昼食の時間が近づくと、ロンのなめくじ発作はずいぶんと落ち着いた。しゃっくりで赤ちゃんなめくじを二匹吐き出しただけだ。四人は空腹を抱えて大広間に向かった。
 玄関ホールの扉を開けた時、呼び止める声があった。
「ポッター、ウィーズリー、エリオット。そこにいましたか」厳しい表情のマクゴナガル先生だ。「三人とも、処罰は今夜です」
「僕たち、いったい何をするんでしょうか」ロンが口元を押さえながら聞いた。
「あなたは、フィルチさんと一緒にトロフィールームで銀磨きです。ウィーズリー、魔法はダメですよ。自分の力で磨くのです」
 ロンは絶句した。ホグワーツの管理人であるアーガス・フィルチは、生徒にネチネチと嫌味を言い、チクリ魔なので嫌われている。
「ポッター、あなたはロックハート先生がファンレターに返事を書くのを手伝いなさい」
「えーっ、そんな・・・・・・」ハリーも肩を落とした。「僕もトロフィールームの方ではいけませんか?」
「もちろんいけません」先生は眉をつりあげた。「ロックハート先生はポッターを特にご指名です」そして最後にカナを見下ろした。「エリオット、あなたはスネイプ先生と、地下牢へ備品を運び込むのを手伝うのです」
 まわりで三人が息を呑むのが聞こえた。「三人とも、八時きっかりに」と言いつけ、マクゴナガル先生は立ち去った。
 カナたちは肩を落として大広間にとぼとぼと入った。ハーマイオニーが追い抜いて行った――「だって校則を破ったんでしょ」とでも言いたげな顔だ。テーブルいっぱいにあふれそうなランチを目の前にしても、カナは思ったほど食欲が湧かなかった。
「フィルチは一晩中僕を離してくれないよ」ロンが両手で額を覆った。「魔法なしなんて! あそこには銀杯が百個はあるぜ。僕、マグル式の磨き方は苦手なんだ」カナもロンの苦悩がわかる。「がれきの城」にいた頃、カナは真面目に銀器磨きをしたためしがなかった。
「いつでも代わってやるよ。ダーズリーのところでさんざん訓練されてるから」ハリーの声もうつろだった。シェパード・パイを取り分けたのはいいけれど、それが口に運ばれることはなかった。「ロックハートと過ごすなんて・・・・・・」
 二人の視線がカナに向かった。カナはフォークでベイクドポテトをくるくるとほじくり、弄んでいた。
「かける言葉がないよ、カナ」ロンが青白い顔で言った。「かわいそうに、魔法薬の材料にならなきゃいいけど・・・・・・」
「馬鹿なこと言わないで」ハーマイオニーがぴしゃりと言った。
「少なくともロックハート先生よりはましだよ。ピクシーに杖を取られたりしないもの」カナが言うと、ロンがプッと吹き出した。そのひょうしになめくじが一匹飛び出して、ゴブレットに入っていった。ロンはゴブレットが空なのを確かめて、ひっくり返した。



