夏。オッタリー・セント・キャッチポール村のはずれにて。
 白い肌が赤く焼けている。陽の下で黒髪が揺れ、左の目尻の兄弟星ほくろが見え隠れする。「隠れ穴」の裏で息を潜めているのは、ぼくのただひとりの妹で――ぼくと違って今も生きている、カナだ。
 ひび割れたタイルのすきまから、もじゃもじゃの葉っぱが生えている。「隠れ穴」のこういうところが、カナは好きだった。そこに白くてかわいらしい花が咲いていたりなんかしたら、尚のこと気にいるだろう。
 グリズリー・グリーンの「がれきの城」だったら、きっと顔をしかめていただろうに。
 ぼくたちが住んでいた場所は、うっそうとした森のさなかで、ひときわおおきく曲がった木に食べられてるみたいな、崩れた石の城。ひと気のない、広くて、冷たくて、静かで、何も無い、石の回廊ばかりの、そんな場所だ。
 まるで真逆に思える。ウィーズリー家の住む隠れ穴はれんがと木造りのあたたかい空気が流れる家で。お世辞にも綺麗とは言えないけれど、掃除がきちんと行き届いていて、壁や窓には修繕のあとがうかがえる。その、家じゅうのなにもかもから、生活のにおいがした。ぼくたちの住んでいるところとは、まったく違う。

「おうい、猫さん。美味そうなトカゲでもいたか?」
 声とともに、そばかすだらけの顔が逆さまに落ちてきた。いや、カナの真上から覗き込むようにして声の主が立っていた。見上げると陽光を受けた赤毛が、きらきら光っていて。
 フレッドだ。
 いたずらや冗談が大好きな、お調子もののフレッド・ウィーズリー。カナやぼくと同じで双子のきょうだいがいて、揃いの趣味をもっている。カナのことをふざけて「猫さんcat」だなんて呼ぶのも、「お腹いっぱいにした猫が喋ってるみたいだ」「それも、まるまる太った年寄り猫の」と、のんびりした話し方をからかわれてからだ。この双子はおかしなあだ名をつけるのが得意みたいだ。
 カナは一年生の時も、先輩のアリシアが冗談で言った「ブランケットの妖精さん」という称号で呼ばれ続けた。それはカナが冬のあいだ、グリフィンドールのブランケットを持ち歩き続けたからなのだけれど。そんな双子の悪癖にも、今ではもう慣れてしまった。
「ここに花が咲かないか、毎日見てるんだ」
「バスルームの壁になんか、咲くもんか。カビだらけだぞ? それより、手を貸しておくれよ」
 フレッドの手に掴まって、カナは引っ張られるように立ち上がった。ずいぶんと身長差があるので、大人に手を引かれるこどものようだ。
「老いた猫の手も借りたい?」
「だから、悪かったって。来てくれよ、うちのボスがカンカンなんだ」
 のびきった芝生をサクサク踏みながらフレッドについていく。フレッドが踏んだ跡はカナより大きくて、それをはみ出さないようにして歩くのに夢中になる。茶色い羽根の丸々とした鶏が、キョロキョロとカナを見た。
「お前さんもたいがい、すぐ遊ぶよな」
 カナがはしゃぐのはしょうがない。だってホグワーツの外で友だちと一緒に過ごすなんて、初めてなんだから。
 けれどその遊びもすぐに終わる。歩幅もちがうから、そんなことをしていたらバランスをくずして、前をいく背中にドンと顔をうった。
「ちゃんと前を見て歩かないとな。老眼じゃなけりゃあ」フレッドは笑った。「庭小人ノームが昨日までの倍ぐらいに増えてるってさ。もちろん、つい昨日も夕飯前に駆除したさ。お前さんも見てたろ?」
「うん」
「なのにおふくろったら、『私がノームはもういないと言うまでお夕飯はお預けですからね!』って。まるで僕たちのせいみたいに言うんだ。そんなわけないのにな。あいつらが好きそうな家に住んでるのが悪いんだ。それにおやじも面白がって、対策をしないから」
 表庭のほうではジョージとロンが、すでにノーム駆除に取り掛かっていた。茂みに頭を突っ込んで、お尻を振っているのはジョージだ。
「パーシーは?」
「大好きなお勉強で、今日も部屋に引きこもってるさ!」ロンがきいきい叫びなら、ぽぉーんとノームを飛ばす。
「最近パースのやつ、おかしいよな。今朝の通知を見たか?『十二ふくろう』をとったってのに、ニコリともしないんだ――まだ勉強し足りないのか?」
「それだけじゃない。ヘルメスも出ずっぱりだ、あの調子じゃ、今にもエロールじいさんみたいなヨボヨボになっちまうよ。ありゃ何か隠してるだろう」
 ジョージもフレッドも、話しながら手慣れた様子でノームをポイポイ放り投げる。ジャガイモそっくりのでこぼこした頭のノームたちが、その鋭い歯で噛みつこうと抵抗するもむなしく、小さな体はすぐに投げ飛ばされていく。
「ぼうっと見てないで、君も手伝ってよ」ロンがわめいた。
 カナはウーンとあたまをひねる。
「飢えたジャービーでも連れて来たら?」
「酷いこと言う!」ロンは悲鳴をあげたが、フレッドとジョージはけらけら笑っていた。
「僕らの読みどおりだ! やっぱり、カナは新鮮な食材がお気に入りみたいだな」
「つまりは肉食動物ってことだ」
 ジョージが左右に掴んだ数匹のノームを頭上で振り回し、ロンの倍ほど遠くに飛ばすと、騒ぎを聞きつけた他のノームたちが顔を出す。カナも駆除に参加した。
