「名前ちゃんて可愛いよなー」
「はあ?」

第3体育館、自主練がひと段落つき、休憩しようと各々がドリンクを一口飲んだところで木兎が放った一言に全員が思考を停止させた。
反射的に、低い声を出してしまった月島を除いては。


「…木兎さん、下の名前で呼ぶなんていつから名字さんと親しくなったんですか」


「昨日まで名字で呼んでましたよね?」と続ける赤葦に黒尾は感心した。
赤葦が名字さん、と言わなければ誰のことを言っているのか分からず「名前ちゃんて誰だよ」と返す気でいたのだ。



名字名前とは烏野の1年マネージャーのことだ。
初日の自己紹介で名前は全員聞いていたと思うが、下の名前まで覚えているのは赤葦含め数人であろう。
他校のマネージャーともなると大して関わりもしないため名字だけ覚えていれば充分といえた。
実際、今回の合宿メンバーはおろか、烏野バレー部でさえ、名前のことを下の名前で呼ぶ人間はいない。

しかし、例外が1人いる。
それが今、木兎の発言により明らかに機嫌を悪くした月島である。
月島は名前と現在進行形で付き合っていた。
しかし月島と名前が付き合っていることを知る者はいない。
月島は、周りの人間ーー特にバレー部には絶対にこの事実は隠し通さなければと思っている。
月島と名前が付き合っていることを知ろうものなら部員たちが大騒ぎすることは確実だからだ。
もし田中や西谷が知った日には阿吽絶叫で烏野バレー部は地獄を見るだろう。
だから月島は、2人きりの時以外は当然名前のことは名字と呼んでいたし、名前も月島のことは月島くん、と呼んでいた。

それなのに今、木兎はあろうことか、知らないとはいえ自分の彼女のことを名前ちゃんと親しげに呼んだのだ。
それも、「可愛い」という言葉を添えて。
人前でイチャつくなど、キャラでもなければやりたいとも思わないが、名前に好意を向ける輩を牽制できないのは考えものだ。

もし木兎さんがそれであれば面倒だな、と月島は思いつつ一体何があったのか会話を黙って聞くことにした。


「今日さ!名前ちゃんが重そーなモン運んでたから、持ってやるついでに名前ちゃんて呼んでいーい?ってきいた!」
「なんですかその軽いノリ」
「普通ついででそんなこと言わねーよな」

寧ろ名前呼ぶ口実に荷物持つだろ。
そう言う黒尾はさぞかし悪知恵が働くのだろう。

ノリでそこまで仲良くなるなよ。
月島はイラついた。
月島の知る限り、木兎と名前は楽しく会話するほどの関係性ではなかったはずだ。

どうしてそういうことになったのか、知りたい月島であったが、ここで聞いていいものか迷った。
普段の月島といえば他人の話に大して関心がなく、こうした話題は口を挟まずただ流し聞いているだけだった。
もちろん、揚げ足を取るポイントがあろうものなら喜んでつっこむが、今回は話題が話題なため、そんな芸当ができるほどの余裕は持ち合わせていない。
それが急に興味を持つ素振りなんて見せたら名前との関係を疑われる危険があると思った。

しかし、そんな月島とは別の意図ではあるもののこの話題に切り込んでいく者がいた。

「木兎さん、他のマネージャーのことそんな風に呼んでないですよね?なんで名字さんだけなんです?好きなんですか?恋に落ちたんですか?」

やけに食い気味な赤葦に月島と黒尾は目を見合わせる。
木兎はそんな違和感など微塵も気にせず呑気にポリポリと頬をかいた。

「え〜?んなこと言われてもなぁ」
「わからないんですか?」
「んー。でも名前ちゃんのことは可愛いー!て思うしいるとテンション上がる!」
「名字さんが普通よりも可愛いのは分かりますがテンションが上がるとはどういうことですか?具体的に説明してください」
「ええ!?具体的!?う〜〜ん。ヒャッホーー!的な?」

なんなんだこの会話。
あまりの木兎のアホさに月島は呆れた。
というか赤葦さん、聞き捨てならないこと言わなかったか?