 夜八時になろうとしていた。カナはローブにマフラーを巻き、地下牢のスネイプ先生の研究室を目指した。
 地下室に続く階段の入り口に、夜の闇に溶け込んでしまいそうな、黒ずくめの出立ちのスネイプ先生が立っていた。
「来なさい」カナに気がつくと、先生はさっさと歩き出した。そのまま、地下には降りず、教科棟の倉庫の鍵を開けた。
「ミス・エリオット、君はこの中の大鍋をすべて地下室に運ぶのだ。私はランプと火壺を運ぶ――何かあって爆発してはたまらないのでね」先生のいやみだ。カナは何も反論せず、頷いた。去年の魔法薬の授業で火事を起こしたのは事実なのだ。
 カナは倉庫の備え付けカートに大鍋を目いっぱい載せた――といっても、倉庫に山積みになるほどの大鍋をすべて乗せることはできなかった。地下階段の目の前までカートで行き、そこから先もひと苦労だった。数個の大鍋を抱え、それを落とさないように階段をそーっと降りて、地下教室に積み上げなくてはならなかった。階段を往復するのはなかなかの重労働だった。首元に厳重に巻いたマフラーを、こんなに憎らしく思ったことはない。
 何度か、カナは教科棟と地下階段を往復して、倉庫の大鍋をすべて移動させた。カナの顔は汗をかいて、真っ赤だ。
 反対に、石のような表情に汗ひとつないスネイプ先生が、「これで最後だ」と、カナにいくつか瓶を持たせた。ぶあついガラス製の大瓶で、中身はまだ入っていない。「これを私の研究室へ」
 カナは倉庫の外に出た。両手いっぱいに瓶を抱えているせいで、あまり前がよく見えない。カナが体を傾けて、地下階段に向かおうとした時だ。
 カナは耳を澄ませた――何か声を聞いたような気がした。カナの脳裏に、去年の「禁じられた森」で聞いたささやき声が蘇る――そのイメージを振り払うように頭を振った。でも、やっぱり声が聞こえてきた。

こっちへ来い・・・・・・

 背筋に、ぞっと氷が滑るような心地がした――ひどく冷酷な、するどい刃物のような――息が止まりそうなほどに憎悪に満ちた声だ。

どこだ・・・・・・八つ裂きだ・・・・・・殺す・・・・・・殺してやる・・・・・・

 ガシャン! と甲高い音が廊下に響いた。ガラスの破片がカナの足元に散らばった。カナが、手に持っていたものを落としてしまったのだ。
 物音にスネイプ先生が駆け寄ってきた。「エリオット!」カナをとがめるような声が飛んできた。カナは先生を振り返った。眉をきつく吊り上げ、先生はカナの足元に杖を突きつけた。割れたガラス瓶が元通りになる。
「先生、なにか、おっしゃいましたか?」カナが浅く息を吐きながら青白い顔でスネイプ先生を見た。
「なんだと?」先生はカナのただならぬ様子に面食らい、しかし言っている意味をはかりかね、困惑してカナを見た。
「何か聞こえませんでしたか?」カナはもう一度先生を見上げた。スネイプ先生は「いいや」と短く答え、杖を灯して周囲を見回した。
「何を聞いた」先生がカナに聞いた。もうあの声はしない。カナは空耳だったのかもしれないと思いたかった――でも、あの魂まで凍りつきそうなおぞましい声を、気のせいで済ませることはできなかった。すぐに頭の裏に、ダンブルドア校長の声がよみがえった――「ヴォルデモート卿が、きみの存在に気がついた」――カナはなんと言えばスネイプ先生に説明できるのか考えた。
「あの――ぼく――すみません、寝ぼけていたのかも・・・・・・」カナは嘘をつくことに慣れていない。ごまかすのだって――下手くそだ。青白い顔で、顎に汗を垂らして、目を見て話せないなんて、「嘘をついています」と全身で語っているようなものだ。でも、怖くて言い出せなかった。カナの肩が僅かに震えているのを見て、スネイプ先生は杖を振って倉庫の鍵を閉めた。
「今日はもう終わりだ。ついてきなさい、寮まで送り届けよう」
 カナが落とした瓶を廊下の端に寄せ、先生はグリフィンドール塔までカナに付き添った。先生は黙りこくり――カナも、何も言いだせなかった。
 談話室はがらんどうだった。カナは先生にお礼を言ったのかどうかさえ思い出せない。



