星空を数えて


気だるさを含んだ動作で見上げた濃紺の夜空では、美しい輝きを湛えた星々が煌めく。どこからともなくやってくる気まぐれな冷風は、私の体温をいくらか下げてはまた過ぎ去っていった。
最近、上手く眠ることができない。
ベッドに入ってから眠るまでに時間がかかるな、とふと感じたのが六日前。夜更けにこうして寝床から抜け出し、暇な時間を潰すようにベランダで物思いに耽るようになったのが、三日前。原因はよく分からないのだが、何故だか寝れない。眠いとは思っているのに、意識の幕が上がったまま一向に降りてきてくれないのだ。
暗い暗い夜空を見つめて、細く長い息を吐き出す。最近の昼間は暑いくらいだが、やっぱり夜はまだ肌寒い。寝間着が半袖なせいでさらけ出された二の腕は、薄く泡立っていた。今日もまた、空が白み出すまでここにぼうっと突っ立っているのだろうか。まあそれも悪くないかもしれない。私の気の所為かもしれないが、寝なかった日の翌日の思考は、不思議と澄み渡っているのだ。一周回って、というやつだろうか。
手持ち無沙汰に擦り合わせた指先は少しかさついていて、自分の体調が良好ではないことが容易に想像出来る。でも、睡眠導入剤とかは出来れば使いたくはない。なんというか、体に悪そうで。こんな事を、今この瞬間も自分の体を傷つけ続けている身で考えるのは、阿呆らしいだろうか。

「ねえ」
「うわっ?!」

背後から突然聞こえた声に、肩が震えた。恐る恐る振り返ると、想像通りの人物。私が驚きの余り出してしまった大きな声を諌めるように、しぃ、と控えめに息を吐く黛くんが立っていた。彼の後ろで夜風に押されて、ふわりと踊るカーテン。窓を開けたままベランダに突っ立っていたのが災いした。こんな背後に近寄られるまで気づけないなんて。

「こんな夜更けにどうしたの」
「いやなんか……寝れなくて」
「ふうん」

いつも通りの穏やかな表情でそれだけ言った黛くんは、そのまま私の隣に並んだ。二人で手すりに体重を預けて、夜空を眺める。黛くんは心配性で優しいから、夜更かししてたらいつもみたく何か言われるかと思ったけど、今日は何も言わない。それがまた少し怖くもあった。
そもそも、この三日間彼に見つからなかった事が奇跡であったのだ。一般人のそれと生活習慣が正反対になっている彼が起きている時間は、圧倒的に夜。最近は仕事に配信に、と忙しそうにしていたので、見つからなかったのはそのお陰だろうか。正直時間の問題だとは思っていたが、案外早かったな。
適当な星と星を繋げて実在しない星座を作りながら、横に並んだ黛くんをちらりと見やる。一言も発さない彼が怒っているのかいないのか、はたまた全く別のことを考えているのかすらもよく分からない。黛くんは私の前だとよく笑うけど、それ以上にポーカーフェイスが上手だ。

「怒られると思った?」
「えっ」
「変な顔してたから」

空を見上げた体制のまま、目線だけをこちらに向けた黛くんが、穏やかな口調で私に話しかけた。その内容は今まさに私が考えていたことで、黛くんに頭の中でも覗かれているのだろうか。

「怒られるっていうか……いつも、心配してくれるから」
「心配はしてるよ、いつも。今だってね。聞いてもいいのかな、って思って」
「あ〜……うん。別にそんな、大層な理由じゃないし」

お茶を濁すように曖昧に笑う私。どうもこういう雰囲気は苦手だ。黛くんは私のことを精一杯心配してくれて、大切にしてくれるけど、いつまで経ってもくすぐったい。彼から向けられる嘘偽りのない明らかな親愛の情が、むず痒くて甘酸っぱくて切ないのだ。

「よく分かんないんだけど、最近寝れないの。そんだけ!」
「そっか。いつから?」
「一週間前くらい、かなぁ」

緩やかに時間が流れていく。いつだかに買った何かの花のつぼみが、風に吹かれて揺れていた。興味本意で植えてみたら、いつの間にか発芽していたやつだ。新品だったはずの植木鉢には細かい土がこびりついていて、すっかりうちのベランダの古参となっていた。たまに黛くんが水をやってくれているらしい。だから芽が生えたんだろうな。花の色は青色だといい。黛くんの色だし。

「ねえ、こっち向いて」
「え?な、なに」
「あの星見える?」
「……あれ?」
「そう」

透明になっていた私の意識を、黛くんが引っ張りあげる。あの星、と言って彼が指差したのは、星たちの中でも一際目立っている一等星、スピカというらしかった。そこから始まって、なぜか黛くんが次々と星座の名前を唱え出す。あれはおとめ座、あれはてんびん座、あれはしし座。他にも色々。黛くんの細い指先が次々と星を告げては、名前がついていく。ただただ不規則に、それぞれが自己主張をするように煌めいていただけの星空が、次第に意味のあるものに見えてきて、とても素敵だと思った。

「黛くんよく知ってるね」
「施設でさ、星が綺麗な夜とかに天体鑑賞したりするんだよね」

優しげに笑った黛くんに復習してみせるように、教えてもらった星座の名前を並べる。一等星のスピカを目印にして、おとめ座、てんびん座、しし座。全部当たっていたようで、黛くんは小さく拍手をした。小さい子に対しての反応のようだが、なかなかどうして居心地がいい。久しぶりに無意識に口角が上がった。

「……寝れないの、忘れられた?」
「え?……あ」
「その事ばっかり考えてるから悪化するのかなって思ってさ」

それに、これでもしまた君が夜更かししても、星座の名前を思い出して遊べるでしょ?
茶目っ気を含んだ声でそう言った黛くんのふんわりとした笑顔が、瞼の裏にこびりついて離れなかった。私はきっとまたこの笑顔を思い出すんだろうなと、そう思うほどだった。

「さ、じゃあ今日はもう一回ベッドに戻ってじっとしててみない?俺もちょうど寝るところだしさ」
「うん、そうする」
「いい子」

黛くんがするりと私の頬をなぞる。そしてわざわざ長い袖から手を出して、指先を絡めた。夜風で冷えた体にじんわりとした体温が伝わって、そのまま軽く手を引かれる。この三日間で見慣れてしまった星空に別れを告げて、ベランダの敷居をまたいだ。久しぶりにいい夢が見れそうだと、弾む心で考えながら。

楽しみを教わるはなし。
2020.6.21