気まぐれ
『御堂筋翔:まだ学校おる?』
新着メッセージの通知音で目を覚まし携帯を開くと、珍しい相手からの連絡が入っていた。
すっかり暗くなった窓の外を見て、時計を見ると19時。
生徒会室のソファでうっかり眠っていた。
あぶな。先生に見つかる前でよかったぁ。
ぼぅっとする頭を無理やり起こして返信する。
『生徒会室にいます』
『御堂筋翔:そこで待っとき』
ノロノロと荷物をまとめていく。
鞄に手を伸ばすとメモが乗っかっているのが目についた。
“起こしても起きなかったので、帰ります”
会長の字で走り書きしてある。
申し訳ない…。
一人反省し、明日ちゃんと謝っとこうと心に決めたところで。
ガラリ。
生徒会室の部屋のドアが開く。
「苗字さん」
半眼の呆れ顔。
「御堂筋くん」
いやぁ、こんなつもりじゃなかったんやけどね。
おどけて笑って見せるが効果はないようだ。
「どこでも寝たあかんって言うたと思うんやけど」
ズカズカと入っきて、私の肘を持って立たせてくれる。
御堂筋くんは優しい。
高1で同じクラスになって、不思議な縁で話すようになった。
高2になっても彼はクラスでは浮いていて、最近では髪型が奇抜に変わっていくのもあってますます誰も近づかなくなっている。
でも、私は知っている。
御堂筋くんが実は、すごく優しくてかっこいい人だということを。
いつも人知れず遠くから見守ってくれている。
そんな感じの人。
「行こか」
「うん」
言葉少なに歩き出す彼の後を追っていく。
▽
ほんま、この子は。
隣をのんびりニコニコと歩く彼女を見ながら、そっとため息をつく。
思えば初めて話したのも、彼女の居眠りがきっかけだった。
部活終わりに、たまたま忘れ物をとりに教室に戻ったら誰も居ない教室で1人、彼女が静かに眠っていた。
気ィ失ってるんやないか。
そんなよからぬ想像をするくらいに静かに。
そっと近寄って耳を近づけると微かに吐息が聞こえてホッと安堵する。
て、何ィやってんのや、ボクは。キモっ。
パッと身体を起こして彼女から離れる。
自分の目当ての忘れ物を取って、さっさとその場を立ち去ろうと足を踏み出しかけて、ハタと足を止める。
起こした方がええやろか。
こんな状況に出くわしたことがなく、どうしたらいいのか分からない。
いつもの自分なら何もせずにその場を立ち去っただろう。
ただこの子に限っては、今自分が起こさなければいつ起きるか分からない感じがして。
あかん、この子の名前、知らん。
クラスメイトの名前をほぼ覚えておらず、当然目の前で眠るこの子の名前も知らない。
起こそうとして、なんと呼びかけたらいいのか分からず、キョロキョロと見渡すと彼女の手元に日直日誌を見つける。
そっとつまみ上げて中身を見ると、丁寧な字で日誌が書き込まれていた。
今日の分はまだ書かれておらず、昨日の日付でとまっている。
【○月□日 晴れ
今日はいい天気でした。暖かくて、穏やかな1日です。こんな日のお昼寝は最高です。(苗字名前)】
担任のコメント:
苗字さんは昼寝どころか授業中も居眠りが目立ちます。気をつけましょう。
プ、クク…。
思わず笑ってしまった。
間違いない、この子が苗字さんだ。
確かにしょっちゅう居眠りを注意されていた奴がいたような気がするが、授業に集中していてあまり気にしていなかった。
「みどうすじ…くん?」
「ファッ?!」
急に呼ばれた自分の名前に驚いて肩を揺らす。
「寝てた…」
ぼぅっとした様子で窓の外を見つめている。
「…キミ、不用心やで、こんなとこ1人で」
「あー…うん…そうやねぇ…」
ちゃんと聞いているのかいないのか。
ぼーっと窓の外を眺める彼女の長い睫毛が揺れる。
つられて外を見ると、目に痛いくらいのオレンジに染まっている。
「帰ろっか」
カタン。
椅子を引いて、立ち上がった苗字さんがふにゃっと笑った。
日誌は?
と聞くと、
もう、今日はええわぁ。
と、のんびりとした答えが返ってくる。
緩い空気に柄にもなく毒気が抜かれて、大人しく彼女の後をついて歩く自分は滑稽に思えたが、
まぁ、ええか。
そう思わせるような、不思議な空気が流れていた。
それから何となく気になってしまい、彼女を目で追うようになってしまった。
放っておけず、思わず口や手を出してしまう。
はァ?!キミィが生徒会?!
よく分かんないんだけど、なんかそんなことになってたんよねぇ。
あははと緩く笑う彼女に呆れることもしばしばだった。
そんなある日。
「御堂筋くんて、自転車部なんやねぇ」
苗字さんが珍しく目を輝かせて聞いてきた。
「…そやけど」
今更かいな。
今まであまり興味を持たれていなかったことが少し悔しい。
最近の自分は何もしていなくても彼女のことを考えてしまうというのに。
「光ちゃんに聞いたよぉ」
「光ちゃん?」
「あれ、」
3年の石垣光太郎て知らん?
キョトンとした顔で首を傾げる苗字さんを、目を見開いて見る。
聞けば石垣くんと苗字さんは幼馴染らしい。
「…知らん」
聞くだけ聞いて、自分でも驚く程ぶっきらぼうに返してしまった。
「おかしいなぁ…光ちゃん言うてたんやけど」
うーん?
