うそつきと宝石

取引と隠した思い

 俺は女と、そこそこの人で賑わう喫茶店に入った。俺はコーヒー、女はホットココアを注文した。
 金は女が出してくれるという。有難いことだ。窓の外では落葉樹が色付いている。落ち着いた雰囲気はあるが女の歳は高く見積もっても三十前後といったところで、俺も三十になったばかりだ。
 女は高そうなコートを着ていて、俺はフード付きパーカー。今の時代、こんなカップルも居るのかもしれない。
 店内の時計を見ると昼の二時、スーツに身を包んでノートパソコンをいじる若い男の姿もあれば、高校生と思しきグループの姿もあった。職に就いていない俺には曜日の感覚はなく、今日が何曜日なのかすら見当もつかない。
 今日は月曜日で高校生が学校をサボっているのか。はたまた日曜日でサラリーマンが休日返上で働いているのか。そんな事を考えていると、湯気を立てたコーヒーとココアが運ばれてきた。
 こんな洒落た店に入ったのは久しぶりだ。薄暗くざわざわとした店内で熱いコーヒーを飲み、最後の一本になっていた煙草を咥えて火を点けると、やっとひと心地ついた。
 女はそんな俺を観察するように眺めていたが、運ばれてきたココアには口をつけずに、さっさと話を切り出した。

「一応、名乗っておくわ。わたしはさゆり、こう書くの」

 そう言って彼女はご丁寧にテーブルに指で"沙友里"と書いた。

「それで…いきなり言ったって信じてもらえないかもしれないけど、あれは時間の動きを止めてしまう機械なの。とても信じられないと思うけど、本当なのよ」
「……」

 沙友里の言う通り、俺はその話を信じなかった。

「時間の動きを止める?さっぱり意味が解らないね。あんたみたいな頭の良さそうな美人からこんな馬鹿げたSFチックな話を聞いたのは生まれて初めてだ」

 沙友里は端整な顔立ちをしていて、そんな美人とよりによってこんな理解不能な話をするのは全くもって勿体なかった。

「そう言うと思った。ひったくりをするような人だけど、あなたもそこまで馬鹿じゃないみたいね」

 沙友里は今まで俺のことを馬鹿だと思っていたらしい。まあ仕方がない。言われなくとも俺は文字通りの馬鹿だ。

「ひったくりは金輪際やめるからそんな大きな声で『ひったくり』って言うのはやめてくれ」

 ひったくりをやめるつもりはなかったが、顔を近付けて小声でそう伝えた。

「分かったわ。でも信じて。さっきあなたも体感したでしょう?機械から指を離した時、目の前が真っ暗になって呼吸が苦しくなったはずよ。あれは時間が止まった所為なの」

 沙友里は身振り手振りを交えて、真剣な顔をして俺に説明した。

「確かに何も見えなくなって息苦しくなった。あれはあの機械の作用で時間が止まった所為だって言うのか?」

 俺にはまだ信じられない。当然だ。こんな現実離れした話、そう簡単には受け入れられない。

「そうよ。わたしもあの状態になったことがあって調べてみたのだけれど、時間が止まると光の動きも止まってしまうわけで、そうすると眼球に光が届かなくなって目が見えなくなる。それから空分子の動きも止まって息が出来なくなる。もっともっと長い時間が経過すると身体の周りの温度も絶対零度まで下がってしまうの。要するにわたしたちが生きられない状態になってしまうのよ」
「理屈は分かった。でもそんな機械、誰が何の為に作ったって言うんだ?そんなもの、現代の科学で作れるものなのか?」

 沙友里は言葉に詰まった。

「…それがわたしにも分からないの。一体、何でこんな機械が存在するのか、何に使うのか、それは多分いくら調べても分からないわ。こんな危険なもの存在してはいけない。でも、いくら壊そうと試みてもそれは出来なかった。だからわたしはこれを絶対に誰にも触れられないように処分したいの。それで肌身離さず持ち歩いていた。そして、あなたに見つかってしまった」
「ふうむ」