 せっかくの日曜日なのに、カナは何もする気になれなかった。湿った曇り空が昼過ぎまで続き、カナはランチが終わった頃にようやく寝室からトロトロと出た。カナがどんよりと落ち込んでいることに、談話室にいたフレッドがすぐに気づいた。
「どうした、カナ――昨晩の折檻がそんなに酷かったのか?」
 カナたちが昨晩、空飛ぶ車のことで罰則を受けたことはみんなが知っていた。フレッドやジョージはカナをからかおうと構えていたけれど、あまりにも様子がおかしいので素直に心配したというわけだ。
「そうだ、カナ。ジニーを呼んできてくれよ。あいつもちょっと落ち込んでるんだ――多分、ハリー不足か何かだと思うけど――気分転換に行こうぜ」
 フレッドとジョージは、妹のジニー、そしてカナを連れて、箒置き場までやってきた。双子は自分達の箒を引っ張り出して、またがった。
「おんぼろだけど、まあ――おちびさんたちなら許容範囲だろう。だってあのフリントだって、去年まで年季の入ったコメットに乗ってたんだ」
 フレッドはカナを箒の上に引き込んだ。そして、マントで隠すみたいにカナを覆った。ジョージの箒を見ると、ジニーも同じように、ジョージのマントのすきまからカナを見ていた。
「おっと、忘れてた」フレッドは杖でジョージをトントンと小突いた。水が流れ落ちるみたいに、ジョージの姿が見えなくなった――「目眩まし術」だ。フレッドも、カナも、同じように姿が消えた。ジョージが魔法をかけてくれたのだろう。
「それじゃあな、兄弟。スキャマンダーの砲撃に気をつけろよ」ジョージが言った。「そっちこそな。アバネシーが天文台にいるだろうから、望遠鏡に足を引っ掛けるなよ」フレッドが返した。
 そして、ふわりとカナの体が浮いた――フレッドが箒を浮かせたのだ。「そこにいろよ。落っこちたら見えないんだから」フレッドがカナにささやいた。カナは箒をしっかりとつかんだ。
「ぼく、高いのは怖いよ――」城の屋根が見えるところまで浮かんだ時、カナがうめいた。
「なんで」
「だって――落ちる――」
「落とすもんか!」フレッドがけらけらと笑った。突然ガクンと高度が落ち、カナが金切り声をあげた。フレッドが箒を持ち直した。
「フレッド!」カナの痛烈な悲鳴を、フレッドは笑った。それから加速を続け――ホグワーツの上空をなめらかに滑った。フレッドはカナのために手加減しているようだった。
「いつもはグリフィンドール塔のてっぺんで、ジョージと落ち合うんだ」フレッドが言った。「でも、お前さんが怖がるからな。今日はこのへんまでにしとくよ。ジニーもあんま慣れてないと思うから、ジョージも無理して飛ばないと思うし・・・・・・」
 フレッドはカナがなにも言わなくても、とりとめのない話をしてくれた。それがひどく心地よかった。風がカナに吹きつけるあいだは、何もかも忘れて上空の景色に見入った。

 どのくらい飛んでいたのだろう。カナが小さくクシャミをしたので、フレッドはひと気のない「禁じられた森」の手前に降り立った。ハグリッドの小屋が近くに見える。フレッドが杖で「目眩まし術」を解除した。
「はー、楽しかった。お前さんは?」
「うん、楽しかったよ。それにドキドキした」カナはフレッドに笑いかけた。「いつもこんな悪さを?」
「おい、人聞きが悪いぞ。僕たちが不良みたいだろ」
「確かに、『不良生徒』の明確な定義はありませんね」尖った声が飛んできた。二人はバッと振り返った――マダム・フーチが箒を手に持って、こちらへと歩み寄っていた。「しかし、箒の二人乗りは校則違反です」
 カナは硬直した。「先生、そんな校則があったなんて!」とフレッドが芝居がかった口調で言った。マダム・フーチは「一年生の頃にも言ったはずです、ウィーズリー!」と厳しく叱りつけた。
「箒が足りないと思って見回りをしていれば――またあなたがたですか。次のスリザリン戦で出場停止になりたいのですか?」と鷹のような黄色い目を尖らせると、フレッドが頭を下げた。「箒を返してきます!」と低い声で叫び、クルリと背を向けた。カナの手を引っ張るのも忘れない。
「グリフィンドール、十点減点!」先生の鋭い声が飛んできたが、フレッドはこっそりと舌を出す――そして走り出した。
 カナはフレッドに引っ張られながら、芝生を蹴り、石畳を飛ばし、いつの間にやら箒置き場にたどり着いた。
 フレッドはカナの手をパッと放した。二人は息を整えながら――どちらからともなく笑い出した。
「アハハ、フレッド、もう――」カナがきれぎれに言った。
「ごめん――ハア、でも、運が良かったと思わないか?」フレッドがウインクした。「こんなことで出場停止になるなんて思わないだろ? だからつまりは――二人乗りじゃなければいいはずだ」
「ぼくに箒の練習をしろって?」
「また飛びたいならな」
 カナはあいまいに笑って、肩をすくめた。「いいけど、あと何年かかるかな・・・・・・」フレッドがカナの髪をかき混ぜた。カナはもう、あの声のことを考えてはいなかった。



