ふわふわたいむ
暖かくて柔らくて真っ暗で、右も左も分からないへんな空間。目を閉じても開いても光の量は変わらなくて、どこまでも続く墨色。少し怖くて、ぎゅっと眉間に力が入る。その瞬間、ぐいぐいと眉間をさすられる感覚。と同時に、真っ暗だった空間に薄ぼんやりとした光が差し込んだ。
「あ、起こしちゃった?ごめんね〜……」
ゆるゆると開いた瞼。起きたばかりで不明瞭な視界の先には、橙色の光を頼りなく灯す豆電球に照らされて笑う、不破くんの姿があった。……今の真っ暗なところ、夢だったのか。
やわやわと私の頬を撫でる不破くん。どうやらさっき私の眉間をさすったのは不破くんだったらしい。視線だけ動かして壁にかかっている時計を見ると、長針は零、短針は三。午前三時。今日も不破くんは遅い帰宅だ。おつかれさま。
「おかえり……」
「うん、ただいまぁ」
「なんか用でもあった……?」
「いや、用はなかったけど……。また名前が顔しかめながら寝てたから、大丈夫かな〜って思って」
直るかな〜って思ってさわさわしてたら起こしちゃった、なんて言いながら眉を下げて笑う不破くん。う〜ん、またやっちゃったか。私はどうやら寝ている間に無意識に眉間にしわが寄ってしまうらしく、帰宅してよく私の寝顔を眺めている不破くんにいつも心配される。さっきの悪夢じみたものは初めて見たからそれとは関係ない、と思う。
「ごめんね〜ほんとに、起こしちゃって。寝てていいよ?」
「いや……ちょっとへんな夢見てたから、起こしてくれてありがとう」
「あ、ほんとに?ならよかった!」
ベッドに横になったまま話している私と視線を合わせるように、しゃがみこんで首を傾げ、マットレスに頬をつけた不破くん。顔が近い。顔がいい。一気に目が覚めた。
ぴたりと固まってしまった私をじいっと見つめてくる不破くん。アメジストみたいにきらきらと輝く紫色の瞳から発せられる視線は熱っぽくて、なんとなく逸らせない。息を詰めて押し黙ってしまった私に、不破くんがふと笑った。へにゃっとチョコレートが溶かされるみたいな、甘くて柔らかい笑み。
「ねぇ、頭撫でて」
「え……?」
「いいからいいから〜」
「あ、うん……」
掛け布団から腕を伸ばして、いつもより遥かに低い位置にある不破くんの頭をよしよしと撫でる。銀髪とメッシュが揺れて、嬉しそうな笑い声が聞こえた。なんだか小さい子を相手にしているみたいで楽しい。
わしゃわしゃと髪の毛をかき混ぜるように撫でてやると、セットされた髪型が崩れていく。「やめてよお」なんて満更でもなさそうな声で言うから、思わず笑みが零れた。くすくすと隠すこともなく笑っていると、不意に撫でていた手を不破くんが優しく掴んだ。そのまま誘導されて、私の手は不破くんのほっぺたへ。目を瞑って私の手に擦り寄る不破くんは、本当に小さい男の子みたいだ。
「ねぇねぇ」
「ん〜?」
「おれ、このままここで寝ていい?」
「えっ、いっ、だめ」
危ない、めちゃめちゃ上目遣いで言われたから許可しかけてしまった。普通にだめだ。だって不破くんはまだ着替えてすらいない。上着は脱いでいるものの、仕事着のままの不破くんは若干アルコールくさい。気になるほどじゃないし、消臭スプレーとかも使ってくれているみたいだけど、明日起きたら困るのは不破くんだ。ちゃんと色々と済ませてから寝てもらわないと。
「え〜!……だめ?」
「だめなものはだめ〜。……そんな上目遣いしてもだめ!」
「え〜……」
「私も手伝うからさ、ほら立って〜」
「やだ〜!」
やだやだ、と駄々をこねながら上体を起こしてベッドから出ようとした私に抱きついた不破くん。ぎゅう、と両腕で囲いこまれてどうにも動けない。少し暴れてみたものの、不破くんの腕の力が強まるだけで。
「不破くん、離してよ」
「ふわっち今日もう疲れた」
「今日もほんとに遅くまでお疲れ様、お風呂だけ入んない?」
「……名前が言うならはいる……」
私の肩に顔を押し付けて動かなくなってしまった不破くんの背中をぽんぽんと叩く。そのまま労いの言葉をかけてあげると、不破くんはしぶしぶと言ったように返事をした。
緩くなっていた不破くんの腕の力が一瞬だけ強まる。ぎゅうっと私を抱きしめて、ぱっと離した。
「よし!充電できたから俺風呂入ってくる!」
「行ってらっしゃい。ご飯あっためとこうか?」
「ん〜ん、いい!名前は寝てて。俺ちょっぱやで風呂あがって今日はここで寝る」
「あ、そう……」
君と一緒に寝るの久しぶりだから嬉しいな〜、と見るからにるんるんな不破くん。さっきまでちょっとお疲れモードじゃなかった?切り替え早いな。
「じゃ、行ってくるね〜」
「うん」
「……あ待って、わすれもの」
「…………んむ、……え?」
……早すぎてまともに反応も出来なかったけど、今のは気の所為じゃない。忘れ物、と言って不破くんが私の唇の端にキスをした。ふに、と少しだけ触れるような淡いキス。目を閉じる暇もなくて、唇が触れ合った瞬間に伏せられた不破くんの繊細なまつ毛が、目に焼き付いて離れない。
ようやっと状況に追いついた私が口を抑えて固まっている間に、不破くんはとっとと風呂場に行ってしまったようだ。からから、と引き戸を閉める音が聞こえる。一方私は、今から寝るなんて到底出来そうもなかった。唇の感触と、不破くんの残り香と。彼が残していった痕跡は、私の目を冴えさせるのには十分すぎた。思わず枕に顔を埋める。
……だめだ、今日はもう寝れないかもしれない。
ふわふわするはなし。
2020.4.16