*舞手女夢主
クラマさんが、私を避けている。
そのことに気がついたのは、告白を決意したすぐ後のことだった。
ようやく全てにカタがつき、平穏を取り戻したアズマで自身の幸せに手を伸ばしてみようかと、踏ん切りが着いた矢先の出来事だ。
毎朝の習慣になった各里の見回り、住民たちが元気に過ごしているか、困り事はないかの挨拶回りや、その合間の畑いじり。急いでいるわけではないのに駆け回るのはもはや癖になっていて、そんなときに視界の端に見慣れた朱の羽織を見つけるだけで、私は一等幸せな気持ちになれた。
けれど最近はどうだろう。
姿が見えた、と思ったらいつの間にかいなくなっているし、不意打ちのように声をかけても、簡単な挨拶だけですぐに去っていってしまう。
避けられるようなことをした心当たりは、ないはずだった。むしろ、ついこの間までは、気持ちが通じあっているのではないかと勘違いしそうになるほど、クラマさんの眼差しや声色は優しかった。
共にいろは茶屋で甘味を味わったり、景色を楽しみながら何でもない道を連れ立って歩いたり、里の子供たちと本気でゲームを楽しんだり。花火大会だって、2人きりで行ったのだ。苦心して選んだ、緑の大きな花火の、美しいこと。
それらすべてが夢だったのではないかと疑うほど、今のクラマさんとの距離は遠かった。まるで、出会ってすぐの頃に戻ったかのようだった。
もしかして、気持ちが漏れ伝わってしまったのだろうか? そして、応えられないから、やんわり避けることで答えてくれているのだろうか。
あるいは、憎からず想ってくれていたけれど、心変わりしてしまった? 他に気になる人が?
考えども考えども答えは出ず、結局のところ、本人に聞くしかどうしようもなかった。もしそれが、間接的に振ってくれているクラマさんの優しさに泥を塗ることになってしまうとしても。直接聞かなければわからないし、納得ができないし、なにより、諦めることもできない。
私の長所と言えば、諦めが悪いところと、無理そうな壁でもとりあえずぶつかってみる頭の悪さくらいしかないのだ。
頭の悪さは、長所では、ないだろうけれど。
「クラマさん」
秋の里で、ぼんやりと長椅子に腰掛けているクラマさんに、後ろから声をかけた。
クラマさんがびくりと肩を震わせ、振り返る。
「あ、ああ……なんだ、お前か」
大柄なクラマさんを見下ろす機会はあまりなく、けれどそのつむじを楽しめるほどの余裕は今はなかった。
相変わらずクラマさんの声は硬く、目線はほんの短い間しか交わらず、その顔には気まずそうな表情が浮かべられている。
「あの……」
「…………」
言わなければ。聞かなければ。
あれだけ脳内でシュミレーションを重ねたのに、いざとなると言葉が何も出ない。なにを、どの順番で、話せばいいのか。
おそらくクラマさんと同じくらい気まずい顔をしている私に、クラマさんは小さく息をつき、長椅子の右側に腰をずらした。
「……まあ、なんだ、座れ」
「……はい」
しばらく無言が続いたあと、沈黙に耐えかねたのか、膝の上でぎゅっと手を握りしめる私にクラマさんの方が声を掛けた。
「何か、俺に……話すことがあって来たんじゃないのか?」
「はい……。はい、そうです」
「…………。心の準備はできている。聞こう」
その言葉に顔を上げると、翡翠の瞳がまっすぐに私を見つめていた。
目が合った途端、頭の中にぐちゃぐちゃと散らばっていた言葉が一瞬でどこかに散らばっていってしまって、突風の後の凪のように、頭の中が真っ白に静まり返った。
気付けば、無意識に、言葉が口から出ていた。
「好きです」
そう、それだけだった。
もうそれ以外のことはどうでもよくて、ただその一言を、その一言だけが、随分前から心の真ん中にあったのだ。
クラマさんは目を真ん丸に見開いて、私たち2人の間に、ふわっと風が流れた。
「な……、ちょ、っと待て。待て待て。聞き間違いか? 有り得ない言葉が聞こえたような気がしたんだが」
「クラマさんが好きです」
「はあ!? 主語までついた!? おかしいぞ、それは……、おかしいだろう! お前が好きなのは……いやそもそも俺は今、振られるつもりで……」
「えっ!? なんで私がクラマさんを振るんですか? 逆ならまだしも……」
「何故そうなる!?」
混乱したまま私たちは見つめ合って、そしてようやく、2人とも何らかの勘違いをしているということに気がついた。
「私は、ずっと、クラマさんのことが好きで……アズマのことが落ち着いたから、想いを伝えようと思ったんです。そしたらクラマさんが私を避けるので……嫌われてしまったのかと……」
「俺は……お前は記憶を取り戻りして、舞手としての使命を果たし、そして……元々の関係の、許嫁の、ところにいくのかと……」
許嫁?