 ハロウィーンが近づいてきた。城のあちこちに積み上がる色とりどりのかぼちゃやジャック・オー・ランタンに、生徒はイベントが近づいてくるのを感じて胸躍らせた。しかし、天の機嫌はあまり良くないようだった。ほとんど毎日曇天続きで、十月に入ってからは冷たい雨が降り注いだ。多くの生徒が体調を崩し、医務室に助けを求めていた。
 不思議なことに、カナは去年の虚弱さがうそのように、まだ一度も風邪をひいていない。厳重に首元にマフラーを巻きつけ、気温の低い日はブランケットにくるまって過ごしてはいたものの、カナの体調はすこぶる良かった。
 ジニーは顔色を悪くしていた日が続いていたので、またもや心配したパーシーが、手製の『元気爆発薬』で風邪を治そうとした。カナもあれを飲んだことがあるけれど――ジニーの顔は真っ赤な石炭みたいに燃え、煙を吹き出していたので、グリフィンドールの談話室が煙で満たされることとなった。
「最近、あたし、変なの」ジニーがうつむいて、カナにそう打ち明けた。「自分が自分じゃないみたいに思える時があるの」
 カナはなんと言葉をかけてよいかわからず、ただジニーの手を握った。
「ジニー、ごめん・・・・・・ぼく、なにも言えなくて」
「ううん。カナがいてくれてよかったわ」ジニーは力なく微笑んだ。
「もうすぐハロウィーン・パーティーだよ。大広間の飾りがすばらしいから、ジニーも一緒に楽しもう。パンプキンパイもほっぺが落ちそうなほど美味しいし――だから、元気をだして」
「ええ、そうよね・・・・・・」
 カナはできるだけジニーの様子を気にして、一緒に過ごすことにしていた。雨空が続く。こんな天気の日は気が滅入ってしまうものだ。カナもときどき、罰則の夜のことを思い出してしまうときがある――

 リーマスの返信も、去年ほどカナを浮つかせるものではなくなった。彼の言葉は温かく、やさしさにあふれていた――それを読んでもカナが心から満たされないのは、本当のことを伝えていないからかもしれない。「空飛ぶ車」で登校したことも書かなかったし、奇妙な恐ろしい声のことも書かなかった。どんなふうに文字にして良いのか、わからなかった。説明もできないし――リーマスに伝えてもどうしようもないだろう。彼には、無事にホグワーツで過ごしていることだけ伝えたらいいと、そう思ってとりとめのないことを書いたのに。
 カナは、やっぱりリーマスに、会って直接話したいことがたくさんあった。



