長尾くんさあ
「長尾くんさあ」
「景でいーって」
「長尾くんさあ」
「……なに?」
あ、答えてくれるんだ。
こいつは長尾景。私の同期。私より先に出世したせいで私より偉い。優秀な祓魔師。……で、あと三日後に私を置いて異世界に行く薄情者。
「なんだっけ、どっか行っちゃうんでしょ?」
「あ、その話?そ〜そ〜、藤士郎と晴とさ〜明後日出発すんの!楽しみなんだよな〜」
無邪気な顔で笑う長尾くん。こっちの気持ちも知らないで、呑気なこった。そもそも、私はこの事実を今日知ったのだ。長尾くんの部下の子と街でばったり会って世間話の中で、さも当然のように話題に出されて死ぬほどびっくりした。部下の子に問い詰めたらやらかした、みたいな顔されたしさあ。もしかして口止めしてたの?
「……なんで教えてくんなかったのさ」
「え?」
思わず零れた胸の内。どうやら声が小さすぎて長尾くんには聞こえなかったらしいけど、なんとなく言わされそうな雰囲気だ。眉間にきゅっと皺が寄せた長尾くん。綺麗な顔の人がやるとちょっと怖い。
「名前、なんか今日変じゃない?だいじょぶ?」
「……あ〜、大丈夫大丈夫!普通じゃん?」
「どう見ても普通じゃないだろ!……なんかあるんなら今のうちに言ってよ、俺も向こう行っちゃうんだし」
心配そうに私の頭に手を置いて二度ほど往復させた長尾くん。こいつはお互い新人だった頃から私の頭をよく撫でてきた。身長差がちょうどいいからか、こいつの性格ゆえかは不明だが。
二人の行動はいつも通り。いつも通りなはずなのに、何も言わずにおいてけぼりにされそうになったことが思ったより心にきていたようで。
「長尾くんのせいじゃあん……」
「えっ?!ちょ、え」
滲む視界、震える声、つんと痛い鼻。ぽろぽろととめどなく溢れる、透明で暖かい雫。情緒不安定か。なんで同期がいなくなるくらいで泣いてんだろうなあ、いや泣くか、好きなんだもんなあ。次から次へと溢れ出る涙を抑えるために子供みたいに両手で目を擦っていたら、両手首を掴まれた。
「擦っちゃだめじゃん、赤くなる!」
「よくいうよ……」
「待って、ハンカチある、藤士郎がくれた」
そんなことを言いながらポケットから少し皺の着いた上等そうなハンカチを取りだした長尾くん。ぽふぽふと私の目元に当てて涙を吸い取ってくれる。慣れていないのか少し雑だが、それでも気遣いが嬉しかった。
「……ありがと」
「落ち着いた?」
「まあまあ」
「で、えっと……。なんで俺のせいなのか、聞いてもいい?」
……ポンコツめ。少し目線を下げて気まずそうにこちらを伺ってくるこの男は、少しは何かに気づいたりしないんだろうか。いやでも、気づかないからずっとこの関係だったんだもんなあ。
「……長尾くんが」
「うん」
「長尾くんが、私になんも言わないで勝手にどっか行こうとするから……」
勝手にってなんだ、めんどくさい彼女か私は。そもそも彼からしたら私なんか、ただのほんのちょっぴり他より仲がいい仕事仲間でしかない。こんなこと言われたら混乱するだろうな。
言ってしまった後に長尾くんの反応が怖くなって、下げた視線が上がることはなかった。視界の中心でゆらゆらと揺蕩う長尾くんの横髪。なんでこんなにさらさらのつやつやなんだろう、長尾くんがお手入れできるとは思えないし、弦月さんがなんかやってあげてんのかなあ。
どのくらいそうしていただろうか。たった五秒だったかもしれないし、もしかしたら五分だったかもしれない。そのくらい長くて短くて、不確実でふらふらとした気持ちだった。……だめだなあ、もう行かなきゃ。こんなことして長尾くんを引き止めても時間の無駄だ。長尾くんは行っちゃうし、私はただの仕事仲間。そう割り切って生きていかなきゃ。
「ながおく、」
「まっ、て!」
「うぇ」
絶妙に女らしくない呻き声が出てしまった。最後まで長尾くんの顔を見れずにそのまま去ろうとしたら、肩をがしっと掴まれて、発言を阻まれる。なんだって言うんだよ、私これから家帰ってヤケ酒する予定なのに、さ、え?
「そ、れってさあ……」
「え、ちょ、長尾くん?」
肩まで掴まれちゃあ長尾くんの方を見るしかない。でも、びっくりした。瞼を持ち上げた先には、それこそゆでダコと形容するのが一番相応しいであろう長尾くんがいた。顔も首も両耳も、ぜ〜んぶ真っ赤。肌が白いから余計に目立つ。私の肩を掴んで、はくはくと口を動かす長尾くん。力んでいるのか何なのか、じわじわと顔が近づいてきて非常に心臓に悪い。いやまじで近い近い近い。初恋拗らせてた私にとってこの距離は些か事案すぎる。
「……俺、馬鹿だから勘違いしちゃうよ」
……えっ。まさかこのポンコツ男からそんな少女漫画じみたセリフが飛び出してくるとは思わなかった。でも、長尾くんの顔は真剣で、私の肩を掴む手の力も全く弱まらなくて。
「……すればいいじゃん」
こう、答えるしかないと思った。少なくとも中学生の頃に読んだ少女漫画のヒロインはこう返していた。長尾くんと私が同じ気持ちであればいいと、一縷の願いを込めて。
「っ〜……!ごめん!!」
「だ、うわぁ?!」
肩を掴んでいた長尾くんの両手が離されたと思ったら、思い切り抱きしめられた。三秒ほど固まった後、ようやっと思考が動き出す。おかしい、おかしいってこの状況。なんで私は長尾くんに抱きしめられた?あと心臓がうるさい。
痛いくらいの力でぎゅうぎゅうと私を抱きしめて離してくれない長尾くん。いや離してって言ってないんだから当然だけど。長尾くんがごめん、と言いながら私を抱きしめたってことは、勘違い、してくれたってことでいいんだろうか。
「……俺、名前のことなんも考えてなかったね」
「いつも頭回ってないじゃん」
「うっ、そうだけど……!でも、ちょっと待ってて、俺頑張るから!」
「は……?」
俺頑張るから、と言いながら私を解放し、じゃ〜な!また会いに来るから!なんて叫びながらどこかに走り去って行った長尾くん。……嵐みたいなやつだな、ほんとに。にしても、頑張るって何を?
そんな風に呑気に思っていた私の元に、翌日「お前も一緒に向こう行っていいことになった!」なんて最大級の土産話を持って会いに来た長尾くんに、私がぶっ倒れそうになったのは、まあ別の話。
お別れは遠かったはなし。
2020.4.7