生きたくない


もう嫌だ。何もしたくない。部屋の隅に蹲って泣くことしか出来ない自分が嫌なのに、そう思うのは矛盾しているだろうか。涙でぐしゃぐしゃになった視界に煌々と光るスマホの画面が目に入る。よく見えないけど、きっと画面にはひびが入っているだろう。先程感情に任せて思い切り投げたそれは、多分壁紙に穴も開けているはずだ。自分がやった子供みたいな行動を反芻させられているようで嫌になって、見なかったことにした。
もう一度膝に顔を埋める。一人になりたいと願っても、もう何も聞きたくないと耳を塞いでも、世界は私を一人になんてしてくれない。私の一存で世界中のやつらが全部死んじゃうなんてありえないから。家の外を歩く人の音。隣の家から漏れてくる騒がしいバラエティの音。やかましいクソガキどもが外ではしゃいでる音。何もかもがむかついて、何が私の琴線に触れるのかが私ですら分からなくて、髪の毛を掻きむしった。唸り声か叫び声か分からないような声をあげながら、感情のままに自分の髪を引っ張る。ぶちぶち、という音がして髪の毛が切れているが気にできない。感情の抑え方が分からない。普段はあんなに丁寧に手入れをしているのに、何かの拍子にこんな扱いをされてしまうなんて、我が髪の毛ながら可哀想だ。
少し落ち着いて、手を下ろす。涙の後は乾いていて、口を少し開けると頬からぱりぱりと変な感触がした。人差し指の先で少し削る。舐めてみると、やっぱりしょっぱい。涙の味は、海水を蒸発させて作った安い塩のような感じだった。
そのままぼーっと天井を眺めると、自分がなんのために生きているのか分からなくなった。いや、ずっと何かのために生きているつもりとかはなかったな。今それに気づいちゃっただけだ。私ってばなんで生きているんだろう。学校に行って、それなりに授業を受けて、たまに寝て、先生に怒られて、適当にできた友達と遊んで帰るだけ。大学も入るだろう。だってみんながそうしてるから、目立ちたくないから、就職なんてできないから。馬鹿で現実逃避をしたがる私は、将来のことなんて何も考えていなくて、全部周りのせいにして、目先の楽しいことだけに縋って、それに気づいているのに直そうともせず至極刹那的に生きてきた。別に大義名分を持って生きる必要なんてないんだろうけど、自分の目標を持ってそれだけを見据えて周りの評価なんて気にせずそれを頑張れてしまう人は、とても楽しそうだ。彼らにだって悩みも嫉みも嫌なことだってあるんだろうけど、彼らは結局の所真面目で誠実だからそれを乗り切れてしまうのだ。私はそれと逆。目立ちたくないから外面だけ真面目で誠実な風を装って、中身は何も無い。悩みを乗り越えたように見えても、どろどろとしたものが奥の方に残っているから、いつまでもいつまでも気持ち悪いままなのだ。
あはは、と漏れた笑いをそのままに、自分の太ももを殴る。制服のミニスカートから晒された足が段々と赤く染まり、力を込めると骨が軋む。普段の正常な状態だったら痛いからやめようってなるけど、今は馬鹿になってるから無理。ただ自分のいらつきを発散させるためだけに、どこにもいけない感情を拳に乗せた。
いきなり、暗い部屋に少しの光が差し込む。きぃ、と遠慮がちに鳴った蝶番はドアノブをひねった主を部屋の中に迎え入れてしまった。鍵を閉めておかなかった私の落ち度だ。面倒臭い訪問者を迎えて静かに閉じられた扉は、差し込んだ光を遮って、もう一度室内が暗闇が包まれた。

「なんでいるの」
「……名前は、なにしてるの」

自分の目が細まるのが分かる。眉間の間に皺を寄せて、一番嫌なことが起こっている時の顔をしているだろう。
彼がなんでここにいるのかも分からないし、私は自分が何をしてたのかだって分からない。だって他人の頭ん中は見えないし、私の頭ん中は空っぽだし。感情的になった私は限りなく動物に近いから、その辺のものを殴りつけるのと同じように、自分の体で鬱憤を晴らそうとしているだけだ。

「知らない、何もしてない」
「それならいいんだけどね」

ほとんどため息みたいに言った彼は、ゆらゆらとこちらに近づいてきて投げ出された私の太ももを撫ぜた。少し痛い。

「本当になにもしてないの」
「したに入んないよ」

動かすとほんの少し痛い太ももを右にやって、撫ぜていた彼の手から逃れた。こんなの何かやったに入んない。カッターで切って血が出た訳でもないし。そもそも私は意気地無しだからそんなことは出来ない。

「髪の毛もぐしゃぐしゃだね」

そう言って今度は私の髪の毛を撫で付けた。丸められた紙くずみたいだったのにどんどん毛先が下を向いて、先程ちぎった髪の毛がはらはらと落ちていく。首にくっついた一つに気が立って、雑な仕草で取り払った。

「関係ないじゃん、もういいよ」

全部私が悪いのに気を遣ってもらっていることが嫌で嫌で、でも優しい言葉なんてこの心情で出るわけなくて、針山みたいなとげとげした言葉が出た。それを聞いた彼はぴくりと眉を動かしたけど、それ以外なんの反応も示さなかった。さすがに振り払えなかった手のひらが私の頭を撫でる。

「関係なくなれたらいいんだけどね」

言葉だけ聞いたら縁を切りたいみたいな感じなのに、表情は酷く優しくて、慈愛に満ちていた。迷子の子供を導くような。彼がそうっと私の手を取った。手の甲の骨がちょっと痛い。さっき力任せに机を殴ったからだと思う。

「今はもう寝よう、忘れよう」

彼のもう片方の手がそっと私の瞼を閉じさせた。本当の暗闇に包まれた視界でゆっくりと頭が回転する。私は残念なことに人間だから、単純だから、きっと寝て覚めたらとりあえずはいつも通りだ。痛む太ももに気がついて、ああそういえば昨日はあんなことしてたなあ、と淡白に思い出すのだ。自分がどうしようもない人間すぎて呆れる。情けなくなって、また目が熱くなって、閉じた瞼から涙が流れた。
向き合うこともせずに、馬鹿だから、空っぽだから、とそれらしい言葉で飾り立てて悲劇のヒロインみたいに考えて、結局は何も変わらないんだ。変えられないんだ。みんな同じなのに。

「おやすみ、明日はきっといい日だよ」

無責任な彼の台詞。それで明日が最低だったらどうしてくれるんだろうか。いや、どうもしないだろうな。気分で私を学校に行かせて、何が入ってるんだか分からない美味しそうな食事を与えて、暴れ狂った私を程々に慰める。彼の仕事はそれだけで、彼の幸福はそれだけだ、多分。
首に腕が回されて、薄い胸板に顔を押し付ける。こんなやつでも人肌は温かい。一頻り暴れて疲れ果てた私はこのまま簡単に眠りについてしまうだろう。そしてまた真っ白なベッドで目を覚まして、簡素な生活に身を任せるのだ。ああ、なんて乾いた世界なんだろう、嫌になる。

死にたくないはなし。
2020.6.1