知的好奇心


「あー!!もう……」
「どうしたの、そんな声出して」
「ドライヤーが上手くいかない……さらさらにならない……あと髪の毛切れちゃう」
「なるほどね」

つい先程起きてきて、スマホを片手にのっそりとソファに沈んだ黛くん。もう夜だけどね。しゅぽしゅぽと聞きなれた更新音を響かせながら虚ろな目で液晶を見つめている。数分前にあ、と声を零したのは一体なんだったのだろうか。寝ぼけ眼でタイムラインを遡ってたから、誤ふぁぼしたとか?いや、まさか黛くんに限ってそんなことないよなあ。
一方私はと言うと、数ヶ月前に買ったちょっといいドライヤーを放り投げて我慢の限界といった風に軽く叫んでいた。だってもう無理だ。どうすればいいか分からない。お風呂上がりに濡れた髪の毛に温かい風を当てながら乾かすと、絶対に髪の毛がぷちぷちちぎれちゃう。それがここ何ヶ月かの私のもっぱらの悩みだった。シャンプーを変えてもだめ、トリートメントを変えてもだめ、タオルドライのやり方を変えてみたけどだめ。ドライヤーを買い換えたのだってこれが原因だ。でもだめだった。も〜〜どうすればいいのか分からない。助けを求めるように、ソファに身を埋めながらこちらをぽけっと眺める黛くんに声をかけた。

「まゆえも〜ん……」
「なんだい」
「……95点」
「残りの五点どこいったの」

なかなかエッジの効いた国民的青狸の声真似を披露した黛くんは、私の評価を聞いてくすくす笑った。正直最近あのアニメ見てないから何が百点か分かんないんだよね、でも黛くんのことだし結構似てるんだろうなあと思って適当に高評価にしたんだけど。まあ黛くん楽しそうだしいっか。寝起きの黛くんの笑顔は、いつもよりちょっと幼く見えた。

「ドライヤーすると髪の毛ちぎれる」
「あ〜、そういえばなんか言ってたね」
「色々変えたんだけどぜ〜んぶだめだった!」
「……ちょっとさ、俺にドライヤー任せてみてくんない?」

スマホの電源を落としてソファに投げた黛くん。見た目がクールな黛くんがちょっと粗野な仕草をする度に未だにどきっとするのはなんでだろう、恋人補正かなあ。そんな煩悩を振り払いながら、長い袖を肘までまくった黛くんに重めのドライヤーを渡した。

「大丈夫?持てる?」
「俺の事なんだと思ってるの。さすがに持てないわけなくない?」
「あはは、ごめんごめん」

黛くんスマホより重いもの持てないと思ってた、と軽口を返すとぺし、と頭に乗っかる薄い片手。そんなこと言うとドライヤーしてあげないからね。わ、ごめんって!うそうそ!手のひらをひっくり返して黛くんを褒め称えると、よろしい、という言葉と共にドライヤーが私の頭上に掲げられた。

「ネットでちらっと見た記事のやつ実践するだけだから、あんまり期待はしないでね。熱かったら言って」
「はあい。お願いしま〜す」

かち、と音がして温かい風が私の髪の毛を揺らす。黛くんの手がわしゃわしゃと動いて、つむじの辺りを念入りに乾かしていく。

「おかゆい所はございませんか」
「だいじょうぶ〜。はは、ほんとの美容師さんみたい」
「才能あるかもしれない」

黛くんの低い声がドライヤーの風に邪魔されながらも耳元で響いた。髪の毛の根元を丁寧に乾かしていた黛くんの手のひらは段々と移動して、今はどこだろ、後ろの方?

「ちょっと下向ける?」
「うん、こんくらい?」
「おっけ、ありがと」

黛くんに言われた通り、ほんの少しだけ顔を下に傾ける。今度は後頭部の髪の毛を梳きながら乾かしてくれているみたい。暖かくて気持ちよくて、今にも寝てしまいそうだ。一度、二度、と船を漕ぐと、黛くんの声が耳に入った。

「ちょっと、終わるまで寝ないでよ」
「……努力は、する」
「頑張ってね」

うつらうつらと何度か意識を飛ばしかけた私は、うっすらと保たれた意識で黛くんにブラシを渡したりしつつ、半分、いや八割方寝かけていた。
黛くんに肩を揺さぶられて、固く閉じられそうになっていた瞼をこじあげる。どうやらドライヤーは終わったらしい。しぱしぱと何度か瞬きをして目の前の鏡に写っている自分を見て、思わず感嘆の声をあげた。

「なにこれ……!髪の毛さらっさらだ!」
「頑張った甲斐あったね」

黛くんの手によって私の傷んだ髪の毛は、さらさらのつやつやに仕上げられていた。いつもよりも髪の毛がきちんと下に落ちていて、毛先は緩くカーブを帯びている。え、え、黛くんもしかして私よりブロー上手い?

「どこでそんな能力を手に入れたの……?」
「施設の子達のドライヤーたまにやってあげたりはしてたかな。あとは、名前が悩んでたからネットでちょっと調べたくらいだよ」

けろりと言い放った黛くん。それにしては如何せん上手すぎないか……?黛くんがまじで才能あるだけなのか、それとも美容師見習いだったとか?……いや、後者は絶対ありえないな。黛くんが美容室に行ってるところがまず想像できないもんな……。

「なんか失礼なこと考えてない?」
「いやそんな!滅相もない!これから毎日黛くんにドライヤーやってもらえたらな〜って考えてた!」
「俺は別にいいけど、それだと名前が困らない?俺がいない時に備えてやり方教えてあげようか」
「やった!また明日お風呂出たら教えて!」

両手をあげて大袈裟に喜んだ私の頭を撫でた黛くん。さらさらと指通りのいい髪の毛を触って、なんだか機嫌が良さそうだ。お礼に、と思い冷凍庫の中のアイスあげるよ、と言うといそいそとキッチンの方へ消えていく黛くん。現金だなあ!そんな黛くんの後ろ姿を眺めて、もう一度さらさらになった髪の毛の毛先に指を通した。

ドライヤーしてもらうはなし。
2020.5.24