「無題」

やさしさ

「優しさって時に残酷よね」

購買で購入したメロンパンを頬張る朝凪 文乃(あさなぎ ふみの)が一言ぼやいた。
隣の椅子に座った文乃くんを横目で見て、しんみりとした空気の中、僕は吐きそうなくらい甘ったるいと噂の缶コーヒーを一口飲んで、その甘さに小さく舌を出し眉根を寄せた。



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「唐突にそんな使い古された名言を言われても」
「実際そうじゃない」
「どうだろうか」
「あんたは違うかもしれないけれど、文乃はそう思うの」

自分の事を名前で呼ぶのはせいぜい女子高生までか、可愛い子限定ではなかろうか。
文乃くんは可愛いので問題はないだろうが、やはりそろそろ一人称は直すべきである。
そんなどうでもいいことを考えながら、僕は小首を傾げた。

「それは君の主観であって総意ではないだろう」
「知ってますけど」
「ではなぜそんなことを」
「いいじゃない。人類代表で何かを述べるわけでもないんだし」
「いや、文乃くん。僕が訊きたいのはね…」
「なんで急にそう思ったか、でしょ?」
「ええ」
「人生の8割以上は唐突に起きる出来事ばかりなのよ」
「齢18の子供が人生を語るなんて世も末だ」
「同い年のくせによくもまあそこまで他人事でいられるわね」
「文字通り、他人ですので」
「…だからマセガキって言われるのよ」
「本題から脱線していますよ、文乃くん」
「誰のせいよ」
「僕ですね」
「まったく」

大きな溜息を吐いた文乃くんは僕の飲んでいた缶コーヒーを奪い取り、それを仰いでぐびぐびと飲み干した。

「ああ…貴重な僕の水分が」
「とてつもなくマズいわね、ごちそうさま」
「お返しを期待して待っていますね」
「マイナスにしかならない行動を誰が自ら起こすのよ」
「文乃くんはそういう人間だと、この三年間で僕は理解しました」
「そんな偏見、捨ててしまいなさい」
「おやおや」

メロンパンを食べ終え、机に置いていた『冷えた牛乳』を文乃くんがストロー伝いに吸い上げて飲む。
そして再度、言葉を零した。

「優しさって本当に残酷なのよ」
「その話、まだ続いていたんですね」
「勝手に終わらせないで。大体、あんたと文乃がこうやって隣で食事をしているのだって『先生』の優しさなんだから」
「僕は構わないと言ったのに、此処に引っ張って来たのは文乃くんでしょう」
「それはそれ、これはこれ」
「なんて身勝手で都合のいい言葉なんだろう。日本語って便利ですね」
「生粋の日本人がよく言うわね」
「褒めているんですよ、これでも」
「どうだか」

文乃くんはいつも持ち歩いているポケットティッシュを一枚手に取り、唇をなぞるように拭ってそれをゴミ箱に捨てた。

「あんた、次の授業は出るの?」
「僕は出席しません」
「じゃあ文乃の宿題やっといて。おねが〜い!」

叩きつけられたルーズリーフを顔面で受け取り、最終ページの文字を目で追う。

「これは…今日提出するはずのものでは?」
「そうよ!」
「そんな自信満々に胸を張って言う事ではないでしょう」
「ねぇ、いいでしょ。どうせ誰も分からないんだから」

ぱちん、と手を合わせてお願いをしてくる文乃くん。
どうも僕はそのお願いに弱いようで。
眉を下げて言葉を紡ぐ。

「……今日はそちらにお邪魔しますね」
「やった!今日はあんたの好きなオムライスにするわ」
「文乃くんの作るオムライスはバターライスなので、とても楽しみです」
「いいお嫁さんになれると思わない?」
「それはどうでしょう」
「そこは頭を縦に振っておくところよ」
「すみません。僕、素直なので」
「相変わらず絶好調ですこと。じゃ、いってきまーす」

文乃くんは長い髪を左前で緩く赤色のリボンで結わえ、僕に小さく手を振り『保健室』を出て行った。



「……さて、文乃くんの宿題を終わらせておきましょう。あとで怒られかねません」

机にルーズリーフを広げ、先程の文乃くんの笑顔を思い出し薄く笑って、僕は空白のそこにペンを走らせた。



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