理系男の恋
「ふぁ・・・」
大きなあくびを一つ。
車窓から差し込む朝日がいやに眩しい。
大学までの通学時の電車内。
いつもより少し早い時間。
人はまだまばらだ。
眠い・・・。
昨夜遅くまで研究室に閉じこもっていたせいで、帰りが随分遅くなってしまった。
寝ないでいようとも思ったが、結局睡魔に負けて寝てしまったせいで酷く眠い。
しかし、教授の出勤前には研究室を片付けておかないと、また備品を勝手に使ったことがバレてしまう。
そうなると、研究室出禁ということにもなりかねないし、喜助としてはそれは絶対に避けたかった。
意識を手放すまいと、かけていた眼鏡を外して目頭を抑える。
そうこうしているうちに、電車がゆっくりと減速して駅についた。
あと2駅だ。
「マジ、ありえないんだけどー」
「めっちゃウケる!」
姦しい声が聞こえて視線をあげると、女子高生のグループが乗り込んできていた。
そのまま喜助の斜め前の席に座り、賑やかに話しを続ける。
朝から元気っスね・・・。
見るともなしにぼーっと見ていると、女子高生がこちらを見てヒソヒソと話している。
慌てて視線を逸して、それはそれでめちゃくちゃ怪しいのではと後悔するが、もう遅い。
「ねぇ、あの人めっちゃかっこいいよね?」
「てか、うちらのこと見てなかった?」
「いや、自意識過剰でしょ!」
女子高生の会話の内容までは聞こえてない。
ただ自分のことを話されているのはわかる。
女子高生の楽しそうなクスクス笑いが恥ずかしい。
女の人が集まったときの、ああいう空気感がどうも苦手だ。
席、移動しますかね・・・。
荷物をもって立ち上がりかけたとき、次の駅に停まるアナウンスが流れる。
げ・・・。
そう思ったときにはもう遅く、人が大量に乗り込みあっという間に席が埋まってしまった。
目の前にも人が立ち、移動できそうにない。
諦めて座席に沈み込む。
目を閉じてさっきの出来事はなかったことに。
このまま次の駅まで目を閉じていようと心に決めて、腕を組む。
「おはよぉ」
女の子の可愛らしい声が離れたところで聞こえる。
耳だけでも、結構周りの状況はわかるもので。
恐らくその声が、先程の女子高生グループにもう1人合流した声だとわかる。
しかし、その声になんの反応もない。
違和感を感じて目を開けると、さっきの女子高生グループの前に同じ制服の女の子が立っていた。
女子高生グループは、まるでそこに誰も存在しないかのように振る舞っている。
「あ、ねぇ・・・」
遠慮がちに声をかける彼女に、グループ内の女の子がふっと視線を上げた。
「なに?」
その顔は先程までの談笑は嘘かと思うほどの無表情。
「えっと・・・」
「用がないなら話しかけないでほしいんだけど」
冷たく言い放ち、何事もなかったかのように会話に戻る女子高校生たち。
おー・・・こわ。
見てはいけないものを目撃してしまったかのような気まずさを感じる。
周囲の乗客も恐らく同じ気持ちだろう。
皆、気づかないふりを決め込んでいる。
女の子は今にも泣きそうな顔で下を向いてしまった。
うーん・・・かわいそうっスけど、どうしてあげることも・・・。
女子高生グループの愉しげな話し声がやけに響く。
「わー!ちょっと、久しぶり!元気?!」
冷えた空気を壊す明るい声。
かなりの至近距離の声に驚いて顔を上げると、目の前の女性が例の女の子にニコニコと微笑みかけている。
唖然とする女子高生グループと、呆けた顔の女の子。
「お母さん元気?ちょっとちょっと、こっちにおいでよ」
ごめんなさいね。
そう言いながら、隣の人との間に隙間をつくり、女の子の手を引き寄せた。
そのまま女の子は指定された場所に収まる。
というようりも、2人の表情がばっちり見える喜助からすると、驚いてされるがままといった表現が正しいように感じられた。
「ちょっと付き合って」
女の子へ小声で耳打ちして、女性は笑顔のまま彼女へ話しかけ続ける。
「ちょうどいいタイミングで会えたー!会いたかったのよ。
いやさぁ、今、知り合いの法律事務所で勉強がてらバイトさせてもらってるんだけどさ」
女の子の顔はみずに、楽しそうに話を続ける女性を喜助は驚きの表情で眺めた。
「仕事に繋がりそうな案件はなんでもとってこいって言われててね。
特に欲しいのが、いじめに関しての案件なの」
ビクリと小さな肩が揺れた。
気に留めたふうもなく話し続けているが、女性はピッタリと体を寄せる。
「なんか、最近話題じゃない?
