エッセイ *私と生活
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 14年前の雨が降ったりやんだりで鬱陶しい季節、父が自殺した。
 その時は丁度季節外れの台風が何年振りかに来ており、不穏な天気に不穏な知らせが重なり余計に胸をざわつかせた。

 私はその頃まだ高校に上がって間もない多感な時期だったと思う。それもあり私の言動はかなり酷かった。特に母に対して嫌悪感を抱いていた為散々「死ね」とか「気持ち悪い」などの罵声を執拗に浴びせるのが日常だった。
 甚だしい母への暴言に対しついに逆上した父に「家を出て行け」と言われ、そのまま家出という名の下姉の家に厄介となり始め10日程経った頃、突然の知らせだった。

 聞いた話によると第一発見者は母。
 慌てふためき近所の兄の家に電話したが、あまりにも支離滅裂過ぎて何を言っているのかも分からないくらいだったらしい。異様な雰囲気から電話を受けた嫁が駆けつけると家の中で父が首を吊っていたという。


 もう随分前のことだから、父が居なくなったことや自殺を選んだというショックは薄れ客観的に過去の出来事と割り切れるようになった。
 これは悲嘆のプロセスというものに当てはまるが、キューブラ=ロスの「死」の5段階説によると、死を受け入れていく過程として(1)否定と孤独(2)怒り(3)取引き(4)抑うつ(5)受容 という流れを経るという。

 そういえば最近私が読んでいる本が「自殺論」という海外の著書で、自殺率が地域によって違うが何か自殺率を上げるような法則はあるのか検証していくものだ。
 昔通っていた大学の先生の推奨図書であり「理論と根拠に基づいた文章であり読み手の好奇心を掻き立てる。余分な表現がなく理路整然としたよい読み物」とのことだったが、私はたちまち飽きてしまった。
 仮説を立て検証する為に数字を照らし合わせ仮説が証明できるのかどうという、何だかややこしい文章の繰り返しに私の興味はそそらなかった。


 10分と少し読むと眠気に襲われる為少しづつしか頁が進まない。夫に読書に疲れてしまったとその事を話すと、そりゃ眠いだろと笑われる。

 そのついでに聞いてみた。


「ねぇ、もし私が自殺したらどうする?」

「そんだけよく寝てよく食べて自由に生きてるんだから、それはないだろ」


 やや呆れた調子で、私が自殺するなど想像も及ばないらしい。
 確かにテーブル上の読書のお供に食べたお菓子の抜け殻達に、ソファーで寝落ちてついさっきお目覚めの腑抜けた私に尋ねられたところでそうもなるかな。


H30'5.8

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