Aの晩餐

※シーズン2配信前に書いたものです

 人生最後の晩餐があるとするならば、それは何だろう。瑞々しい林檎か、酸味の強いレモンを添えた魚料理か。それとも、聖書に倣ったパンとワインだろうか。きっと死にゆく者の数だけその彩りは存在する。
 かつて耳にしたことがある。死刑囚は執行を前に、最後の献立を望む権利があるのだと。ある程度の自由を許されているという一点において、彼らは私よりもよほど高待遇だと言える。私の前に並んだのは、双子の片割れが誂えた正体不明の肉料理だった。

「前々から思っていたけれど、貴方、料理上手よね」
「お気に召したようで何よりだ」

 向かいの席で頬杖をつくアラスターは、相も変わらず食えない笑みを浮かべている。よくもまあ、飽きもせずその面を保てるものだ。
 呆れの滲む溜息を飲み込み、肉の一欠片を口に運ぶ。趣味にしているだけあって、その腕前は私など足元にも及ばない。天は二物を与えず、なんて真っ赤な嘘だ。彼は容姿も、才能も、そして残虐性も、全てを等しく持ち合わせていた。

「今からでも逃げるかい?運が良ければ明日を迎えられるかもしれない」
「逃げないわ。……残念だけど」

 問いにそう返せば、彼の仮面が僅かに揺らぐ。

「やけに潔いじゃないか。何か秘策でも?」
「ないわよ。本当にいい性格してるわね、アラスター」
「お褒めに預かり光栄だよ、なまえ」

 ──別に褒めてなんていない。
 言い損ねた言葉を、冷めた肉と一緒に胃の奥へ流し込んだ。
 いつからだろう、彼がその手を血に染めていると気付いたのは。一人や二人ではない。その累々たる死を知りながら、私は沈黙を選んだ。身内の凶行が露見すれば、血縁である私や母にどんな火の粉が降りかかるか想像に難くない。私にとって、見知らぬ誰かの不幸より、己の築いた平穏が壊れることの方がずっと恐ろしかった。そうして問題を先送りし、他者の命を犠牲にしてまで選んだ延命好意のツケがこのザマだ。

「仕方ないじゃない。もう力比べじゃ勝てないんだもの」
「ああ、昔は君の方が強かったね」
「貴方が弱かったのよ。まだ、ただの子供だったから」
「でも足は俺の方が早かった」
「ええ、それは今も変わらないわね」

 殺人現場に居合わせたのは、不幸な偶然だった。転がる遺体を前にして真っ先に湧き上がったのは正義感ではなく、焼けるような焦燥だ。狂おしいほどの動悸の中で、私は第一声に遺体の処理方法をアラスターに尋ねていた。酸欠で頭が痛かった。
 解体作業は想像を絶する重労働だ。これを好き好んで行える人の気が知れない。凄惨な後始末を終えた私を待っていたのは、彼の作った温かい食事と、甘い労りの言葉だった。空腹と疲労の極致にあった私は、毒を喰らう心地で食卓についた。無駄な抵抗は苦しみを引き延ばすだけ。私はあの無様な結婚生活で、それを嫌というほど学んだ。

「心の準備はできた?」

 皿の上にはもう何も残っていない。タイムリミットだ。
 フォークを置いて顔を上げれば、射抜くようなアラスターの視線とぶつかった。私達は示し合わせたように、同時に席を立つ。彼の右手にはいつの間にか、乾いた血の跡が残るナイフが握られていた。

「お願いだから、一度で終わらせてくれる?なるべく……苦しまないように」
「勿論。手元が狂うといけない、じっとしていてくれよ」

 肩に添えられた手の熱に、鳥肌が立つ。瀬戸際に立たされ、麻痺していた恐怖心がようやく悲鳴を上げ始めた。その瞬間が訪れるまで、時間の流れが厭に引き延ばされたように感じられる。
 冷たく鋭利な衝撃が、腹部を貫いた。刹那、内側から血と熱の奔流が溢れ出す。引き抜かれる苦痛に体温が跳ね上がり、脂汗が滲む。視界がぐにゃりと歪み、膝の力が抜けて立っていられなくなる。

「おっと」

 床に頽れる寸前、アラスターの腕に抱き留められる。意味を成さない呻きが喉からせり上がってくる。苛烈な痛みに脳が灼け、私は彼の肩に爪を立てた。

「こうするのは子供の頃以来だな」

 憎しみを込めて、彼を睨み上げる。皮膚に食い込む爪の痛みなど、これっぽっちも気にしていない様子で、彼は軽快に笑った。幼い日の記憶をなぞるようなその抱擁に、かつてないほどの殺意が湧く。夫に対してさえ、これほど強い感情を抱いたことはないというのに。
 やがて熱が引き、凍えるような寒気が這い寄ってくる。徐々に遠のいていく意識の中で、血に濡れたスカートが足にまとわりつく感触だけが、ひどく不快で、どうしようもなく疎ましかった。

   ◆

「まさか、それから数日もしないうちに、私も跡を追う事になろうとはね!」
「馬鹿ね。人を殺したりなんかするからよ」




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