月島と同じく木兎に呆れて黙っていた黒尾が口を開く。

「赤葦、名字ちゃんのこと可愛いとか思うんだ…」
「恋愛感情はないですよ。一般的に見てです」
「確かに可愛いけど」
「だよな!可愛いよなー!」
「………」

人の彼女を可愛い可愛い連呼するのはやめて頂きたい。

「あれれ?ツッキーはあんまタイプじゃねーの?」
無自覚で険しい表情をしていた月島に木兎がきく。

「別にタイプじゃないってわけじゃ」
「へーじゃあ可愛いって思う?」
「別にどうとも思わないですけど」

嘘だ。本当は一目見たときから可愛い子だなと思っていた。
頼むから早くこの話題終わってくれ。
月島にとって地獄の状況が続く。

「なんかー、見た目も可愛いし、性格も可愛いじゃん!」
「あー、ぶりっとはしてないんだけどな」
「害がなさそうな感じですよね」
「どんぐりとか拾ってきそう」

たしかに公園でデートした時
「月島くん、どんぐり」と言って見せてきたな。
まだ秋じゃないのに、珍しいね。と笑って青いどんぐりを手のひらに乗せてきたことは、記憶に新しかった。
公園なんかすることも何も無いだろと思っていたのに、名前は小さな楽しみを僕の想像のつかないところから拾ってくる。

月島はそんなことを思い出して少し頬を緩ませた。
3人にそんなところを見られたら根掘り葉掘り突っ込まれるに違いないので、すぐに真顔に戻ったが。

「話が逸れたので戻しますが、木兎さんは名字さんのことが好きなんですか?」
「えー?だからわかんねぇって」
「わからないんじゃ困るんですよ」
「えーーー!?じゃあ…好き??」

じゃあってなんだ。
会話の流れで人の彼女を好きにならないでもらいたい。

抽象的な木兎の表現にも関わらず赤葦が「ふむ」と理解したような素振りを見せる。
その姿はさながら名探偵だなと月島は思った。
梟谷の不思議な会話についていけず、ポカンとしていた黒尾が我に返る。

「つーか赤葦、やけに突っ込むね」
「そうですね」

普段黒尾に共感することなど滅多に無いがこれには月島も同意する。
月島が木兎に名前との関係を詳しく聞くならともかく、赤葦が気にするようなことでは無いはずだ。

赤葦は、普段と変わらない表情で答えた。

「当たり前でしょう。木兎さんの恋愛はうちの部の死活問題です」
「しか……!?何言ってんだ赤葦!」
「木兎さんのメンタルに影響することはたとえ恋愛でも把握しておきたいんですよ」

顔が引きつる月島。
梟谷の闇は深い。
隣にいる黒尾さんはよくこんなヤバい事情を知って笑えるな。

「ハハハハハ!確かにそうだわ。そうなりゃ梟谷は全力でサポートしないとな」
「…アホらしい」

「木兎さんが本気で名字さんのことが好きなら俺らとしても早めに対策を立てときたいんですよ」

まさか、梟谷全員で木兎の恋を応援する訳ではあるまいな?
月島はゾッとした。

たまに予想だにしない行動はするものの、思考が単純といえる木兎の恋愛術など高が知れている。
しかし赤葦までもライバルとなると話は別だ。
彼は頭が良く切れて、表情はあまり変わらないものの人当たりもいい方だ。
そしてなんと言ってもこれがポイントが高いのだが女子への対応が分かっている。
これができない男は非常に多いが赤葦はその点ごく自然にこなす為梟谷の中ではモテる部類であった。
先程名前の名前をナチュラルに覚えていたのも恐ろしい。
そんな赤葦をライバルとして迎えるなど月島にとっては避けたい事態である。

無意識に赤葦を見る月島の目は険しくなっていた。
勘のいい赤葦は月島からの視線の意味に若干気づきつつも平然と話す。

「いいですか木兎さん。まだ本当に恋に落ちているのかわからないものの、名字さんに格好悪いところを見せて幻滅させるのはNGです。明日の烏野戦は特にモチベーションを上げていきましょうね」
「おう!!気合い入れてくぜー!」


月島はひっそりと肩を落とした。
最悪だ。








昼間、あんなことがあって気が気ではなくなってしまった月島は名前を寝る前に合宿所の外へを呼び出した。

毎日顔を合わせているというのに、無性に会いたくなってしまったのだ。


「蛍くん」

たった4文字。
名前を呼ばれただけなのに、優越感と、愛おしさでいっぱいになる。
くそ、どうしてくれるんだ。

練習中、話すことは無いものの同じ空間にいたはずなのに、名前と会うのが随分久しぶりに感じた。

暗い闇の中で頼りない街灯が月島と名前を照らす。


木兎さんに取られるどころか、明日の練習にさえ行かせたくないなんて。
そんな馬鹿な思考に陥るくらいには名前に夢中だ。

月島の頭の中は名前と限られた数十分どう過ごすかと、梟谷への勝利の仕方で忙しなく回っていた。




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