台風一過



「喜助さん」
「…」
「あの…」
「…」

何も言ってくれない喜助さん。
聞こえているのが自分の鼓動なのか、喜助さんの鼓動なのか。


これは、ちょっと、いやかなり、まずいのでは。


思考がふわふわとまとまらない上にむせかえるような喜助さんの匂いで、頭がやられてしまいそう。


ことの始まりは、1時間程前。
メッセージアプリでのやりとりからだった。


『大型台風来てるみたいですね』

メッセージの通知を見てアプリを開くと、最近やりとりを始めた彼からの短いメッセージが表示された。

『そうみたいですね。今までにないくらい強いって』

少し考えて名前もそつない返事を返す。
すぐに既読がついて

『防災準備は大丈夫ですか?』

またも短いメッセージ。

返信はやっ

返事を待たれているようで少し焦りながら再び返信を送る。

『防災っていうほどの備えは…。
 今日も仕事で買い物も行けなかったですし。
 さすがに明日は会社も閉まるので、家で大人しくしてます。』

実際今日も遅くまで仕事で、帰りに寄ったスーパーもコンビニもすでに食料品は品切れ状態だった。

まぁ、最悪2日くらいしっかり食べなくても大丈夫だろう。
水は買いだめしてるのがあるし…。

そんなことを考えながら、送信ボタンを押す。
すぐに既読。

これはアプリ開いて待ってるな、確実に。

あの大きな男の人が、スマホの液晶をじっと眺めている姿を想像すると笑えてくる。

『ちょうどよかった。店で各々が食料品調達したら量がすごいことになって』

途中で送られてきたメッセージに続いて

『よろしかったら、お裾分けさせてもらえませんか?』

丁寧な申し出。


えっ。
うそ。

まさかこんな流れになると思っていなかった。
どうしようどうしよう。
ぐるぐると考えている間に次のメッセージが届く。

『ご迷惑でしたでしょうか?』

『そんなことは、ないです』

即座に返事を送る。

『ただ、申し訳ないなって』

こういう場合、どうしたら図々しくない感じになるのだろう?

『じゃあ、遠慮なく持参させて頂きます』
『30分程でお宅につくので、宜しくお願いします』

ポンポンと続けてメッセージが送られてくる。
大人同士の丁寧なやりとり。

『すいません。ありがとうございます』

家から浦原商店までそう遠くない。
歩いて10分程度だろうか。
すでに空がゴロゴロと鳴り始めているが、彼は一体どうやって来るつもりだろう。

再度メッセージのやりとりを眺める。

文章上ではすごくちゃんとした人みたいだな。

大きな体と変な帽子と下駄のヘラヘラ笑う男を思い出してそんなことを思う。
何を考えているのかよく分からない、ふわふわとした空気感の人。
何度か家に来ているし、危険な人ではないと思うから大丈夫だとは思うけれど…。

名前はソワソワと部屋を歩き回った。
なんとなく鏡を見たり、服をチェックしたりするが落ち着かない。

そうこうしているうちにチャイムがなり、びくっと肩を揺らす。

「はーい」
「どうもォ。浦原っス」

モニター越しにいつものへらりとした笑顔で荷物を持ち上げてみせる大男。

「い、今開けます」

顔を見て更に動揺。

「ひゃービショビショじゃないですか!」
「いやァ、降られちゃいました」

ずぶ濡れで玄関に入るなり、ドサッと持っていた風呂敷を下ろす。

「日持ちするものも色々あるんで、今回使い切れなくても備蓄用でとっといてください」

そう言ってヘラっと笑うと
じゃ、
とドアノブに手をかけた。

「ちょ、ちょっとまって!」
「へ?」

思わず掴んだ裾からポタポタと雫が落ちた。

「あ、」

言いかけた瞬間。

バチン!!!

「う、ぇええ?!」

目の前が真っ暗になる。
バランスを崩して前に倒れ込むと、支えられた所から衣服が水を吸収して肌に伝わる。

「おや。これは…停電っスかね」

頭上から降ってくる低くて甘い声。

「ひあぁ!すす、すいません!」

ごめんなさい!

