エッセイ *私と生活
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 私はやたら明るくなった部屋と、騒がしい奥のリビングからの音が響いてきて目が覚めてしまった。姉の家に帰省がてら泊まらせてもらったはいいが、夏休みでも子供の居る家庭はこうも朝が早いのか。

 また目を閉じる、も日当たりが良過ぎて瞼を閉じてみても日光が目に刺さってくる。何度二度寝を試みた所で、結局は直ぐ目が覚めてしまうので仕方なく起き出した。頼りない足取りでダイニングに入ると姉が台所に立っていたので声を掛ける。

「おはよー」

 おはよう、と同じ様に繰り返す姉の居る台所に近づいていく。ステンレスの台の上には小さいおかずの皿が並んでいた。

「ねぇ、朝ご飯どれ食べたらいい?」

「この辺の持ってってー」

 子供たちの残りのそれらを運んでご飯を食べ始めていると、窓際に立て掛けた大きな写真のパネルが目に入ってくる。
 高校で写真部だった上の姪が撮った、二匹の犬の写真が愛らしい表情でこちらを見ていた。

 姉の家では艶やかな毛をしたメス犬の「モカ」と、後で来たふわふわした毛のオス犬の「ブー」を飼っていた。モカの方がよく懐いていて、私が玄関に入るなりいつも凄いスピードで飛び出してきて、そこら中を駆けずって喜びと歓迎を身体中で現してくれていたのが今でも懐かしい。
 だが、この夏モカは腸炎を起こして急に死んでしまった。撫でる犬がブーしか居ないので昨日はひたすらにブーを撫でる他もなく、くしゃくしゃと茶色い毛を掬っていた。

「姉ちゃん、仕事終わるの何時やっけ?」

「二時くらいやで。墓参り、昼は暑いから遅くするんよなぁ」

「そう。四時過ぎとかどう?」

「うん、いいよー」

 墓参り。帰省する度に必ず行うルーティンだ。去年までは、墓参りの他に母のお見舞いへ精神病院に行くことがセットだった。帰省の度に十年以上続けてきたお見舞いだが、もう必要がない。去年の夏、母も父と同じお墓に入ったので墓参りだけで済んでしまう。

 最後の面会で母は、手足が棒のように細く干からびて、鼻からのチューブで栄養を補っている状態だった。チューブを抜いてしまわないように両手がベッドの両端の柵に紐で固定されていた。別に手足が拘束されることがこの病院では珍しくはない。私は何も言えず、拘束される母を諦めるしかなかった。

 母は本当はいったい何になりたかったんだろう。超人で、超人で、超人なイメージの残る母。突如、人生が爆発したかのように狂うように生きていた母。女優のように振る舞って一人芝居を始めたり、作家になった気で溢れ出す叫びのような感情を綴ったりしていた。大学ノートに記した自伝のタイトルは『希望 限りなくゼロに近くても』だ。母の人生はその、タイトル通りだったのかもしれない。

 母が変になり始めたのは私が小学生の頃だ。母は何故か、自分は全てが正しく神に近い存在であるかのような思想に取り憑かれてしまった。
 四六時中誰かに電話を掛け続けたり誰かに会いに行ったりして、耳を疑うような作話のような身の上話をギラギラした目つきで熱心に話すようになった。金遣いも荒くなってガラクタが急に増え出した。暴言などが酷くなりいよいよ収拾がつかなくなってくると、入院を繰り返しするようになった。

 だが病気で入退院を繰り返す生活は、母を一変させた。
 まず入院させられる事態に納得のいかない母は病院で身体中で暴れて金切り声で叫んでいたが、いつも強い精神安定剤を打たれて大人しくさせられていた。

 中学の頃父と面会に訪れたある日、母は朦朧とした視線で手足それぞれベッドの柵に拘束され言葉を発することもままならない程に弱った姿をしていた。その時母に会っているというより、得体の知れないものを見せられているような感じだった。口の周りが乾いた涎と薬で白く汚れ、やつれた母を軽蔑した目で見ていた。

 自伝には「泪、泪、泪……。」「ドク、ドク、ドクターを殺してやりたい。」「絶叫! ときに絶叫する事が有る。何、何。何故ならば。 キチガイやねん! 分からへんの?」等、母の抱え込む苦悩と、母の頭の中で渦巻く物語が殴り書きされていた。

 因みに自伝のノートは、母の葬式の後に兄が倉庫から出してきたものだった。異質な文面で埋め尽くされたノートを私は面白がって、姉も兄も揃って車で移動している時にひたすら女優みたいになって朗読し、皆で母を懐かしみながら声を出してゲラゲラ笑った。
 ノートのクチャクチャなあの字と、車内の軽やかな空気を思い出すと懐かしさが込み上げてくる。

 強烈なイメージを遺して母は早々に逝ってしまったけど、また兄妹が揃えば母の奇行を紐解いては笑ってしまうんだろうなと思った。


H30'9.10

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