 平日のある夜。アリシアとアンジーが、談話室の隅っこでビーズや刺繍糸を広げていた。
「何をしているの?」ジニーを引き連れたカナが、それを覗き込んだ。
「カナ、それにジニーも」アリシアがほがらかに言った。「ちょうどいいところに。ねえ、手伝ってくれない?」カナとジニーに椅子を勧め、二人の目の前にも糸の束と皿に入ったビーズを差し出した。
「チームのみんなに、ミサンガを作っているの」
「ミサンガって?」
 アンジーが、赤地に金の糸が斜めの走った完成品を見せた。両端で、キラキラした金色の蝶のビーズが羽をパタパタと動かした。アンジーはそれを腕に巻きつけた。
「腕とか足とかに結ぶの。ブラジルのナショナル・チームが、ルーティンにしてるのよ。ちょっと真似してみようと思って」
「へえ、素敵だね」
 カナとジニーもミサンガ作りに参加した。編み方は複雑だったけれど、いくらか編んでいけばすぐに慣れた。カナは最初、アリシアみたいに杖で作ろうとしたけれど、力加減が分散して不恰好になってしまったので、手作業で編みなおした。
 アリシアが持ってきたビーズは、これもまた赤色か金色で統一されていた。シンプルな丸い珠もあったし、フルーツやテディ・ベアなどの可愛らしいモチーフもあった。鳥やカエルは目を離すとすぐに逃げようとするので、蓋を開けた時はすばやく選ばないといけなかった。
 数時間して、カナはようやく一つ完成させた。すこしねじれていたけれど――アリシアはそれでいいと言ってくれた。
「祈りを込めるのが重要なの。『占い術』でも言っていたわ。呪物の効力は執念の程度で決まるって――」
「アリシア」熱弁する友人を、アンジーがたしなめた。
 カナは飾りのビーズに、大きな丸い、濃い赤色の珠を選んだ。ブラッジャーに良く似ていて、今にも吹っ飛んでいきそうだと、ひと目見た時に思った。誰がつけるかわからないけれど――双子のどっちかがピッタリだと思った。
「ジニー、スニジェットの飾りがある」金色の、別のケースに入れられたビーズをカナが見せた。ジニーは頬をポッと赤くして、その飾りを――すばしっこくて、逃げないように二人がかりでなんとかつまんで――ミサンガに組み込んだ。小さな小さなスニジェットは、ミニチュアの脚や羽をジタバタとさせて、逃げようともがいていた。
「じゃあ、ジニーのはシーカー用だね」アリシアがコソッと言った。
 その時だ。談話室の広間のテーブルの方で、派手な花火の炸裂音がして、みんながいっせいにそっちを見た。フレッドとジョージが、「フィリバスターの長々花火」をサラマンダーに食わせて、火をつけたのだ。サラマンダーは流星のように、口から橙色の火花を流れ出しながら、勢いをつけて部屋中をクルクルと飛び回った。グリフィンドールは大はしゃぎだ。パーシーは声をからして双子を怒鳴りつけていたけれど、まわりの歓声が大きすぎてその声は掻き消えていた。
 長々花火入りのサラマンダーはカナたちの元にも飛んできて、机の上のビーズの皿をぶちまけた。
「ウィーズリーズ!」アリシアが怒って立ち上がった。カナたちは杖を振って、飛び散ったビーズをなんとかかきあつめた。いくつかなくなってしまったかもしれない。
「よくもわたしの目の前で、またしてもトカゲをおもちゃにしたわね!」
 さすがの双子も、温厚なアリシアに叱られるのは堪えるらしい。逃げる双子を追いかけまわし、談話室の中をかわいらしい火花が飛び交うのを、ついにアンジーが見かねて、ため息をつきながら立ち上がった。
 ジニーはくすくすと笑っていた――カナはその姿を見て、ちょっとだけ安堵した。