すぐにスバルの顔が思い浮かぶ。
「許嫁って、スバルですか? 確かにスバルは幼馴染ですし、許嫁でしたけど……、今はもう許嫁ではないですよ」
「……そうなのか?」
「スバルとは、故郷を出るときに、もう二度と会うことはないという覚悟だったんです。あのまま故郷にいれば、確かに、結婚することになっていたかもしれないですけど……。でも、そうはならなかった。私は舞手になって、全てを失って、……それでまた、1つずつ、色んなものに、色んな人たちに出会っていった」
「…………」
「それで、スバルともまた、出会い直すことができた。……でもそれはもう、故郷にいた頃の私たちではないんです。世界の広さを知って、苦しさも美しさも知って、……だから、今でもスバルを家族のように大切に思っていますが、それは恋愛感情ではないです」
「…………」
「私が好きなのは、クラマさんだけです」
クラマさんは静かに私の話を聞いてくれていて、そしてしばらく、考え込むかのように黙り込んだ。
悩んでいる、というよりは、言葉を整理しているかのような面持ちだった。私は何も言わず、その口が開かれるのを待った。
興奮して話しこんだからか、ほどよい気候のはずなのに、首筋に汗がにじんでいるのを感じる。心臓がどくどくと脈打っていて、頬が熱く、耳がふわふわとして気持ちが悪い。
いよいよ緊張でどうにかなりそうだと思った頃、クラマさんが口を開いた。
「俺は、知ってのとおり、こんな性分で……人と関わり合うことを避けて、ずっと引きこもっていた。だが、お前がこの里にやってきて、俺の気持ちなどお構いなしに引っ掻き回し、挙句俺の手を引いて、いとも簡単に俺を外の世界に連れ出した」
「……はい」
「それからずっと、俺は……お前のことを、特別に想っていた。もしかしたらお前も、俺と同じ気持ちなのかもしれないと自惚れることもあった。だが……お前に許嫁がいたと知って、俺は……俺は、お前に記憶がない間の、束の間の、関係だったのだと……。本来帰るべき場所があるのなら、そちらの方がいいに決まっているだろうと。それがお前にとっても幸せなのだと思い、身を引かなければと、思っていたんだ」
「はい……」
「だが」
クラマさんがぎゅっと口を引き結んで、それから大きく息をついて、また吸って、まっすぐに私の方を見た。
「名前が好きだ。どうしても……好きだ。身を引くなんてできそうにもない。だから、お前が本当に、俺でいいと言ってくれるのなら……そばにいてほしい。これから先もずっと、誰よりも近くにいてほしい。……俺と、付き合ってくれないか」
ああ、何よりも。
その言葉が、その眼差しが、本当は何よりも欲しかったのだ。
「はい。……喜んで」
嬉しくて、笑顔と涙が同時に零れた。
「ああ……、泣くな、名前。すまなかった。それから……ありがとう」
クラマさんの大きな手が伸びてきて、私の涙を拭い、私はその胸に飛び込むようにして抱きついたのだった。
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- 落下地点より -