果てで、ぼくは
素肌同士が触れ合っている温かさと、もぞもぞと私を抱き締めなおした腕の力強い感触に意識が浮上した。目を開けると侑の引き締まった胸板が視界いっぱいに広がっていた。頭の上ではまだ寝ているのだろう、すぅすぅと気持ちよさそうな寝息が聞こえる。
私はいつ意識を飛ばしたんだっけ?記憶を辿り、昨晩のことを思い出す。要らぬ負けず嫌いを発揮して侑を煽って、それで──。侑に組み敷かれてもっともっとと強請ったはしたない昨夜の自分を思い出し、寝惚けていた頭が完全に覚醒した。思い出してしまうと途端に恥ずかしくなってしまい、侑が起きたらどんな顔をすればいいのだと頭を悩ませていた時だった。
「くく、、」
「……………起きてるでしょ」
頭上から聞こえてきた噛み殺すような笑い声に、じとりとした視線を向けた。
「やー、一人で勝手に焦ってておもろかったわ」
私の睨みなんてものともしない侑が「おはようさん」と甘い声で囁きながらおでこにちゅっと口付けられる。これも惚れた弱みか、私ばかり振り回されていてなんだか悔しい。だが、侑のご機嫌な顔を見ているとまあいいかとも思えてしまうのだからつくづく恋とは厄介だ。
「今日は練習ないの?」
「おん、今日は一日オフや。どっか行くか?」
「ううん、家で二人で過ごしたい」
「あかん、今の可愛すぎて腰にキたわ」
何で!?と心の中でツッコミを入れる。
昨日あれだけ激しく抱かれて身体中がだるい私のことなんてお構い無しに、さわさわといやらしい手つきで脇腹を撫ではじめた目の前の男を止める術なんて持ち合わせているはずもなく、結局昨日に引き続き彼の欲を全身で受け止めることになってしまったのだった。
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正式に想いが通じ合ってからというものの交際は順調そのものだった。前と変わったことといえば、侑も私もお互いに積極的に触れるようになったこと、そして侑が頻繁に家に泊まりに来るようになったことだ。
明日の練習は午後かららしい侑は、今日も今日とて泊まりに来ていた。風呂上がりのルーティンなのだろう、ゆっくりとストレッチをしている。きっと、それが終わったら次は爪の手入れをするのだろう。バレーのために毎日これだけの努力と準備をしている、それは彼が泊まりに来るようになって初めて知ったことだ。
「侑、ご飯もう仕上げてもいい?」
「おん、ええよ」
お許しが出たので仕上げよう。味噌汁を温め直しながらおかずとご飯を盛り付けていく。やがて、ストレッチを終えた侑が出来たものをテーブルに運んでくれた。2人でいただきます、と手を合わせてご飯を食べ始める。
そういえば、彼が泊まりに来るようになって初めて知ったことがもう一つ。プロのスポーツ選手なだけあって食には煩いのかと思いきや、侑は意外にもそうではなかった。もちろんバランスや量はネットや本などで調べて自分なりに意識してはいたが、所詮は素人の付け焼き刃。バレーをこよなく愛し、準備を怠らない彼のことだ、食事もトレーニングの一環として何か言われることも覚悟していたが、完全に杞憂だった。
それがあまりにも拍子抜けだったので、一度訊ねたことがある。その答えはあまりにもあっけらかんとしたものだった。
「俺のこと何やと思うてん。そんなんカノジョに求めんわ」
足りない分は必要ならサプリメントだってプロテインだって使えばいいし、なんなら自炊してもいい。とりあえず自分のことは自分で管理できる、というのが侑の主張だった。それを聞いて、そういえば我が家にも侑が置いているプロテインがあるな、と合点がいった。
「そもそも、そんな事させるために付き合ってんとちゃうしな」という当たり前のように紡がれた言葉に、愛されていることを感じ心が温かくなったのは記憶に新しい。
閑話休題。
「そういや、名前んとこの出版社からインタビューの仕事きたで」
「え?そうなの」
味噌汁を啜りながら思い出したように侑が言った。
近年、男子バレーボールが老若男女から注目されているというのは侑と付き合い初めてから私も知っていた。中でも妖怪世代と呼ばれる選手たちの存在が人気に大きな影響を与えていることも。なので、その世代の一人であり女性人気も高い侑には、シーズンオフ中にこういう仕事が舞い込むことも少なくないというのは本人から聞いた。
