今のにできる事



(守護の節・1の日)

帝国暦1180年、守護の節。
大聖堂の長椅子で項垂れたように座る青年が居た。酷い喪失感を前に、冷静に考える。この士官学校の教師になってから目まぐるしい毎日は新鮮で、その度にいちいち感情が揺れて――自分の学級に居る無知な少女の受け売りという訳ではないが、青年にとっても初めての連続だった。
皆と一緒に対抗戦に勝って嬉しさや喜びを感じる事も初めて。生徒が傷付けられて怒りを抱いたのも初めて。祝勝会や宴は楽しいし、生徒たちの笑顔が好きだという事に気付いたのも最近で――そして、身近な者を喪い、悲しみに暮れるという感情も初めてだった。

そんな教師の姿を見て、何も言わずに隣に座る少女がひとり。少女はやはり困っている。いつもと様子が違う教師の姿を見て、少女はかなり不安になった。彼がこんな状況に陥っている理由はわかる。父親の喪失だ。少女もその点はわかっているのだが、こんな時に何と声をかければ良いのかわからなくて逡巡していた。隣で本を読む振りをしながら必死に考えるのだが――やはり妙案は思い浮かばないし、当然本の内容も全く頭に入らない。

少女の名はフリーゼ。フリーゼ=アプリール。
偉大な父親が死ぬ姿なんて想像すらできない、記憶喪失の十八歳である。

◇◇◇◇

「……フリーゼ」

ふと名前を呼ばれ、フリーゼは「はい」と顔を上げる。ベレトは項垂れたままだったが、短く「すまない、ありがとう」と呟いた。
自分は何もしていないのに、一体どうして――と考えながら、フリーゼは首を傾げる。でも今のベレトにとっては、近くに誰かが居てくれるだけで良かった。誰かが隣に居るだけで、一時でもこの寂しさを忘れられる。
でもそんな事を理解できていないフリーゼは「うーん」と唸りながら頭を悩ませる。

「ちょっとだけ、考えたんです。私が先生の立場だったらどうなんだろう、って」

ベレトの心境に近付く為、フリーゼは“もしも父親が死んでしまったら自分はどう思うのだろうか”と頭の中で考えた。考えて、考え抜いたけれど、全く想像できなかった。だってあの偉大な魔道士である父親が人間に殺されるとは思えないのだ。だったら寿命でとも考えたけれど、やっぱり想像できない。
正直なところ、父親の素性は勿論、年齢や名前すらフリーゼは知らなかった。

当然、雑談のような会話は一切した事がない。たまに父親が話す内容といえば、魔道に関する言葉か人間への罵倒。そんな父に認めてもらう為、愛してもらう為、フリーゼは一心不乱で魔道の勉強しかしていなかったので――フリーゼは父親について“偉大な魔道士”くらいの情報しか知らないのである。

「想像もできなかったし、自分はお父さんの事をよく知らないってのがわかりました」

でも、もしも――万が一、父親を喪ったら。そう仮定して、フリーゼは遠い砂漠の父親を想う。

「でも、絶対にありえないだろうけど、もしもそうなったらって考えてたら……嫌だな、って思ったので考えるの途中でやめちゃいました」

フリーゼは子供のようにぶらぶらと足を動かしながら「先生の気持ちはわからないし、何て声をかけたら良いのかもわからないんです。ごめんなさい」と続けた。そしてぴょんっと椅子から離れ、くるりと回りながら「だから――」と微笑んだ。
ふわりと流れる風によって前髪が揺れ、ベレトはゆっくり顔を上げる。

「私にできる事をします」

白魔法でも癒せない心の傷。その心の傷を癒す為、自分にできる、ほんの些細な事。
フリーゼは足で床を叩き、風を纏いながら宙を舞い、また足を付く。その度に温かな魔力が弾け、ベレトの髪と心を揺らした。フリーゼが身を翻せば黄緑色の髪とスカートが靡き、どこか儚い笑みが垣間見える。
大聖堂で踊る黄緑色の少女を見て、人々は女神へ捧げる神聖な舞いのようだと錯覚し、目を奪われていたが――これは、ひとりの教師を励ます、ひとりの生徒の懸命な踊りである。

「フリーゼ……」

――「教え子がここまで健気に励ましてくれておるんじゃ。おぬしも前を向いて歩かねばならんの」

自分の内側から聞こえた声に「ああ」と答え、ベレトは静かに立ち上がる。心が安らぐような魔力が流れ、自然に顔が綻んだ。ベレトは「これが踊り子の力なのか」と考えるが、すぐに己の考えを改める。踊り子である以前に、きっとこれはフリーゼ自身の力だ。傷付いた者を癒したいという一心で踊る、少女の優しさ。それに触れた者が覚える心の安らぎ。

「ありがとう、フリーゼ」

自分を心配する生徒の優しさに触れ、ベレトは再び前を向いて歩き出した。

◇◇◇◇

ベレトと別れ、自室に戻ろうとしている時、自分を呼ぶ声が聞こえてフリーゼは立ち止まる。にこにこと穏やかに微笑むメルセデスを見て、フリーゼは「メルセデスちゃん。どうかしましたか?」と首を傾げた。

