ホグワーツの朝だ。冷たい空気が、毛布からはみ出た首筋やら足首やらをつきつきと刺した。
寝室はすでにもぬけの殻だった。寝ぼけ眼で、カナはトランクを探った。
アリシアが去年贈ってくれたヘアブラシは、使っていないことの方が多かった。つい、自分の容姿のことは忘れてしまうのだ。今年は毎日使おうと思っていた。
ずいぶんと髪が伸びた。入学前にはいつもリーマスが切ってくれていたので、去年からカナの髪は伸ばしっぱなしだ。顎のあたりで切り揃えられていた黒髪は、今は肩を覆っている。邪魔だなあ――とカナは思っていた。グリフィンドールに、器用な人がいればいいのに。たとえば、四年生のリー・ジョーダンなんかはお洒落だし、手先も器用そうに見える。
カナの髪はすっかりほとけた。立ち上がった時、膝に何かくっついていることに気がついた。昨日の絆創膏だ。ガーゼに血が滲んでいた。絆創膏を剥がすと――傷はすっかり癒えていた。跡形もない。よく見れば、カナの打ち身だらけだった足も腕も、傷ひとつなくつるりとそこにあった。
赤いブーツの紐を不恰好に縛り、顔を洗ってもそもそとローブと三角帽子に着替え、リボンが傾いたまま、カナは談話室に向かってらせん階段を下る。
「カナ、おはよう」
階段の途中で呼び止められた。燃えるような赤毛に、そばかすの散った白い頬、お下がりの毛羽立ったローブ――ジニーだ。
ジニーは少し照れ屋すぎるみたいだ。あまりにも長い時間、髪をとかしていたものだから(だってハリーに会うかもしれないと思うと、なかなか納得がいかなくて・・・・・・)、同室の子たちに置いて行かれていたそうだ。それで寝坊したカナと同じ時間になったのは、うれしい偶然だった。
グリフィンドール塔を下り、勝手に動く階段を渡り、よく喋る肖像画やカタカタ動く銀の甲冑を通り過ぎた。カナはジニーを連れて、朝食までの短い道のりとはいえ、ホグワーツを歩いた。
大広間の扉を開けたその時だ。
「ロナルド・ウィーズリー!」
カナは吹き飛ばされるかと思った。
モリーおばさんの怒鳴り声が、本物の何倍もの大きさで、爆発したかのように大広間中にビリビリと響き渡った。
「――車を盗み出すなんて、退校処分になってもあたりまえです。まったく、何を考えているのやら・・・・・・車がなくなっているのを見て、わたしとお父さんがどんな思いだったか、おまえはちょっとでも考えたんですか!」
ジニーがあわてて、扉を閉めた。二人は大扉のわきに隠れるように身を寄せた。それでも、おばさんの怒声は壁にぶつかって大広間を揺らし、廊下の方まではっきり聞こえてきた。
「――昨夜ダンブルドア校長からの手紙が来て、お父さんが恥ずかしさのあまり死んでしまうのではないかと思いましたよ。こんなことをする子に育てた覚えはありません。三人とも、死んでいたかもしれないのに!・・・・・・」
「ママの『吠えメール』よ」ジニーがカナの手を引いた。「あたし、恥ずかしくって入れない・・・・・・」
「――まったく愛想が尽きました。お父さんは役所で尋問を受けたのですよ。みんなおまえのせいです。今度ちょっとでも規則を破ってごらん。わたしたちがおまえをすぐ家に引っ張って帰りますからね・・・・・・」
扉の向こうがシーンと静かになった。カナはそっと扉を開けて、中を覗いた。グリフィンドールのテーブルで、ロンとハリーが呆然と椅子にへばりついていた。他の生徒たちは談笑を始め、いつも通りの賑やかさがもどってきた。
「笑うだけ笑ったら、みんなすぐに忘れるよ」カナはジニーをなだめ、大広間へと入っていった。できるだけ目立たないように、そーっと移動した。グリフィンドールのテーブルの端っこに二人並ぶと、カナはジニーのために、山積みのトーストの皿を引っ張ってやった。
「アーサーおじさん、大丈夫だったのかな」カナは胃がきゅうと縮んだようだった。ジニーも眉を下げた。
「でも、もとはといえばパパが『細工』をしていなければ、こんなことにはならなかったわ。だから、カナはそんなに落ち込まないで」
カナも冷たいかぼちゃジュースを喉に流し込み、ウンウンと頷いた。
「ジニーの友達って、どの子なの?」
ジニーはマーマレード・ジャムを塗りながら、「レイヴンクローよ」と言い、後ろのテーブルを見回した。
「今朝は来てないみたい・・・・・・ちょっと風変わりな子なの。また会ったときに紹介するわ」
「ミス・エリオット」マクゴナガル先生だ。「二年生用の時間割です」
カナは受け取った羊皮紙を眺めた。一年生の時とは予定が違う。最初の授業は温室で受ける「薬草学」の実技だ。ハッフルパフとの合同授業で、カナはこれもあんがい好きだった。
カナは一度寝室に戻り、古びた革の肩掛け鞄に教科書と、ドラゴン革の手袋、あとは羊皮紙ひと巻きに羽根ペンにインク壺を詰め込んだ。リーマスが「入学祝いに」とくれた、赤茶の木彫りの手鏡も、鞄に忍び込ませた。お守りみたいなものだ。
カナは談話室を出るときに、忘れ物を取りに何度も戻るネビルと出会った。すでにネビルはピンク色の頬にわずかに汗を滲ませて、暗いブロンドが張り付いていた。
「やあ、カナ」
「やあ、ネビル」カナとネビルは共に温室へと向かった。ネビルは薬草学が得意だった。去年の学期末テストで、魔法薬学のどん底の成績を補えるくらいには。
温室に向かうと、すでに生徒が集まって、スプラウト先生が到着するのを待っていた。
「ハーイ。ネビルに、カナ」
ハッフルパフのハンナ・アボットが声をかけてきた。彼女は気さくで、明るく、まさに満開の白い花のような雰囲気をもつ女の子だ。結い上げた金髪がふわりと揺れた。
「ハーイ、ハンナ。今年も一緒だね」カナは手を振ったけれど、ネビルはモジモジとあいさつした。
