愛されていたのだ
一人布団の中で丸まり、小さく息を吐き出した。深夜三時すぎ。気分はどちらかといえば、良くない。元々なんでもないことで落ち込むことが多かった私は、今も些細なことで落ち込んで、漠然と何もかも投げ出してしまいたい気分になっている。もちろんそんなこと出来やしないと頭では分かっているが、今この状態において、私は確かに何もしたくないのだ。恐らく、いつもの様に簡単なことをきっかけに本調子に戻るんだろう。でも、今辛いんだ。今苦しいのには、変わりない。助けが欲しい。そう願っても今は一人。彼氏である不破くんも、仕事中でいつ帰ってくるか分からない。仕事を頑張っている不破くんに文句は一切ないが、こういう時に夜中一緒にいられないのは少し不便だな、と薄く感じた。気を紛らわせようと見慣れたタイムラインを更新されなくとも下に引っ張り続けて、ぴったり五回目の時。がちゃり。気を使いながら玄関の扉が開かれた音が聞こえた。思わず上体を起こす。……もしかして、帰ってきた?音を立てないようにそっとベッドから降りて玄関を覗き込むと、靴を脱いでいる不破くんの姿。ほんとに帰ってきてくれたんだ。嬉しい気持ちと同時に、少し心配の気持ちが湧いた。なぜって、不破くんの眉間にしわが寄っていて、今までに見た事ないくらい疲れた顔をしていたから。
「……不破くん?」
「えっ、えっ、起きてたの?!」
恐る恐る声をかけると、ぱっとこちらを向いて驚いたように目を見開いた不破くん。そして靴も鞄も放り出して、私に駆け寄った。その顔にさっきまでの疲労の色はなくて、いつもの目尻を下げた優しい笑い方をする不破くんがいた。
「ただいま!なんで起きてたの?寝れなかった?それとも俺が起こしちゃったかな?」
「あ、おかえり。えっと……。ちょっと、寝れなかったから」
咄嗟のことで嘘もつけず、本当のことを言ってしまった。これでは不破くんに心配をかけてしまう。不破くんも疲れた顔をしていたのに、本当は彼女である私が不破くんを気遣わないといけないのに。不破くんはいつだって優しいから、私が弱音をこぼしたら、すぐに助けてくれちゃうのだ。いつまでもこんなんだと、不破くんに振られちゃうかもしれない。そうだ、不破くんに振られてしまう。不破くんはお仕事の場で私より数段綺麗で魅力的な女性と接する事も多いだろうし、今もなんで付き合ってくれているのか分からない。けど、不破くんに振られるのは嫌だ。元々の落ち込みと今の不安が合わさって、心がざわざわと波打った。何故だか鼻の奥がつんとしてきて、視界がぼやける。いけない、泣いてしまう。咄嗟に下を向いた。
「どうした?大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
大丈夫とか言ったくせに、全然大丈夫じゃない声が出た。震えていて、うわずりそうで、あからさまに泣きそうです、みたいな。嫌だ、嫌だ、不破くんに迷惑かけちゃう、嫌われちゃう。
「ごめんね、ちょっと失礼。……も〜、なんで泣いてるの〜!」
不破くんが一言断って、私の顔を覗き込んだ。謝る必要なんてないのに。謝るのは私の方なのに。
「ごめん……いきなり泣いてごめん……めんどくさい彼女でごめん……」
「そんな謝らないでよ〜!とりあえずほら、こっちおいで」
感情が抑えきれなくなって、ついにしゃくりあげ始めてしまった私。不破くんはそんな私に呆れもせず、明るい声と優しい笑顔で、私の手を引っ張ってリビングのソファに座らせた。情けなくて嫌になる。こんなんじゃ彼女失格だ。不破くんと、全然釣り合ってない。
「ほらほら、泣かないで〜?名前が泣いてると俺も悲しくなっちゃうな〜」
遅れてソファに座った不破くんが私を抱き寄せた。不破くんの腕にぎゅっと包み込まれて、後頭部を優しく撫でられる。泣きやもうとしているのに、不破くんの優しさにまた涙が出た。
「ごめん……」
「ね〜ぇっ、俺もうごめんは聞きたくないな〜?」
「だって、他に、思いつかなくて……。不破くんに、嫌われちゃうから……」
「え〜そんなこと思われてたの!俺絶対名前のこと嫌いになんてならないんだけどな〜」
不破くんの声の調子が一瞬弾んだ。予想外だったのだろうか。それなら私は本当に、不破くんに嫌われることはないんだろうか。
「こんなめんどくさい事したら、不破くんも嫌になるでしょ……?」
「そんなことないって!そういう所も含めて全部好きだよ、ほんとに」
存在が好きだから!なんて楽しそうな声が頭上から聞こえて、思わず少しだけ笑ってしまった。不破くんって人を楽しくさせるのが本当に上手い、尊敬する。
「あっ、笑った〜!今の面白かった?元気出た?」
「……うん」
「よかった!じゃあさ、お願いなんだけど……。好きって言って?」
不破くんの発言を聞いて、思わず目を見開いた。好きって言って?なんで?全く状況が掴めないが、私の目を真っ直ぐに見つめてくる不破くんの視線が、私のことを急かしているような気がして、口を開く。
「えっと……不破くんのこと、すきです」
「……ありがと、俺も名前のこと好きだよ」
へへ、と笑う不破くん。その満足そうな顔を見て、なんだか少し嬉しくなった。私が不破くんを好きって言うことで、不破くんが少しでも満たされるのなら。それってすごく、いいことだ。
「俺さあ、今帰ってきた時ちょっと疲れてたんだけど……。今の名前の言葉で全部吹っ飛んだ!ありがとね」
そんな、お礼を言うのは私の方なのに。やっぱり疲れていたらしい不破くんに帰宅早々こんなことをさせてしまって本当に申し訳ないことをしてしまった。
「あっ、今疲れてたのに慰めてもらっちゃって悪いな〜、って思ってたでしょ!全然悪くないからね!俺名前と話してて楽しくないことなんてないし、疲れたなんて思う時ないから!」
俺、名前が思ってる以上に名前のこと大好きだよ、なんて、優しい笑顔で言われたら。信用しないわけ、ないと思う。不破くんのとろけるような笑みには、底知れぬ魔力がある。全てをそうと信じさせて、得も言われぬ幸福感を感じられる。魔性の笑顔、ってやつなのかな。
「……ありがとう」
「やっとお礼言ってくれた!ごめんねばっかりでいつ言ってくれるかと思ったよ〜。今度からはありがとうっていっぱい言ってね?」
「うん、ありがとう。不破くん」
「俺もありがとう!大好きだよ〜!」
楽しそうに笑って、腕の力を強めた不破くん。それがなんだか求められているようで、不破くんが私で満たされているようで。その時やっと気づいたのだ。ああ、私はとっくに、不破くんに。
めんどくさい彼女のはなし。
2020.3.9