 男の子たちは、自分の方がノームを遠くに飛ばせると意気込んで、競争を始めた。カナは何匹か捕獲してロンや双子に手渡していった。そうするとあっというまに茂みからノームは消え、またぞろぞろと向こうのほうから、庭に戻ってくるのが見えた。
「巣を駆除すりゃいいのに」ロンがぶつくさ言った。
「そんな事をしたら、パパがショックで失神しちまうだろうよ」
 子どもたちは休憩のために、日陰に入った。みんな汗だくで、フレッドとジョージが、朝のうちに氷に浸けておいた、はちみつのサワーの瓶を取ってきてくれた。よく冷えている。カナが唇についた泡を舐めていると、ロンがこそこそと話しかけてきた。
「ねえ、ハリーに何度手紙を出したと思う?」
「三日に一度は出していたよね」カナは指折って数えた。「十通ぐらい?」
「十三だよ! そのどれもにハリーは返事をくれなかった。あのハリーがだぜ? ようすがおかしいと思わないか?」
 確かに、ハリーは誠実で、手紙の返事をくれないような人物ではない。それに、彼の家庭環境も心配要素となっていた。ハリーは両親がいないので、おば夫婦のもとで暮らしているけれど、その仲は決して良いとは言えないものらしい。
「迎えに行けたらいいのに」
 カナの言葉に、フレッドとジョージが立ち上がった。
「おやじの車がある!」
 二人はそう言うと、庭に備え付けられたガレージへと走った。カナとロンも追いかける。
 ガレージの扉を開けると、中には錆びたターコイズ・ブルーのマグル製の車があった。カナも、夏休みの始めに駅から乗り込んだ。ジョージがその車体を軽く叩いた。
「おやじはおんぼろのコレクションだって言ってたけど、僕らは知ってるぜ。コイツには――秘密があるんだ」
「知ってるよ」ロンが言った。「魔法で動くんだ」
「デヴォンからサリーの夜空をひとっ飛び。ハリーのお迎えぐらい、わけないさ」
「空を?」カナのつぶやきに、フレッドとジョージが首がとれるほど頷いた。
「なんならこのガレージのマグル製品は全部、アーサー・ウィーズリーの作品さ!」
「尊敬するね、誰の父親だと思う? そりゃもちろん、このフレッドとジョージのさ」
 カナとロンは顔を見合わせた。ハリーを迎えに行くことができたら、その後は隠れ穴でハリーに夏休みを過ごしてもらえたらいい。そしてそのままホグワーツへ向かえばいいのだ。
「でも、大丈夫?」
「平気さ。でもタイミングを見ないとな。ハリーの親戚に勘付かれて、誘拐事件にでもなったら大変だから」男の子たちはハリーを救出する作戦を練った。カナはいつ、それがモリーおばさんへ見つかってしまうのではないかとひやひやした。

 カナに与えられた寝室ははしごの上の、まるで屋根裏部屋みたいな入り口にあった。チャーリーが使っていた寝室らしい。チャーリーは兄弟の多いウィーズリー家の、二番目の兄だ。三角屋根の天井の、比較的小さな部屋だったけれど、綺麗に片付けられている。カナは最初ためらったけれど、おじさんやおばさんは「遠慮しなくて良い」と説き伏せ、カナはありがたく部屋を使わせてもらうことになった。
「『屋根裏グールお化け』もきちんと駆除しましたから、なにも怖くなんかありませんからね」と、おばさんは言っていた。
 チャーリーの部屋にはいくつかの本や雑誌が残っていた。ホグワーツではシーカーとして活躍していたらしく、何度も捲ったのだろう、くたくたのクィディッチの雑誌が本棚を埋めていた。それにホグワーツの森番であるハグリッドのお墨付きで、魔法生物にも詳しかったそうだ。今はルーマニアで、ドラゴンを追いかける研究員の仕事をしているようで、部屋にもドラゴンの図鑑や分布図が残っていた。カナはそれを喜んで眺めた。カナは一年生のときに、ハグリッドがこっそりドラゴンの赤ちゃんを飼育していたのを見ることができなかったことを悔やんでいた。カナはその頃、呪いの影響で昏睡していたので仕方がないのだけれど。
 窓から差し込む陽が斜めになってきて、そろそろランプをつけなくてはいけないかと考えた頃だ。ぱたぱたと階下から軽い足音がした。
「カナ、パパが帰ってきたわ!」
 はしごの下で朗らかに言ったのはジニーだ。ウィーズリー家の末の妹で、今度からホグワーツの一年生になる。例に漏れず、親譲りの燃えるような赤毛のロングヘアに、白い肌にそばかすを散らし、低い鼻は妖精のようだった。つるりと丸いおでこは、アーサーおじさんにそっくりだ。
 カナとジニーはすっかり意気投合していた――おもに――「あこがれのあの人」という話題で。ジニーはハリーのことを慕っていた。すごく勇敢だとか、運命的だと言ってはしゃいでハリーの美点を力説した。上の兄弟たちが学校でのハリーの活躍を語ると、のめりこんで聞いていた。ロンは「ミーハーなんだ」と言うけれど、可愛いものだと思う。だって「生き残った男の子ハリー・ポッター」はイギリス魔法界でいちばんの有名人なんだから。
 カナも、憧れている大人の男がいるとジニーに言った。リーマスのことは、おかあさんの友人で、幼い頃から面倒を見てくれていて、優しくて、面白くて、甘いものが大好きで、心配性で――父親みたいな存在だと説明した。ジニーは「でも、それはパパとは違うと思うわ。私はハリーをヒーローだと思っているけれど、カナはリーマスのことをヒーローだとは思っていない?」と言った。カナは衝撃を受けた――目から鱗が落ちるとはこういうことを言うのだろう。ふたりはそういう、ふわふわとした語り合いを続け、いつのまにか友情を築いていた。
