終わりの始まり

白い煙だらけの空間を抜けた先に広がっていたのは、詩子の世界とは全くもって異なる世界だった。




断崖絶壁。
そこに詩子とカゲロウは立っていた。

眼下に広がる光景は、音で感じたイメージと合致していた。
先ほど詩子に聴こえていた祭囃子のような音は空耳ではなかったらしい。

「何か気になるものはありますか?」

カゲロウは詩子と繋いでいた手を離し、変わらぬ調子で優しく尋ねた。
そよそよと吹く風に揺れる横髪を耳にかけ、詩子は空に浮かぶ”生き物”を見上げる。

「……金魚が空を泳いでいるわ」
「あれは遊魚といって、文字通り遊ぶように泳ぎ漂う魚です。身体を透かせることが出来るので物に衝突することはありません」
「便利なのね」
「綺麗でしょう?」
「…そうね。儚くてとても綺麗。まるで、私たち人間みたい」

その言葉にカゲロウは目を細め、にこりと笑う。

「詩子は素敵な詩人になれそうですね」
「あなたよりはうまく詠めそうだわ」

詩子は耳を澄ませ、他のモノに意識を集中させる。

今のところ、あの耳鳴りのようなものは聞こえない。

「降りることはできる?向こうを見て回りたいのだけれど」
「ええ。詩子が望むならいくらでも」

そう言ってカゲロウは詩子を横抱きにし、肩に腕を回すよう告げる。

「落ちないでくださいね」
「落とさない努力をなさい」

そう言いながら、詩子もしっかりとカゲロウに身体を預ける。
静かに前進し、カゲロウは眼下の景色を目指して崖から飛び降りた。






捲れ上がった上着の裾が風に揺れる。
カゲロウは詩子を抱いたまま静かに着地した。

「ありがとう」

地に降ろされた詩子は短く礼を述べた。

「どういたしまして。暫く歩きますが、どうします?もう一度、飛びましょうか?」

小首を傾げるカゲロウを見上げ、詩子は頭を振った。

「問題ないわ。私、散歩は好きだから」
「では散歩の時間にしましょう。あとでご褒美をあげますね」
「…他人に子供扱いされるのは嫌なくせに」
「子供扱いしている訳ではありません。私がそうしてあげたいと思ったからですよ」
「そのうち図に乗るわよ」
「詩子なら大歓迎です」

詩子はカゲロウの言葉を無視して歩き始めた。
その一歩前に出て、カゲロウは少し大きい歩幅で歩く。
詩子が迷子になることを防ぐためである。

「いつもはもっと静かなのかしら」

カゲロウの言っていた『お祭り初日』という言葉を思い出して、詩子が呟いた。
その言葉をしっかりと拾って、カゲロウは会話を続ける。

「時と場合によりますが、ここまでの明るさはありません」
「それは物理的に?」

詩子は歩きながら、樹にぶら下がり連なる提灯の明かりを見て問い掛ける。

「どちらもですね」
「そう」

目で追っていた提灯から視線を逸らし、前を向く。
そんな詩子の背に向けて、提灯はひとつの目を見開き大きく舌を出しゆらゆらと揺れ、一度白い煙を身に纏ってその顔を隠した。


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