ふわふわの茶髪を靡かせながら、スプラウト先生がやってきた。しかしなんと、その後ろにギルデロイ・ロックハートを連れている。スプラウト先生はずんぐりした両手いっぱいに包帯を抱えていた。カナの腕を誰かが小突いた――ロンだ。校庭の向こうに、枝のあちこちを包帯で吊り下げた「暴れ柳」が見えた。
「やあ、みなさん!」
ロックハート先生は、集まっている生徒たちを見回して、白い歯を見せ笑顔をこぼした。
「スプラウト先生に『暴れ柳』の正しい治療法をお見せしていましてね。でも、ワタクシの方が先生より薬草学の知識があるなんて、誤解されては困りますよ。たまたまワタクシ、旅の途中、『暴れ柳』というエキゾチックな植物に出会ったことがあるだけですから・・・・・・」
「みんな、今日は三号温室へ!」
スプラウト先生はイライラと言った。ふだんはおおらかで快活な、ハッフルパフの寮監督に相応しい気質の先生だけれど――みんな事情を察していた。
それよりも、生徒たちは初めて入る「三号温室」について囁きあった。「わたし、知ってるのよ。三号温室には大怪我をするかもしれない魔法植物が植わっているから、一年生は入れられないんだって――」とハンナがうきうき言った。
スプラウト先生がベルトに下げた大きな鍵で、温室の施錠を解いた。ドアが開くと、温室の熱気がふわりと舞い、強烈な花の香りと土と肥料のにおいを運んだ。生徒たちは先生のあとをついてじょろじょろと中へ入る。
「ハリー、キミと話がしたかった!」ロックハート先生がハリーを引き止めた。スプラウト先生はずいぶんと迷惑そうにしたけれど――ロックハート先生が我を通す方が早かった。ハリーは温室の外へと連れて行かれた。
「ロックハートはハリーにお熱なんだ」ロンがあきれて言った。「自分が『有名人として先輩』だと思い込んでいるらしい――」
スプラウト先生はハッフルパフの男の子と共に架台をならべ、授業の準備をした。数分してハリーは温室に戻った。その眉間に皺が寄っているのが見えた。
先生が目の前のベンチの真ん中に二十個ほどの耳当てを並べ終えて、ようやく薬草学の授業が始まった。
「今日はマンドレイクの植え替えをやります。マンドレイクの特徴がわかる人はいますか?」
ハーマイオニーの手が真っ先に挙がった。
「マンドレイク、別名マンドラゴラは、強力な回復薬です」教科書を読み上げるように、淀みない口ぶりだ。「姿形を変えられたり、呪いをかけられた人を元の姿に戻すのに使われます」
「たいへんよろしい。グリフィンドールに十点」スプラウト先生は頷いた。「マンドレイクはたいていの解毒剤の主成分になります。しかし、危険な面もあります。誰かその理由が言える人は?」
またもハーマイオニーの手が勢いよく挙がった。
「マンドレイクの泣き声は、聞くと命取りになります」
「その通り、もう十点あげましょう」スプラウト先生は満足そうだ。
「さて、ここにあるマンドレイクはまだ非常に若い」先生は温室いっぱいに並んだ苗箱を振り返りながら言った。生徒たちはどよどよと前に詰め、その中身を見ようとした。
ふさふさした紫ふちの若い葉が、百個ほどは並んでいた。
「みんな、耳当てを一つずつ取って」
生徒たちはスプラウト先生の指示に従う。
「私が合図したら耳当てをつけて、両耳を完全に塞いでください。耳当てを取っても安全になったら、親指を立てて合図します。それでは――耳当てを付けて!」
カナは灰色のふわふわの耳当てをピタリと装着した――音が消えた。完全に耳が塞がれたのだ。
スプラウト先生も(誰もが手に取らなかった)派手なピンク色の耳当てをしっかりと装着し、ローブの袖をまくりあげ、苗をしっかり掴んで引っ張り上げた。
土から顔を出したのは、泥んこの、シワシワの赤ん坊のように見えた。声は聞こえないけれど、力の限り泣き喚いているように見える――これがマンドレイクの苗なのだ。まだらな薄緑の体が、拘束から逃れようと暴れている。
スプラウト先生は架台の下から大きな鉢を取り出して、マンドレイクの苗をその中に突っ込み、湿った堆肥をてきぱきと被せていった。先生はパッと手についた泥を払い、親指を上に突き出した。みんな耳当てを外す。
「このマンドレイクはまだ苗ですから、泣き声も命取りではありません。しかし苗でも、みなさんをまちがいなく数時間気絶させるでしょう」先生は平然と言った。「新学期最初の日を気を失ったまま過ごしたくはないでしょうから、耳当ては作業中しっかりと離さないように。あとかたづけをする時間になったら、私からそのように合図します」
先生は生徒をてきぱきと四人組に分けていった。
「一つの苗床に四人――植え替え用の鉢はここに十分にあります――堆肥の袋はここです――『毒触手草』に気をつけること」先生は天井まで伸びた巨大な花のとげとげした葉っぱをピシャリと叩いた。「この子は歯が生えてきている最中ですから」先生の肩の上に伸びていた触手が、するりと引っ込んだ。
カナはネビル、それにハッフルパフのハンナとスーザン・ボーンズと組むことになった。みんな、薬草学の時間に少しだけ言葉を交わしたことがある。
「ねえ、カナ。『空飛ぶ車』に乗ってきたってほんとう?」スーザンが手袋をつけながら、興味しんしんに聞いた。彼女はひどくうわさ好きで、軽口が得意だ。くるくるした短いオレンジ色の赤毛が彼女の大ぶりな動きに合わせて揺れる。
「もう、駄目よ、スーザン。先生に聞かれたらどうするの?」ドラゴン糞の堆肥の壺を架台に置きながら、ハンナがたしなめた。
「大丈夫だよ、ハンナ」カナは笑いかけた。「本当だけど、怖かったよ。飛ぶのはいいけど、落ちるのだけが本当に無理」カナの返答に満足したのか、スーザンは「そりゃ、誰だってそうでしょ!」と笑った。
