創作小説 *恋愛

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 重苦しい空気に息が詰まる。

 さっき家で一緒に夕ご飯を食べてた時は、いつもと変わらなかったよね。なのにいきなり何。
 さっきまでヘラヘラ笑ってなかったっけ?
 これ美味しいねって笑ってくれてなかったっけ?

 急に改まって、話そうと思ってたことがあって……と始まったのは、結局のところ別れ話だった。
 言葉を詰まらせながら並べられていく別れるためだけの言い訳に、段々頭が重くなると同時にひたすら私は苛立っていた。

「今まで本当にありがとう。さやかと一緒に居れてよかった」

 最後に添えられた、優しい言葉。弱々しくも優しい眼差しで彼は笑った。

「でも、もう。私は必要じゃないんだね」
「ごめん……なんていうか。俺の気持ちが変わってしまったんだ。ごめん……」

 ぼんやりと彼を見つめながら、いつから彼の気持ちは遠のいてしまったんだろうと考えていた。手を繋ぐ頻度だって、キスを重ねる回数だって前からほとんど変わらないのにいつの間にだろう。
 結局私は色々と鈍感で、いざ別れ話が切り出されるまで察知できなかった訳で。

「じゃあ、気持ちがなくてもキスとかセックスしてたんだ」

 口に出せば尚の事、気持ちが冷めつつも上手く演技し通していた彼に対して苛々が募った。

「俺だってさ。またいつか、気持ちが戻らないかってずっと悩んでたんだ。これはただの倦怠期で、前みたいにさやかを好きになりたい。なれたらなって思ってたのに。なのにどうにだってならなくて……、」

 ごめんとまた喉から絞り出した彼は複雑そうなくしゃくしゃの顔をして、下を向いている。はたして私に何かする余地はあったんだろうか。でもこんなのどうしようもないじゃないか、多分。

 お別れすることになるという結末は、いくら話を続けた所で変わりはしないというのはもう大体把握していた。そして意地になって引き留める気力だって私にはなかった。

 それで。唐突に私は切り出してみる。

「ねぇ、最後にセックスしよっか。お別れセックス」

 半分やけになって淡々と提案していた。結末の分かり切った話を延々と続けるくらいなら、何か意味のあることをする方がよっぽどいい気がしたから。

「私はまださとしの事が好きだもん……。だから最後に思い出だけでも頂戴よ」
「そんな…さやか……」

 困ったように彼は笑って、答えない。

「キレイな言葉ばっかりで終わらせないで、汚いことでも言ってよ。好きでもないのに、セックスしてくれてたんでしょ? だったら今日も出来るよね」

 好きでもないのに、と口に出した途端に涙が滲んで溢れ出す。だから彼の服を思い切り掴んで、しがみ付いてやった。パタパタと落ちていく涙で服をわざと、汚してやった。

「ごめん、汚しちゃった」

 私は頼りない手つきで、彼のシャツのボタンに手を掛けて下から順番に外し、露出した首元に口付けて舌を沿わせた。
 いつものさとしの肌の匂いと、自分の涙が混ざって塩っぱい人間の味がした。拒否はなく身はただゆだねられている。

「ぅ……、う゛ぅ…………」

 垂れた鼻水と涙と涎と、全部を彼に擦りつけてうずくまる。息が苦しくなって肩が小刻みに震えていた。
 そういえば、さっきからずっと寒かった。そして何より寂しかった。彼はこんなにも近いのにもうずっと遠い。

「ごめんな」

 動かなくなった私の頭を、彼が何度も優しい手つきで撫でる。
 慣れ親しんできたこの感触ももう最後かと思うと尚更込み上げてきて声にならない。自分でセックスしようと言い出したのに、セックスにもならない。
 
 しばらく泣いて、泣いて。

――どれくらい経っただろうか。少し落ち着いてきた頃にずっとさすっていた手は離れた。

「俺、今日は帰るわ」
「……ん」

 私の体を剥がして、はだけていたシャツの前を合わせた。肌や服についた色々な物は乾いて薄く跡が残っている。

「俺なんかの為に、これだけ泣いてくれるのはさやかくらいだろうな」
「なにそれ」
「じゃあ、さやか。元気でやれよ」
「うん」

 立ち上がり玄関に向かうのを見送るものの、本当のところ帰って欲しくなんかないのに、余力もなく出て行くのを見ているしかない。
 ドアが、乾いた鉄の音を立てて閉まった。

 彼が居なくなってしんと空っぽになったような部屋で、私はうずくまるように声を殺してまた泣いた。頭がぐちゃぐちゃしていて、本当は突然の別れを受け入れかねている。


 な ん で 、 嘘 。
 な ん で 、 ど う し て 。


 いくら涙を搾り出したところで、答えは見つからない。
 彼の出て行った玄関のドアを、私は当てもなくしばらく見つめていた。


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