動くだけで、注目集まるから事務所的にもいいんだって。
友達とかでもいいんだけど、そういうので困ってそうな人がいたら声かけてくれない?」
これ、私の仕事用の番号ね。
さっと取り出した手帳にメモを走り書きして、女の子に渡してにっこりと微笑む。
お、男前・・・。
立ち振舞方を考えて結局何もできなかった自分と比べて、スマートな振る舞いに心の中で称賛を送る。
女子高生グループはヒソヒソと話し合いをはじめていた。
電車が減速し、駅につく。
「じゃあ、私ここだから」
またね。
と、微笑みをおいて女性はヒールを鳴らして颯爽と下車していった。
喜助も慌てて立ち上がり、女性の後を追うように電車をあとにする。
ホームは人で溢れ、すでに彼女は人混みの中消えていた。
もう、いないか・・・。
若干の落胆を感じながら、喜助も人混みと一緒に改札へ向かって歩き出す。
「っはぁーーーー・・・緊張した・・・」
脱力して椅子に座り込む。
迷惑だったかも・・・。
思わずしてしまった自分の行為に、後ろめたさを感じる。
名前としては、あの子に外に味方がいることを明確にすれば、少しはマシになるのではと思ってのことだったが、相手がどう思うかはわからない。
鞄からミネラルウォーターをだして喉に流し込む。
いや、もう心配してもどうしようもない。
連絡先も渡してきたし、なにかあれば連絡がくるだろう。
無理やり自分を落ち着けて、人気のない大学構内を見渡す。
慌てて駅を後にして、大学にきたものだから1限までもうしばらくある。
中庭に設置されたベンチに座り、1限で使用するテキストを開いた。
「あのぉ」
聞き慣れない声が上から聞こえ、顔をあげると見覚えのある顔。
「あ、」
さっき目の前に座ってた人だ。
「ここ、いいっスか?」
「え・・・あ、はい」
どうぞ。
戸惑いながらも了承すると、目の前に男が座る。
大きな体、色白の肌に黒いシャツが映える。
ふと目があうと、眼鏡の奥で柔らかく微笑んだ。
なぜ、ここに?
と疑問に思うが、彼の鞄と手に持った本をみて大学関係者かと納得する。
しかし大学生にしては大人っぽい。
「いやぁ、驚きました」
ここで会えるなんて。
どこか嬉しそう微笑んで、重そうなバックと本を空いている椅子に置き、自らも腰掛ける。
そして、持っていたテイクアウト用のコーヒーカップをテーブルに置いた。
カップに添えられた手が綺麗で、思わず見てしまう。
「空大生だったんスね」
「はぁ・・・」
亜麻色?というのだろうか。
薄い茶色の髪が朝日にキラキラと光る。
こんな人空座大学にいたっけ?
毎日過ごしていればこんなに綺麗な人、目を引くと思うのだけど・・・。
名前の視線に困ったように、彼が頬を引っ掻いた。
「なんかついてます?」
「あ、いえ!すいません!」
ブンブンと首を振ると、今度は可笑しそうに喉の奥で笑う。
「あの・・・失礼ですが、大学生ですか?」
「あ、すいません。名乗りそびれちゃって。ボク、理学部の浦原といいます。
ちなみに、助手なんで、皆さんよりちょっと歳いってますけど」
あー理系だからか。
文系の私とは学内でも会わないはずだ。
理系棟、特に研究棟は文系の学生の棟からはかなり離れたところにある。
心の中で1人納得していると、アハハと緩く笑いながら、首からさげた名札を見せてくれた。
浦原 喜助さん。
今どき変わった名前だなと思うが、この優しい雰囲気にとても合っている。
「あ、私、法学部の苗字です」
ドキドキしながら名を名乗る。
「苗字サン。下のお名前は?」
「え、あ・・・名前です」
名前サンっスね。
ふんわりと微笑む浦原さんが素敵なのと、彼の声で名前を呼ばれることに顔が暑くなるのを感じる。
なんかこの人、心臓に悪い。
跳ねる鼓動を感じながら、耐えられなくなって視線を逸した。
彼女の視線がふっと外れた。
急に距離を詰めすぎたかと不安になる。
研究ばかりで、人付き合いをサボっているからこういう時に困るのだ。
丁度良い距離感がわからない。
次の言葉を紡ごうとして、改めて彼女を見た。
白いシャツが彼女の凛とした佇まいを際立たせている。
長いまつげに縁取られた瞳が、上品に伏せられて頬に影を落とす。
綺麗な人だ。
彼女を見つけたのは偶然。
コーヒーでも飲んで目を覚まそうと、校内にあるカフェスペースで注文をしていた時。
ふと視線をやった窓の外で、中庭で本を読んでいる彼女を見つけた。
まさか、今日の今日で会えるとは思ってもおらず、思わず声をかけてしまったのだが。
うーん・・・この後どうすれば。
沈黙が気まずい。
なにか喋らなければ。
「さっきの、女子高生」
「はい」
「知り合いだったんスか?」
「いえ・・・知らない子です」
ごめんなさい・・・。
見切り発車で発した質問に、苗字サンは下を向いてしまう。
あぁ、そんな顔をしないで。
「全然!いや、すごいなと思って」
カッコよかったっスよ。
素直に感想を述べれば、安心した顔で笑う彼女。
思わず見惚れてしまう。
「あ、でも法律事務所でバイトしてるのは本当ですよ」
所長からなんでもいいから案件とってこいとも言われてますし!
慌てたように付け足す苗字サンが可愛くて、思わず笑ってしまう。
「疑ってないっスよ」
「あ・・・そうですか」
それならいいんですけど。
苗字サンが呟くように言った時、1限の開始を告げる鐘がなる。
「あ!ヤバイ!すいません、私いかなきゃ!」
「1限っスか?」
「はい!すいません、失礼します」
慌てて荷物をかき集めて、ペコリと頭を下げて彼女は走り出す。
華奢な背が遠のいていってしまう。
「名前サン!!」
思わず叫ぶと、くるっと彼女が振り向いた。
「また!」
また、会いましょう。
手をあげると、彼女は微笑んで踵をかえして行ってしまった。
「苗字 名前サン・・・」
喜助は満足そうに呟いて、コーヒーをゆっくりと喉へ流し込んだ。
「いや、あれは、反則・・・でしょ」
教室までの道を急ぎながら、赤い頬を抑える。
最後の浦原さんの笑顔が離れない。
また。
そう言っていた。
また会えるんだろうか。
思わず緩む口元を、きゅっと結んだ。