シャンクスと踊り子・3日目


ローデンは世界政府にこそ加盟せず中立を保っていたが、平和を絵に描いたような街だった。観光地として多くの旅人が訪れ、かつて街には活気と笑顔が溢れていた。しかし、それはいとも容易く崩れ去る。
ローデンが動かす巨万の富に政府は目をつけた。いつかその莫大な資産を使い世界政府へと牙を剥くかもしれない、そんなありもしない想像を巡らせあろうことかそれを抑圧した。

"眠らない街・ローデン 公爵逮捕"
"反乱 未然に防がれる"

ありもしない罪状でローデンを栄えさせた公爵は逮捕された。しかし、不幸はそこに留まらない。指導者が必要だと政府が派遣した新しい領主、世界政府の息のかかったその領主は街を政府御用達の裏取引の街へと作りかえた。
裏で世界政府という後ろ盾を得て、領主は今もこの街の一番高いところにのさばっているのだ。


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「私があなたの暗殺に失敗したと知ったら領主は手を引くと思います」

悔しいことに領主は強欲だが頭は回る。一度失敗して警戒を強めた四皇相手に二度めのチャンスはないと考えるだろう。

「これ以上何かされる心配はいりませんが、早めの出航をおすすめします──どの道ログは明日でたまるから」

音もなく立ち上がった名前はシャンクスの顔を一瞥すらせず部屋を後にした。「本当にごめんなさい、」小さな謝罪だけを残して。

その後何食わぬ顔で件の酒場に戻ったシャンクスは酒が回り真っ赤な顔をした船員たちに出迎えられた。口々に「お頭どこ行ってたんだよ!」「あんたがいなきゃ始まんねぇよ!」と文句を言われている。それらを平謝りしながら素通りして、シャンクスはベックマンの横に腰を下ろした。

「よう色男、踊り子との一晩はどうだった?」
「あぁ、気が強くていい女だったよ。なんせ俺の首を取りに来るぐらいだ」

ガシャーンッ──!
何だって?とベックマンが聞き返す前に、目の前のウェイトレスが手に持っていた食器を全て落とした。顔面蒼白で震えるウェイトレスはハッと我に返り、シャンクスに慌てて駆け寄った。

「赤髪の船長さん!名前が大変失礼なことをしたことは承知の上です!ですがあの子の本意ではありません!どうか許してください」

ウェイトレスは全身ガタガタと震えながらシャンクスに頭を下げていた。そのただならない様子にお祭り騒ぎだったクルーの酔いも覚めるというものだ。なんだなんだと、皆が渦中の2人に注目した。

「おい、ちょっと待て。落ち着いてくれ。踊り子には何もしてない」
「え、そ…うなんですか、良かった…」

ウェイトレスはほっと胸を撫で下ろした。
おかしい、まだこの街にはまだ何かがある。このウェイトレスから何か聞き出せるだろうか。シャンクスは威圧してしまわないように訊ねた。

「なぁ、一介の酒場の踊り子がどうして領主の言いなりになって人を殺している」

ぴたり、とウェイトレスの動きが止まった。
そうだ、違和感の正体はこれだ。この街で名前だけが領主にとって特別だ。そしてそれはこの街の歪さに繋がっている。シャンクスはそんな気がしてならない。

「名前は──」


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翌々日──島の最奥、一際豪華な屋敷に名前は招かれていた。成金趣味全開のギラギラしたシャンデリアをぼんやりと眺めながら考えるのは、シャンクスのことだった。
彼は昨日、酒場に来なかった。いやシャンクスだけではない、彼の船員たちも誰一人として酒場には来なかった。今頃はログが溜まりきって出航しているはずなので、昨日一日は出航準備に当てたのかもしれない。

──無事に島を出られただろうか、

考えて、すぐにいらない心配だということに気付いた。彼らはこの広い海でも最も王に近い。襲われようときっと無傷で出航できるだろう。それに彼らが騒ぎを起こしたと言う話も聞いていないから、予想通り領主は赤髪海賊団には手を出してはいないだろう。