 カナはジニーと一緒にキッチンへと降りた。そこにはパーシー、フレッド、ジョージ、ロンと兄弟が揃っていて、もちろんモリーおばさんも一緒だった。
 なにやら神妙な面持ちで、雰囲気は重たい。女の子たちが席に着くと、アーサーおじさんは話し出した。
「ハリーが魔法を行使したらしいと、魔法省へ通達があった」
 みんな、はっと息をのんだ。フレッドとジョージはちょっとだけ笑顔だったけれど、モリーおばさんの厳しい目つきに刺され、下を向いた。
 カナとジニーがきょとんとしていると、パーシーから説明が入った。
「パパは魔法省に勤務しているからね。そういった知らせは耳に入るものなんだ」
「何かのまちがいだと良いんだが・・・・・・」アーサーおじさんは額に手を当て、やれやれとうつむいた。モリーおばさんが「きっとそうですよ。ハリーは良い子ですから、事情があるんでしょう」と励ました。「さあ、お夕飯にしましょう! ジニーちゃんにカナちゃん、手伝ってくれる?」
 二人は立ち上がって、食器棚の扉を開けた。手伝うも何も、モリーおばさんの魔法の腕はぴかいちで、この家の中でおばさんの言うことを聞かない物は一つだってないのだ。食器棚からピカピカに磨かれた皿が幾いくつも踊り出して、ちょっとだけ歪んだ長テーブルの上に並んだ。カナとジニーがそれぞれ、手編みの鍋敷きをテーブルに敷くと、その上に巨大なパイ皿とスープ鍋が鎮座した。
「ジニーはもうすっかりママの手伝いが板についているが、カナも手際が良い。女の子が増えると、母さんも嬉しいだろう」アーサーおじさんは豪快に笑った。ジニーが嬉しそうにしたので、カナもあいまいに愛想笑いした。モリーおばさんもクスクスと笑ったけれども、男の子たちはみんな気まずそうにしていた。
「カナは魔法薬の成績が良いんだ。だから器用なんだよ」とロンがなんとも言えない空気を読んで、フォローした。

 夕食のあと、フレッドとジョージとロンが、カナを引き連れて庭に出た。「箒を放り出したままだから、片付けてくる」という理由で。
「行くしかない」ロンが決意表明した。「通達が家に行ったら、ハリーは魔法が禁止されていることを黙っていたって理由で、ひどい目に遭うに違いないよ。そうなる前に助けなきゃ!」
「なんて連中だ」ジョージが頭を抱えた。
「つまりは今夜決行だ。そうだな?」フレッドの言葉に、男の子たちは頷いた。
 ――作戦はこうだ。カナ、ロン、フレッド、ジョージの四人は夜遅くまでリビングで小鬼ポーカーの試合を行う――負けたら魔法史のレポートを十センチ手伝うという設定で――モリーおばさんがパジャマ姿で「早く寝なさい」と忠告に来たら、男の子たちは自室へと引き返す――そこで、すかさずカナが「相談があるんです」とおばさんを引き止める。「リビングではなんですから、寝室に来てもらえませんか、見せたいものがあるんです」と――
 カナはうまくいくとは思えなかった。責任重大だ。ロンやフレッドとジョージの動きがおばさんにばれてしまうと、すべてが水の泡になる。カナはなんとかして、本当にそれらしい相談事を考えた――
「まあ、ほんとうに、一年で背が伸びたみたいね。これじゃあ短すぎるわ」
 カナは学校用のローブの丈が短くはないかとおばさんに相談した。おばさんはなんとかカナの話に乗ってくれて、ガレージから遠く離れたはしご上の寝室まで誘導することができた。
「いますぐ縫い直してあげましょうか」
「いえ!」カナはあわててひきとめた。「もう暗いですし、明日でじゅうぶんです。それに、まだ学校はひと月先だし」なんとか笑顔を浮かべて、カナはおばさんがもう少しでも長くこの部屋にいてくれるように願った。「そうね」とおばさんは納得してくれた。
「カナ。なんだか、わたしたちに隠していることはない?」
 カナがぎくりと肩を揺らしたのを、おばさんは見逃さなかった。
「なんでも話してくれていいのよ。ほんとうの親だと思って・・・・・・いえ、こんなことを言われても、困るわよね」
「あの」カナは決心しておばさんの青い目を見た。「ぼくのおかあさんに借りがあるっていうのは、本当の話ですか?」
 ランプの灯りがゆらめいて、おばさんの赤毛を照らした。モリーおばさんは微笑んで、カナにすこし近づいた。
「そうよ。エリアは一見近寄り難いけれど、義理堅いの。それに薬の調合がとても得意でね。わたしたちは何度も命を助けられたのよ」カナはかんたんには信じられなかったけれど、モリーおばさんが嘘を言っているとは思えなかった。
「それじゃあ、ぼくの父親について、なにか知っていますか?」
「あなたの?」おばさんはブルーの瞳を瞬いた。少し顔色が悪いようだ。カナは、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうかと――つい先月、ハリーと交わした話のことを思い出して、視線を落とした。
「いえ、知らないわ。力になれなくてごめんなさい。実を言うとね、エリアが生きていることを知ったのも、つい最近の話なのよ」
