三分咲き
ボクには一人だけ幼馴染みがおる。
物心ついた頃から隣におった小さな女の子、栗崎双葉。
親同士の仲が良く、ボクらが話すようになったんもごく自然な流れやった。
双葉ちゃんはいつもにこにこ笑っとって泣き顔を見せへん強い子で、ボクはその笑顔が正直鬱陶しく、苦手意識を抱いとった。
ボクらは何をするんも一緒やった。
お互いの家に泊まり、夕飯を食べて一緒に風呂へ入り肩を並べて眠りにつく。
身体をぎゅっと丸めて眠る癖のある双葉ちゃんを「変な子や」と思いながら眺めていたのはしょっちゅうやった。
それはボクらが小学校を卒業するまで続いた。
成長期を迎えるのが人より遅かった双葉ちゃんの身体は中学に上がり、急に変化した。
凹凸の少なかった身体は膨らみ、服の上からでも分かる程になりどんどん女の子らしぃなっていく。
但し胸はあんまり成長せぇへんだけど。
「かけるくん」
双葉ちゃんはボクのことをそう呼んどった。
幼い頃に漢字を読み間違えた双葉ちゃんは読み方を一向に変えることなく、そう呼び続ける。
一々指摘するんも骨が折れる。
訂正するんを諦めて「かけるくん」と呼ばれる度に大人しく返事をした。
双葉ちゃんしか呼ばへん名前があるいうことに、ほんの少し気持ちがふわふわと浮いた気がした。
中学に上がってからもボクらは一緒やった。
ぐんと身長の伸びたボクに対してあんまし変化のない双葉ちゃんとの身長差はどんどん開いて、ボクは双葉ちゃんを自然と見下ろす形になる。
「かけるくん背ぇ伸びたなぁ」
背伸びしても全然届かへんわ。
そう言うて笑う双葉ちゃんにボクはいつものように悪態をつく。
「キミが小さいだけやろ。ボクは標準や」
「そんなことあらへんよ。かけるくん後ろから数えた方が早いやん」
「双葉ちゃんは一番前やもんなぁ」
「これでも気にしとるんやで?」
背ぇ低いのコンプレックスやねん、と双葉ちゃんは苦笑いを浮かべた。
その頭に手を置いてポンポンと撫でてやる。
「そのままでええよ」
「伸びるなってこと?」
「背ぇ高い双葉ちゃんとか想像出来へんからね」
「酷いなぁ」
双葉ちゃんは困ったように笑った。
双葉ちゃんは昔から頭と要領のええ子やった。
当然、地元を離れて東京の名門校にでも行くんやろうとボクは思っとった。
せやけど双葉ちゃんは「私な、京都伏見高校に進学するんよ」とアホなことを言い出した。
「東京行くんとちゃうん」
学校からの帰り道、並んで歩きながらボクは言葉を投げ掛ける。
双葉ちゃんは少し考え、へらへらと締りのない笑顔を浮かべた。
「東京の学校とかみんな頭良過ぎて着いてけぇへんもん。それに私、京都好きやから離れたくないんよ」
「謙遜せんでええよ」
「ほんまやって。かけるくんは何処の高校行くん?」
くりくりとした丸っこい瞳がボクをじっと見つめる。
顔を逸らして「京伏や」と呟けば双葉ちゃんはキラキラと目を輝かせて、ぐっと近寄って来た。
距離を詰められたボクは眉間に皺を刻む。
「ほな、また三年間同じやね」
「キミィが受かったらの話やけどな」
「頑張るもん」
「……嬉しそうやね」
「かけるくんもね」
そう言われてボクの表情が僅かに緩んどったことに気付いた。
ポーカーフェイスを見破れるんは昔から隣におった双葉ちゃんだけやと思う。
ボクのこと見過ぎやろ。
ほんまキモいわ。
ボクらは春を迎えた。
受験戦争を余裕で合格したボクは双葉ちゃんの部屋に呼ばれた。
数年振りに入った部屋は何も変わっとらんくて、ほんの少し懐かしさを感じた。
廊下から部屋を覗き見る双葉ちゃんに「ボク忙しいんやけど」とつんけんした態度で言い放つ。
双葉ちゃんは気にすることなくにこにこと笑ってボクの前に姿を見せ、その場でくるりと回った。
「どう?」
「ププ…制服に着られるとかお子ちゃまやね」
