飛んで火にいる


「ごめん、なんか、俺君といると辛いんだ」
「なぁに?急に」
「もう会えない、会いたくないんだ」

またか。

私は、ばいばい、と言ってドアノブに手をかける。
背後で閉まる玄関の音を聞きながら、すん、と鼻を啜った。


『俺たち、付き合ってるんだよね?』

恐る恐る、といったふうに、彼がそう尋ねてきたのは、数日前のことだ。

私はというと、その質問の意味が理解出来なくて首を傾げて笑った。

『そうなの?私はそんなつもりなかったけれど』

彼の顔から力が抜けていくのを見たけれど、特段それ以上に言うことがなくて、さぁご飯にしよう、と私が話を切り替えて、それきりだった。

以前仲良くしていた歳上の男に、付き合うとは誰かの唯一になることだと聞いた。
恋人になる、ということだと。

私にはその感覚が分からない。
その口約束に、どんな意味があるのか理解ができないのだ。
どうして私が人の唯一にならねばならないのか、どうして相手を私の唯一にしなければならないのか。

人に触れるのは好き。
女の子は柔らかくて気持ちがいいし、男の子はがっしりしてて自分がか弱くなったような気分がして心地良い。
だからキスも抱き合うのも、その先も、大好き。
私を求めてくれているというその瞬間を、繋ぎ合わせて生きている。

けれどそれはぱちんと、シャボン玉が弾けるみたいに醒めてしまう。

私から手放している訳ではない。
いつも決まって、相手の方から手放してしまうのだ。

あんなにも幸せそうだったのに。
幸せだったのに。
彼らとはその瞬間を、共有している者同士だと思っていたのに。

分からない。

声に出さずにボヤいて、夜道を歩く。
このまま家に帰る気にもなれずに、寄り道をしながら歩いていたら見知らぬ場所にいた。

白いスーパーの明かりがその一角だけを明るく照らしている。
強烈なその光に吸い寄せられるように、ふらふらと近寄っていって店先に置かれたベンチに座った。

目を瞑っても、眩しい明かりが入り込んでくる。
ぶぅん、と鳴る自動販売機の音を聞いていると、自分が何処にいるのか分からなくなってくる。
このまま、ばらばらになって空気の中に紛れて、消えてしまいそうだ。

それはそれで良いかも。
この夏の夜の濃い空気になって、私は見知らぬ貴方の一部分に、なんて。


「君、大丈夫?」

ふと、遠慮がちに掛けられた声に目を開けた。

「具合、悪いんか?」

心配そうに覗き込んでいるその大きな目が、ぱちぱと瞬く。

「ちょっと疲れちゃっただけ。大丈夫」

その顔を見て、にこりと笑って答えた。

目の前の彼は私の顔をじっと見て、何か言いたそうな顔をした後、そうかと言ってその場を離れていこうと背を向けた。

私は再び目を瞑る。

凄く眠たい。
今日は本当に、疲れているらしい。


「…家、帰れるか?1人やろ?」

目を瞬かせた。

聞き間違いではなく、さっきの男の子が私に向かって、心配そうな顔で声を掛けている。

「スマン、やっぱり、どうしても気になってな…」

きまり悪そうな顔をして、頬をかいて、それから、あぁ、名も名乗らんと失礼やな、と慌てたように言う。

「俺、石垣光太郎や。明早大2年」
「こうたろう…」

反芻するように教えられた名前を言うと、彼は照れたように笑った。

「家族以外で、女の子に下の名前呼ばれるの初めてやわ」

あぁなんだろう。泣いてしまいそう。

その瞳がきらきらと、スーパーの白々しい灯りを受けて光って、何故か堪らない気持ちになった。
掴めないものを掴むように、思わず私は手を伸ばす。

「連れて帰って」

懇願するように、その頬に触れた。
掌が熱い。
喉が乾いていて、声が掠れる。

「な、なんや急に…酔うてるんか?」

困惑した顔でそう言う彼の目をじっと見つめた。
瞳の中に、光の粒と私が映っている。

夜に溶けてしまえるならそうしたいけど、出来ないのならせめて、この人と1つになりたいと、何故か無性にそう思った。

「…分かった」

観念したようにそう言うと、光太郎は頬に触れた私の手をそっと握って降ろした。

「けど、女の子が簡単にこないなことしたり、言うたらアカンよ。
家まで送るわ」


行こう。

そう言って、歩き出した背中に私はくっつくようにしてついて行く。


石垣光太郎はこうして私の前に現れた。
そして、私もまたそうして、光太郎の前に現れたのだ。
それが私たちにとって、良い事だったのか悪いことだったのかは、別にして。


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