それからは話す暇がなくなった。耳当てをつけたし、マンドレイクの植え替えは思っていたよりもずっと困難だった。スプラウト先生はずいぶん簡単そうにしていたけれど、マンドレイクは土の中から出るのを嫌がったり、鉢に入るときに暴れたりした。カナはあやうく腕に噛みつかれそうになった。三人がかりで鉢に押し込み、あわててネビルが堆肥をかぶせたので、それが飛び散って、みんな泥だらけ、ドラゴンの糞まみれになった。温室を出るときにハンナが「スコージファイ」で洗い落としていてくれなかったら、きっとグリフィンドール塔にドラゴン糞の足跡を残す羽目になっていただろう。
カナはこんなにシャワーが待ち遠しいと思ったことはない。みんな身体を綺麗にしたあとは、変身術の授業に急いだ。
課題はコガネムシを装飾ボタンに変身させることだ。去年、クルミを銀ボタンに変える練習をしたけれど、それよりももっと難しかった。コガネムシは動き回るし、ボタンは美しさも評価対象だった。カナはとりあえずコガネムシを転がして動けなくした。それに――隣の机から、もくもくと煙が上がっているのがすごく気になって、集中を欠いた。マクゴナガル先生も、煙のひどいにおいに顔をしかめていた。
灰色のモクの中にいるのはロンだ。ロンの折れた杖は「スペロテープ」でなんとかつぎはぎされていたものの、もう修復不可能なのだ。カナもよくわかっていた。自分が去年、そんな杖で火壺を小突いて、大変なことになったから――
「こいつめ、役立たず!」変身術の授業が終わり、みんな教室を出ていったけれど、ハリーとロンが残っていた。ロンは苛立たしそうに杖を机に叩きつけた。
「ロン、新しい杖を用意した方がいいよ。ぼくの――去年の火事を覚えているでしょ?」杖から火花がパンパンと飛び散るのを、カナはこわごわと見た。
「ああ、そうすりゃ、また『吠えメール』がくるさ。『杖が折れたのは、カナと違って、おまえが悪いからでしょう――』ってね」煙を吹き出し始めた杖を、ロンは鞄に押し込んだ。
カナはお金さえあれば、ロンに杖を買ってやりたくてたまらなかった。しかしカナは覚えている――杖を買うには、ガリオン金貨を七枚も使った――
ハーマイオニーは先に昼食をとっていた。彼女はさっきの授業で作った、金色や真珠の装飾の付いた完璧なボタンを、三人に見せた。カナはそれがあまりに綺麗で見入ったけれど、ロンはますます機嫌を悪くした。
「次の授業は何だっけ?」ハリーが話題を変えた。
「闇の魔術に対する防衛術よ」ハーマイオニーがすぐ答えた。
ロンが突然、ハーマイオニーの時間割を取り上げた。「君、ロックハートの授業を全部小さいハートで囲んであるけど、どうして?」カナもそれを覗き込んだ――本当だった。
ハーマイオニーは真っ赤になって時間割をひったくり返した。彼女はロックハート・ファンなのだ――モリーおばさんみたいな――談話室でも寝室でも、食事の席でさえ、ロックハート先生の本を何度も読んでいるほどだ。確かにギルデロイ・ロックハートの本はたいへん面白かった。彼は魔法戦士のように怪物と決闘したというのだ。カナも最初は楽しんで読んだけれど、何度も読むほどじゃないし――あまり教科書に向いているとも思えなかった。
カナは寝室で、ロックハートの本をすべて肩掛け鞄に詰め込もうとした――けれど、とても重たくなってしまった。鞄がちぎれてしまいそうだ――しょうがないので、カナは七冊を両手に抱えて、女子寮の階段をおりた。
「見ろよ、最初の『子猫ちゃん』は二年生だ!」
フレッドの声だ。寮から出てきたばかりのカナのもとに、双子とリー・ジョーダンが駆け寄った。
「こんなに重たい『教科書』を持たせて、どんなにためになる授業をしてくれるんでしょうかね?」リーが肩をすくめた。
「でも、本は面白かったよ」カナが言った。
「お前、あんまり真に受けるなよ」ジョージが「バンパイアとばっちり船旅」を取り上げて、表紙のロックハート先生をじろじろ見た。「本なんていくらでも書けるさ、想像で」
「ああ、まさに」フレッドも頷いた。「それに、やっこさんのあの自信過剰はどこからくるんだろうな?」
突然「アイタ!」とジョージがうめいた。彼の頭の上には包みが乗っていた。振り返ると、女子寮の階段の上から、アンジーとアリシアが顔を出していた。
「ジョージ! 約束してたやつよ」
「ヒューッ、アンジェリーナ! お前さんはいつも最高にクールだぜ!」ジョージは急いで包みを開けた――新品のクィディッチ用グローブだ。ジョージはさっそく手にはめ、男子たちは詰め寄ってそれを眺めた。アンジーとアリシアが階段をおりてきた。
「どうしたの?」カナがアンジーに聞いた。
「あたしが紅茶をこぼしたのを、ずーっと根に持ってたから、買い替えてやったのよ。鬱陶しいったら」
「ビーター用のグローブって高いのよ。クラブが滑り落ちない、ちゃんとしたやつじゃないといけないの」アリシアがつけくわえた。
ジョージがうやうやしくお辞儀した。その脇でフレッドとリーが敬礼している。
「これでいっそう邁進して女王陛下をお守りいたします」
「よろしい」アンジーも腕を組んで、ノリノリだ。カナとアリシアは揃ってくすくす笑った。
「そういえば、聞いたか?」ジョージがこそこそと言った。「スリザリンが、新メンバーを募集してるんだと」
「新メンバー?」アンジーが眉を吊り上げた。「誰か怪我でもしたの?」
「さあね」フレッドはにやついていた。「去年グリフィンドールに手も足も出なかったからだろう。フリントのあの間抜け面、相当悔しがってたからな」
「ちなみに、ポジションは?」リーが聞いた。