「ハグリッドもそう言っていました。おかあさんは、いったい何をしたんですか?」
「何をしたというよりも――」おばさんは言いにくそうにした。カナがじっと見つめ続けるので、根負けしたように口を開いた。「突然わたしたちの前から消えたのよ。いなくなったの。何の言伝も書き置きも無く、ね。だから心配していたの」おばさんはカナの黒髪を何度か撫でた。「それがあなたの生まれる半年前の話よ」
 おばさんはふと壁に掛かった時計を見て「もうこんな時間! 夜更かしはレディの敵よ、早く寝なさいな」と言い、部屋を出ていった。
 カナはおばさんを引き止める役目のことはすっかり忘れていた。やっぱり、自分はヴォルデモートの娘なんだろうか。と何度も頭を巡る。考えたってわからないことだけれど、考えずにはいられなかった。ベッドに入っても、しばらくは目を閉じられないでいた。それに、おばさんにも聞くべきではないことを聞いたのかもしれない。明日どんな顔をして会えばいいだろう。



 うまく眠れなかった。すっかり目覚めるのが遅くなってしまった。カナはジニーに起こされて、朝食へ向かう。
 寝ぼけ眼で、きぃきぃ鳴る木の階段を降りていった時だ。「キャッ」とジニーの悲鳴が聞こえた――カナはハッキリ目を開けた。ジニーが早足で引き返してきた。カナを通り過ぎ、階段を登っていく。その顔は朝日みたいに真っ赤だ。何が起こったのかと、カナはキッチンへと顔を出して、目をぱちくりさせた。
「あらまあ、カナ。おはよう」モリーおばさんが平皿とスープ皿をジョージの隣の空席に置きながら微笑んだ。その向こうに――ハリーが座って、朝食を食べていた。
 カナはねぐせがそのままなのも、顔をまだ洗っていないのも、薄着のシュミーズ姿なのも忘れるほど、ポカンとして、促されるままに席に着いた。
「ハリーだ」
「うん、おはよう、カナ」ハリーは照れ臭そうに言った。
 そうだ。そうだった。カナはジョージ、フレッド、ロンを見た。双子は俯いたまま視線をちらりとだけ寄越し、ロンは不機嫌そうに顔をクシャクシャにした。あまり良い感じの反応ではないが――でも――ハリーがいるということは、うまくいったんだ。カナはぱっと笑顔を浮かべ、ニコニコとトーストにバターを塗りつけた。
「ハリー、いつ到着したの?」
「えーと、今朝だよ、さっき。ついさっきさ」
「ヘドウィグは?」
「もちろん一緒に来たよ! ダーズリーの家では窮屈そうにしてたから、いまは自由にしてる」
「そっか!」カナとハリーがテーブルを挟んでニコニコと会話しているのをよそに、両脇のロンとフレッド、ジョージは気まずそうに静かに食事した。テーブルの後ろを、モリーおばさんがウロウロしているせいかもしれなかった。
「さあさ、カナ。あなたは食が細すぎるわ。たんとお食べ」モリーおばさんが、カナの皿にソーセージを五、六本も入れていった。それに目玉焼きも二つだ。よく見るとハリーの皿にはその倍ほども積まれている。いつもこんな感じだ。カナはおばさんが振り向いているあいだにこっそりと、フレッドとジョージの皿にソーセージを配った。
 男の子たちはさっさと食べ終わってしまった。フレッドが「なんだか疲れた」とあくびをし、「ベッドに行って――」と言いかけたところで、「行きませんよ」とおばさんがたしなめた。
「夜中起きていたのは自分が悪いんです。庭に出てノームを駆除しなさい。また手に負えないくらい増えています」
「ママ、昨日だって――」
「お黙り。それに、おまえたちもですよ」視線はジョージとロンにも向かった。「ハリー、あなたは上に行って、おやすみなさいな。あのしょうもない車を飛ばしてくれって、あなたが頼んだわけじゃないんですもの」
「あの、僕、ロンの手伝いをします。ノーム駆除って見たことありませんし――」
 カナはあくびをかみ殺しながらやりとりを聞いていた。さっきからキッチンの入り口に、赤いストレートヘアがちらちらと見えているのが気になっていた――ジニーだ。
 男の子たちはだらだらと庭へ向かった。食べ終わった食器がひとりでにシンクへ向かい、泡の中へと身を投げていく。モリーおばさんはというと、開いた「ギルデロイ・ロックハートのガイドブック-一般家庭の害虫編-」を熱心に見つめ、なんども読み返しては「素敵だわ」と感心の声を上げた。カナは表紙のブロンドの男と目が合った。鮮やかなブルーの瞳は、いつもやたらめったらに愛嬌を振り撒いている。
 ジニーがこそこそとテーブルについた。「ママ、おはよう」と小さな声で言った。「あらおはよう、ジニーちゃん」とおばさんはジニーの皿にもソーセージと目玉焼きを乗せた。
「ハリー、何か言ってた?」ジニーはカナに聞いた。耳が真っ赤だ。
「ううん――まだ着いたばっかりだから、疲れてるみたい」
 カナは笑いかけた。ジニーはほっと胸を撫で下ろした。そして元気にトーストにかぶりついた。
「そうだわ、カナ」おばさんがロックハートから目を離してカナを呼んだ。「食べ終わったなら、ローブを持ってきてちょうだい。長さを合わせるわ」

 カナのローブはもとよりリトルローブで、膝丈くらいしか無い。子ども用のローブなのだ。おばさんの裁量で、膝より下くらいにはなった。
