創作小説 *恋愛

[1/6]

 電車をいっぽ飛び降りたとたん、蒸した空気が皮ふにまとわりつく。はじめて下りた阪急豊中駅のホームは日陰とはいえ空調など効いておらず、程よく冷房が効いていた車内との気温差はかなりのものに感じる。まさに中は天国、外は地獄。大阪はなぜこうも夏になると気がとおくなるほど暑いんだろう……。人や建物が密集しているうえに、極端に緑が少ないせいだろうか。都会は人ばかりでなく熱までもが集中する。上阪してみて、身をもって知ったことだった。
 私はスマホのナビを片手に、駅をどう出れば目的地に行けるのか確認した。どうやら改札の先につづく歩道橋をわたれば、横断歩道をいくつかショートカットすることができるようだった。日差しに肌を焼かれるのは少々気がひけたが、たまには歩道橋をとおって気分を変えてみるのも悪くないだろうと、焼けたコンクリートへと踏み出した。
 瞬間、強烈なまぶしさに目をほそめる。帽子や日傘を準備しとけばよかったなと後悔しながら、せめてもと鞄からハンカチを出して吹きだす汗をぬぐってみたり、そのままパタパタと無意味に顔をあおいでみたりした。
 暑い。暑い……。誰か隣にいようものなら、うわごとのように暑いを繰り返してしまいそうになる。「暑い」と口に出したほうが自然と体は涼しくなるみたいだが、ひとりで暑い、暑い……とつぶやくのを、見知らぬひとに聞かれるのは恥ずかしいからやる気になれない。
 肌がじりじり焼かれていくこんな日は、キンキンに冷えたなにかを口に入れて暑さから少しでも逃れたくなる。キンキンに冷えたなにかにも色々あって、例えば氷だらけのアイスコーヒーや蜜がたんとかかったかき氷、冷えたグラスに注いだなみなみの生ビールなど……。キンキンに冷えたなにかを頭から引っぱり出すうちに、あまり行儀がいいとはいえない欲がふっとわいてきた。
――コンビニなどで棒アイスを調達して、食べながら、涼をえながら歩きたい。
 もし食べるとすればミルク系の王道アイスも捨てがたいが、この灼熱地獄ではさっぱりとしたソーダ系の味が有力候補のような気がした。
 私は暑さをごまかすようにつづけて想像をめぐらせていく。これから訪問するいくが、こんな灼熱地獄のなかもし隣にいたらと。

――いくと私。
 澄みきった夏空の下、ふたりで汗をだらだらかいて半分ばてながらも焼けた道路を歩いている。
 私の手には買ったばかりのソーダの棒アイス。
 いくはミルクの棒アイスを手にしていて、いそいそと封をあけるなり何口かミルクの棒アイスを頬ばっていた。それを横目に私もソーダの棒アイスに口をつける。
 私たちはみるみる食べすすめていった。隠れていた棒がだいぶ顔をだす頃、
「ちょっと交換しよ?」とせがまれていた。
 正直、自らが口を付けた食べかけのものをいくに食べられるのは、気恥ずかしさもあってはばかれたが、そしらぬ顔でソーダの棒アイスとミルクの棒アイスとの交換に応じていた。
 心音が体にうるさく響くのを自覚しながら、いくがかじったミルクのアイスを舐めた。
 いくはソーダアイスをしゃり、と音を立てながらおいしそうに頬ばっている。
 なに気なくみえた、溶けたソーダアイスに濡られたかわいらしい唇に、なにかが疼いた。自分のアイスのつづきを口に入れるのも忘れて、つい唇に見いっていた……。

 私はなぜこんなことを考えてしまうのか。暑すぎて頭が沸いているというのもあるけれど、暑さだけでなく「別の意味」でも私はとうに頭が沸いていた。彼女と私は単なる友達でしかないが……同時にいくは、私のなかで特別でしかない。こんな日常も悪くないかな、と妄想のよいんに浸って頬をゆるませたままに、歩みを速めていった。
 歩道橋をわたり終えるとやっと影に入れた。直射日光から逃れてほんの少し余裕ができたので周りをきょろきょろと見渡してみる。
 歩道橋の下には駅近くのため自転車がずらっと陳列されていた。そばの雑居ビルにはファーストフードやお弁当屋さんが入っているのがみえ、隣のスーパーは沢山の人でにぎわっていた。つづく商店街にも食べ物屋さんがちらほらみえる。立ち食いそば屋にお惣菜屋、八百屋にパン屋に百円均一に……。いくはわりと便利な場所に住んでいるんだなぁ、と勝手に安心してしまう。食べるものがよりどりみどりに揃うのは間違いないだろう。じっくり町を見物しながら歩いているうちに目的のマンションの近くまで来ていた。
 クリーム色の落ち着いた雰囲気の建物を前にして、マンション名を再度確認する。入口近くにあったマンション名のロゴをみつけ、無事目的地に着けたことに安堵した。私は気を引きしめ、すぐにいくの部屋がある三階を目指して階段を上っていった。
 いくはどんな顔で私を部屋に入れるのだろう。いくの部屋はどんな香りがするんだろう……。変な期待と緊張で、また汗が流れた。汗をすった布が背中にぺったり張りついているのがわかる。顔や首から滴るしずくだけハンカチで吸わせた。
 表札はなく部屋番号の「三〇八」がでているだけだったが、ちゃんといくの部屋の前に着いた。呼吸を整えてからチャイムを鳴らすと甲高い音が響き、遅れて足音の気配を感じる。私はドアノブが回されるのを耳をすませて待っていた。

栞を挟む

* 最初 | 最後 #
1/6ページ

LIST/MAIN/HOME

© 2019 社会で呼吸