「シーカーだよ」ジョージの言葉に、みんな、満場一致で頷いた。フレッドの説が正しいようだ。
カナは「闇の魔術に対する防衛術」の教室へと向かった。まだロックハート先生は到着しておらず、みんな同じように教科書を抱えて、廊下に列を作って待っていた。
やがて先生が来た――不満そうなハリーを抱えて、廊下の生徒には目もくれず、そのまま教室にハリーを連れて行く。生徒たちはその後ろを追った。
ハリーは一番後ろの、教師から最も遠い席に陣取って、目の前に七冊を積み上げた。それで先生から顔を隠した。カナはその前の席に座る。隣にはハーマイオニーが腰掛けた。
ロックハート先生は大きな咳払いをした。みんな沈黙して、先生を見た。先生はネビルの持っていた「トロールとのとろい旅」を取り上げ、朗らかにウィンクをしている自分自身の映る表紙を、高らかに掲げた。
「ワタシだ」本人もウィンクした。「ギルデロイ・ロックハート。勲三等マーリン勲章、闇の魔術に対する防衛術連盟名誉会員、そして『週刊魔女』五回連続『チャーミング・スマイル賞』受賞――もっとも、ワタクシはそんな話がしたいのではありません。バントンの泣き妖怪バンシーをスマイルで追い払ったわけじゃありませんしね!」
何人かの生徒があいまいに笑った――ロックハート先生はそれでも手応えを感じているのか、特大の笑顔を返した。
「全員ワタクシの本を全巻揃えたようだね。たいへんよろしい。今日は最初にちょっとした小テストをやろうと思います。心配ご無用――キミたちがどのぐらいワタクシの本を読んでいるか、どのぐらい覚えているかをチェックするだけですからね」
配られたのは、花模様が装飾された、メッセージカードのようなつるりとした紙だった。先生は用紙を配り終えると、教壇に戻り、合図した。
「三十分です。よーい、はじめ!」
カナは羽根ペンの先をインクにひたしたけれど――質問を読んで、思わずちらりと先生を見た。先生はカナの視線に気がつくとにこやかに歯を見せた。あわててカナは用紙に視線をもどした。
質問はこうだ――
一、ギルデロイ・ロックハートの好きな色は何?
二、ギルデロイ・ロックハートのひそかな大望は?
三、現時点までのギルデロイ・ロックハートの業績の中で、あなたは何が一番偉大だと思うか?――こんな調子で、延々と三枚にわたって続いていた。カナは急にばかばかしくなった。あんないいかげんな態度でも、授業はちゃんとしてくれるのだと思っていたけれど、どうも期待しない方がよさそうだ。
きっかり三十分後、先生は答案を回収した。全員が見守る中、それをぱらぱらとめくった。
「チッチッチ――ワタクシの好きな色はライラック色だということを、ほとんど誰も覚えていないようだね。『雪男とゆっくり一年』の中でそう言っているのに。『狼男との大いなる山歩き』をもう少ししっかり読まなければならない子も何人かいるようだ――第十二章ではっきり書いているように、ワタクシの誕生日の理想的な贈り物は、魔法界と非魔法界のハーモニーですね――もっとも、オグデンのオールド・ファイア・ウィスキーの大瓶でもお断りはいたしませんよ!」先生はもう一度、生徒たちに向かってウィンクした。
前の方の席で、シェーマスとディーンが声を押し殺して笑っていた。ラベンダーとパーバティも顔を見合わせていた。
「・・・・・・ところが、ミス・ハーマイオニー・グレンジャー」先生が突然、名指しした。ハーマイオニーはそれまでうっとりと先生の言葉に聞き入っていただけに、ビクリと肩を揺らした。「彼女はワタクシのひそかな大望を知っていましたね。この世界から悪を追い払い、ロックハート・ブランドの整髪剤を売り出すことだとね――よくできました! それに――」先生はハーマイオニーの答案用紙を裏返した。「満点です! ミス・グレンジャーはどこにいますか?」
ハーマイオニーは珍しく、震えながらそっと手を上げた。
「すばらしい!」先生はにっこりとハーマイオニーに笑いかけた。「まったくすばらしい! グリフィンドールに十点あげましょう!」
ロックハート先生はようやく授業に取り掛かる気になったらしい。机の後ろに屈み、布で覆われた籠を取り出して、机の上に置いた。
「さあ――気をつけて! 魔法界の中で最も穢れた生き物と戦うすべを授けるのがワタクシの役目なのです!」先生はまるで、著書の中での戦士のような勇烈な雰囲気でみんなを惹きつけた。色濃いブルーアイがぎらりと光を反射した。「この教室でキミたちは、これまでにない恐ろしい目に遭うことになるでしょう。ただし、ワタクシがここにいる限り、何者もキミたちに危害を加えることはないと思いたまえ」
先生は、覆い布に手を掛けた――みんな息を殺し、食い入るように先生の手元を見つめていた。もう誰も笑ったりはしていない。先生は低い声で言った。
「どうか、叫ばないようお願いしたい。連中を挑発してしまうかもしれないのでね」
勢いよく布が取り除かれた。生徒たちは籠の中身を見つめて――シーンと静まり返った。
「さあ、どうだ――捕らえたばかりの、コーンウォール地方のピクシー小妖精」
群青色の小さな生き物たちが、キーキーと甲高い音を出しておしゃべりをしていた。中では暴れ、籠に体をぶつけてがたがた揺らし、意地悪そうに目を吊り上げて、目の前のネビルにあっかんべーをしていた。怖いというよりは――可愛い。
シェーマスが、ついに吹き出した。笑いだすのをこらえ、肩がプルプルと震えていた。
「どうかしたのかね?」ロックハート先生も、さすがに怖がっているとは思わなかったようだ。
「あのぅ、こいつらが――あの、そんなに――危険、なんですかー?」シェーマスがきれぎれに言うものだから、ほかの何人かもくつくつとお腹を揺らした。後ろの席でロンが息をひきつらせ、机を小突いた音がした。
