01
▼▲▼
やってしまった、と思った。
確かに顔は良いが、今までの自分の好みとは全くかけ離れているし、あんな、他人の不幸は蜜の味という言葉を体現したかのような男ーーー七種茨を、好きになってしまうなんて。
もともと自分はAdamではなくEveの側の人間だった。玲明学園には現在の夢ノ咲のようなプロデュース科は存在しなかったが、高校からはアイドル科とは別で「芸能科」という形でプロデュースやマネジメント業、更にはカメラ機材の使用方法なんかを専門に学ぶ学科があり、わたしはそこの生徒だった。学年が上がるにつれてそれぞれの進みたい進路に分かれてはいくものの、特に1年のうちは多彩な業務の触り部分を全て詰め込まれるため、非常に忙しい学科として校内では少し有名だった。ただ対外的には玲明学園=アイドル科のイメージが強いことと、芸能科は要するに芸能界の前線ではなく後方で動く人間を育てる、つまりゆくゆくはアイドル科の生徒を支えていく人間を育てるための学科で、その裏方的性質と忙しさも相まって人気はあまりなく、各学年の人数もアイドル科に比べると圧倒的に少なかった。
そんな芸能科だったが、わたしにとっては授業はどれも楽しかったし忙しさなんてへでもないくらい真剣に取り組んだ。結果3年次には成績上位者の特権として奨学金での系列大学への進学も決まり、大学では芸能以外で興味があった文学を専攻した。それと同時に玲明学園の母体である事務所、コズミックプロダクションでのアルバイト(という体だったが実質はコズプロによる囲い込みだった)にも精を出し、大学を卒業するとそのまま流れるようにコズプロに就職した。
Eveのマネージャーを受け持つようになったのはこの頃だった。バイト時代にまだまだ芽の出ていないアイドルたちのマネジメントをすることはあったが、普通新入社員に有望株のマネジメントを任せるか?とは正直思った。ただどんどん勢いを増していくコズプロにおいて、(自分で言うのも何だが)学生時代・アルバイトを通して自分がコズプロのやり方を熟知していたこと、また優秀な結果を残し多方面の信頼を得ていたことなどを加味しての采配だったのだろう。Edenとしてのマネージャーは別におり、Eve単独のマネージャーはあくまでもその補佐的存在に過ぎなかったことも大きいかもしれない。Eveのマネジメントを通して自分をもっともっと使える人間にしようという事務所の考えが手にとるように分かった。
とは言え初めての大仕事、やる気は十分にあったし、癖の強い2人組の相手は大変ではあるもののやりがいがあり楽しかった。
Adamの2人と会ったのはEveのマネージャーをするようになってしばらくしてからだった。もちろんメンバー同士はそれなりに交流していたようだが、Edenとしての活動は別のマネージャーに任せっきりでわたしが同行することはなかったし、ちょうど知名度も上がってテレビやら何やら忙しくしていたからである。顔こそ知ってはいるものの、実際に話したのはサマーライブの少し前ぐらいだった気がする。
「初めまして。ご挨拶が遅れて申し訳ございません、Eveのマネージャーをしております名字名前と申します。」
「あぁっこれはこれは!こちらこそご挨拶が遅くなりまして!Adamの七種茨と申します、以後お見知り置きを!名字さんのお話はEveのお2人だけでなく事務所の人間からもかねがね伺っております、お若いのに非常に優秀で期待の星であるとか……それに何よりお美しい!いやぁ自分、名字さんにお会いできて恐悦至極でございます!こちらはAdam、ひいてはEdenのリーダーである乱凪砂でございます、さっ閣下、ご挨拶を!」
「乱凪砂……どうぞよろしく」
第一印象は対称的な2人だな、だった。
乱くんはメディアでの顔と違って大人しそうだし、七種くんはなんというか……煩い。そんなこと全く思っていないだろうことは丸分かりなのに、まぁよくもそこまで口が回ることだと感心してしまった。ただ七種くんは若くして実業家でもあるらしく、なるほど大人の世界で子どもが渡り歩くには必要な武器なのかもしれない、とも思った。
