を弁(わきま)えてくれ、とは言いたいと誰もが思っている。
願望形なのは、その人であるからこそ言いづらいのだ。
何故なら井吹に抱き着いているその人は、
「暑い!離れろ沖田っ!」
「何で?」
一番組組長・沖田総司なのだから。
この人に面と向かって物を言えるのは幹部の者達だけで、平隊士達に同じ事をしようなどというとんだ命知らずはまず居ない。
もしその様な者が居たら、目を覚ませと張り飛ばされている事だろう。
そんな訳で此処に居る者達は、誰も彼等の方を見ようとはしなかった。
それとは別の理由だが、何と言っても今は夏真っ盛り。
暑苦しい事この上ないこの場で、わざわざ彼等のいちゃつきっぷりを見る物好きなど居ない筈。
ただでさえ暑いのに、何故更に熱が上がる様な物を見なければならぬのか。
そして、井吹の言う事も当然である。
暑い中、何故わざわざくっつく必要があると言うのか。
しかし沖田はその言が不満なのか、ムッとして眉を潜め井吹と向かい合う様にこちらへ向かせる。
不満そうな彼に訝しげに井吹が尋ねた。
「何でって、暑いからに決まってんだろ?」
「本当にそれだけ?」
「うっ……」
明らかにニヤニヤと意地の悪そうな笑みで尋ねる沖田に、井吹は言葉を詰まらせる。
いったい何を言わせようとしているのだか。
否、分かっているが正直分かりたくもない。
ここ最近、同じ様な会話を繰り返す彼等に、隊士達はほぼ同時に胸中で頭を抱える。
そんな彼等に気付く事無く、井吹はフィッと赤くなった顔を逸らす。
「何度も言わせんなっ……」
「でも、分からないんだもん。井吹君は素直じゃないから、ちゃんと言わなきゃ伝わらないよ?」
でも……、と言い淀む井吹に沖田は甘く微笑み掛ける。
ちゃんと言わなきゃ伝わらない。
正論の様に聞こえるかもしれないが、ただ都合の良い様に言いくるめられているだけだ。
それに気付かない井吹を見ていると、何故だかこちらの見方が歪んでいるのかと錯覚してしまう。
何故かと言うと、井吹の目があまりにも純粋だからだ。
それ程沖田を信頼しきっている、と見ると随分微笑ましいが、信頼して放った虎が時に暴走してしまう事に気付いてほしい。
なんて思いが届く筈も無く、井吹は小さな、本当に蚊の鳴く様な声で答えた。
「………は……、恥ずかしい、だろっ……」
「井吹君かわいー!」
「ぎゃああああっ!!」
良い子良い子、と抱き着いて頬擦りをする沖田。
井吹は懸命に、皆見てるっ!、と抗議するが、真っ赤な顔で抗議されては余計構いたくなるものだ。
案の定、沖田は彼を離そうとする気は無い様で。
その時、皆は確かに見た。
こちらを見渡し、得意げに鼻を鳴らす沖田の姿を。
大方、自慢されているのだろうと悟った彼等は、そそくさと広間を後にした。
今度はもっと、きちんと涼が取れる場所へ、と。
END