 その話を聞いて俺は閃いた。この機械で一儲けしてやれ。そう悪魔の声が聞こえた気がしたのだ。

「よし。その機械、俺が安全に処分してやろう」
「…怪しいわね。あなたみたいな人のことだもの、悪用しようと企んでいるのでしょう。そんな人には絶対渡さないんだから」

 図星だった。この女、なかなか勘がいい。いや、バレて当たり前か。
もし時間を止められるなら…。皆が一度は言うだろう。
それを叶える夢のような機械が目の前にある。金目の物を売り捌いて高飛びするくらいのことは出来るだろう。どんな手段を使っても手に入れたい。ケチなコソ泥の俺にはそれくらいしか思い浮かばないが、多大な利用価値があることに間違いはない。頭を使ってうまい具合にやってやれば本当にとんでもないことが出来るだろう。
だが、沙友里は頭が良さそうなのでそう簡単にはいかない。

「確かに俺はひったくりをするような人間だ。お前が俺を信用できない気持ちも分かる。だが俺は同時に平和を愛する男だ。…言うな、分かってる。矛盾している。平和な世界にひったくりはいらない。でも本当なんだ。信じてくれ、理屈じゃないんだ」
「やっぱり、」

 沙友里が俺の言葉を遮った。

「あなた嘘のつけない人みたいね。逆に考えると信用できるのかもしれない。でも協力してくれる気は微塵もなさそうね。これ以上あなたを捕まえておいても仕方ないのかも」

 俺の言っていることはあまりにも支離滅裂だった。喋りながら自分が余計に馬鹿に思えた。
どうすればいい?どうすればこの女を騙せるんだ?考えている暇はない。沙友里は今にも立ち上がってこの場を去っていきそうだった。

「待ってくれ。お前が持っているのは誰が作ったかも分からない怪しい機械だ。得体も知れない奴らがそれを探して動いているかも知れない。一人でそんなものを持ち歩いているのは危険だ」

 沙友里は椅子に座り直し、俯いて考え黙り込んだ。それから俺の顔を見て言った。

「得体の知れない奴ら、ね。確かにその可能性はある。でも、もうこの機械を見つけてから三ヶ月以上経つわ。そんな連中ならとっくにこの機械をわたしから奪い取っていても良いんじゃない?」

 そうか、そうきたか。ううむ、手強い。
俺は更に食い下がった。

「わかった、こうしよう。俺を金で雇ってくれないか。こんな話、あんたからすれば見当違いだろう。もしかしたら、あんたは金なんかそんなに持っていなくて、俺となんかそこまでして手を組みたいなんて思っていないかもしれない。でも俺を雇ってくれるなら…、俺と組んでくれるなら何でもする。借金があるんだ。俺も厄介な奴らから逃げ回ってる。そんな連中とはおさらばしたい、縁を切りたいんだよ。金が欲しいだけなんだ。その機械を使って一儲けしたいと思ったのは事実だけど、平和に暮らしたいだけなんだよ。もう逃げ回るのは嫌だ。俺もひったくりなんて危ない橋を渡りながら生きるのにはもう疲れちまったんだ。普通の暮らしに戻りたい。なあ、俺を助けてくれないか」

 半べそをかきながら俺は必死に沙友里に訴えかけた。最後の賭けだった。半分以上でっちあげた作り話だ。この話が通らなければ、頭の悪い俺に次の策はない。強硬手段に出ようと思ったって、ここは人目が多すぎる。今度こそオマワリを呼ばれかねない。だが俺はあの機械が欲しい、何に代えても。

「そうね、お金が欲しいのは本当みたいね。わたし、お金なら持ってる。あまり知られたくはないけれど、わたしもこの機械のお蔭でおいしい思いもしたわ。あなたをお金で雇うことだって出来る。でもひとつだけ約束して。この機械で無茶なことをしようなんて考えを起こさないこと。いい?」
「…わかった。約束する」
「いいわ、交渉成立ね」

 沙友里は俺の目を三秒見つめた後にそう言った。
一石二鳥だ。これでうまくいけば金の援助を受けながら機械を狙える。

「これからどうするかを考えなきゃいけないわね。あなたひったくり犯だけど、そんなに悪い人には見えないわ。女にも興味がなさそう。そうね、ここは落ち着かないし良ければわたしの部屋に来ない?」

 俺が本当に悪い人間じゃないのかは分からないが、確かに女に興味はない。俺は沙友里の提案を受け入れた。部屋に行けば沙友里も隙を見せるかもしれない。

「そうだな。コーヒーも頂いたし、ここにも用はない。お前の部屋なら人に話を聞かれる心配もなさそうだ」
「決まりね。行きましょう」

 そう言って、沙友里は初めて柔らかく微笑んだ。



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