と首を捻って、まぁいいや、と苗字さんは自己完結したようだ。
苦しい。
光ちゃん、なんて。
そんな親しげに、他の男の名前呼ばんといて。
黒々とした感情が胸を占めた。
その日は1日、鬱々とした気分で過ごす羽目になり極めつけが
「御堂筋」
能天気にニコニコと笑うこの男だ。
「聞いたでぇ。
名前がなんや世話になっとるみたいやなぁ」
あいつ抜けとるから、頼むわぁ。
石垣くんの笑顔に沸々と怒りが込み上げる。
なんやその、お前ェのモンみたいな言い方ァ。
「…ぐぅっ…!」
「御堂筋、クンやァ」
何回言えば分かるん?石垣クゥン。
ギリっと頬を掴んだ手に更に力を込める。
分かっている。
こんなのは、ただの八つ当たりだ。
いつも奪われる側に回る、そういう危機感に対しての必死の抵抗だ。
ロードには関係のない感情で、こんなことをしている。
最悪だ。
「…はじめるでぇ。れぇんしゅうー」
手の力を緩めて突き放すと、下に石垣くんの怯えた顔が見えた。
それからだ。
苗字さんが誰か他の男と一緒にいるところを見て、不愉快な気分になるようになったのは。
彼女は人当たりが良く、抜けているところも含めて人気があった。
誰彼構わず平等に分け隔てなく接する。
それが彼女の魅力だ。
クラスの中にも少なからず、彼女を思っている同級生がいることを何となく理解はしていた。
今までは何をどう選択するのも彼女の自由だと、あまり気にならなかったのに。
「あ、苗字さんや」
放課後部活へ向かう途中、聞き慣れた名前に思わず反応してしまう。
ふと横を見ると、フェンスの向こう遠く離れた所に見慣れた姿が2つ。
「あれ、あの一緒おるの、3年の石垣先輩やろ」
「あーあの女子人気高い」
「あの2人付き合うてるらしいで」
「え、マジ?」
「いや、しょっちゅう一緒おるの見かけるて誰かが言うてたわ」
「くっそー、俺実はちょっと気になっててんけどなぁ」
「お前には無理やわ」
前を歩く男子2人の会話を聞くともなしに聞いてしまう。
ガシャンッ!!!
気がついたらフェンスを力一杯蹴っていた。
前を歩いていた2人が驚いて後ろを振り向いて、そそくさと去っていく。
「御堂筋くん、まだ続けるん?」
今日のメニューをこなした後、1人でローラーを漕いでいると水田くんに声をかけられた。
「…あァ?」
脚を止めずにイライラと振り向くと、水田くんが気を使うような笑みを浮かべる。
「俺らもう帰ろか思うんやけど…」
「…勝手にしィ」
忘れろ、忘れろ、忘れろ、忘れろ、忘れろ!
頭の中の嫌なイメージを払拭するようにペダルを漕ぐ。
「はァッ、はァッ、はァッ…!」
息が切れて、頭が真っ白になる。
身体が軋んで、筋肉が悲鳴をあげる。
気がつけば辺りは真っ暗になっていた。
何時や。
携帯の液晶で時間を確認すると19時手前。
思ったより時間が経っていた。
自転車から降りて片付けをはじめながら、ふと上を見上げるとポツンと電気がついた教室が1つ目に入る。
あそこ、確か生徒会室や。
予感が胸を過ぎる。
携帯を取り出して、連絡先を交換してから1度も自分から送ったことのない連絡先にメッセージを送る。
お、送ってしもた。
じぃっと、今しがた送信してしまったメッセージを見る。
手で顔を覆って汗を拭うと、その指の隙間から既読の文字が見えた。
『苗字名前:生徒会室にいます』
心音が跳ね上がり、反射的に返信する。
急いで部室に戻り、身体を拭きあげて着替えた。
「苗字さんて」
「んー?」
「石垣くんと付き合うてるん?」
「へ?」
苗字さんが目を大きくして固まる。
隣を歩く彼女を見ていたら、どうしても聞きたくなって。
困らせるかもしれない、これでお終いになってしまうかもしれない。
それでも。
「付き合う?私と、光ちゃんが?」
なんで?
困ったような顔をして、苗字さんが首を傾げた。
「…ええわ。忘れて」
今の反応で充分だ。
口元を手で抑えてニヤけた顔が見えないようにする。
「私、付き合うとかよく分からんけど」
苗字さんの声がふわっと浮いて、柔らかく微笑んだ。
「一緒にいたいって思うのは、御堂筋くんかなぁ」
ズルい。
苗字さんは、ズルい。
よろよろと力が抜け壁に寄りかかる。
そのままズルズルとしゃがみ込んだ。
多分酷い顔をしている。
覆った片手に伝わる熱が尋常ではない。
「御堂筋くん、大丈夫?」
「…見んといて」
ぐっと顔を逸らすが、心配したように覗き込んでくる。
あァ、もう。
「…キミィが悪いんやで」
小さな頭に手を添えて、ぐっと引き寄せた。
拍子抜けする程呆気なく距離が縮まって。
薄い唇が重なる。
「ン、…はァッ!」
手の力を緩めて解放すると、苗字さんの吐息が近くで揺れた。
「なァ」
やっぱりこっちのがええわ。
護るより、
「ボクゥ、キミが欲しいんよ」
攻める方が性に合うとる。
「ええよ」
「ファ?」
「御堂筋くんになら、あげるよ」
わ、私でよければ、やけど…。
項までほんのりと染めて俯く苗字さんの頬に睫毛の影が落ちる。
「…ほんま…」
あかんわ…。
一瞬で乱される。
頭も心も。
後手に回るのは慣れてへんのに。