「チッ、チッ、チッ――思い込みはいけません!」先生は指を振って、シェーマスをたしなめた。「連中は厄介で危険な小悪魔になり得ます!」ピクシー小妖精はさらに大きく籠をがたがたと揺らした。鋭い爪で格子を引っ掻きまくっている。
「さあ! それでは、キミたちがピクシーをどう扱うかやってみましょう!」と先生は声を張り上げて、籠の戸を開けた。
すると――ピクシーたちは一斉にあちこちに飛び散った。一番近くにいたネビルは真っ先に標的になって、二匹のピクシーに両耳をつままれて空中に吊り上げられた――数匹は窓ガラスをぶち破って外へ飛び出したので、カナたちの席にガラス片が降り注いだ――インク壺をひったくったピクシーが教室中に中身を飛び散らせ、本や羊皮紙はびりびりに裂かれた――まるで小さいピーブズが沢山いるみたいだ。生徒のほとんどは机の下に隠れた。誰かの鞄が宙を舞う――窓の外へと何かが放り投げられるのが見える――ゴミ箱も飛んでいった――壁にかかっていたロックハート先生の写真も――ネビルは、かわいそうに、シャンデリアにぶら下げられていた。
「さあ、さあ、捕まえなさい。捕まえなさいよ。たかがピクシーでしょう・・・・・・」先生は手をパンパンと叩き、叫んだ。そして腕まくりして杖を振り上げ――「ペスキピクシペステルノミ!」と声を張り上げた。
しかし何も起こらなかった。ピクシーが一匹、ぴゅんと飛んで、先生の杖を奪い取ると、これも窓の外へ放り投げた。先生がヒェッと息をのんで自分の机の下に潜り込んだとたん――ひどい衝撃音がした。シャンデリアがネビルごと上から落ちてきたのだ。
終業のベルが鳴った。みんな我先に出ようと出口に押しかけた。最後尾になってしまったカナ、ハーマイオニー、ロン、ハリーを、ロックハート先生が呼び止めた。
「さあ。そこの四人にお願いしよう。その辺に残っているピクシーを捕まえて、籠に戻しておきなさい」そう言うと、子どもたちの脇を抜け、そそくさと教室を出ていった。丁寧にも、扉をぴしゃりと閉じていった。
「何なの、あの大嘘つきは」ピクシーの羽を凍結させながら、カナはようやく悪態をついた。「ぼくらを守ってくれるんじゃなかったの」
「まったく耳を疑うぜ」ロンは耳を齧られていた。
「私たちに体験学習をさせたかっただけよ」ハーマイオニーはてきぱきと二匹一緒に「イモビラス」で動けなくして籠に押し込んだ。
「体験だって?」ハリーがあきれた。「ハーマイオニー、ロックハートのやつ、自分のやっていることを全然わかっていないよ」
いまここにニンバス2000があれば、ハリーはあっというまにピクシーをかき集めてしまうだろう。残念ながらハリーが伸ばした手はするりとかわされてしまう。
「違うわ。彼の本、読んだでしょ――あんなに目の覚めるようなことをやっているじゃない」
「ご本人はやったとおっしゃいますがね」とロンが赤毛からピクシーを引っ張りながら、つぶやいた。
カナもようやくジョージの忠告が理解できた。今日の最悪な「体験」は、ロックハート先生を警戒する理由としては十分だった。
木曜日の午前中、魔法薬学の時間――カナはガートを見つけた。やっぱり一人でぽつんと座り、つまらなさそうに教科書をいじっている。
「ハーイ、おちびさん」
ガートがカナに気づいて手を上げた。カナはその隣に滑り込んだ。
「ハーイ、ガート。ねえ、スリザリンはクィディッチのメンバーを探してるんだって?」
「どうしてそれを?」はしばみ色の瞳が瞬いた。
「うわさで聞いたんだ。ねえ、ガートは立候補する?」
「ちょっと迷ってる。だってクィディッチの正式メンバーになったら、シーズン中は毎日練習しないといけないじゃない?」ガートは所在なさそうに、チョコレート色の髪を撫でている。「自分の時間が減っちゃうわけでしょ、まあ、それに替えてでも素晴らしい体験ができるってのはわかってるんだけど」
「でも、きっとうまくいくよ。それにぼく、ガートが飛ぶところ見たい」
「へえ?」ガートはカナの顔を覗き込んだ。「あんた、あたしのファン?」
「うん、そうなるかもよ」カナがにこにこと言うので、ガートは毒気を抜かれたようだった。ちょうど、スネイプ先生が教室に入ってきたので、生徒たちはしーんと静まり返った。
新学期初回の授業だからといって、スネイプ先生はグリフィンドールに容赦しなかった。とくにハリーへの執拗な嫌がらせは健在だった。猫撫で声の点呼を今年も聞くのかと、カナは少し落ち込んだ。去年、世話をかけたこともあって、カナ自身としてはスネイプ先生のことを信用しようと思っていた時期もあった――けれどスリザリンをひいきしたり、グリフィンドールに必要以上に厳しくしたり、意地悪な顔をするところを見ると、どうにもその気持ちは萎びていくのだった。
指示された「制吐薬」の材料を揃えながら、カナはガートにこそこそと話しかけた。
「きみがもし選手になるのなら、ぼくスリザリンの応援だってしてしまうかも。もちろんグリフィンドールの試合以外での話だけど・・・・・・」
「うん、考えておくよ。チャンスがあればね」ガートはすり鉢に投げ入れたナツメの実とチョウジの実をしかめ面ですりつぶしながら、あまりうかない返事をした。
朝霧がまだ冷たく地面を這う時間だ。朝食には少し早い大広間で、ハーマイオニーとロンと合流した。カナは金の皿ごと朝食のサンドイッチを拝借した。ふたりとも行き先はクィディッチ競技場だ。「ハリーが早朝練習に駆り出されてるんだ」と話すロンに、カナは首をひねってみせた。
「今は、スリザリンの新メンバー選抜試験の最中なんじゃないかな」と言うと、ロンが食べかけのサンドイッチのハムをぽろりと落とした。
