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お嬢様と初デート(仮)


京都の都心からすこし離れた郊外に美山家は居を構えている。余計なものは何一つない静かな土地にどっしりと構える屋敷は、呪術界の名門美山の名に相応しい静謐で神聖な空気を纏っている。
その門の前に佇んだ依子が、迷いなく門を潜る。客人だと思い、慌ててすり足で廊下を駆けてきた使用人が「まぁ!」と声を上げた。

「お嬢様!お帰りなさいませ!」
「ただいま。お父様は在宅かしら?」
「はい、書斎に居られます」
「そう」

綺麗にローファーを脱いで揃えて家に上がる。
「お嬢様。今日は泊まっていかれますか?」「ええ、明日の朝に東京に帰るわ」「それでは今日の夕食はいつも以上に腕を振るいますね」ふふふと口元に手を当てて上品に笑った使用人は踵を返して行ってしまった。
それを見送り、依子も歩き出す。美山の家の者でも入れるのは極わずかであるその部屋に依子は足を踏み入れた。2階までを吹き抜けにして特別に大きく作られたその部屋は天井スレスレまで本棚が隙間なく並べられている。懐かしい古紙の香りを肺いっぱいに取り込んで、依子は目を細めた。

「おかえり、依子」
「お父さん!」

古い文献を広げて緩くうねった階段を軋ませながら、ゆったり降りてきた無地の和装の初老の男性に、依子はそれまですましていた表情を崩した。
大輪の華が開くような愛娘の笑顔に、美山家現当主その人はにっこりと人の良さそうな笑みを浮かべた。

「活躍は聞いてるよ、さすが私の娘だ」
「現場でたくさん勉強させて頂いてます」

「そういえば、後輩に五条悟がいるらしいね」
「あぁ、少し調子に乗りやすい一面はあるけど、次期当主に相応しい力を持ってるわ。五条家は安泰ね」
「ふふ、随分高評価なんだな。聞いた話では随分厳しくしているそうだが?」

あー、と途端に気まずそうにする愛娘に当主はくつくつと笑った。飛び抜けて優秀なせいで実年齢より大人びているが、ふとした瞬間に近しい者にだけ見せる顔は年相応だ。こういう所が可愛いから、年の離れた兄達も彼女を猫可愛がりするのだ。

「評価してるのは本当。何故か分からないけど、向こうが突っかかってくるの」
「悟君は依子と仲良くなりたいんじゃないかな」
「…本気で言ってる?」
「ふふ、一度彼自身をよく見てみなさい」

実際に五条とのやり取りを見た訳でもないのに何を──と普通は一蹴するところだが、相手は一を以て百を知ると云われる美山の現当主の言葉だ。何より依子自身、尊敬する父親の助言を無視は出来ない。「分かった、」と言いつつもまだ少しだけ不服そうな依子に当主は満足気に笑い、頷いた。


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(ああは言ったけど…)

五条自身を見るとは一体どうすればいいのか。
依子は珍しく悩んでいた。と言うのも、依子に言わせれば自分はもう既に五条をちゃんと見ている訳で。そこから更にと言われてもどうすればいいのか分からないのである。もっと具体的に父に聞いておくのだったと依子はため息を吐いた。
そんな風に上の空で歩いていたからだろうか。依子はいつもなら気付くはずの人の気配にも気付かなかった。職員室で報告書の詳細を報告し、退室しようと扉を開けた瞬間、扉の向こうにいた人物にぶつかってしまったのだ。
バシャッという液体がかかる音と「冷てぇな」という声にハッと我に返った依子が顔を上げると、そこには制服を甘ったるいジュースで汚した五条がいた。
ぼーっとしていた依子は、しまったと我に返った。そもそも職員室に飲み物を持って入るなと言いたいところだが、今回ばかりは前をろくに見ていなかった依子の過失でもある。

──しまった、ぼーっとしていた!
「ごめんなさい、洗って…いえ新しいものを買って返すわ。これどこで」
「はーぁ??そんなんで許すと思ってんの?風邪ひいたらどうしてくれんだよ」

鼻歌を歌いながら特級呪霊を祓うような男が風邪なんかでどうこうなるものか。タチの悪いヤクザのような物言いに、依子と五条の背後に立つ夏油は呆れた。
まあこの男が突っかかっくるのはいつもの事だ。しかも今回に限っては自分に非があるため、依子はため息をつきたいのを抑え「どうやってお詫びすれば満足なの?」と問いかけた。待ってましたとばかりに五条の口角が意地悪く上がった。

「俺、欲しいものあんだよね。1日荷物持ちで許してやるよ」
「悟……」

先輩ましてや女性。もっと言えば依子は名家のご令嬢、つまりは生粋のお嬢様である。依子に対しては小学生男子のようなクソガキムーブが五条の通常運転だとしても、1日荷物持ちはさすがに度が過ぎている。夏油が諭そうと手を伸ばした時だった。

