あまいのはいっしょ?


自室のゲーミングチェアに座って、細い指先をスマホの液晶画面に滑らせる黛くん。いつもみたいに青い鳥を模したアイコンのアプリを見ているのか、誰かと連絡をとっているのか、はたまた新作ゲームの情報でも仕入れているのか。黛くんが何をしているにしろ、私には今日ちょっとした目標があった。
ちらちらと黛くんの方を伺いつつ、自身のスマホに表示された日付を目に写す。黛くんとクリスマスにデートした時、イルミネーションの下で無理やり撮ったツーショットの待受の上に白い文字でくっきりと、五月二十三日と記されていた。そう、今日は紛れもないキスの日、なのである。
こんなイベントに便乗しなくても普段からキスの一つや二つはしているが、やっぱりこういう機会に黛くんからキスしてもらうのも悪くない。普段する時も黛くんからが多いけど、それはそれとして。私は今日この日に黛くんからキスしてもらいたいのだ。
そんなこんなで先程から黛くんの様子を見つつ言い出すタイミングを掴もうとしているのだが、どうにも恥ずかしい。いきなりキスの日だからちゅーしてなんて、ちょっと、いやかなり無理。どうしたものかともだもだしていたら、黛くんがこちらを向いた。思いっきり目が合ったけど、何となく逸らしてしまう。そんな私に、黛くんは少し笑った。

「さっきからどうしたの」
「……別に、なんにも?」
「そんな訳ないでしょ。ちらちらこっち見てるのわかってるからね」

新しいおもちゃを手に入れたみたいな顔をした黛くんは、立ち上がって私が座っていたソファに、それもかなり間を詰めて真横に座ってきた。服越しにじわじわと黛くんのあったかい体温が伝わってきて心地いい、けどどきどきする。
その上、黛くんが何の気なしに指先を絡めてきたせいでびくりと肩が跳ねた。いつもしてることなのに、変なことを考えていたせいで色々と過敏になってしまう。はやいとこ目標を達成しないとまた遊ばれる……。

「名前の考えてること、当ててもいい?」
「……まあ、うん、どうぞ」
「すごい歯切れ悪いじゃん」

楽しさを滲ませた声で私につっこみを入れた黛くん。そうだなぁ、と考え始めた黛くんは無意識なのかなんなのか、絡めた指先をすりすりと擦り寄せてくる。手の甲を掠めるまろやかな温かみがくすぐったい。笑いそうになるのを堪えていると、黛くんがふと声を零した。

「今日、何の日か知ってる?」

黛くんがこちらを向いて、目が合った。それだ。その質問が投げかけられたなら、私の答えは一つ。……のはず。

「…………知らない、かな」
「本当に?俺は心当たりあるけどなぁ」
「……そうなんだ」

あ〜もう馬鹿!今の流れで素直にキスの日だって言えてたらいい感じにいったのに!
心の中で悔やんでも、訂正できる度胸は残念ながら私には無い。でも、心当たりがあるってことは、黛くんは今日がキスの日だって分かっているのでは?それはつまり、私がわざわざ口に出さなくてもキスしてもらえるのでは?
一つの気づきを得た私を余所に、黛くんはしょうがないなぁ、なんて言いながら私に目を瞑るように指示してきた。期待した通りに物事が動いているのを感じてちょっと嬉しくなりながら、言われた通りに瞼を下ろす。
視界が遮断されると、それ以外の五感が明瞭になった。かちこちと響く時計の音。黛くんから漂う甘いムスクの香り。先程より数倍熱を持った熱い指先。ばくばくとうるさい自身の心臓を宥めながら、今か今かとその時を待った、ものの。
少し経って私の唇に押し当てられたものは、想像していたよりなんだか固くてかさかさしていた。
じわじわと瞼を押し上げる。段々と明瞭になっていく私の視界に写ったのは、口元に押し当てられた美味しそうなチョコチップクッキーと、悪戯に微笑む黛くんの姿。

「知ってる?今日ってチョコチップクッキーの日でもあるんだよ」

……一杯食わされた。おおよそ彼氏に抱く感情ではないと思うが、今の私の胸の内はまさにこれだった。楽しそうに弧を描いた唇を見せつける黛くん。悔しくなって未だに口元に押し当てられたままだったクッキーを一口かじった。ほのかな甘みが口中に広がって、喉をすとんと通り過ぎていく。不服そうな表情を浮かべる私を見て、黛くんは半分残ったクッキーを口に放りこんだ。

「クッキーは嫌いだった?」
「そうじゃない……」
「……ふふ、ごめんね。ちょっと遊びすぎたかも」

黛くんの手が柔らかく私の頭を撫ぜる。恥ずかしさといたたまれなさでいっぱいになった私は、そのままぷいとそっぽを向いた。後ろからは機嫌治してよ、といつもより甘ったるい黛くんの猫なで声。騙されないんだからな……。

「本当は何の日だって言いたかったの?」
「……いわない」
「俺馬鹿だから言ってくれなきゃ分かんないなあ」

微塵も反省した態度なんて見えない。完全に遊ばれてる!どの口が馬鹿だからなんて言うんだ。この天才ハッカーめ。珍しくにやにやとした笑みを浮かべているであろう黛くんが酷く腹立たしい。あーもう!

「今日はキスの日だから、黛くんにちゅーしてもらいたかったんですー!!」
「どこに?」
「…………くちびる」
「ん」

短く返事をした黛くんは、ずいっと顔を近づけてきた。反射的にきつく目を瞑ると、今度こそ唇に熱い感触。ちゅ、ちゅ、と角度を変えて二度ほどキスを落とした黛くんは、最後にちろりと唇を舐めて顔を離した。ほんのりとチョコレートの匂い。多分、さっきのクッキー。

「よくできました」

仕上げとでも言うように私の前髪を撫でた黛くんは、上機嫌そうにソファから立ち上がってゲーミングチェアに座り直した。傍らに置いてあったおやつのクッキーをかじりながらキーボードを叩いている。仕事を再開したようだ。
そんな黛くんの様子を後目に、私はソファに倒れ込んだ。いっつもこうだ。黛くんの手のひらの上で踊らされてばっかり。いつかは黛くんに一泡吹かせてやると胸に誓って、ソファに残った温もりに頬を寄せた。

意地悪されるはなし。
2020.5.23