「背はこれから伸びるんやもん。やっぱおかしいんかなぁ…」
くるくると回る双葉ちゃんのスカートが揺れて細い足が見え隠れする。
双葉ちゃんはほんまに素直やない。
褒めて欲しい言えばええのに。
ボクは深々と溜息を吐いて「まあ、似合うとるんちゃう」と呟く。
双葉ちゃんは一瞬呆けた後に「おおきに」と照れ笑いを浮かべた。
京都伏見高校に入学して暫く双葉ちゃんはボクに構い続けた。
放っといてくれればええのに、休み時間になる度に3つ離れた教室からわざわざ遊びに来るようになった。
「かけるくん、一緒にお弁当食べようやぁ」
「ピギ…」
双葉ちゃんはボクが拒否してもアヒルみたいにしつこく後を追って来る。
ボクゥが怪訝な顔で「なんで着いて来るん」て冷たく言うても「かけるくんと一緒の方がお弁当美味しいんよ」と笑って聞く耳を持とうとせぇへん。
拒否するのを諦めて「勝手にしぃ」と言えば、双葉ちゃんは嬉しそうに「ほな、勝手にするわぁ」と笑うだけやった。
双葉ちゃんと昼食を摂る時はいつも会話が途切れへん。
話の引き出しが多い双葉ちゃんの話を聞いてボクは適当に相槌を打つ。
その繰り返しの日々が長いこと続いた。
双葉ちゃんと食べる弁当は一人で食べるよりも美味しく感じて、ボクも満更やないなぁて思うた。
それが一月半程続いとったのに、双葉ちゃんはボクの前から姿を消した。
ぷつりと糸が切れたようにボクの前に一切姿を見せんようになった。
一人で食べる弁当は味気があらへんかった。
裏庭の特等席にはボク一人。
寂しいとかそういうことは感じへん。
双葉ちゃんが居らんだけでこんな静かやったんやなぁとしみじみ思いながら玉子焼きを口に放り込んだ。
双葉ちゃんが姿を見せんようなって半月が経った。
学校を休んどる訳やないのをボクは知っとった。
廊下ですれ違うことも何度かあった。
双葉ちゃんは友達と楽しそうに笑っとって、相変わらずやなぁて感心した。
ボクは自転車競技部に入部してから一段と忙しぃなって、双葉ちゃんのことを気にすることもなくなった。
静かぁなって清々したわ。
自嘲気味に笑い、ボクは一層ロードにのめり込んだ。
京都伏見高校に入学して初めての夏がやって来た。
ボクはIHに向けてペダルを回し続ける。
優勝以外は何もいらん。
一番が全てや。
ザク達をこき使うように鍛えさせ、IH出場が確定した日。
ボクはロードに乗りながらいつものコースを走っとった。
まだや。
まだ足りへん。
こんなもんでは王者箱学を潰せぇへん。
あと10km追加で走ることを決めて、ペダルを踏む力を強める。
オーバーワークなんてアホなことはせん。
足が使いもんにならへんよぅなるなんて考えなしに動く奴が招く結果や。
ボクゥは10kmを軽く走り終え、家に帰る途中の道で足を止めた。
「かけるくん、おかえりぃ」
「…おん」
にこにこと笑う双葉ちゃんを見てボクは顔を顰めた。
「何でこんなとこ居るん」
「お夕飯の買い出し行っとったんよ。今日は双葉ちゃん特製夏野菜カレーなんやで!」
「双葉ちゃん料理作んの壊滅的やろ。おばさん達お腹壊すで」
「頑張って練習したもん」
「へぇ、そうなん。ほな」
ロードを押して家に向かおうと足を踏み出した瞬間、勢いよく服が引っ張られる。
振り向けば双葉ちゃんがボクの服を掴んで離そうとせん。
「なんやの」
「かけるくんが帰るんそっちちゃうよ」
「はぁ?」
「おばさんにかけるくん借りてええか訊いたら喜んで貸す言われたんよ。ユキちゃんもどうぞどうぞ言うとったし」
「ファー…」
何で人を勝手に貸し出しとんねん。
しかもユキちゃんまで。
「せやから、かけるくんのお夕飯は双葉ちゃんスペシャルカレーなんよ!」
「素直に"一緒に食べたいから来てくれへん?"て言えへんのか」
「まぁ何でもええやん。かけるくんご案内ー!」