「ウン、こんなものかしら?」おばさんがぷちりと糸を千切りながら言った。
 その時、玄関扉がバタンと閉じる音がした。「パパ、おかえりなさい!」とジニーの朗らかな声がした。モリーおばさんとカナも玄関へ向かい、出迎える。
 くたびれた様子のアーサーおじさんが、玄関扉をくぐって入ってくる。おばさんはコートとバッグを預かり、ジニーが「お茶を淹れるわ」とキッチンへ駆けていく。カナもローブをたたんで、ジニーの手伝いをする。
 帰宅の音を聞きつけたのか、庭の方からどたばたと駆け込んでくる音がした。
 アーサーおじさんは椅子に深く腰掛け、眼鏡を外し、目頭を擦った。男の子たちはその周りを囲むように座った。
「ひどい夜だったよ」とアーサーおじさんの声がした。カナとジニーは、お茶のポットとお茶請けのビスケットをそれぞれ持ち、おじさんの目の前に置いた。ジニーは「待って、彼がいるわ・・・・・・」とカナにこっそり言い、階段の方へと逃げた。仕方がないのでカナが、まわりにこぼしながら何とかお茶を淹れる。「九件も抜き打ち調査をしたよ。九件もだぞ! マンダンガス・フレッチャーのやつめ、私がちょっと振り向いた隙に呪いをかけようと・・・・・・」おじさんは熱々のお茶を一口含み、飲み下すと、長く息をついた。
「パパ、なんか面白いもの見つけた?」とフレッドが急かすように聞いた。カナも席に着いた。
「私が押収したのはせいぜい、縮む鍵が数個と、噛み付く薬缶が一個だけだった」アーサーおじさんは魔法省の「マグル製品不正使用取締局」に勤めている。魔法のかかったマグル製品が横行しないようにする部署だと聞いた。「かなりすごいのも一つあったが、私の管轄じゃなかった。モートレイクが連行されて、なにやらひどく奇妙なイタチのことで尋問を受けることになったが、ありゃ、実験的呪文委員会の管轄だ。やれやれ・・・・・・」おじさんはあくびをこぼしながら言った。子どもたちは目をキラキラさせて、おじさんの愚痴を聞いていた。
「鍵なんか縮むようにして、何になるの?」ジョージが聞いた。
「マグルをからかう餌だよ」おじさんはまたため息とともに言った。「マグルに鍵を売って、いざ鍵を使うときには縮んで鍵が見つからないようにしてしまうんだ。マグルは鍵が縮んだなんて誰も認めないし――連中は鍵を失くしたって言い張るんだ。まったくおめでたいよ。魔法を鼻先に突きつけたって徹底的に無視しようとするんだから・・・・・・しかし、我々の仲間が魔法をかけた物ときたら、まったく途方もない物が――」
「たとえば車なんか?」みんながいっせいに振り向いた。モリーおばさんが、火かき棒を携えて仁王立ちしていた。
 アーサーおじさんは目をパチパチと瞬いた。その茶色い瞳が、ばつが悪そうにきょろきょろと動いていた。
「モリー、母さんや。く、くるまとは?」
「ええ、アーサー。その『くるま』です」おばさんの目がぎらりと光った。「ある魔法使いが、錆びついたおんぼろ車を買って、奥さんには仕組みを調べるので分解するとかなんとか言って、実は呪文をかけて車が飛べるようにした、というお話がありますわ」
 フレッドとジョージはもう笑いたくてたまらないというふうに、顔をプルプル震わせていた。カナと目が合うと、静かに、と指を立てた。
「ねえ、母さん。わかってもらえると思うが、それをやった人は法律の許す範囲でやっているんだ。ただ、えー、その人はむしろ・・・・・・」おじさんは汗をたらたら流しながら、咳払いをした。「奥さんに、なんだ、その、ホントのことを・・・・・・法律というのは知っての通り、抜け穴があって・・・・・・その車を『飛ばすつもりがなければ』、その車がたとえ『飛ぶ能力を持っていたとしても』、それだけでは――」
「アーサー・ウィーズリー。あなたが法律を作ったときに、しっかりと抜け穴を書き込んだんでしょう!」おばさんは赤毛を膨らませていた。「あなたが、ガレージいっぱいのマグルのガラクタにいたずらしたいから、だから、そうしたんでしょう! 申し上げますが、ハリーが今朝到着しましたよ。あなたが飛ばすおつもりがないと言った車でね!」
「ハリー?」おじさんはポカンとした。「どのハリーだね?」おじさんは周りの子どもたちを順に見回した。そして一番下の弟のロンの隣にいる小柄な男の子がハリーだと知ると、飛び上がった。「なんとまあ、ハリー・ポッターくんかい? よく来てくれた、ロンがいつも君のことを――」
「あなたの息子たちが、昨夜ハリーの家まで車を飛ばして戻ってきたんです!」おばさんはついに怒鳴りつけた。「何か仰りたいことはありませんの。え?」
「やったのか?」おじさんはうずうずとフレッドとジョージのにやけ顔を見た。「うまくいったのか? つ、つまりだ――」
 おばさんが睨みをきかせたことに気がついて、おじさんは咳払いした。
「そ、それは、おまえたち、イカン――そりゃ、絶対イカン・・・・・・」
 ついにおばさんは膨れ上がって爆発寸前になった。子どもたちは我先にとキッチンから脱出した。ロンがハリーを引き連れ、カナはフレッドとジョージに抱えられながら上の階へと向かった。ジニーがこっそりとハリーを覗き見ているのに気づいて、カナは双子の手を振り解いて降りた。カナはジニーの部屋の扉を開けた。
