はてどうしたものか、宇髄千喜は悩んでいた。
鬼殺隊に入隊してから初めて貰った給与。何に使うかは最初から決めていた、決めていたのがその具体的な物に困っていた。
兄には良いと聞いた温泉宿を、義理の姉たちには口紅を買おうと決めていた。が、その化粧品が現在の悩みでもあった。
義姉たちに似合う口紅がとんと分からなかったのだ。

まきをには此れ、須磨には此れ、雛鶴には此れといった想像はできるのだがその想像と合うものがない。
そも、何方かと言えば千喜は変装などせず殺しを主に動いていたので化粧というものに縁がなく何が善し悪しかも正直分からないのだ。
然し千喜にとっては最愛の兄の嫁、美しく強く優しい義姉たちに礼をするならばもっと美しくなれる紅が良いと心に決めていた。
忍びとしてでは無く、女として紅を指す義姉たちが大好きだから、紅にするのだと。

あまりにも悩みすぎてこのままでは店に迷惑では?とも思い始め、さりとて義姉の贈り物はあげたいと混乱し始めた頃に「君にはこの色が合うのでないかな?」と後方から腕が伸びてきた。
振り返るとそこには燃える火のような、それでいて優しく栄える向日葵のような髪をした男。炎柱の煉獄杏寿郎が居た。
どうだろう、と首を僅かに傾ける煉獄に「違うのです」と返せばうん?と眉が下がる。


「義姉に、日頃のお礼をしたくて。けれど義姉たちに合う色が分からないのです」

「ほう、宇髄の嫁たちにか。君は優しいな宇髄少女」

「いえあの、義姉たちの方が優しくて」

「謙虚なのはいい事だ、だが君が優しいことに変わりはない。…さて、義姉さん達に贈るものは口紅以外に考えていないのか?」


はい、と返せば「なるほど、それは選ぶのが難しいな!」と煉獄は笑う。
化粧品は好き嫌いがあることは百も承知だったが事情を話せば納得はしてくれた。


「口紅では無く頬紅ではどうだろう?巷では女性方に人気らしいぞ」

「ほおべに、喜んでくれるでしょうか」

「嗚呼、俺が保証しよう」


それならば話は早いと手に取っていた口紅を置き、頬紅を探すべく千喜は店内を小走りで詮索する。
人気というだけあってすぐに見つかり、幸い包装なども義姉たちの印象に相応しいものがあった。
義姉たちはどんな顔をして受け取ってくれるのだろう、考えただけで緊張してしまう。
先に店を出ていた煉獄に「顔がいつもより強ばっているぞ」と軽く頬を摘まれ上に持ち上げられる。
何時だったか煉獄に笑っている方が良いと今と同じ所作をされた。口角をあげることを意識すればよし良しと指が離される。
ついでだから屋敷まで送ろう、と煉獄の隣を歩くことになった。


「そういえば、炎柱様は何故店に」

「うむ、偶通りがかってな。うんうん悩む君の後姿が見えたからつい入ってしまった。ああいう所は慣れていないので些か緊張したよ」

「それは、ご迷惑を」

「俺が勝手に入って勝手に声を掛けただけだよ、気にしないでくれ」


普段の口を大きく開け、豪快に笑う彼からは想像も出来ないほど静かで優しい微笑みに千喜の胸はトクリと鳴った。
千喜にとってその胸の鳴りは初めて感じるもので、だが一瞬だったので何故そうなったのか気にも留めることはない。


「そうだ、宇髄少女。 君のことを下の名で呼んでもいいだろうか」

「炎柱様がそうしたいのでしたら」

「では今後は千喜と呼ばせて貰おう。宇髄や他の柱と話す時に君の話をすると名字ではややこしいと怒られてな、よかったら君も俺のことを柱と呼ばず名で呼んでくれ」

「わかりました、杏寿郎様」


ピタリ、煉獄の足が止まる。
どうしましたかと尋ねようとした千喜はもしや、とひとつの考えが浮かぶ。いや、きっとそうだそれで彼は歩みを止めたのだ。
きっと杏寿郎ではなく、煉獄と呼べと言いたかったのだ彼は。
それを自分は馴れ馴れしくも下の名で呼んでしまった。その事について怒っているのだろう。
とんだことをやらかしてしまった。