「最後に会いたかったな、」
「赤髪か?」
「──盗み聞きなんて趣味が悪いと思いけど」
「心外だな、聞こえてきたんだよ」

いつの間にか背後から近寄ってきた領主が肩に手をのせて囁いてきた。名前の肩に自然と力が入る。

「惚れたか?」
「まさか、でもそうね……あなたより百倍いい男だったわ」

領主の口角がぴくりと動いた。どうやら思い通り気に触ったらしい。ふん、と名前は鼻を鳴らした。

「相変わらずだな。まぁいい、最初から赤髪の首を取れるとは思ってない」

それより次のターゲットだ、と領主が写真を投げ渡した瞬間、屋敷全体に地響きと銃声が響いた。「何事だ!」領主の怒声が飛ぶ。

「赤髪です!赤髪海賊団が乗り込んで来ました!!」

足をもつれさせながら報告にきた衛兵の顔は真っ青で恐怖に震えていた。名前の赤い瞳が困惑に揺れる。
出航したんじゃないのか。何故わざわざ乗り込んできたのか。財宝が目当てなのか、とてもそんなものに拘る人には見えなかったのに。

「いっ──!!」
「名前!お前奴らに何か吹き込んだのか!」

パニックになった領主が名前の髪の毛を掴んで引きずり倒した。力任せに髪を引っ張られる痛みに、悲鳴が出そうになるのを名前はぐっと堪える。「助けて欲しいとでも言ったのか!」言ってない、言えるわけがない──そんなことは領主が一番分かっているはずなのに。領主の慌てようは呆れを通り越してもはや滑稽だった。元々先に手を出したのはこちらだ、この男は何を根拠に彼らに報復されないとタカをくくっていたのか。

「そこまでだ。乱暴はやめてもらおうか」

自らの行いを棚に上げて、半狂乱で名前を責め立てる領主を強い声が制止した。もう聞くことは無いと諦めていた声が、名前の心を震わせる。広間唯一の入口から腰の剣すら抜かず悠然と歩いてくるその姿に、その鮮烈な赤色に名前は泣きたい気持ちになった。

「シャンクスさん…なんで、」
「こいつは何も言ってないさ。友達思いのウェイトレスに頼まれてな」

その一言で、名前は全て分かった。あの友人が彼に話したのだと。

公爵が逮捕された後、領主が街を治めるようになってから市民の生活は一変した。そしてそれに耐えかねた市民が過去に暴動を起こした事件があるが、それは世間には報じられていない。
その時の暴動の結末はこうだ。暴動に関わった人間の処刑を命じる領主に、旧公爵の一人娘が頭を下げたのだ。彼らの不始末はそこまで街を治めていた自分たちの不始末である。何でもするからどうか許して欲しい、と。領主はその思いを汲んでやった。それ以来、市民の命を人質に取られたまま公爵の一人娘は領主の命じるままにその手を汚し続けている。

シャンクスが剣を抜いた。
「聞いていたら困ったことに俺が欲しくなっちまった」と続ける彼が最後に何を言おうとしているのか分かってしまって、そこまで一度だって泣かなかった名前の目からはポロポロと大粒の涙が溢れる。

「俺たちは海賊だ──宝はもらっていくぞ」

──。
───。
その後、決着はすぐについた。否、最初から戦いですらなかった。シャンクスは名前の頼みに従い、ローデンを縄張りにすることを選んだ。しかしそれは街をあるべき姿へ戻すための建前だ。もう二度と世界政府に介入されないように海賊旗は置いていく、見返りは求めないとそう言った。
そして今、名前は生まれ育った街や友人との別れの挨拶もそこそこに大海原に漕ぎ出していた。船首に龍を頂く、レッドフォース号に乗って。

「名前」
「ひゃあっ!なんだ、シャンクスさんか」

まだ実感がわかないのか、ぼーっと水面を眺める名前を腕に座らせるようにしてシャンクスが抱え上げる。へらりと気の抜けるような笑顔を浮かべる名前に、シャンクスは思う。踊り子をしていたときの完璧な笑顔より、こちらの方がずっといいと。
シャンクスに抱え上げられた名前が彼の両耳に軽く手を添えて額同士をくっつけ、一言告げる。

「シャンクスさん、私シャンクスさんのこと好きになっちゃった」

彼ほどに強く優しい人をどうやって好きにならずにいられようか。燃えるような恋心を伝えてくるルビー色の瞳に、シャンクスは微かに心臓が疼くのを感じた。それが愛に変わるときは、彼のみぞ知ることである。