「マーリンの髭――君、スリザリンなんかを見に行くの!」
「違うよ・・・・・・ほら、ぼく・・・・・・スリザリンのガートルードに誘われたんだ」
――カナが昨晩、ベッドに潜り込んで目を閉じようとしたときだ。
窓に小石がぶつかるような音が何度か響き、カナは飛び上がって、自分のベッド脇の窓を見た。そこには小柄なカラスが、フクロウみたいに羊皮紙を咥えて窓を叩いていた。カナが窓を開けると、カラスはその場に羊皮紙を吐き出して、夜闇の中へ飛び去っていった。
羊皮紙には見覚えのない、流麗な筆跡で「明日の朝八時、競技場に来て。G・A」と記されていた。カナはガートからのメッセージだとすぐにわかった――選抜試験に出るつもりなのだと。
ガートはスリザリン生の中では浮いているみたいだけれど、きっと彼女の素晴らしい飛行を見れば、仲間に入ることができるだろう。もちろんカナはガートの飛行の腕をまったく知らなかったけれど、それを知るためにもよい機会だ――などと考えていた。
「なるほどね」ハーマイオニーが顎に手を当てた。「まずいことが起こりそうだわ。とにかく、早く行きましょう・・・・・・」
三人は早足になって競技場へと急いだ。グラウンドにはクィディッチプレイヤーらしき人影は見当たらなかった。もうグリフィンドールの練習は終わってしまったのか、と、三人はスタンドに腰掛けて、それぞれサンドイッチを手に取り頬張った。
やがて、更衣室からぞろぞろと真紅のローブの集団が出てきた。箒を手に持っている。ハリーがこちらに気がついて、近づいてきた。
「まだ終わってないのかい?」ロンが口の端にパンくずをつけたまま驚いた。
「まだ始まってもいないんだよ」ハリーがロンのサンドイッチをうらめしそうに見た。「オリバーが新しい動きを教えてくれてたんだ」
カナは金の皿を差し出した。空腹のハリーは素直にチキンのサンドイッチを一つ取った。金の皿は空っぽになったけれど、目を逸らしたすきにまた料理でいっぱいになっていた。
ハリーは最後の一口を放り込むと、地面を蹴って空中に舞い上がった。フレッドやジョージとともに、寒空の中を滑って競争している。カナはあくびを漏らした――いつもより早起きをしたのでお腹が満たされて眠くなってきた。それに、呼び出した張本人のガートも見当たらない。
カシャッ、とカナたちの後ろで音がした。三人はいっせいに振り返った。淡い茶髪の男の子だ。
「またあいつか!」ロンがあきれて言った。「勝手にハリーの写真を撮ってるんだ。練習の撮影はマナー違反だって、言ってやらないと」
「優しくね」ハーマイオニーが言った。
ロンが声をかける前に、男の子がカメラをおろし、こちらに声をかけてきた。
「こんにちは。僕、コリン・クリービーです」コリンは少しモジモジして言った。「箒に乗って空を飛ぶのって難しそう。誰でも飛べるようになるんですか? 先輩がたはハリーみたいにすばやく飛べるんでしょうか?」
「あれはハリーだけの才能よ。飛行訓練の授業を受けてみればわかるわ」ハーマイオニーがつんけんと言った。いまだにカシャカシャと音を立てるコリンをあきれて見ている。そんなハーマイオニーのことをロンは目を半分にして見ていた。ロンにしてみれば、ハリー・ファンのコリンと、ロックハート・ファンのハーマイオニーはどちらも同じようなものに見えるらしい。
カナはコリンの持っているものを見た。「それ、何?」
「写真機です! 日本製のL-1です、もちろんマグル製品ですが、ちゃんとした薬液で現像すれば動くんですって!」
「マグルの写真は動かないの? 写真の中の人たちはどうなっているの?」
「どうなっているのと言われましても・・・・・・あっ! ハリー! もう一度こっちを見て!」
「カナ、カナったら」ロンがカナの袖を引っ張って、こそこそと言った。「よせよ、あんましあいつに構うなって」
「どうして? 彼、かわいいよ。ハリーのこと大好きで」
「ハリーは迷惑してるよ・・・・・・今だって、騒音で練習の邪魔してる!」ロンはついでにサンドイッチをもう一つ取って行った。
ふと、カナがグラウンドに視線を戻すと、入場口に箒を持った女の子が立っているのが見えた。ガートだ。キャプテンのオリバーが彼女に気づいて降り立ち、二人はなにやら話し合っているようだけれど――最終的に、ガートは肩を落としてスタンド席の方にやってきた。
「ハーイ、ガート」
「ハーイ、グリフィンドールの皆さん。ごきげんよう」ガートは不機嫌だった。マグルの私服姿のガートはすらりと細身で、随分と背が高く見えた。そのままロンの隣に乱暴に腰掛ける。
「エイブリー、どうして箒を持っているんだい?」ロンが面白いものを見つけたように言った。
「・・・・・・あたしってスニッチを追う才能があると思うのよ」
「でも今はグリフィンドールが練習してる。スリザリンのスパイか?」ロンがしらじらしく聞いた。
「誰が『腐れスリザリン・チーム』ですって?」グラウンドをにらみつけていたガートの華やかな相貌が勢いよくこちらを向いたので、みんなすっかり黙りこくってしまった。美人の怒り顔には迫力がある。
「選抜試験は?」カナが一つ隣から身を乗り出して聞いた。
「さあ・・・・・・あたし、もしかしたら嵌められたのかも」ガートがそう呟いた時だ。「見て、スリザリンよ」とハーマイオニーが顎をしゃくった。入口の方から、ざくざくと芝生を踏みしめてやってくる集団がいた。深緑色の競技用ローブに身を包んだ、間違いない、スリザリンだ。グリフィンドールの選手たちも闖入者に気づいてウォームアップをやめ、地上へ降りてきた。ガートは弾けるように立ち上がり、あちらのほうへ駆けていった。
