好いも甘いも

妓夫太郎、妓夫太郎と優しい声が俺を呼ぶ。
美しさが勝ちであるこの吉原で醜い俺に声をかける好き者なんざそうそういないわけで「なんだぁ?」と振り向けばやはりそこには散々見慣れた顔がいた。
りんという女は生まれつき片目が利かなかった。上まぶたと下まぶたが糊でくっついたかのように離れず少し窪みが出来ている。
片目を隠した女なんぞこの街で売れるはずもなく雑用としてせこせこ動くりんは何が面白いのか毎日にこにこ呑気に笑っていた。
何かあれば醜いと蔑まれ遠ざけれている俺に話しかけてくる、全くの阿呆だ。


「妓夫太郎、金鍔だ。常連がくれたんだ、一緒に食べよう」

「お前なァ、分かってんのかよぅ」

「ああ、梅の分か?大丈夫、丁度三個あるんだ。もし私と食べるのが嫌なら梅が帰ってきてから梅と一緒に食べてもいいんだよ」

「違ェよ、お前俺のこの痣は伝染るって言われてんだぞ。ただでさえ片方目がねぇのにお前痣も顔に付ける気かぁ?」

「痣?そんなもん簡単に伝染るわけないさ。妓夫太郎は心配性だね」


けたけた笑いながら俺の手に金鍔を握らせるりんは本当に阿呆だと思う。
虱に蚤に不潔だと醜いと避けられる俺をこいつだけは平気で触れてくる。近付いてくる。微笑んでくる。優しさを与えてくる。
とんでもない馬鹿だと思った。
しかし俺はそれが嫌ではなかったし、何より梅がりんは美しくないが嫌いではないと離れなかった。
きっとどこかで俺も梅も甘えられる母親像をりんに押し付けていたのだと今は思う。

りんはとにかく何かあれば俺達を構った。
凶暴だ、乱暴だと云われる俺に変わらず微笑み隠れては菓子や飯をくれた。
他の奴にされたのならば同情するな、憐れむな、下に見るなと怒り狂っただろう。
りんから貰うものは不思議と冷めていても口にするとほかほかと温かい気がした。
体も心も温まるような錯覚がした。



そして梅が焼かれ、俺達が鬼となった。



梅以外の心残りができるとは思っていなかった俺はしかしりんを探すことなどしなかった。
それは梅にも言えたことで流れていく時間の中で俺達はあいつの事を考えないようにしていた。
していたはずなのに、なんでだかどうしてたか。人を食っている時に偶然、ばったりと出会ってしまったのだ。
梅が癇癪を起こして殺した男を食っているところに、なぜかこいつが通りがかってしまった。
あれから十数年経っていたがりんは変わらず片目に包帯を施し雑用を任されていたのか手には包みを持っている。一目でりんだとわかったのは鬼になって鼻が効くようになったからか、面影が変わらずにあるからなのかそれは分からない。
悲鳴をあげもせず、ただ死体と俺の口元を見比べるりんに「よぅ、久しいなぁ」と言えば「ああ、やはり、妓夫太郎か」なんて呑気に返ってきた。


「吃驚したよ、やぁ吃驚した…君、そんな栄養不足でも人を食うとは…共食いは些かどうかと思うよ」

「はぁ?お前頭イッてんのかよ、気付かねぇ振りは辞めろ」


ガリリ、齧る骨から音が鳴る。
そうだね、確かに失礼になるかもなァとりんは呑気に笑った。
こいつは変わらず阿呆で馬鹿のままだ。


「梅は元気かな?梅と揃っていなくなったと聞いたからてっきり吉原から抜け出したと思ってたけど」

「嗚呼、元気で相変わらずだよ。こいつも梅が殺したんだ」

「梅が……うぅん、妓夫太郎、君は妹に甘すぎるんじゃない?ダメなことはダメと言おうよ」

「あのよぅりん、お前痴呆でも入ったかァ?それともイカれちまったんか?何平気な顔して死体貪ってる男に寄り添ってんだお前はよぅ、普通悲鳴あげて逃げ出すぜ?自分が口封じで殺されるだとか考えらんねぇのかお前は。俺の口元見えてなかったか?人肉好んで食う人間がいるとでも思ってんのかお前はよぅ」



ゴツンゴツン
痛くならないように、だがしっかりと鎌の柄でりんの頭を小突く。
失礼なことを言うもんじゃないよ、とりんは軽く俺の頬を抓った。
痛いどころか、擽ったい。


「確かに私は寺子屋なんか行ってないし文字もそんなに読めない阿呆だけど、妓夫太郎が人間でなくなってしまったことくらいは今の有様を見れば分かるよ」

「じゃあ尚更だ。なんで悲鳴をあげない?なんで逃げない」

「そりゃあ簡単なことだよ。君が妓夫太郎だからだ。人間でなくなってしまった今でも久しいと私に言ってくれる優しい妓夫太郎だからだよ」


やはりどうにもこうにも救いようのない馬鹿らしい。


「妓夫太郎、人間でなくなった今でも金鍔はたべられるかな?」


差し出された金鍔ごと軽く指を食んだら擽ったいよ、とりんが笑う。
その口元を舐めてやれば餡の懐かしい香りがした。