愛の行き先
薄暗い部屋で一人、かたかたと慣れたタイピングを繰り返す。今この部屋は無機質で単調な空間だけど、俺は確かに、そこら中に存在する彼女の息遣いを鮮明に感じていた。
コンセントの裏。誕生日プレゼントと称して贈られた置き時計。他にも全部把握しているけれど、あくまでも気づいていないふり。最近になってようやく彼女も慣れてきたみたいだけど、最初の頃は酷かったっけな。わざわざ綻びを直してあげているうちに、俺もそういう手口に詳しくなってしまった気がする。
俺の部屋に無数に仕掛けられた盗聴器、盗撮器。それらの類を設置したのは全て、四年ほど前に施設から出ていった女の子である。その子はたまに談話室に顔を見せる程度だった俺に何故か酷く懐いていて、十八になってここを出ていくことになった時も、離れたくないとぐずぐず泣いていた。そんな子に俺は多分、世間一般で言うストーキング行為というものをされている。いや、多分なんて濁すのはよくないかもしれない。彼女は明らかに、ストーカーだ。
俺が彼女にストーキングされている、ということに気づいたのはだいぶ初期の段階だった。久しぶりに施設に遊びに来た彼女に今日誕生日だったよね、と言って唐突に渡された白い犬のぬいぐるみ。趣味じゃないかもしれないけどもらってほしい、と微かに震えた声でそう告げた彼女は、足早に施設から去っていった。それが彼女にもらった最初の盗聴器。未だに俺のベッドの隅に、何事もなく鎮座している。それがばれなかったと思っている彼女は、その後も度々施設に訪れるようになった。にこにことした笑顔で俺と言葉を交わし、時には俺の部屋でゲームをしたりもする。そして俺がわざと席を外した際に、新たな監視装置を仕掛けているのだ。
それに気づいた時にどうして俺なんかをという疑問は抱いたものの、嫌悪感は全くと言っていいほどなかった。どうしてだったのかは未だによく分からない。無償の愛を与えてくれる彼女という存在が心地よかったのかもしれない。
俺には父も母も本当の家族もいないから、本来当然のようにもらえるまっすぐな無償の愛を注がれたことなんて一度もなかった。それを不満に思ったことは特になかったけど、彼女を拒否しなかったってことは、俺も存外寂しがっていたのかもしれない。改めて考えてみるとなんだか笑えてきて、ほんの少しだけ口角が上がった。
自分で言うのもどうかと思うけど、彼女は多分俺のことが好きだ。こんなことしてるのもそうだし、送られる視線が熱っぽい。彼女は昔からなんでも表情に出てしまって分かりやすいとみんなにからかわれていた。
本来なら証拠でもおさえて警察に届け出るべきなんだろうけど、そうはしなかった。いわばこれは、二人だけの秘密ってやつだ。誰にもばれちゃいけないし、ばらしちゃいけない。
そしてまた、俺も。考え事をしながらやっていたせいでだいぶ時間がかかってしまった仕事をやっと終えて、ウィンドウを閉じる。背中をそらすと小さく椅子が軋んだ。手元に置いてあった飲み物を口に含んで口内に馴染ませる。そしてもう一度マウスを握ると、慣れた手つきでアプリケーションを起動した。
デスクトップに呼び出される四つに区切られたウィンドウ。今はかなり夜遅くなので、彼女も寝静まっている頃だろう。四つのうちの一つを拡大すると、布団に包まり安らかな寝顔を浮かべる彼女。その顔に憂いや苦しみがないことを確認して、今日も彼女がつつがなく日常を過ごせたのだと思いほっと安堵の息を吐いた。
そう、俺も人のことは言えない。俺もまた、彼女の日々の生活を監視している。なんなら彼女より徹底的だ。俺と違って大学に通い普通の友達も沢山いる彼女には盗聴器と盗撮器じゃ足りない。スマホに仕掛けたGPSも、彼女の会話履歴を遡る術も。心配でしょうがなくて、彼女の全部を知っておきたかった。
彼女に誰にも言えないような劣情を抱き始めてしまったのはいつの頃だっただろうか。誰かにここまで熱烈に好きになってもらうなんて初めてだったから、その熱波にあてられてしまったのかもしれない。はたまた、俺も最初から彼女が好きだったのかもしれない。どこで歪んでしまったのかは分からないけど、俺たちがこれで幸せなんだからこれでいいと思っている。今のところは。
「難儀だよね、本当に」
仕掛けられた盗聴器に音が入らないくらいの小さな声で呟いた。俺たちは望めば互いに顔を突き合わせて話すことだってもちろんできる。だからそうすればいいのに、いつまでたっても画面越し、音声越しで足踏みしているなんて馬鹿らしい。世界で一番遠回りな両片思いをしている気分だ。彼女は俺の好意にも行為にも気づいていないだろうけど、俺は両方に気づいている分質が悪い。でも、一歩踏み出せないのが俺の悪いところだ。
「いつになったら気づいてくれるの、君は」
俺はもうとっくの昔に気がついてるって言うのに、君ばっかり目を逸らしててずるいよ。
画面の向こうで彼女が一つ寝返りを打った。画質が微妙なカメラ越しでも分かる、つややかな髪の毛が肩から零れる。ああ、いつかあれを直接触れることが出来る日が来るといいな。頬杖をついている肘が痛い。下手をすると朝までこうしていてしまう。そろそろ寝なくちゃ。
「おやすみ」
ベッド脇にあるぬいぐるみに声をかけた。確実に音は入っているだろうけど、寝る前にぬいぐるみに声をかけるようなやつだと思っていればいいよ。俺が君に向かって声をかけていることに、いつまでも気づかずに笑っていてくれれば、それで。
すれ違うはなし。
2020.6.3