じゅーでん中。


かたかたかたかた。この音、かれこれ三時間は聞いている気がする。タイピングをする手を止めずにデスクトップの右下を確認すると、現在の時刻はなんと午前三時。むかつく上司にむりやり任された多すぎる仕事。単調な入力作業だけど、如何せん量が多すぎる。明日中にね、とか言われて職場で倒れるかと思った。でも社畜の意地で終わらせてやる、と思ってわざわざ持ち帰ってきたのが、たしか十二時頃。そんな感じの経緯で、私の両手は今夜もくるくる働いている。ほんともうやだなあ、仕事辞めたいなあ。でも辞めたら生活できないしなあ。もう何万回と繰り返したお馴染みの問答を脳内でつらつらと並べ立てている最中、背後でかちゃりと金属音が。

「……お疲れ様。捗ってる?」
「あ、黛くん……。うん、まあまあ」

きい、と蝶番が鳴いたのと同時に現れたのは黛くん。普段通りの袖の長い服、真っ白な肌、ぱっちり二重で一見無感情な瞳。私の答えにそれなら良かった、と返す黛くんの口角が少し上がったのを見て、疲れが八割ほど吹っ飛んだ。黛くん見てるだけで体力全回復しそうな感じあるなあ。

「これ、差し入れ」
「あ、ココア……。ありがとう」

黛くんがこちらに差し出したのは、いつだかにお揃いで買った大きめのマグカップに入った、暖かそうなココア。両手で包み込むように受け取ると、冷えた体にじんわりと染みて、正直ちょっと泣きそうになった。

「黛くん、ほんとありがとう……。私頑張るね、早く終わらせる」
「うん、応援してる。頑張ってね」

椅子に座った私の頭を一撫でして、踵を返す黛くん。扉に向かって一歩だけ歩を進めた黛くんは、何故か突然ぴたりと止まった。

「……黛くん?」
「ねえ、迷惑じゃなかったらでいいんだけどさ……ここいてもいい?」

不思議に思って声をかけた私の方を振り返り、少しだけ気まずそうに左上の方に目線を逸らしながらそう告げた黛くん。……え〜〜可愛いんだけど……。

「別に全然、大丈夫だよ!」
「!……ありがと」

大丈夫だと伝えた途端、ぱっとこちらを見た黛くん。こころなしか嬉しそうで、本当に可愛い。こっちまで嬉しくなってきてしまう。そのままひょこひょこと歩いてきて、座布団に座ってパソコンに向かっていた私の隣に座り込んだ黛くん。いや思ったより近いな。でも頑張れそう。早く終わらせて寝よう。



─────



「終わった〜〜〜!!」

座ったまま拳を天井に突き上げてガッツポーズをとる私。隣でぽふぽふと手を叩く黛くん。あれから一時間と少し、私は晴れてすべての業務を終えることが出来た。途中で、やっぱり退屈になってしまったらしい黛くんが、私の髪の毛に無駄に凝った編み込みを施してきたり、元ネタはよく知らないけど意味わかんないくらい面白い声真似してきたり、色々と妨害はあったが無事に完遂した。私えらい。

「よく頑張ったね、もう五時だよ。朝日登りかけてる。今日休みでよかったね」
「いや……ほんとに……」
「えらいえらい」

机に突っ伏して喋る私の背中を労わるようにさすってくれる黛くん。優しさの塊でときめいちゃうんだけど。そのままうぐうぐと唸っていると、黛くんがさすっていた手を止めて、ぽんぽんと私を呼ぶように軽く背中を叩いた。顔をあげて黛くんと目を合わせる。

「ちょっと、ここおいで」

ここおいで、と言いながら黛くんが指し示していたのは、黛くんの足の間。びっくりしてぱちぱちと瞬きをすると、黛くんがふっと笑った。

「何その反応」
「いやなんか……びっくりした……」
「おいでよ」

黛くんに優しく手を引っ張られ、ぽすんと足の間に収まる。こんなにくっついたの割と久しぶりかも、なんて呑気に思っていたら、後ろからくるりと長い腕に抱きしめられて、思わず肩が跳ねた。

「嫌だった?」
「びっくりしただけ……」
「じゃ、いいや」

回された腕に力が込められて、密着度が高くなる。もともと体温が高めの黛くんとくっついてるのと、ちょっと恥ずかしいのとで体がぽかぽかしてきた。何も出来ずに固まっていると、右肩に突然重みが。どうやら黛くんが私の肩に顔を乗っけているらしい。それだけで心臓ばっくばくなのに、さらになんか、擦り寄ってきた。首元に顔を埋めた後、ほっぺとほっぺがくっつくくらい顔を寄せられて、恥ずかしい。

「黛くん、今日あまえんぼ……?」
「なんだろ、じゅーでん中、みたいな」
「なにそれ……」
「俺も名前が足りないし、名前も俺が足りてないと思うから」

いやなにそれ……。そんな可愛いこと言われると思ってなかった。確かにここ最近主に私が忙しかったせいで、黛くんとあんまり一緒にいられてなかったけど。それを鑑みても、ここまであまあまな面を見せてくる黛くん初めて見た。倒れそう。

「そうでしょ?」
「そうです……」
「ん、よかった」

もうここまでされると私には恥ずかしさと黛くんの可愛さに耐えながら顔を覆うことしか出来ない。まあでも、顔を覆おうとした手を黛くんに絡め取られたからそれすら叶わなかった訳だが。

「これいつまで……?」
「ん〜……俺が満足するまで、とかどう?」

疑問形ではあるけど、全く私にノーと言わせる気がない声だ。もうだめだ、逃げられない。終わった。機嫌良さそうに擦り寄ってくる黛くんを横目で見つつ、密かにため息をついた。
そのまま二人して寝てしまい、翌朝全身ばっきばきになっていたのは、まあ別の話。

構ってほしかったはなし。
2020.4.25