慌てて体制を立て直す。
心臓がバクバクと、まるで耳にあるみたいに鼓動が響く。

「アラ、勿体ない」

なんて言うものだから、顔に血が上るのが分かる。

よかった暗くて。
こんな、いい大人が、こんな…。
恥ずかしすぎて死にそうだ。

「完全に停電っスね。ブレーカー云々の話じゃなさそうだ」

暗がりの中少し慣れてきた目に喜助さんがパチパチとブレーカーを触っているのが見えた。

「え、このまま電気つかないってことですか?」
「マンション全体が復旧するまで無理でしょうね」

とりあえず危ないんで、荷物、アタシが部屋に運びましょうか。

喜助さんの申し出を無下にもできず、びしょ濡れで帰すのも申し訳ないしで結局家の中にあげてしまった。

こんなふうに夜に男の人を家にあげてしまうなんて。

そんな体裁的なことを考えながら、バスルームから手探りでバスタオルを取り喜助さんに渡す。

「ありがとうございます」

空気感で笑ったのが分かる。

「すいません、ほんと、重ね重ね…」
「いやいや、いいんスよ。
それより床濡らしちゃいましたね。」

アハハ…。

喜助さんの力ない笑いが響く。

き、気まずい。

「あ、濡れた服着たままだと風邪ひきませんか。
 暗いし、脱いでもらっても…着替えが確か…」

目が慣れてきて、クローゼットもぼんやり見える。
確かこの辺に…。

「あった」

ハンガーにかかった男性ものの浴衣を引っ張り出す。
数年前に昔の彼と一緒にお祭りに行こうと買ったまま、結局一度も袖を通すことなく別れてしまった。
なんとなく捨てられずにクローゼットに放置していたのが、こんなことで役に立つとは。

「これ、どうぞ着てください」
「これ…」
「新品なので、気にしないで大丈夫ですよ」

背中越しにゴソゴソと喜助さんが着替えている音が聞こえる。
その方向を見ないように、自分の膝があるところを見つめた。

「…アタシが着ちゃってよかったんスか」

ぽつりと喜助さんが呟く。

「え?」
「いや、この浴衣、」

彼氏さんのとかじゃないんスか。

そう言われてハッとする。
普通そうだ。変に思うに決まっている。一人暮らしの女の部屋に男物の浴衣なんて。

「そ!それは、あの、前の」

彼が置いて行った−…。

言いかけてぐらりと体が傾く。
強い力で引っ張られて、がっしりとした腕が体を縛る。
抱きしめられていることを理解するのに数秒かかった。

「あの…」
「…」

まずい、これは。

喜助さんの匂いと体温でくらくらする。

「…名前サン」
「は…い」

耳元で喜助さんの声。
甘くて、優しい。

「悪い人だ、アナタは」
「な…ん」

きゅっと腕に力がこもるのが分かる。

「警戒心も薄すぎる」
「…はい」
「こんな、夜中に男をホイホイ家にあげて」
「…喜助さんだから、大丈夫かなって…」
「そんなことだから、こんなことになるんスよ」

でも、私は

「少し期待、してたのかも」
「…」
「今、嫌じゃないですもん」

喜助さんの身体、熱い。
固くて厚い胸板に顔を押し付けると、体温が伝わる。

「名前サン…」

喜助さんの大きくて温かい掌が頬を包んで、そのまま―

バチン!

「ひゃあ!!!!」

突然煌々と明かりがつき、目の前の喜助さんの顔がはっきりと見える。

「ごごごごごめんなさい!」

慌てて遠ざかろうとする私と、ぱっと腕の力を緩める喜助さん。

「タイミング悪いっスねぇ」

残念。

そういって、へらりと笑うのはいつもの喜助さん。

確かに残念…かも…。

その笑顔をみて、内心少しだけがっかりしている自分がいる。

「続き、したかった?」

長い指が私の髪を掬う。

「へ、あ、いや…!!!」

恥ずかしい。
そんなに物欲しそうな顔、してただろうか。
顔を伏せて今の顔を見られまいとする。
こんな顔、絶対見られたくない。


「…名前サン、アタシ今日はもう帰りますね」
「あ、…はい」

急にスッと立ち上がった喜助さんは、てきぱきと衣服をまとめて玄関に向かって行く。
私も慌てて見送ろうと腰を上げかけた。

「この浴衣」

廊下でふと立ち止まって、立ち上がりかけた私を背中越しにチラリと見る。

「お返ししたほうがいいっスか?」

その目線、佇まい。
立ち上る色香に目眩がしそう。

「…いえ、どうぞお好きに」
「了解っス」

じゃ、今度こそまた。

そう言って、ドアノブに手をかけ最後にフッといつもと少し違う優しい笑顔を残して去っていった。


「…心臓に悪い…」

一人その場にヘタヘタと座り込んで目をつぶる。
全然冷めない熱を感じながら。








「…いやァ、危なかったっスねぇ」

あの子の温もりがまだ、腕に残っている。

よく理性が保ったと褒めてやりたい。

「あんな顔したら、駄目っスよ」

名前サン。

あの表情はまずい。
あんな顔をするのはアタシの前でだけだと信じたい。

キミを大切にしたいから。
こんなに我慢しているというのに。

次はちゃんと伝えよう。
こんな嵐の前の日に理由もなく、キミの傍にいられるように。







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