御影玲王に救われる


サッカーが好きだった──。
あの柔らかい芝生の真ん中を切り裂くように、力で、技術で、突き抜けて行くストライカー達がカッコよくて魅了された。
小学校のクラブチームで男の子達に混じり、泥だらけになりながら練習して女子でありながらFWの座を勝ち取ったあの嬉しさは忘れられない、小学5年生の時の話だ。

小学生6年生の夏、大きな大会で足を怪我し日常生活には問題ないけれど選手として今後ピッチに立つのは不可能だと、診断をされた。頭の中が真っ白になり、あぁ飛べなくなった鳥はこんな気持ちなのかと、まるで他人事のように思った。

私が絶望しても時間は止まってなんてくれなくて、いつの間にか選手としてサッカーが出来ないことにもそこそこには慣れてしまった。その代わりという訳ではないが、中学ではサッカー部のマネージャーになった。選手としては無理でも、サッカーから離れることはどうしても考えられなくて、マネージャー業務の傍らで、対戦校の分析をして、本や試合の動画から作戦を組み立て貢献した。
けれど全国の壁は高く、私達はあと一歩というところで僅差で敗退した。この一戦のために全てを注ぎ込んで尚届かない事実に、涙さえ出なかった。

「澄ました顔しやがって!ピッチに立ってない奴にはどうせ俺達の悔しさなんか分かんねぇんだろ!!」

そんな私が薄情に見えたのか、試合後お疲れ様を言いに言った私に、感情のままにぶつけられた怒号は私の心をズタズタに引き裂くには十分だった。

もう選手としては再起不能な私が、自分なりに見つけた道だった。3年間を共にしたそのチームメイトは私の足の事も知った上で、その言葉を私へと投げつけたのだ。
負けて感情のコントロールができていない?
そんなの言い訳にもならない。顧問がそいつの失言を咎める前に、タオルを掴んで顔面へと叩きつける。

「あんた達なんてサポートしなけりゃ良かった」

あんなに全国に行って欲しいと思っていたのに、その時の私の心は驚く程に冷めきっていた。


/


「なぁ、あんた!俺達にサッカーを教えてくれ!」
「──それ、誰に聞いたの?」

思わず声が低くなってしまった。
あの一件からサッカーから離れることを決め、進学校の白宝高校へと進学した私の前にそいつは突然現れた。鮮やかな紫の髪と瞳を爛々とさせながら、御影玲王はぐっと身を乗り出してくる。その後ろには御影君に手を捕まれ怠そうに立つ、サボりと居眠りの常習犯であるクラスメイトでもある凪誠士郎がいた。
片や大企業の御曹司で人気者の御影君と、片やその不真面目な態度と外観の無気力さからか遠巻きに見られている凪君──何ともちぐはぐなコンビだった。

「○○から聞いた!苗字は小中とサッカー経験者で、ルールも作戦もよく知ってる!選手としてはプレーできないけど、技も上手で教えるのも上手いって!」

「俺、こいつと日本一になるんだ!
だから俺らにサッカー教えてくれ!」

御影君の口から飛び出してきたのはかつて私が支えたチームメイトの名前だった。あんな風に突き放しておいて、今更何のつもりなんだろう。
不愉快だ。人の心を言葉のナイフで抉っておきながら私を語るチームメイトも、あまりにも非現実的な目標を掲げる御影君達も。

「もうサッカーは止めたの。絶対にやらない」

あんな思いはもうごめんだ。


/


トン、トン、トン、トン──。
場所は公園。膝とつま先を器用に使い、リフティングをする。選手生命は絶たれた私だが、こうしてお遊び程度にサッカーをするくらいは出来た。逆に言えばそれくらいしかできないのだが。
これでも本当はやめようとしたのだ。けれど、どんなに酷いことがあってもやっぱりサッカーを忘れることが出来ないのが現実で。御影君の誘いを断り、こうして一人でボールに縋り付く私のなんて惨めなことか。
でも頭から離れないのだ──足の裏に感じた芝生の感触も、ボールがネットに突き刺さる音も、試合終了のブザーも、何もかもが脳に焼き付いてあの頃のままだ。

「う、……」

ボールを抱きしめてうずくまる。
苦しい、苦しい。頬を冷たい涙が伝う感触がした。

「おい!大丈夫か!?」

背後から慌てた声がかかる。振り向かなくたって分かる、御影君だ。ぐっ、と涙を拭って振り返る。

「何?」
「いや、リフティング見てたんだけど、急に蹲ったから…足の怪我が痛むのかと思って」
「なんで知ってるの。○○がそんなことまで話したの」

どこまで人を貶めたら気が済むのか、手のひらが白くなるほどに力を込めて握る。

「勝手に聞いて悪い。でもどうしてもお前の力を借りたかったから、何でもいいから知っときたくて聞いた」
「聞いたならほっといて。私はもう誰ともサッカーはしない」
「一人ならするのかよ」

「一人ぼっちでサッカーして、そうやって泣くのかよ」

カッとなって手のひらを振り上げる。頬を叩こうとした手のひらを掴んで止めた御影君の手のひらはとても熱く、紫の瞳は真剣味を帯びている。

「俺達は負けない」

だから苗字のせいになることも無い。
苗字が怯える未来なんて来ない。

「だから、俺達と一緒にサッカーをしよう」

太陽さえ眩むような笑顔で御影君は私の両頬を包み込み、額と額を合わせた。


/


「凪、練習するよ」
「えー、やだ。めんどい」

放課後、屋上で寝そべって携帯ゲームを満喫する凪君にため息を吐く。これほどまでに『怠惰』の二文字が似合う人もいない。
だが、練習をやってくれなくては困るのだ。

「じゃあ交換条件。今日の練習最後まで頑張れたら、途中止めになってたゲームを一緒にしてあげる」
「──えー、仕方ないな」

いや、こっちのセリフだが。
何にせよやる気になってくれたらしいので良しとする。重い腰は上がったもののエンジンがかかりきっておらず足取りの重い凪の背を押して玲王が待つグラウンドへ行く。
そこには既に練習着に着替えた玲王が待っていた。

「おー、悪い名前今日どうしても凪迎えに行けなくてさ、重かったろ?」
「全然、ちゃんと歩いてくれたよ。ね?凪」
「ゲーム約束だから」
「はいはい」

「着替えてくる」と歩いていった凪を見送り、横に立つ玲王を見上げる。「ん?なに?」と瞬きをする紫の瞳に何でもない、と首を振った。

「ね、玲王。勝ってね──ずっと勝ってね」
「当然だろ」

当たり前のように頷いてくれる玲王に嬉しくなり、「凪を迎え行ってくる!」と適当な理由をつけて駆け出した。