「あの、申し訳ございません。馴れ馴れしく下の名で、煉獄様、申し訳ございませんでした」

「いいや、うん、いや、千喜、俺も下の名で呼ぶと言ったのだから気にせずとも、しかしうん。ううんこれは、此れはうん、よもやよもや」


1人で肯定と否定を繰り返す煉獄に千喜は怯えるしかない。
父の元を去ってから叱咤というものにほぼ無縁だった彼女にとってそれは恐ろしいものであったしもう二度と体感したくないものであったはずのに。少々浮かれすぎてしまった。
義姉たちへの贈り物を握る手に力が入る。


「怒っているわけじゃいんだ、そう怯えなくてもいいんだよ」

「は、い」

「うん、そうだな。君さえ良ければ2人きりの時だけ下の名で呼んでくれたら俺は嬉しい」


2人きり、とはどういう意味だろうか。
今後共同任務があったとして柱と組まされることはないと思うのだけれど。
ひとまず煉獄が怒っていないことに胸を撫で下ろすと「あ!千喜ちゃん!」と聞き慣れた声が耳に入る。
須磨だ。いつの間にか屋敷前までたどり着いており、まきをと雛鶴も出迎えてくれた。


「おかえりなさぁい!あ、炎柱様!千喜ちゃんを送ってくれたんですね、ありがとうございます!」

「義妹をありがとうございます。千喜、おかえり」

「天元様は今任務に言っておりますが、何か御用でしたでしょうか」

「偶そこであったからついでに寄っただけです。な、千喜」

「はい…あの、義姉さん、よかったらこれ」


おれいに、と3人にそれぞれ頬紅を渡せば須磨は泣き出し、まきをは照れくさそうに、雛鶴は愛おしむように頬紅を握る。
下を向いていた千喜を真っ先に抱き締めた須磨はおいおい泣きながら煉獄に見られていることも忘れありがとう、ありがとうと泣き喚く。


「嬉しいよぉぉ、千喜ちゃん大好きぃいいい」

「やめなよ、炎柱様が見てるだろ!千喜も暑苦しいって言ってやんな!」

「素直になればいいじゃないまきを、貴女だって顔が緩んでるわよ」

「ははっ!悩んだ甲斐があったな、千喜!」


優しく温かい大きな手が千喜の頭を撫でる。
兄とは違ったそれに戸惑いながらも素直に受け入れる千喜はこういう幸せもあるのだなぁと思う。


「では俺は置いとまするとしよう、あとは家族の時間だろう。また会おう、千喜」

「はい、ありがとうございます。煉獄様」


須磨の腕の中に閉じ込められたまま、下げれるだけ頭を下げる。
煉獄がある程度の距離まで歩いたところではっ、とまきをが千喜と煉獄を交互に見始める。
何かありましたか?と尋ねれば「いや。あんた」とまきをは戸惑いながら言う。


「いつから、あんた名前で呼ばれる仲になったのさ」

「先ほどです、兄様や他の柱方と話す時に名字では兄か私のことか分かりにくいからと」

「そ、そう?それなら……いいの?」

「良いのよ。それで……あら?千喜、何がポケットに入ってるけれど」

「ポケット?」


雛鶴に指摘されたポケットに手を入れればかさり、と紙のようなものに触れる。
軽く握りしめるとそれは小さな紙袋だったようにで何かが中に入っていた。恐る恐る取り出せばそれは煉獄があの店で合うと言ってくれた口紅だった。
唖然とする義姉3人を他所に、「なんでくれたのかな」と千喜。
恐らくは自分が義姉たちへの頬紅を探してる隙に購入して、頬を摘んだ時に入れたのだろう。


「義姉さんたち、あの、私口紅の指し方がわから」

「あ、あんた!千喜、あんた!それ、それどんな意味か知ってんの!?」
「だめ!ダメダメダメダメ!千喜ちゃんにはそういうのまだ早いよ!ダメですお姉ちゃんは許しません!」
「はや、早いのかしら…天元さまは知ってるの?」

「な……なんで、そんなに焦ってるの?これ、多分、義姉さんたちとお揃いにしなさいってことだと思うんだけど」

「千喜、あんた……いや、何でもいいけど炎柱様と会うの時に紅だけは指すんじゃないよ。あと会うなら私たちか天元さまに絶対言うんだよ」


青白くも真っ赤になりながら迫るまきをの勢いに思わず頷くと義姉たち3人はなにかを話始める。
渡した頬紅を大切に握りしめながら。
何が何だかさっぱり分からないが贈り物自体は喜んで貰えたようだ。



「巫山戯んな俺は認めねぇぞ」


帰宅早々嫁たちから煉獄から妹への贈り物の報告を受けた天元が日輪刀を両手に煉獄の屋敷へ赴こうとするのを必死に止めるまであと2時間の話である