嬉しそうに満面の笑みでボクゥの手を引く双葉ちゃん。
今回だけや。
偶にはお姫様の我侭でも聞いたろうやないの。
カラカラと回るタイヤの音がやけに鮮明に耳に響いた。
「かけるくん美味しい?」
目の前に置かれたカレーを恐る恐る口に入れたボクに双葉ちゃんは心配そうに尋ねてきた。
もぐもぐと咀嚼し、もう一口、とカレーを口に運ぶ。
「まあまあやな」
「そっかぁ…」
しょんぼりと双葉ちゃんの無い耳が垂れる。
不味いとは言うてへん。
率直な感想を述べただけや。
美味いとも言うてへんけど。
「あの…、かけるくん。聞いて欲しいことがあるんやけど」
「なんやの」
大きめに切られた夏野菜を噛みながらボクは返事をした。
「私……、あぁ、やっぱ何でもあらへん…」
「気になるやろ。はよ言いや」
「えぇー…」
「言いたないんやったら無理に言わんでええよ。ボクすぐ帰るけど」
「言う!言うでまだ帰らんといてやぁ」
小さく息を吐いて言う決心をしたんか双葉ちゃんはボクを真っ直ぐ見つめた。
「私な、付き合ぅとる人が居んねん」
その言葉にボクの手がぴたりと止まる。
目を大きく開けて、じっと双葉ちゃんを見た。
「それ、ほんまなん」
「かけるくん信じとらんやろ。ほら、この人やねん」
眼前に突き出された携帯の画面には優しそうな顔のええ男が映っとった。
「双葉ちゃんにしてはマシな男選んだんやね」
「私にしては、ってどういう意味なん。そんなんまるで私の見る目がないみたいやないの」
「ププ…幼稚園の時、好きになった男に泣かされたの忘れたん?」
「う゛っ…。よぅ覚えとんなぁ…」
「ボクゥ記憶力はええ方やからね」
カレーを完食して手を合わせる。
双葉ちゃんは慌ててカレーを食べ始めた。
「その彼氏がどうしたん」
全く興味あらへんけど双葉ちゃんが訊いて欲しそうな目でボクゥを見てくるもんやから、話題を広げる為に渋々と切り出す。
「料理上手な女の子が好きなんやって」
双葉ちゃんはカレーを飲み込んで、にこにこと笑った。
成程、そういうことか。
双葉ちゃんの行動と言動に合点がいった。
ボクゥを夕飯に誘ったんは、彼氏の為に頑張っとるけど不安やから味見して欲しかっただけいう話。
毒見係りにされるの、ほんま嫌やねんけど。
一体ボクを何やと思うとるんや。
「かけるくんも知っとる通り私えらい料理苦手やし、我侭やし、アホやし…嫌われてまうんやないかって思ぅてしもてな…」
「せやね。双葉ちゃんはアホ、ドジ、可愛げあらへんの三重苦やもんな」
「ひ、酷い…」
「せやけど人に嫌われるようなことはせぇへん、ええ子やと思うよ。そういうところボクゥは嫌いやない」
その言葉に呆ける双葉ちゃん。
「それに、もしもの時は」
目を細めて言葉を吐き出す。
「ボクが拾ぅたるよ」
静まり返るリビング。
沈黙に耐えれやんくなったボクは視線を上げた。
その先に居るんは、ほんのり頬を赤く染める双葉ちゃん。
……なんなん、その反応。
「何か言いや」
「あ…いや、その、嬉しくて…。せやなぁ、そん時はかけるくんに泣きつくわ」
幸せそうに、いつものにこにこ笑顔を浮かべた。
その笑顔にボクの視界は"きいろ"に染まる。
もしもの時はボクゥを頼る言うた。
双葉ちゃんは嘘がつけへん子やから、本心なんやろう。
「その言葉、本気にしてええんやろなぁ?」
「慰めてくれるんやったらね」
照れ笑う双葉ちゃんの笑顔に、ほんの少し胸が温かくなった気がした。
ああ、いつの間にボクゥはこの子に堕ちとったんやろか。
思い当たる節はひとつもあらへん。
「かけるくん、おおきに」
「…おん」
朗らかに笑う双葉ちゃんに何も言うことが出来へんだ。
その日、ボクは人生で初めての初恋と失恋を同時に味わった。
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