「カナ、どうしよう」扉が閉まると同時に、ジニーが顔を真っ赤にして震わせて言った。「これから毎日ハリーがいるわ。あたし――あたし、どうしたら――」
 カナは苦笑した。「慣れるしかないね」ジニーは両手で顔を覆って、ベッドに飛び込んだ。フリルのたっぷりついた、クリーム色のかわいらしいシーツに沈むジニーは、まるでプリンセスみたいだった。
「カナは、リーマスが家にいるあいだ、どんなふうにやり過ごしていたの?」
「どんなって――」カナは思い出したけれど、その頃はぼくもいたし、カナは一人ではなかったし、リーマスのことは父親代わりぐらいにしか思っていなかった。今抱いている感情とは、厳密には違う。「ウーン、でも、うきうきしてたかな?」
 ジニーはため息をついた。「あたし、いつか心臓が壊れるわ・・・・・・」カナは大げさだと笑った。「わかるよ。ホグワーツで手紙をもらっていた頃、ぼくもそうだった」「手紙だけで?」ジニーはきょとんとした。「なら、カナ、あなたはあたしより重症だわ! でも、どうかしら、あたしも手紙をもらうとそうなるのかしら、嗚呼――」
 ジニーは真っ赤な髪を揺らして思い悩んだ。カナもフリルのシーツに身を沈めて、眠たくなるまでお喋りに興じた。



 ハリーが「隠れ穴」にやってきて――つまりは八月に入ってから、一週間が過ぎた。ウィーズリー家はいちだんと賑やかになっていた。モリーおばさんは、カナの時と同じようにハリーの世話を必要以上に焼いたし、ジニーは恥ずかしがってそれを双子にからかわれ、アーサーおじさんはマグルのことを知りたがってハリーにいくつも質問を寄越した。ロンも親友のハリーの心配をしなくて良くなったので、いつも元気いっぱいだ。ハリーは慣れない魔法使いの家族との生活に疲れているのではないかと思ったけれど、結構楽しんでいるようだった。それもそうだ、去年はホグワーツで一年過ごしたのだから。
 そして、よく晴れた朝のことだ。カナが真剣な顔でオートミールに木苺のジャムをたっぷりと入れていると、隣の席でジニーが深皿をひっくり返して床に落とした――ハリーが、ロンとともにキッチンに降りてきたのだ。ジニーはすぐにテーブルの下に潜って皿を回収した。その顔はカナが手に持つジャムの瓶みたいに真っ赤だ。
「学校からの手紙だ」
 アーサーおじさんが、手紙を幾つも手に持っていた。一つずつ裏っ返して名前を確認して、配っていく。カナも受け取った。黄味がかったぶあつい羊皮紙に、エメラルド色のインクで宛名が書いてある――「隠れ穴の居候、カナ・エリオット様」
「ダンブルドアは君たちがここにいることをもちろんご存知だ。もちろんハリーのことも――何一つ見逃さないお方だよ」
 だらだらと半分寝たままキッチンに入ってきた双子にも、おじさんは手紙を手渡した。
 カナは手紙を開いて、中身を読んだ。九月一日にキングス・クロス駅の九と四分の三番線からホグワーツ特急に乗るようにと書いてあった。去年と同様だ。それともう一枚、新しく用意する教科書のリストも入っていた。
「二年生もロックハートの本のオンパレードだ!」フレッドがカナの手元を覗き込みながら言った。「新しい『闇の魔術に対する防衛術』の先生はロックハート・ファンだな――きっと魔女だ」カナとフレッドはちらりとモリーおばさんを見た。おばさんはふたりをじっと見つめていたので、その瞬間に目が合って、あわてて手元のリストに視線を戻した。
 二年生用の基本呪文集以外は、すべてギルデロイ・ロックハートの著書だ――泣き妖怪バンシーとのナウな休日――屋根裏グールお化けとのクールな散策――鬼婆とのオツな休暇――トロールとのとろい旅――バンパイアとバッチリ船旅――狼男との大いなる山歩き――雪男とゆっくり一年――カナはその数を数えた。七冊だ。
「一年間でこんなにも本を使う?」カナは怪訝な顔でそう言った。
「この一式は安くないぞ」ジョージも同意した。「ロックハートの本はただでさえ高いんだ・・・・・・」
「何とかなるわ」おばさんも少し心配そうに言った。「ジニーのものはお古で済ませられると思うし・・・・・・」
「きみも今年ホグワーツに入学なの?」ハリーがジニーに話しかけた。ジニーは頷きながら、みるみるうちに顔を真っ赤に染め、おかしな挙動でバターの皿に肘を突っ込んだ。さいわい、それを見たのはハリーとカナだけだった。ちょうど、パーシーがキッチンに入ってきた。パリッとしたシャツに、おばさんの手編みのベストを着て、その胸には銀色の監督生バッジが輝いている――休暇中なのに。
「皆さん、おはよう。いい天気だね」この夏、パーシーはやたらと機嫌がいい。さわやかに挨拶しながら、空いた席に座った――とたんに弾けるように立ち上がった。お尻の下から灰色の毛叩き――否、老フクロウのエロールを引っ張り出した。エロールはなんとか息をしていた。
 カナはヨレヨレのエロールをパーシーから引き取った。ロンは「やっと来た!」と悲鳴をあげ、エロールをまさぐって、手紙を引っこ抜いた。その時、ボロボロの羽根がいくつか飛び散った。「エロールじいさんがハーマイオニーからの返事を持ってきた。ハリーをダーズリーのところから連れ出すつもりだって、手紙を書いたんだよ」