「お菓子が焼けたから、フリーゼも一緒に食べない〜?」
「お菓子!」

目を輝かせるフリーゼを自室に招き、メルセデスは紅茶と焼き菓子を振る舞う。幸せそうな表情で焼き菓子を口いっぱいに頬張る姿を見て、メルセデスは「いつものフリーゼに戻って良かったわ〜」と笑みを溢した。

「んう?」
「先生の事も心配だったけど、貴女の事も心配だったのよ。フリーゼ」

何回か咀嚼し、ごくりと喉を鳴らす。そのまま紅茶に口を付けた後、フリーゼは「私も、ですか?」と疑問を呟いた。
父親を喪って傷心しているベレトは勿論心配だ。自分が尊敬する教師のあんな姿は初めて見るし、自分にできる事があれば何でもしたい。それは皆を筆頭に、メルセデスも同じ心境である。
でも彼女は、ベレトと同じくらいフリーゼの事も心配していた。前節、ジェラルトが殺害される事件があった際――フリーゼの様子はかなり普段と違って、何かに怯えるように酷く震えていて。メルセデスはそんなフリーゼの事も気にしていた。

「あんなに怯えているフリーゼを見て……あの時に止めていれば良かったのかもしれない、って思っていたの。でも今はいつものフリーゼだから安心したわ〜」
「メルセデスちゃん……ありがとう。もう大丈夫ですよ」

メルセデスの優しさに触れ、フリーゼは笑みを浮かべながら好調を表すように腕をぐるぐると回す。何だかフリーゼの行動が少し面白くて、メルセデスは「ふふっ、元気いっぱいね〜」と口元に手を添えながら表情を綻ばせた。

「あの時はよくわからない感覚でびっくりしちゃったけど、もう負けません。次にあの人たち……特にトマ……じゃなくてソロンに会ったら、吹き飛ばします」
「ふふっ、頼もしいわね〜。でも無理は駄目よ〜?」
「はい! それに私は“不思議な魔力”もあるので、誰にも負けません!」

メルセデスはフリーゼが言う“不思議な魔力”についてよくわからなかったが、フリーゼ自身の異様な魔法の才能もあるので、フリーゼには本当に生まれ持った特殊な魔力があるんだろうなと勘違いし、深く追及はしなかった。
実際のところは勿論、フリーゼのただの思い込みである。

「凄いわ、フリーゼ。今度私にもその“不思議な魔力”を見せてね〜」
「任せてください!」

◇◇◇◇

(守護の節・11の日)

ハピが発動した闇魔法を食い入るように見つめるフリーゼ。彼女たちの少し離れた場所から、ユーリスは「何やってんだ、あいつら」と呆れたように呟いた。訓練場の壁に背を預けながら佇み、二人の様子を静かに観察する。

「ぐわわって感じにして、ぎゅいーんって」
「はいはい、そーだねー」

必死に訴えるフリーゼに対し、ハピは面倒になったのか棒読みで聞き流していた。うん、たぶんアレはどうでも良い事だな――と雑に判断したユーリスは、そのまま天を仰ぐように空を見上げる。

前節の事件で、新たな敵が判明した。モニカ。彼女は以前、フリーゼに接触しようと近付いた事がある。その時は運良くフリーゼが勘違いしてくれたお陰で退ける事ができたが――。
敵であった事を踏まえれば、彼女の思惑は“仲を深めて近くで監視”と言ったところだろう。
状況的に考えれば、トマシュもモニカも消えた。まだ敵が潜んでいる可能性もあるが、完全に監視が外れた可能性もある。何故ならこちらには奴らから“凶星”と呼ばれて忌み嫌われるベレトという男が居るからだ。

――敵にとっても先生は想定外の存在。先生の心を折る為、もしくは挑発する為に肉親を殺した……そうじゃなきゃ自分たちの存在を晒してまでセイロス騎士団団長って大物を殺す理由が見つからない。

敵の真意はどうあれ、敵にとってベレトという存在は想定外の脅威になっている。だからフリーゼに構っている余裕がなくなったので、さっさと回収しておきたい。記憶を戻されても厄介だし。

「ってところか……」

ユーリスは顔を下ろし、再びフリーゼたちに視線を移す。

「ひゅんって感じにして、ずどんって」
「はいはい、そーだねー」

相変わらず、どうでも良い事を話していそうな雰囲気だった。


「お前ら、さっきから何言ってんだ?」
「あっ、ユリー代わってよ。ハピもこれはちょっと溜息出そうになる」

するとフリーゼは身振り手振りで懸命に「ぐわわ、ぎゅいーん。ひゅん、ずどん。どっちが良いと思う?」と問う。ユーリスは頭が痛くなった。即座に「これは考えてもわからない奴だ」と判断し、考える事を放棄する。

「んー。ごわー、からの……しゅばーん、とかで良いんじゃねえか?」
「……なるほど!」

頭が良いのはわかるけど、そんな事まで理解できるなんて――と、ハピはちょっとだけ引いた。ちなみにユーリスは全くわかっていないので、通じている振りをして適当に言っただけなのだが。

「ごわー、しゅばーん……ごわー、しゅばーん……」

その後も謎の言動を繰り返すフリーゼを、二人は暫く呆れ顔で眺めるのだった。




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