斎藤一と井吹龍之介は、ひと月程前に恋人同士となった。
……筈である。
「井吹!握り方が甘いと、何度言えば分かる!!」
「うるさいっ、ちゃんとやってる!」
正式な隊士でないとはいえ、不逞浪士から見れば龍之介も浪士組の一員。危険に遭遇する可能性は高い。だから、龍之介を壬生寺での稽古に誘ったのは、斎藤の親切心だ。
しかし、本人のやる気が低くてはどうしようもない。
他の隊士達の視線を感じながら、斎藤は溜め息をついた。剣術の重要性を説こうと口を開くものの、
ジロリ
琥珀色に睨まれて、少したじろいでしまった。
「……斎藤は組長だろう?俺なんか放っておいて、自分の隊士の面倒でも見たらどうだ」
龍之介は言い終えると、返事も聞かずに立ち去ってしまう。
「(何故)」
斎藤は恋人として、龍之介の心配をしているだけだ。にも関わらず、あの反抗的な態度は何なのだろうか。
しかも、龍之介の態度が恋人らしくないのは今日に限った事ではない。洗濯中に話しかけても、朝食の魚を譲っても、彼は斎藤に対し非常に素っ気ない。
ここ数日、抱いては打ち消してきた疑問が首をもたげる。
「(井吹は俺を、好いていない……?)」
脳裏に浮かぶのは、昨晩愛し合った記憶。
『はじめ、好き……』
斎藤の腕の中で、彼は可愛らしく好意を示してくれたのに。
「(あれは嘘なのか?)」
今すぐ龍之介の真意を問い質したい衝動に駆られる。
だが稽古中なのを思い出し、頭を振って指導に集中した。
稽古を終えると、斎藤は即座に前川邸へ足を向けた。
廊下で雑巾がけに勤しんでいる龍之介を発見し、後ろから彼に近寄る。
「ん、平間さん?何か用事でも――」
振り向きかけた彼の肩を掴み、その背中を柱に押し付けた。
人違いされた苛立ちで力が籠もってしまったからか、龍之介の顔が歪む。
「いぶき……」
「ちょ、はじめ、待っ!人がいるかもしれないのに――っ!」
そのまま深く口付け、抵抗を封じるように呼吸を奪った。
「ん、んっ……!」
身動き出来ないようにしたまま、舌や歯列を思う存分蹂躙する。
琥珀の輝きが失われかけた時、斎藤は漸く唇を離した。
くずおれそうになる龍之介を支えてやると、彼は息を乱しながら上目遣いで睨んでくる。
「な、んだって、急に……誰かに、見られたら、どーすんだ……」
「……あんたは俺を、嫌っているのか?だから、見られたくないのか?」
「……は?」
至近距離にある琥珀の瞳が見開かれた。
「普段の態度と、その……夜の、態度に。違いがありすぎるのは、俺を好いていないからか?」
「………」
龍之介が両手を持ち上げ、斎藤の顔を挟むように添える。その手が震えているのは、図星だったから?
呆然とする斎藤に、龍之介はにっこり笑いかけた。
龍之介はどうやら、笑顔で怒っていたらしい。
彼から食らった頭突きは、かなり痛かった。今も、斎藤の目の奥で星が瞬いている。
「深刻そーな顔をしてるから何かと思えば。普段と夜の態度が違う?当たり前だろうが!」
怒鳴る龍之介の額が赤い。たぶん、斎藤のも同じ様に赤くなっているだろう。
「人前でいちゃついたら……俺なんかを好きって隊士に知られたら、あんた、馬鹿にされる。俺はそんなの嫌だ」
「そんな事っ……」
龍之介の瞳は曇りが無く、その言葉が本心であると教えてくれた。
斎藤は己を恥じた。自分の事まで考えてくれている彼を、疑うだなんて。
「井吹、すまない――」
壊れ物を扱うように優しく抱きしめ、そっと唇を重ねようとする。
が、龍之介の右手が斎藤の口元に押し当てられ、それを阻んだ。
「……なんのつもりだ?」
くぐもった声で問うと、龍之介は不貞腐れたように顔を背けた。
「あと、ちょっとした意趣返しだ」
「………?」
「名前」
首を傾げる斎藤に、彼は人差し指を突きつける。
「井吹っていうのは、俺の家の名前だ。俺自身の名前じゃない!俺はあんたを『はじめ』って呼んでるのに!」
龍之介は頬を膨らませて続けた。
「無茶苦茶恥ずかしいんだぞ、アレ!なのにあんたは、二人だけの時でも名字呼びだし。『嫌っているのか』なんて、こっちの台詞だ!!」
「りゅうのすけ」
「えっ……」
彼の頬が、見る見るうちに赤く染まる。頭突きの跡が分からなくなる程、見事に赤くなった。
あまりの変わりように、斎藤は思わず吹き出してしまった。呼び方一つで照れてしまう龍之介が可愛くて、今度はぎゅっと抱きしめる。
「りゅうのすけ、龍之介、りゅうのすけ」
「うー……やっぱ、名字にしろっ!」
「嫌だ」
斎藤は意地の悪い笑みを浮かべると、再び深く口付けた。
(終)