いつもいつでも君のため


「ねえ」
「うわあ!」

後ろから突然かけられた声のせいで、自分でも大袈裟だと思うくらいに肩が跳ね上がった。持っていたスマートフォンを取り落としかけて、わたわたと手元を動かす。それを見て後ろにいる黛くんが少し笑った気配を感じた。失礼。

「配信お疲れ様です」
「うん、それはありがとう。でも今何時か知ってる?」
「え〜と、十二時!」
「何もあってないね。俺とのタイムラグが酷いよ」
「あれ、おかしいな……」

黛くんにおちゃらけた返事を返すも、マジレスされて終わった。でも、私の現実を見たくない気持ちも分かって欲しかった。世間は四連休だなんだと騒いでいるのに、私は仕事。それも四日全部ね。決まった時は上司をどう絞め殺そうか悩んだものだったけど、結局諦めたから私は明日、いやもう今日か、今日から出勤である。無理。

「もう良い子は寝る時間だよ」
「良い子の寝る時間とっくに通り越してるよ」
「口答えしない」
「わむっ」

黛くんの言葉と共に、目の前が暗くなって前髪をくしゃくしゃに撫でられる感覚。悪い子におしおき的なニュアンスかもしれないけど、むしろご褒美じゃないのかな、これ。確かにいつもよりなんとなく手つきが粗雑ではあるけど、それでもやっぱり優しい方だ。

「でも仕事行きたくない……寝て起きたら行かなきゃいけないじゃん……」
「残念ながら毎日が日曜日な俺には名前の気持ちは分からないけど」
「いいなぁ……」
「でも、名前が寝不足のせいで俺の見てない所で倒れでもしたらすごく嫌かな」

黛くんの言葉に息が詰まった。こういう、なんか、なんて言えば私が黙るのか知ってる黛くん、すごい上手な感じがしてすごく嫌だけどすごく好き。感情に挟まれてなんとも言えない顔になっている私を見て、黛くんの口元が少し緩んだ。

「なんて顔してんの」
「いやなんか……葛藤してる……」
「全然分かんないけど、寝る気になった?」
「……多少」
「あ、多少なんだ」

このまま黛くんに素直に従うのもなんだか癪で、ずっと身を沈めていたソファに顔を埋めた。子供っぽすぎる言動でどうかと思うけど、深夜テンションというやつで許して欲しい。数秒経って、頭の上で大きな大きなため息が聞こえる。次いで、ぽむ、と柔らかな音と共に髪の毛を梳き始めた黛くんの手のひらの感覚。なんか、胸の奥の方がむずむずする。

「ねえ、きつくなっちゃうのは昼間の君なんだよ。分かってくれる?」
「……分かってくれる」
「よし、布団行こうか」

黛くんが施設の子供たちに話しかける時とおんなじ、柔らかくて言い聞かせるみたいな声音で話しかけられたら、もうだめだ。最初からそうしてればよかったのに最後の最後でやってくる辺り、黛くんもこの攻防戦とか、私のわがままを楽しんでいたのかもしれない。いや、それは私の都合のいい解釈かも。

「明日絶対起きらんない……」
「起こしてあげるよ」
「黛くんだってそんな寝起き良くなかったよね?」
「……十パーセントくらいの確率で」
「もうだめだ……」

黛くんの暖かい手に寝室まで導かれながら、遅刻の言い訳を考える。ありきたりなものか有り得ないものしか浮かばない私の脳みそは早々に悲鳴をあげて、もう何も考えないで眠ることにした。ふかふかの布団に身を投げると、黛くんがその上から毛布をかけてくれて、その温かさのせいであっという間に瞼が下がり始める。しかも、湯たんぽみたいな黛くんが隣に寄り添ってきたから、もう眠気を抑えることは不可能に近かった。ゆらゆらとくぐもる意識の中で、黛くんの体温を一層感じた気がする。明日の自分が無事に起きてくれることを切に願いながら、暖かい暗闇に意識を飛ばした。

説き伏せられるはなし。
2020.7.24