 カナは勝手口の止まり木にエロールを運んで、休ませようとした――エロールはポトリと力なく落ちた。
「悲劇的だよな」ロンがつぶやいた。カナはしかたなく、エロールを膝に乗せたまま食卓に戻った。
 ロンがハーマイオニーからの手紙の封を切り、読み始めた。
「ハーマイオニーが水曜日にダイアゴン横丁に行くってさ!」
「ちょうどいいわ」モリーおばさんがテーブルを片付けながら、ほがらかに言った。「わたしたちも出かけて、あなたたちの分をそろえましょう」おばさんはエロールの飲み水用の皿を差し出してくれた。カナがテーブルの上にエロールを置くと、ヨロヨロと動き出して、溺れるように水を飲み始めた――いや、皿に顔を突っ伏しただけだ。

 ロン、ハリー、フレッド、ジョージの四人はそれぞれ箒を手に持って、丘の上にある牧場へと出かけていった。パーシーはさっさと朝食を摂り終えると、また部屋に戻ってしまった。
 カナとジニーはリビングでおしゃべりをしていた。そこにモリーおばさんが現れ、カナを手招きした。
「カナ、話があるのだけれど」
 ふたりは階段の一番下のところで立ち止まる。おばさんは申し訳なさそうに眉を下げて言った。
「カナ、あなたはダイアゴン横丁へは行けないの。エリアにそう言いつけられていて・・・・・・」
 驚くことではなかった。ダイアゴン横丁へは一度だけ行ったことがある。それは学用品を買い揃えるためではなく、お下がりの杖が折れて買い直すためだったのだが――そこで、とても気分が良いとは言えない人物と出会ったりして――あまり良い思い出は無い。カナは、バートラム・エイブリーの感情の読めないオリーブグリーンの瞳を思い出すと、背中のうぶ毛が逆立つ。
「おばさん、なんとなくそんな気はしてました」カナが言うと、おばさんも「そう、そうよね」と頷いた。
「エリアは過保護すぎるわ。そう言いたかったけれど、わたしたちの方からは連絡する手段がなくてね」
「フクロウが届かないのは、知ってます」
「そう、そうなの」おばさんはカナの手をとった。「だから、あなた一人留守番することになってしまうけれど、構わないかしら。ごめんなさいね。当日はできるだけ早く戻るから・・・・・・」
「おばさん、気にしないで」カナはモリーおばさんが不憫になって、ほほえんだ。「でも、ぼくはどうやって教科書を揃えたらいいですか? お金も持っていないし・・・・・・」
「そのことだけど、学用品はエリアのほうで揃えると聞いているわ。いずれ郵便で届くかもね」

 ハーマイオニーへの返信に、カナも書きたした。ダイアゴン横丁では会えないこと――休暇を楽しんで――ホグワーツでまた会いたい――と。お出かけできないことは納得していた。でもカナはなんだか、怒り、とはまた違う――不満、のような――いら立ちが日に日に募っていった。フレッドやジョージはカナの留守番を聞いて、「ギャンボル・アンド・ジェイプスいたずら専門店」に連れ出そうと思っていたのに、と嘆いた。ジニーも残念そうにした。
 その日、カナは朝食を済ませると部屋へ舞い戻った。がやがやと出かける準備をする一家とハリーを見ていると、羨ましくて、笑えそうになかった。
 階段の踊り場でパーシーとすれ違う。白いシャツはいつもにましてピンと伸び、紺色のサマーニットに銀色の監督生バッジが輝いている。七対三にピタリと撫で付けられた髪も普段通りだ――でもいつもと何だか違う――カナはすれ違う瞬間、気がついた。
「パーシー、良い匂いがする」
 カナの言葉に、パーシーがはぎくりと肩を揺らした。カナを振り返り、頬をわずかに赤くして、ずれた眼鏡を整えた。
「カナ、双子に言うんじゃないぞ。僕は今日――」カナはジニーから聞いていた。この手のことになると、ジニーは狩り中のコヨーテみたいに嗅覚を鋭くして、ずばりなんでも言い当てた。
 カナは目をきらきらさせた。「彼女に会うんだ!」
 毎日部屋に篭っていたのは勉強のためだけじゃない。パーシーは、好きな子がいるのだ。その子に毎日手紙を書いていた――これは「隠れ穴」の中では、カナとジニーしか知らないことだ。数日前に、ジニーがパーシーを問い詰めると、彼は顔を真っ赤にしながらしぶしぶそれを教えてくれた。
 パーシーは、「静かに!」と怖い顔で指を立てた。
「パーシー、きっとうまくいくよ。今日はもっと素敵だよ。帰ったら絶対、今日のこと聞かせてね」カナは楽しみが増えて嬉しくなった。
 カナは宿題に手をつけた。魔法史の、建築士――いや発明家――いや工芸家――とにかく、ダイダロスの項をどう圧縮するべきかカナはまだ思い悩んでいた。彼のしてきたことはあまりにも多すぎる。
 やがて陽がうんと高くなり、カナは空腹を感じてきた。だんだん、おかあさんに感じていた怒り――いら立ちがぶり返してきた。カナは、レポート用の羊皮紙を丸め、あらたなページを引き出した。
 おかあさんに手紙を送りつけてやる――いや、リーマスに送ろう。カナがどんなにリーマスに会えないことを残念に思っているか、リーマスは知らないだろうから。

「リーマスへ
 体調はいかがですか。ぼくはとっても元気です。『あの家』にいた頃、毎日のように苦いお薬を飲まなければいけなかったことが、嘘みたい。
 おかあさんに伝えておいてくれる?
