それから月日の流れは早かった。
冬を越え、3月を迎えた。
そして今日は箱根学園の卒業式である。
続々と体育館に集まる生徒や保護者を尻目に双葉は桜並木を見つめていた。
先日の雨で殆ど散ってしまった桜が名残惜しい。

「姉上」

振り向けば、弟の姿。

「こんなところに居たのか。もう式が始まってしまうぞ」
「尽ちゃんこそ戻らなくても良いのかい?」
「すぐに戻るさ。姉上と一緒にな」

だから行こう。
東堂が双葉の腕を引く。
が、動くことはなかった。

「姉上?」
「尽ちゃん」

強く芯のある声。
思わず姿勢が正しくなる。

「卒業おめでとう」

少し残った桜の花弁が風に舞う。
はらはらと視界に入るそれが双葉の美しさを際立たせる。

「そういう事は式が終わってから聞きたかったな」
「どうしても先に言いたかったんだ」

タイトなスーツに身を包んだ双葉は儚げに笑った。
普段の服装やサイクルジャージとはまた違った新鮮な姿に東堂はじっと姉を見つめた。
黒色は女性を美しく見せるとよく言ったものだ。
成程、その通りだと思う。

「三年間よく走って来れたな」
「山神に不可能の文字はないぞ」
「…そうだな」

ふわりと風が髪を掬う。

「尽ちゃん」
「何だね」
「私、本当はイギリスに行くつもりだった」
「…は?」

呆然と口を開けた東堂に双葉は苦笑した。

「でも、やっぱり駄目だった。日本が、箱根が、東堂庵が好きだから…離れるなんて出来ないよ」
「姉上…」

東堂の髪についた花弁を指で摘まんでそれに口付ける。
酷く美しかった。

「巻ちゃんに叱られたよ。そんなことで人生を棒に振るな、オレに着いて来る必要なんてないんだ。そう言われてね」
「姉上は、」

一拍置いて東堂は続ける。

「巻ちゃんが、好きなのか?」

双葉は優しく笑んだ。

「ああ、好きだよ」

あまりにも柔らかな声に東堂の胸がぎゅっと痛んだ。心臓を鷲掴みされたような感覚だった。

知らなかった。

確かに双葉の方が頻繁に連絡を取っていた。
巻島と双葉は東堂に対して秘密を共有していることが多々あった。

姉上は巻ちゃんに愛を囁いていたのだろうか。
その心の内を聞かせたことがあるのだろうか。
ああ、考えても考えてもキリがない。

「尽ちゃん」
「な、なんだね」
「山は、好きか?」

後輩の口癖であるそれに何故か涙腺が緩んだ。
もしかしたら、を思い浮かべてしまい双葉に掴み掛りそうになってしまう。

「ああ、好きだ」
「そうか」

双葉は目を細めて言葉を紡ぐ。

「また一緒に登ってくれるかい?」
「…!勿論だとも!!」
「それを聞けて安心した。さあ、戻ろう」

双葉の言葉に東堂は力強く頷いた。






卒業式が終わり、続々と学校から出て行く生徒と保護者。
双葉は自転車競技部に向かい、その扉を開いた。

「あれ、双葉さん。いらっしゃったんですね」
「新開、おはよう」
「もうこんにちはの時間ですけどね」
「皆揃っているのだな」
「この後、打ち上げでもどうかな、って話してたんで」

双葉の隣に福富が立った。

「双葉さん、お忙しい中お疲れ様です」
「福富もお疲れ様。三年生、少し話を聞いてくれないだろうか」

三年レギュラーメンバーの視線が双葉に集中する。
しん、と静まり返った部室で双葉は淡々と言葉を声に乗せる。

「今日一日で散々言われ飽きているかも知れないが、卒業おめでとう。私は皆と関わり合えた三年間がとても有意義なものだったと思っている。これから先、大学生になり、大人になり、そうやって成長していく中でふとした時にでもこの皆で過ごした三年間を思い出して欲しい。楽しかったこともあれば辛く苦しかったこともあっただろう。しかしそれがあったからこそ今の君達が居るということを忘れないで欲しい。私は君達を応援している。本当に、卒業おめでとう」

パチパチと拍手があがる。
福富、荒北、東堂、新開、後輩である泉田や黒田、真波までもがしっかりと双葉の話に耳を傾けていた。

「それともうひとつ」

双葉は続ける。

「この後の打ち上げは私が持とう。話し合って何が良いか決めてくれ」
「しかし双葉さん、」
「いいんだ福富。その代わり私も混ぜてはくれないだろうか」
「ええ、それは勿論」
「ありがとう」

そしてトントン拍子に話は進み、打ち上げは焼肉となった。
部員全員分を双葉が負担するという話に東堂は財布の心配をした。
何せ運動部で男だらけ。
相当な金額になるだろう。
しかし双葉は、カードがある。使えなければ現金を出すまでだ、と万札を見せてくれた。
双葉がそう言うのなら、と東堂も納得した。

その後、焼肉店へ行き席に着いて遠慮せずに注文をした皆に双葉は薄く笑う。

「新開、ドリンクバー何にすんのォ?」
「珍しいな靖友。入れてくれるのか?」
「希望がねェなら全部混ぜてやんよォ」
「ヒュウ!それは飲めるか心配だな」

そう言いながら席を立った2人。
双葉はレギュラーメンバーと同じ席に座っていた。

「尽ちゃんも取っておいで」
「いや、オレは水でいい」
「そうかい」

双葉の服の袖を引っ張る真波は疑問を投げた。

「双葉さんはいつから皆さんと仲が良いんですか?」
「む、良い質問だな真波!オレが答えて、」
「東堂さんには聞いてないですー」

にこにこと笑む真波はいつも通りで、双葉は懐かしい記憶を呼び戻す。

「少し昔の話をしようか」

グラスの氷が少し溶け、カランと涼しげな音を立てた。



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