どうやら今回は私の勤める出版社から話がいったらしいが、私は初耳なので他の編集部での案件なのだろう。
「編集部が違うから私が担当することはないと思うけど、社内ですれ違うくらいはあるかもね」
何気に侑に働いているところを見られるのは初めてだ。仕事を疎かにするつもりはないが、浮き足立ってしまうのも仕方の無いことだろう。
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インタビューの仕事を受け、日程も決まり、俺は名前が働く出版社に来ていた。ここは大阪支社で本社は東京にあるらしいが、さすがは業界大手の出版社だけあり支社といえども立派なビルだった。明るいエントランスを抜けてインタビューが行われる部屋へと案内される。
すぐに担当者が入室してきて今回のインタビューの概要を説明された。今回この仕事を持ちかけてきたのは、バレーだけでなくスポーツ全般を扱うスポーツ誌で、最近人気目まぐるしい男子バレー、中でも妖怪世代を扱いたいとの事だった。長期的な企画で毎号で妖怪世代一人一人に特集を組み、インタビュー記事を取り上げていくのだそうだ。
そう語ったのは俺と同年代の女で、担当者らしかった。じゃあ早速とインタビューが始まり、バレーは何歳から始めた?のようなベタな質問から、少し掘り下げた質問まで一つ一つ答えていく。
応答をしていく中で担当者の女と目が合うと、頬を染めて慌てて目を逸らされる。明らかに異性として意識されているその反応に、ああまたかと冷めた感想を抱いた。
自慢ではないが、学生の頃からこういう視線には慣れている。思春期真っ只中の学生の頃には同年代の女とそれなりに遊んだり付き合ったりもしたが、大人となった今、こと仕事が絡むとなればこういう視線は正直煩わしい。さっさと終わらせて帰ろうと思い、不快感を顔に出さず、当たり障りなくインタビューを終える。
「それではインタビューは以上になります。ありがとうございました!」
「ありがとうございました──ほんなら」
失礼しますぅ、と席を立った時だった。「あのっ」と強ばった声に足を止められた。
「あの、これご迷惑でなかったら受け取って欲しいんですが…!」
顔を赤くした担当者の女が自身の携帯番号が書かれたメモを手渡してくる。これにはさすがの俺も眉間にシワが寄った。この担当の女は最初に入室してから一度も退室していない、つまりは最初から俺に連絡先を渡すつもりで準備をしていたということだ。仕事だというのに下心丸出しの女に嫌気が差す。名前の勤める出版社だからたまにはええかと思って受けてみたが、こんな事ならやめておくんだった。
「ごめんなぁ。俺好きな子おんねん」
不快感を上手く隠し足早に退室する。仕事は終わった、部屋を出てしまえばこちらのもの、不機嫌を隠す必要もない。エントランスに戻ろうと歩いていた時だった。
「ん〜、ここもうちょっと……出来ますか?」
耳に馴染む声に足を止めた。
どうやら同じフロアに名前が働く編集部もあったようで、今はちょうど打合せ中らしい。さっき浮ついた女の声を聞いた直後だからだろうか、正反対の真剣味を帯びた声がとても心地よい。
俺と同じように好きなことに全力な名前が好きや。嬉しそうに仕事をする名前を見るだけで、さっきの不快感が嘘のようにきっと俺は満たされる。そう思い、ひと目だけでも名前が見たいと声が聞こえる部屋に視線にやった。
しかし、俺が想像していた喜びは湧き上がってこなかった。視線を向けた部屋の中、流行りの洋服に身を包んだ男性モデルと向かい合って座り、真剣な表情で一枚の資料を一緒に覗き込む名前がそこにいた。
会話の内容までは聞き取れないが男性モデルと名前の表情は真剣そのもので、ああでもないこうでもないと意見が飛び交っているようだ。本気でいいものを作ろうというその気持ちはここからでも感じ取ることができる。やがて案がまとまったのか、頬を染めて嬉しさに顔を綻ばせた名前に心の中にもやもやとしたものが広がった。
やめぇや、笑うな。俺以外の男にその顔見せんな。その顔は俺だけのもんや。宝物を取られたくない子供のような独占欲ばかりがふつふつと湧き上がってくる。
自分と同じ熱をもつ名前が好きだった。最初は本当にただそれだけだったのだ。しかしもうそれだけでは我慢出来ないほどに名字名前という女に惚れ込んでいる俺は、あいつの全てを自分で囲ってしまいたくてたまらないのだ。