AdamももちろんEveと同様コズプロ所属であるため、基本的に企画運営に関しては事務所の指示に従っている。ただどうやら事務所の意思に反しない程度のことは七種くんがプロデューサーやマネージャーまがいのことを行なっているらしく、最初はAdamのマネージャーと連絡をとっていたがだんだんスケジュール調整はEdenのマネージャーを交えつつも直接七種くんとすることが多くなっていった。
慣れてくるとわたし程度に猫を被る必要もないと判断されたのか普段の会話の中でも彼の素が見えるようになり、嫌味というかシンプルな暴言を吐かれることも増えたが、こちらとしてもその方が付き合い方としては楽だったので特に何の感情もなかった。そして夢ノ先のTrick Starと対決したサマーライブ、オータムライブさらにSSを経て彼らは成長し、春になると乱くんと日和くんはそれぞれ晴れて学園を卒業していった。SSでの不祥事の際、わたし自身も上層部にかなりよくしてもらっていたため解雇になるかと思ったが、不祥事の内容に一切関与していなかったこと(そもそも知らされていなかったこと)やこれまでの素行を鑑みて残留、更には事件に関与していた当時のEdenのマネージャーに代わる形で、新しくEdenのマネージャーに就任することとなった。
ESの各事務所には学生も卒業生も関係なく所属しており、コズプロには有名どころだとEdenと、夢ノ咲の2winkとValkyrieが所属している。Edenのマネージャーを務める一方で、副所長となった七種(この頃には呼び捨てて呼ぶようになっていた)の手伝いで経営側の仕事にも手を出しつつ、忙しくも充実した日々を送っていた。
そんな中のある日、事務所のトイレ付近の廊下でである。この重大な事実……つまり、七種のことを好きになっていたことに気付いてしまったのは。
「マジでやらかした……。しにたい……」
思わず壁に手をついて項垂れる。気付いたことに特にきっかけなんてなかった。ただ作業で汚れてしまった手を洗いに行こうとトイレに向かって歩いていただけ。その時にふと最近顔を合わせてないことを思い出して、あぁ好きなんだなぁ素直に思ってしまった。思ってしまって、え?今いったい自分は何を…とサッと血の気が引いた。自分が担当しているアイドル相手に恋心、それだけでも十分にアウトな案件なのに、よりにもよって相手が七種……。どう転んでもお先真っ暗である。
「何してるんですか、こんな廊下で」
「うぁっはい!」
心底不審そうな声で急に話しかけられて、更にはその相手がちょうど考えていた七種であったため二重に驚いて思わずオーバーな反応をしてしまう。トイレの近くで壁に手をついて項垂れている人間はさぞかし不審だったことだろう。七種の冷えた視線も分からんことはない。
いやちょっと……今世紀最大の失敗をしてしまって……ともごもごと口を動かしたが当然それだけで七種が状況を理解できるはずもなく、「はぁ?」と更に呆れた目を向けられる。頼むから落ち着くまではちょっとそっとしておいてほしい。
「なんでもないよ……。それよりもうこんな時間なんだから七種は帰ったらどうですか?あなた未成年なんだし、後は役席の承認がいらない書類の処理ばかりなのでわたしでもできますし。休めるうちに休むのも仕事ですよ」
「こんな時間って言ってもまだ20時にもなってませんけど。でもまぁそうですね、そんな状態のあなたにお任せするのはいささか不安ですが、ではお言葉に甘えさせていただきます。」
不審がる目はそのままだがちらりと時計を見てひとつ息を吐いた七種はそう言った。事務的な挨拶をしてくるりと踵を返す七種にふらふらと手を振りながら、出会った頃のハイテンションは今や見る影もないなぁ……などとぼんやりと思った。
完全に七種の姿が見えなくなると壁に背中を預けてずるずると座り込む。1年前、就職祝いに買ってもらったパンプスのヒールを撫でながらはぁ〜〜っと大きなため息をついた。やっかいなことになった、気付かないままだったら今までと変わらずいられただろうに。
「……仕事しよ。」
とりあえず目の前のことを終わらせてしまおう。分からない問題を後回しにするのは、学生時代からのわたしの悪い癖だった。
▲▼▲
- 1 -top