驚かなかったといえば、嘘になる。

けれど、近くで見てきたからこそ勘づいてしまっていた部分あって。
いつか来るんじゃないかと思っていたのが、今来ただけだ。
自分にそう言い聞かせる。
悲しくて堪らないのに、最後まで理解のある彼女だったと思われたくて、沢村くんにも自分自身にも嘘をついた。

────私は今日、沢村くんに別れを告げられて、それを受け入れた。

沢村くんはひとつのことに真っ直ぐだ。
その真っ直ぐの先にはいつも野球があって、他のことがおざなりになってしまいがちなのだけれど私はそんな沢村くんのことが好きだった。
野球の本なら熱心に読むのに授業が始まってしまえば寝てしまうし、夜にLINEを送っても練習のことしか頭になくて返事は数日後に帰ってくることもしばしば。
友達にどこまで進んでるの?と聞かれて「部活での栄純くんの活躍ぶりを聞くところまで…」と答えてドン引きされ、別れることを進められてしまった。

付き合った直後は近くで応援できればそれでいいなんて思っていたのに、いざ彼女としての役目を終えてみれば私は沢村くんにとってなんだったのだろうと疑問に思う。

カップルのやることなんてひとつもしないまま、私は振られてしまったのだった。









文化祭の準備中、物品が足りなくなってしまって買い出し係を決めることになった。
いつもならくじ運なんて全然無いのに、今日に限って大当たりを引いてしまう。
買い逃しのないようにしなきゃ、と責任感がずしり。
ハズレを引いた子達はよかった〜!とはしゃいでいてとても嬉しそう。

「じゃあ買い出しは名字さんと後藤くんに行ってもらうね〜!」

実行委員の子から買うものリストを受け取る。ごめんね、と謝られてしまったけれど、公平にくじで決めたのだから、謝られてしまってこちらの方が申し訳なかった。

重い荷物を持つのは大変だけれど、外の空気を丁度吸いたい気分だったし、同じく当たりを引いてしまった後藤くんとは席が近かったこともありよく話すのでむしろラッキー。
これで沢村くんとだったら正直気まずくて地獄だったのだけれど、野球部に寛大なうちのクラスは自主練習日でも部活を優先していいと彼ら送り出していて、沢村くんをはじめ野球部員はそもそもこの文化祭準備に参加していなかった。

「名字あのスーパー、いったことある?」
「無いなぁ。100均が一緒になってると一石二鳥でいいね」
「あ〜〜どうだったかなー」
「後藤くんこそ、行ったことないの?」
「地味に遠いじゃんあそこ。だったらコンビニ行く」

確かにそうだねぇなどと相槌を打っているとあっという間に昇降口まで着く。
やっぱり後藤くんは話しやすい。
下駄箱でローファーに履き替えていると「あ、やべ」と隣で後藤くんがズボンのポッケをごそごそ探っていた。

「スマホ教室に置いてきた」
「取りに行ってきていいよ。ここで待ってるね」
「悪りぃ」

すぐ戻ると告げて後藤くんは階段を駆け上がって行った。
前に話したとき、我こそは陸上部の次期エースだと言ってたっけ。
そのとき、沢村くんに似ているなぁと少し微笑ましく思ったのを思い出した。


「名前!」

少し経って、バタバタと階段を降りる音が聞こえてきたので、後藤くんかな?と目線をそちらに向けると、予想外の人物に心臓がはねた。
私を下の名前で呼ぶ男子はこの学校で1人しか居ない。


「なんで…」
「教室に忘れ物取りに行ったら後藤が名前と買い出しに行くってきいて、変わってもらった!」

そうじゃない。
聞きたいことは変わってもらった過程じゃない。

つい先日別れたばかりの元カノなんて顔を合わせるだけでも気まずいはずなのに、わざわざ歩み寄ってくる理由が聞きたいのだ。
冷や汗まで出てくる私をよそに、沢村くんは喋ることをやめない。

「クラスの奴らはああ言ってくれるけどさ〜やっぱみんなで協力してこその文化祭だよな!俺も少なからず力にならねば!」
「…沢村くんらしいね」

責任感が人一倍ある沢村くんらしい返答が返ってきて、チクリと少し胸が傷んだ。
たまたま責任感の強い沢村くんが教室に忘れ物を取りに行って、たまたま仕事を見つけたためたまたま私と買い出しに行くことになった。
それだけだ。
元カノだから気まずいとかそんなことを考えなかったのだろう。

けれど私は違う。
沢村くんのことをそれなりに好きだっただけに今どうしていいか分からなくて困っている。
沢村くんに当たり障りのない返事をすることで精一杯だ。

しかし、そんな努力も虚しく、沢村くんは私の放った言葉に顔をしかめた。
何か気に障ったのだろうか。

「…?どうしたの?」
「え、いや。呼び方…」

前まで栄純くんと呼んでいたのを「沢村くん」に変えたのが気に入らなかったらしい。
別れてから数日。
沢村くんとは振られて以来話をしていなかった。

「さすがに前みたいには呼べないよ」
「え…」
「私たち、別れたんだし…」

自分で言って、自分で傷付いた。
言葉にすると現実がずしりとのしかかってくるようだ。
沢村くんも、そんな今実感したみたいな顔をしないで欲しい。
別れようっていったのは沢村くんで、それにショックを受けたのは私だ。
なのになんで、沢村くんの方が苦しそうな顔をしてるの。

栄純くんと自然に呼べるように練習していた幸せな頃を思い出しては目頭を熱くさせて、今は沢村くんと呼ぶために繰り返し心の中で練習していることが、罪悪感でいっぱいになる。

沢村くんが呼び方ひとつでここまで取り乱されるなんて意外だった。
私にとっては男の子を下の名前で呼ぶなんてすごくすごくハードルの高いことで、特別なことだったのだけれど、沢村くんは地元の幼なじみの女の子に「栄純」と呼び捨てされてること、知ってる。

沢村くんにとってはなんでもないことでも私にとってはすごく大事なことだった。

たかが呼び方ひとつ。
されど呼び方ひとつ。
沢村くんと呼ぶことは、私にとってのケジメだ。

「別れたら、そんなよそよそしくしなきゃいけないのかよ」

沢村くんに睨まれる。
さっぱり分からない。
私はそんなことされる筋合いはないはずだ。

「そんなことないと思うけど、私は栄純くんって呼びたくないの」

冷たい言い方になってしまった。
焦る。
けど、どうせ振られてしまったのだから今更嫌われようがどうしようもない。

部活に集中したいからと振ったのは沢村くんだ。
友達に戻るために距離をとる私は悪いことはしていない。
正しいことをしているはずなのに、沢村くんのあの目を見てしまうと、正しいがなんなのかわからなくなってしまうのはなんなのか。


「─────俺は名前に前みたいに呼んで欲しい」

「名前に呼ばれるのがすげぇ好きだった」

栄純くんはこういう所がある。
曲がったことが嫌いで、自分がこうだと思ったことは突き通す。
それは、時としてひどい我儘になることを自覚しているのだろうか。

本当にずるい人だ。
そんな風に頼まれたら、私が断れるわけないじゃない。

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