「揉めてるわよね?」
ハーマイオニーが目を細めた。二人はさっさとスタンドを降りていった。カナもコリンと金の皿をベンチに置いて、グラウンドへと走り出した。
やがて、言い合いの内容が聞こえてきた。「ニンバス2001――僕の父上がチーム全員に買ってあげた箒だよ」カナは近づいて――驚いた。ずんぐりとした巨体の選手のその奥に、小さな影がいた。プラチナ・ブロンドのマルフォイが、競技用のローブを身につけて、新品の箒をみせつけている。ロンが口をあんぐり開けて、七本のピカピカの箒を眺めていた。
「やっぱりね」ガートはいらだたしげに腕組みした。「シーカー募集なんてうそっぱち! そこのおチビさんへの盛大な忖度ってわけね」
「口を慎めよ、エイブリー。お前のお父上の顔を立ててやっていることを忘れるんじゃないぞ」マルフォイがにやにやと言った。
「どうも、ご厚意に感謝いたします」いやみたっぷりにガートが返した。マルフォイは鼻を鳴らした。
「グリフィンドール・チームも資金集めして新しい箒を買えばいい。ウィーズリーのクリーンスイープ五号を慈善事業の競売にかければ、博物館が買い入れるだろうよ」ワッと笑い声が起こった。もちろん、スリザリンのチームから。
「少なくとも、グリフィンドールの選手は、『誰かさん』みたいに誰一人お金で選ばれたりはしていないわ。純粋に才能で選手になったのよ」ハーマイオニーがきっぱりと言った。
マルフォイから笑みが消えた。
「誰もお前の意見なんて求めてない。生まれそこないの『穢れた血』め」
とたんに、ごうごうと非難が沸いた。「よくもそんなことを!」とアリシアが金切り声をあげた。カナもハリーもハーマイオニーも呆然としていたけれど、みんな熱した薬缶みたいに怒りくるった。フレッドとジョージが前に進み出てマルフォイに食ってかかろうとしたのを、アンジーと一緒にカナも引き止めた。スリザリンの巨体のフリントがマルフォイの前に出て、カナの頭上に影を落とした。にやにやと下品な笑みを浮かべている――なにが面白いのだろう。
ロンが「思い知れ、マルフォイ!」と叫んだ。カナのすぐ横からフリントの脇下に長い腕を伸ばし、マルフォイの鼻先に杖を突きつけた。
炸裂音がグラウンドに響き渡った。マルフォイの顔ではなく、カナの真横で緑色の閃光が爆発した。ロンの折れた杖が、呪いを逆噴射した――腹部に衝撃を受けたロンは、よろめいて、芝生の上に尻もちをついた。
「ロン! ロン! 大丈夫?」ハーマイオニーが駆け寄った。ロンは口を開いたけれど、言葉は出ない。そのかわり――大きなゲップとともに、太ったなめくじがボトボトッと数匹落ちた。
スリザリンから引き付けを起こすほどの笑いが起きた。マルフォイなんか、地面に拳を叩きつけて笑っていた。カナはフレッドのローブを握りしめていた手を離し、ゲーゲーと、ねとねとのなめくじを吐き出し続けるロンを抱えて、濡れるのもかまわずに立ち上がらせた。
カナの行動にいち早く気づいて、ハリーもロンを支えた。「ハグリッドの小屋が近くだ、行こう」ハーマイオニーもロンを隠すように立ち、四人はなめくじの跡を点々と残しながらグラウンドを足早に立ち去った。
スタンドから降りてきたコリンが興味津々に近づいてきた。ロンがなめくじを吐き出すのを見て、写真機を構えたので、ハリーが叱りつけた。「コリン、そこをどいて!」
ロンは何度もしゃくりあげ、顔を青くしてなめくじを吐いた。カナはたびたびロンの背中をさすった。森にたどり着くまでに、ハーマイオニーが何度も励ました。「もうすぐよ、ロン。すぐ楽になるから・・・・・・もうすぐそこだから・・・・・・」
ずんぐりした丸太小屋が目の前に見えたとき、木の扉がパッと開いた。しかし姿を見せたのは毛むくじゃらの大男じゃなかった――ブロンドの巻き毛に、藤色のローブをなびかせた、ロックハートだ。
ハリーがみんなを引っ張って、道脇の茂みに身を寄せた。ハーマイオニーはいまにも飛び出したそうにしていたけれど、カナがローブを掴んでいた。
「やり方さえわかっていれば簡単なことですよ」声高に言い聞かせるような口調だ。「助けてほしいことがあれば、いつでも私のところにいらっしゃい! 私の著書を一冊進呈しましょう――まだ持っていないとは驚きましたね。今夜サインをして、こちらに送りますよ。では、お暇しましょう!」
先生は颯爽と歩き去った。その後ろ姿が見えなくなるまで待って、ハリーは立ち上がった。カナはロンの体の下から抜け出して、小屋の戸をあわただしく叩いた。
ハグリッドがすぐに顔を出した。不機嫌そうにしていたけれど、訪ねてきたのが誰だかわかると、パッと表情を明るくした。
「いつ来るんか、いつ来るんかと待っとったぞ――さあ入った、入った――実はロックハート先生がまーた来たんかと思ったんでな」
室内はこぢんまりして、あたたかい。暖炉では火がパチパチと跳ね、薬缶が熱い湯気を噴き出していた。
カナとハリーはロンを椅子に座らせた。ロンはもちろん、カナもずいぶんとねとねとまみれになっていた。見かねたハーマイオニーが二人のローブを綺麗にしてくれた。そのすぐ直後に、犬のファングがカナの膝の上に顎をのせ、涎を垂らしたので結局はべとべとになった。
「呪いが逆噴射したんだ」カナは、ロンがいまだに握りしめている、折れた杖を取り上げて説明した。「ナメクジ呪いだよ」ハリーが付け足した。ハグリッドは動じなかった。ロンの目の前に銅の水桶を差し出した。
「出てこんよりは出てきたほうがええ。ロン、みんな吐いっちまえ」
「そうね、止まるのを待つほかないと思うわ」ハーマイオニーはロンの背中をさすって、心配そうに見つめた。