「いいわ」

これには夏油のみならず言い出しっぺの五条ですら聞き間違いを疑った。

「日にちと待ち合わせ時間は?」
「来週の日曜日、13時とか、」
「分かったわ。高専の正門前で待ち合わせにしましょう。それじゃ」

いや、聞き間違いではなかった。
急に動揺を隠せなくなった五条を無視して、いつものすました顔でさっさと話を終えると依子は足早に去っていった。
五条の予想ではてっきり「付き合いきれないわ」とか何とか言われて終わりの予定だったのに、まさかの展開である。

「え、傑、どうしよう」
「自分で誘ったんだろ、私に助けを求めないでくれ」

学生ながら呪術界の要とも言える依子相手にあの失礼な物言い、五条の自業自得である。夏油は今回ばかりは助けないと決めた。


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土曜日の夜、依子はクローゼットの中の服を全部引っ張り出していた。明日はいよいよ五条との約束の日だ。依子は柄にもなく服装に悩んでいた。
ああでもない、こうでもない、と一人でファッションショーを繰り広げる。そうして自室の床とベッドに服が散乱し足の踏み場も少なくなってきた頃、部屋の惨状を見回してハッとした。

──私は一体何をしているの。

明日五条と一緒に出かけるのは先日のお詫びであり、いつもなら切って捨てる彼の下らない言動に頷いたのは尊敬する父が彼をよく見ろと言ったからだ。特別めかしこんで行くほどのものでは無い。これは断じてデートでは無いと自分に言い聞かせながら依子は一枚のワンピースを手に取った。


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待ち合わせ時間の10分前、すでに待ち合わせ場所に来ていた五条は結局何度頼み込んでも最後まで助けてくれなかった夏油を思い出し恨んでいた。
女ウケのいい顔をしているのは五条だが産まれ持った才能と産まれてからずっと呪術界に身を置いているせいか人格が破綻しているきらいがある。なので実は表向きは紳士な夏油の方がモテるのだ。女性をエスコートするのだって当然夏油の方が向いている。彼に助けてもらうと思っていたのに──

「くそ、傑のやつ、」

このとおりにべもなく断られた。なおこれは自業自得である。
お坊ちゃん育ちな五条は今まで家同士のお見合いなどは多くあり、その中で女性と対話することもあった。しかしその誰もが<呪術界御三家の次期当主>、<現代最強の術師>というネームバリューを欲し、彼に気に入られようとへりくだる人間ばかり。対等な相手とのデートのノウハウなんて知るはずもない。

「──じょう、──五条?」
「うわっ!」

肩を叩かれ思わず反射的に振り払う。相手を見ると依子が目をまん丸に見開いて驚いていた。手を振り払われた衝撃で数歩後ろによろめいたようだが、依子は気にした様子もなく「待たせてごめんなさい」とカバンを肩にかけ直した。

「おっ、、せーよ!!」
「? まだ5分前だから遅刻はしていないのだけど」

緊張から声を荒らげてしまったがド正論で返され、五条はぐっと押し黙った。自身に落ち着けと言い聞かせて一度深呼吸をし、依子をしっかり見た。
依子は膝丈のワンピースに少しオーバーサイズのカーディガンを羽織るという装いだった。それに合わせていつもは普通に下ろしている髪は編み込まれ、毛先の方は綺麗に巻かれている。顔にはナチュラルメイクが施されており、瞼は細かいラメが光の加減で微かにきらめき、唇はリップグロスで艶やかだ。一言で言うなれば、超可愛い。

「五条?」
「なんでもねえよ。行くぞ」

ばくばくと煩い心臓に気付かないふりをして、五条は依子から顔を背けた。

道行く人が五条と依子をチラチラと見る。
サングラスでその全容は分からないが190cmオーバーの高身長で髪は透けるような白髪の五条と少女から女性へと花開く途中の美しさを持つ依子はよく目立った。普通はうるさいと感じる視線も人に見られ慣れている2人からすればなんてことは無い。まずは今回の目的である汚してしまったシャツを買いに行こうと依子は促した。

「あなた…そんなに高いシャツ着てたのね…」

数時間後、店先から五条と連れ立って出てきた依子はブランド物のショッパーを見てげんなりした。どう考えても普通の高校生が手を出すにはゼロが多すぎる値段のそれに依子は半分呆れていたのだか、そんな値段を一括でぽんと払う依子もおかしいというのが五条の主張だ。正直どっちもどっちである。

「まぁいいわ。じゃぁ私はこれで──」
「は!?す、ストップ!」

目的を達成し早々と解散しようとした依子の前に反射的に立ちはだかって止める。眉を眉間に寄せて怪訝な顔をする依子に五条はもごもごと予め用意しておいた誘い文句を口にする。

「見たい映画があんだけど、ついでに付き合えよ」
「? そんなの一人で見れば──」
「はぁ!?お前ほんっと空気読めねぇな!」

五条に怒鳴られて、父の言葉を思い出した依子はハッとした。今日は五条をよく見ると決めたんだった。

「ご、ごめんなさい」
「別にいいけど、で?行かねぇの?」
「いえ、行くわ」

こちらもそれなりに意識しているので人のことを言えないのだが、たかが映画に誘っただけなのに異様に気合いの入った返事をする依子に今度は五条の頭上にハテナが浮かぶ番だった。