いつもと同じ違うきみ
「ね、ねえ黛くん?」
「なあに」
「酔ってるよね?」
「よってないよ」
どうしてこうなったんだろう。事の始まりは確か、たった数時間前。久しぶりに黛くんの部屋に泊めてもらえることになったから、二人でコンビニに買い出しに来ていたのだ。そしたら黛くんが「久しぶりに、どう?」なんて言いながらワインのボトルを掲げてたから、楽しくなって四本も買ってしまった。あれがいけなかった。
夜になって二人で乾杯して、くいくいと呑み始めた時。黛くんいつもより呑むの早いな、とは思っていた。明らかに一杯を飲み干すスピードが違うんだもの。でも黛くんはしっかり者だし、ちゃんとペース配分とかもしてるんだろうなと思って、放っておいたのだ。そしたら、一時間も経ってないのにでろでろになっちゃった。どういうこと。
「ちょっと」
「わ、ま、黛くん?どうしたの?」
「なに考えてるの、おれのことかまってよ」
ぺたり、と頬に黛くんの手が添えられる。じわじわと伝わる体温に、長々と回想していた脳みそがぴたっと止まった。……黛くんって、こんな言動する人だっけ。
いつもの低くて平坦な声の面影も多少残ってはいるが、全然違う。声の調子がちょっと高いし抑揚もついてて、なんか可愛い。口も回ってなくて若干舌っ足らずになってるし。それに眠いのかな、目がとろんとしてて体温が高い。添えられた手も暖かくて、黛くんの手が熱いのか私の頬が熱いのか、もうよく分からなかった。
「黛くん、お水飲もう」
「なんで?」
「だ、だって、酔うにしても早すぎるよ!一回落ち着かない?」
「……やだ。それじゃ、意味ない」
ふい、と明後日の方向を向いて、歯切れ悪そうに断った黛くん。なんだそれかわいい。ともあれ、意味無いってどういうことだろう。私がぽかんとして動きを止めてしまっていた間に、机の向かい側にいた黛くんがずりずりと隣に移動してきた。
何するのかと思ったら、いきなり頬を両手で包まれて、顔を引き寄せられる 。こつん、と私のおでこと黛くんのおでこが軽くぶつかった。は、と酒気の交じった黛くんの呼吸が近くで聞こえて、くすぐったい。
「おれね、多分あまえるのほかの人よりへたくそなんだよね。でも、さいきん名前と会えなくてさみしくて、でもなんもない状態で君にあまえるのもはずかしくて……。お酒のちから、かりちゃった」
へへ、と唇を横に引いて、いつもと全く違う笑い方をする黛くん。まるで子供がいたずらを成功させた時みたいな、そんな素敵な笑い方。この近距離で見せて頂くには、些か心臓に悪すぎた。
「黛くん、ずるいそれ……」
「しってる」
たまらず黛くんから距離を取って、両手で顔を覆う。それでも黛くんはもう一度距離を詰めて、今度は私を包み込むように後ろから抱き締めてきた。心臓がうるさい。今すぐ離れてくれないと、きっと聞こえてしまうくらい。
「は、はなれて」
「なんで、やだ。おれ今怖いものなしだから。今のうちに名前といちゃついとく」
私の訴えも虚しく、さらに隙間を埋めるようにきつく抱き締めてくる黛くん。こてん、と私の肩に彼の顎がのっかる感覚がして。悩ましげな黛くんの呼吸が耳たぶを掠めて、得も言われぬ気持ちになった。
「ね、手つなご」
「まって……。心の準備が」
「またない」
今日の黛くん、無慈悲だ。宣言通り取られてしまった両手は、指先一本ずつ丁寧に絡められて、恋人繋ぎに収められる。感触を確かめるように数回にぎにぎする黛くん。
「名前の手、ちっちゃくてかわいい」
「……」
「なんかいってよ」
「いえない……」
何だこの状況、恥ずかしすぎる。唯一の顔を隠す手段だった両手を絡め取られ、今の私は真っ赤な顔を惜しげもなく晒すしか無かった。黙り込む私。しかし、黛くんはそれがお気に召さなかったようで。
視界の端で不服そうに口を尖らせた黛くんは、そのまま肩口から私の顔を覗き込んで、頬に二回、キスを落とした。可愛らしく鳴ったリップ音に、ばくばくと心臓が高鳴る。まじでこのままだと破裂する。
「いじわるしないでよ」
「いじわるなの黛くんじゃん……」
「そうかな。いじわるなおれ、きらい?」
「嫌い……じゃないけど……」
「じゃないけど?」
うっ。言葉に詰まった。黛くんが言わせようとしている言葉は分かっている。むしろ、分かりすぎて困る。でもこの状況でそんな事を言えるほど、私の心臓は強靭ではないのだ。しかしこのまま黙っていても、また黛くんに『いじわる』される気がして。
結局私は、一度ゆっくりと息を吸って、吐いて、覚悟を決めて、彼のお望み通りの言葉を口にした。
「すき、です」
たった四文字、されど四文字。これ言うのには五秒もかかっていないはずなのに、なんだかとても長く感じられた。恥ずかしくてたまらない。できるだけ黛くんから距離を取れるように、俯いた。しかしこんな抵抗をものともせず、いじわるな黛くんは私にとどめを刺してくるのだ。耳元に吐息がかかって、空気が震える。
「ぼくもね、すきだよ。名前のこと」
背筋がぞわぞわと震えた。思わず少し飛び跳ねた私を黛くんは面白そうに笑って、絡め取っていた両手を離し、代わりに腰をぎゅっと抱き締めて、そのまま倒れ込むように二人で寝転がった。
「ま、黛くん?」
声をかけても、返事はない。なんとなしに耳を澄ますと、すぅすぅと柔らかな寝息が聞こえた。
どうやら黛くんは、私を弄ぶだけ弄んで自分はぱたっと寝落ちしてしまったらしい。しかも、抱き締められた腕がそのままなせいで抜け出すこともできない。
「……はぁ」
ひとつため息をこぼす。黛くんが寝てしまったせいでとりあえず何かされる心配もなくなり、心を整理する余裕が出来た。
今日の黛くん、すっごく可愛かったけどすっごく心臓に悪かったから、次は普通に甘えて欲しい、かな。
小さな声で絶対に届かない願いをぼそぼそと呟く。そしてもう一度深呼吸をして、そっと黛くんに寄り添って、ゆっくりと瞼を閉じた。
酔っ払うはなし。
2020.6.27