「『呪文終了』は?」
「この呪いはただでさえ複雑なの。ましてや杖が折れていたら・・・・・・」
そう話しているあいだに、ハグリッドはお茶の準備をしてくれた。暖炉から熱々の薬缶を持ってくる。
「ねえ、ハグリッド。ロックハートは何の用事だったの?」
ハリーがファングの耳の裏を撫でながら聞いた。
「井戸の中から水魔を追っ払う方法をおれに教えようとしてな。まるでおれが知らんとでもいうように」
テーブルの上の雄鶏(羽根を半分むしりかけている途中のようだ)を取り上げて、ハグリッドは熱々のティーポットを置いた。
「そのうえ、自分が泣き妖怪とかなんとかを追っ払った話を、さんざんぶち上げとった。やっこさんの言っとることが一つでも本当なら、おれはへそで茶が沸くだろうよ」
ハグリッドに批判されるなんて相当だ。去年、スネイプ先生すらかばってみせたのだから。
「それって、ちょっと偏見じゃないかしら」ハーマイオニーがうわずった声で反論した。「ダンブルドア先生は、あの方が一番適任だとお考えになったわけだし――」
「この仕事をやるっちゅうたのがあいつだけだったんだ。ほかにはだーれもおらんかった」
糖蜜ヌガーが差し出された。ロンはまだげぼげぼ咳き込んでいる。カナは一つ手に取った――ひとくち噛むと、上顎と下顎ががっちりとくっついてしまった。
「闇の魔術の先生をするもんを探すのが難しくなっちょる。だーれも進んでそんなことをやろうとせん。な? みんなこりゃ縁起が悪いと思い始めた。ここんとこ、長続きしたもんはおらんしな」
カナは熱い茶を一口すすった――これでヌガーが溶けるかも。
「それで? おまえさんは誰に呪いをかけようとした、え?」ロンを顎でしゃくって、ハグリッドが聞いた。
「マルフォイだよ」ハリーが言うと、ロンの頭がぱっと現れた。青白い額に汗をびっしりと浮かべて、しゃがれ声で言った。
「マルフォイのやつ、ハーマイオニーのことを『穢れた血』って言ったんだよ、ハグリッド――」
ロンはすぐに沈んだ。ぼとぼととなめくじが桶に落ちる音がする。ハグリッドがもじゃもじゃのひげを膨らませて、憤慨していた。
「そんなこと、本当に言うたのか!」ハーマイオニーを見た。
「言ったわよ。でも、意味は知らないわ。もちろん、ものすごく失礼な言葉だということはわかったけど・・・・・・」
「『生まれそこない』だとも言ってた・・・・・・みんな怒ってた」ようやくヌガーが溶けたカナも付け加えた。
「あいつの思いつく限り、最悪の侮辱の言葉だ」ロンが切れ切れに言った。「『穢れた血』って、マグル生まれをさす最低の汚らわしい呼び方なんだ。魔法使いの中には、たとえばマルフォイ一族みたいに、みんなが『純血』って呼ぶものだから、自分たちが誰よりも偉いって思っている連中がいるんだ」
ゲップとともになめくじが一匹飛び出した。それをキャッチして、桶に落としながらロンは話を続けた。
「もちろん、そういう連中以外は、そんなことまったく関係ないって知ってるよ。ネビル・ロングボトムを見てごらんよ――あいつは純血だけど、鍋を逆さまにかけたりしかねないぜ」
「それに、おれたちのハーマイオニーが使えねえ呪文は、これまでひとっつもなかったぞ」
ハグリッドがひげをなで、誇らしげに言ったので、ハーマイオニーはパッと頬を染めた。
「他人をそんなふうにののしるなんて、むかつくよ」ロンが細く息をつき、額の汗を拭った。「『穢れた血』だなんて、まったく。卑しい血だなんて、狂ってるよ。どうせ今どき、魔法使いはほとんど混血なんだ。もしマグルと結婚していなかったら、僕たちとっくに絶滅しちゃってたよ」ロンはまたテーブルの下に消えた。なめくじの波が来たらしい。
「うーむ、そりゃ、ロン、やつに呪いをかけたくなるのも無理はねえ――だけんど、おまえさんの杖が逆噴射したのはかえってよかったかもしれん。ルシウス・マルフォイが学校に乗り込んできおったかもしれんぞ。おまえさんがやつの息子に呪いをかけっちまってたら・・・・・・少なくとも面倒に巻き込まれずにすんだっちゅうもんだ」
子どもたち――もちろんロン以外の――が紅茶を飲み終えると、ハグリッドは小屋の裏の野菜畑に誘った。そこには去年と比べようもないほど巨大な、お化けかぼちゃがごろごろと転がっていた。
「ハグリッド、どうやってこんなに大きくなったの?」カナがしげしげと薄橙色のかぼちゃをなでると、ハグリッドはチラッと周囲を見た。誰もいないこと確認して――コソッと言った。
「その、肥料というか――やっとるもんは――ほれ、ちーっと手助けしてやっとる」ハグリッドの小屋に立てかけてある、花模様の傘に視線が集まる。ハグリッドは魔法を使ってはいけないことになっている。三年生の時にホグワーツを退学になったと聞いた。そのことについて触れると――ハグリッドは大きく咳払いして、なぜか急に耳が聞こえなくなって、話題が変わるまで口を閉じてしまう。
「『肥らせ魔法』じゃない? とにかく、ハグリッドったら、とっても上手にやったわよね」ハーマイオニーは半分非難しているような、半分楽しんでいるような言い方をした。
「ロン、お前さんの妹もそう言っておった。つい昨日会ったぞい」ハグリッドはハリーを横目で見て、髭をピクピク動かした。「ぶらぶら歩いているだけだと言っとったがな、おれが思うに、ありゃ、この家で誰かさんとばったり会えるかもしれんって思っとったな――あの子は欲しがるぞ、おまえさんのサイン入りの――」
「やめてくれよ」ハリーがそう言うと、ロンがプーッと噴き出して、そこらじゅうになめくじを撒き散らしたので、ハグリッドが悲鳴を上げた。
「気ーつけろ!」
20230318-20240515