 何か理由があるんだろうけど、それを説明してくれないと、ぼくは納得ができません。今度会った時、おかあさんを怒鳴りつけてしまうかも。自分勝手すぎるよ。ぼくの話は聞いてくれないの? それとも、ぼくにはもう会いたくないの? それとも、制約が多いのはぼくがやっかいな存在だから? ぼくの取扱説明書があるのなら、それを見せてくれる?
 夏になったらリーマスに会えると思ってた。シオンの墓も綺麗にしてあげたかったし。とにかく、ここはすごく楽しくて、みんな良い人で、毎日飽きないけれど。ぼくに必要なものが足りません。リーマス、はやく会いたいよ。
 ごめんなさい。どうかお元気で。カナより」

 勢いで書き上げて、封筒に入れた。カナは階段を駆け降りて、勝手口で休んでいるヘルメスに手紙を持たせて、空中に放した。
 そして――カナは時間が経つにつれて、自分の行動を後悔し始めた。感情にまかせて、リーマスに聞かせなくても良い言葉を書いたような気がする――カナは外へ出た。パラパラと庭にとうもろこしを蒔くと、まわりに鶏が集まり出す。
 ぼくからしてみれば、カナは家にいた頃よりもずいぶんと言葉を覚え、感情を表現することがうまくなったと思う。カナは自分では気づいていないみたいだけど。ぼくやリーマスやおかあさんとだけ過ごすよりも、ホグワーツで良い思いも嫌な思いもして、いろんな場所に行って、いろんな人と話すことは、カナを大いに育てたのだろうと思う。そこにどんな思惑があろうとも。

 ぼうっとリビングで頬杖をついていると、暖炉が緑色に燃え上がった。誰か帰ってきた――最初に頭を出したのは、紙袋をたくさん抱えたフレッドだ。まもなくジョージもあらわれる。カナを見つけると、ニヤリと笑った。
「ただいま。お留守番は退屈だっただろ?」ジョージは紐を投げてよこした。カナはうまくキャッチした。よく見るとそれは、導火線の伸びた花火だ。
「僕らの大好きな『ドクター・フィリバスターの長々花火』だよ。きっとお前さんも気にいるはずだってね、リーからプレゼントだ。杖でつつくと火がつくから、使いどきには気をつけろよ」フレッドはウィンクを飛ばした。双子はほかにもいくつか悪戯グッズをカナに手渡した。
 ロンやハリーがくたびれて帰ってきて、カナにこぼした。
「カナ! 聞いてくれよ――DADA闇の魔術に対する防衛術の新しい教師はロックハートだ」
「うん、ロックハート・ファンの魔女なんでしょ」
「違うよ、ロックハート本人!」ロンは新品の「バンパイアとばっちり船旅」をカナに突きつけながら言った。表紙のロックハートがきょろきょろとカナを見た。「明日の『日刊予言者新聞』を楽しみにしてなよ」
「それにマルフォイに会った――相変わらず胸の悪くなるような奴らだよ」ハリーが吐き捨てた。
「でも聞いておくれよ、パパったら、マルフォイの父親に青あざ作ってやった!」ロンが興奮しながらもひそひそ言った。「まあ、パパも鼻血を出していたけどね」カナは去年の、クィディッチのハッフルパフ戦を思い出した。
 子どもたちは買ってきた教科書やら学用品を広げて、検分した。カナもジニーの部屋で、一緒に一年生用の教科書を広げた。相変わらずギルデロイ・ロックハートの本だらけだ。一年生はただでさえ、用意する教科書が多いのに。ジニーの旅行鞄が重くなってしまうことをカナは憂いた。ふと、古ぼけた変身術の教科書の隣に、同じく古ぼけた黒革の、小さな手帳があることに気がついた。
「ジニー、これは?」「ああ――それは」ジニーが手に取った。「中古の教科書の中にまぎれていたの。書店でごちゃごちゃあったし・・・・・・値段すらつかなそうな、ただの古い日記帳よ」
 カナはパラパラと中をめくったけれど、本当にただの日記帳だ。見た目は古いけれど、中は真っ白。表紙には「1942」と刻印してある。五十年前の日記帳だ。
「あたしの学用品って、お下がりばっかり――杖だって、ビルのよ」ジニーは濃い茶色の、使い込まれた杖を手に取った。「カナみたいな新品がいいわ」
「ぼくのも、はじめはおじいちゃんの使い古しだったよ。でも、意地悪なスリザリン生に折られたんだ」
「ひどいわ」ジニーは眉を顰めた。「スリザリンって意地悪な子がいるのね」
「うん――やなやつばっかり。今日マルフォイに会ったんでしょう?」
「うちが貧乏だって、ばかにしてたわ! それに、ハリーのこともいやみったらしく突っかかってきて・・・・・・あたし、我慢ならなかったの」ジニーは赤毛を膨らませた。握った拳が白くなっていたので、カナはその手を包んだ。
「わかるよ・・・・・・ぼく、でも、一人だけ仲がいい女の子がいるんだ。スリザリンだけど、気持ちの良い子でね。ホグワーツに行ったら、紹介するよ」
「本当?」ジニーはぱっと顔を明るくした。「カナ、あたしも友達がいるのよ・・・・・・友達っていうか、ウン、いや、友達よ。実は近所に住んでいるの。近所と言っても村の向こうなんだけど。こっちも、ホグワーツで紹介するわ」
「うん、楽しみにしてるね」



20230313-20240514


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