その目に映して
「浦原さーん!」
「苗字サン」
店先から店内へ声をかけると、小上がりに腰掛けて本を読んでいた喜助が顔をあげる。
「あれ、今日はお休みっスか?」
「うん、会社都合でおやすみになったんですよ」
モロッコヨーグルあります?
日傘を畳んで店に入りながら、お気に入りの駄菓子の名前を口にする彼女を、喜助は眩しいものでも見るように眺めた。
「苗字サン好きっスよねぇ、あれ」
「美味しいじゃないですか」
「アタシはちょっと…甘すぎるし、モソモソしてるし」
わかってないなぁ、あれはモソモソじゃなくて、ふわふわっていうんですよ。
そんなことを言う彼女に、喜助はお目当ての菓子の場所を指して見せる。
「ジャンボヨーグルっていうそれの5倍くらいの大きさのもあるんスけど…。
そんなに好きなら、苗字サンのために仕入れましょうか?」
「浦原さん、わかってない!」
「へ?」
「モロッコヨーグルはこの大きさだからいいんです!」
「そういうもんスか」
「そういうもんなんス」
彼女の独特の価値観を聞きながら、よく分からないなと喜助は首を傾げた。
そう、知らないのだ。
彼女はお店の常連さん。
喜助はしがない駄菓子屋の店主。
特別な間柄ではない。
知らない、分からないで当たり前。
「外暑かったっスか?」
5個もモロッコヨーグルを買い込んで、喜助の横でぺりぺりと蓋をあける彼女に尋ねる。
「暑かったですよ。こう暑いと、外に出るのも億劫になりますよね」
「モロッコヨーグルは買いに出るのに?」
「モロッコヨーグルは買いに出ないと、手元になかったんだから仕方ないですよ」
あ、はずれ
蓋の裏を見て、袋の中にゴミをいれる彼女。
小さな容器をもって、幸せそうに白い甘さの塊を口に運ぶ。
「確かに、でかいモロッコヨーグル持ってるより、小さいモロッコヨーグル食べてるほうが可愛いっスね」
一瞬彼女の動きが止まる。
「…モロッコヨーグル欲しいんですか?」
「いや、いいっス。そんなに好きじゃないんで」
「それ、さっき聞きました」
喜助は軽くかわされてしまったことに、寂しさを感じるがそんなことは微塵もださない。
苗字サンにとって、アタシはただの駄菓子屋のオヤジ。
アタシにとって苗字サンはただのお客さん。
それ以上でも、以下でもない。
ただただアタシが想っているだけ。
ジャンボヨーグルにしたら、浦原さんに会える頻度が減るじゃん。
名前は胸の中で独りごちる。
浦原の顔を盗み見ようと、落としていた視線をこっそり上げた。
横顔が見れたら、ただそれでよかった。
「どうしたんスか?」
思わず浦原と目があって、瞬間時間が止まる。
帽子の下の柔らかな眼差し。
とろけるような笑顔。
「い、いえ、なにも」
「そうっスか」
浦原は再びを本を開いて、視線を落とす。
いまだ収まらない心臓の音を耳元で聞きながら、心地よい沈黙を堪能する。
世間は今の時間、仕事や学校に忙しい。
名前はそのことを思うと、今ここで浦原といる幸せを噛みしめた。
「浦原さん」
「ハイ」
「私聞きたいことがあって」
名前はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「なんでしょ」
「浦原さんのお名前ってなんていうんですか?」
「あれ、言ってなかったっスかね。喜助っス」
「喜助さん…」
名前は名前を呼んでみる。
「ハイ」
ふっと笑って返事を返す喜助をみて、心がきゅっと音をたてた。
「折角なんで、そう呼んでくださいな」
「き…喜助さん」
「そうそう」
口元を開いた扇子で覆って、目元が楽しそうに笑う。
「苗字サンは?」
「え?」
「苗字サンのお名前っスよぉ。
苗字サンだけずるいじゃないっスか」
「…名前です」
「名前サンっスね」
喜助に名前を呼ばれただけで、名前は自分の名前が特別なものにように感じる。
恋ってすごい…。
耳が熱くなるのを感じながら、名前はそんなことを思った。
「私今日はそろそろ帰りますね」
名前は買い込んだモロッコヨーグルが入った袋を持って立ち上がる。
「あ、ハイ。またお待ちしてます」
喜助は名前を見上げて、ヘラっと笑って手を振る。
「それじゃ、また…喜助さん」
「ハイ、また。名前サン」
胸が鳴りはじめる。
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モロッコヨーグル知ってます?
モロッコヨーグル。
素敵な響きですよね。
好きなんです、モロッコヨーグル。
でもチミチミ食べたい。
モロッコヨーグル。