 ハグリッドの巨大かぼちゃはすくすく育ち、中身がくり抜かれて大広間に並んだ。大人が三人はすっぽり入れる大きさだ。中には色とりどりのろうそくやランプがひしめきあっていた。カナもその巨大なランタンの中に、小瓶に青い炎を入れたハーマイオニー直伝の簡易ランプを入れた。ついに今夜はハロウィーン・パーティーだ。ダンブルドア校長が今夜のパーティーの余興に、「骸骨舞踏団」を招待しているといううわさも、生徒たちの足取りを軽くした。
 カナは図書館に魔法薬の参考書を返却してから、ジニーを迎えに談話室に入った。だけど――赤毛の女の子が見当たらない。
 一年生の女の子にジニーの行方を尋ねてみた。さっきまで談話室にいたらしい。カナは、もう大広間に向かったのかと思い向かったが、そこにもジニーは居なかった。パーシーや、フレッドとジョージにも聞いてみたけれど、それどころではなかった。双子が今朝のクィディッチの訓練でふざけて足首を捻挫したのを、こんこんと叱りつけていた――すでに治療は済んでいて問題はないらしいのだけれど――双子はさらにこの陽動を利用して、スリザリンのチームメンバーを箒からはたき落とそうと計画していたのがばれ、オリバーに叱られた直後だったので、イライラしていた。大広間のすみで始まった兄弟喧嘩に巻き込まれる前に、カナは大広間を離れた。
 ジニーはどこにいるんだろう? カナを探すなら、ルームメイトに伝言の一つでもするはずだ。置き手紙だって、すればいい。何も言わずにいなくなってしまうなんて、ジニーらしくなかった。それに、ずっと前からカナは、ジニーとハロウィーン・パーティーに行こうと約束していたのだ――それを違えるような子じゃない。カナは校庭も城内も、あちこち歩き回って、赤毛のロングヘアを探した。医務室にだって行った。ハグリッドの小屋にだって――
 すっかり陽が落ちて、空気は冷え込み、真っ暗な夜になってしまった。遠くに、大広間のオレンジ色の灯りが見えた。みんながハロウィーン・パーティーに向かう中、カナは熱い息を吐きながら、諦めずにジニーを探して歩いていた。
 こんなときゴーストがいてくれたら、いろいろと情報提供してくれるのに。なぜだか今日は、不思議と誰とも出会わない。ポルターガイストのピーブズがいたずらを仕掛ける物音すらしない――それが不気味だった。
 一度、大広間に足を運んでみようと思った時だ。
 ふと――背筋が凍るような声を聞いた――まただ――カナはぞっと悪寒を走らせた。

・・・・・・引き裂いてやる・・・・・・八つ裂きに・・・・・・殺してやる・・・・・・

 全身が心臓になってしまったかのようだ。カナは冷たい汗をかいた。カナは――カナは震える足をなんとか動かした。
 吐き気を催すような殺意を感じる。声はだんだんと幽かになって、遠ざかっていくようだった。杖を片手に、カナは声を追いかけた――移動している――もしもジニーが狙われたら? ジニーのようすがおかしいのは、この声と関係しているの? もしも声の主に見つかってしまったら、ぼくはどうなるの?
 ひと気のない城内は松明の炎でわずかに照らされている。ほとんどが暗闇だ。時々、風が起こるのか、明かりがばたばたとゆらめくのが、不気味だった。

・・・・・・空腹だ・・・・・・待ちわびた・・・・・・

 カナは階段を登った――だんだんと声が近づいているような気がする。カナの顎から、冷たい汗が落ちた。相変わらず心臓はバクバクと早打ち、指先はひどく冷たい。

・・・・・・殺す・・・・・・殺す・・・・・・

 いつ背後から、真上から、それとも足元から飛びかかられるのではないかという恐怖と戦っていた。足がすくむ――膝が震える。声がするたびに呼吸を忘れてしまい、息を吐くために口を開くと、歯がガチガチと鳴った。
 ふと――カナは、また別の声を聞いた。泣き声だ。女の子の――でもジニーじゃない。人目もはばからずしゃくりあげて、悲しげで、ひどく傷ついている、痛ましい泣き声だ。
 廊下が水浸しになっていた。あたり一面に大きな水溜りができている。良く見ると、女子トイレのドアの隙間から漏れているようだった。
 カナは、聞いたことがあった――三階の女子トイレはずっと故障中で、水を吹き出し続けている。ここで殺された女の子のゴーストが、トイレに取り憑いているのだと――
 思い切って、ドアノブに手を掛けた。そっと扉を押すと、簡単に開いた。
 中は水浸しだった。暗く、でも掃除はされているようだ。バシャバシャと水が打ちつける音がしていた。ぎゃんぎゃんと、泣き声が膨れるように大きくなる。カナは身を滑らせ、トイレの中に入る。
「誰かいるの?」
 水音と泣き声がやんだ。「誰?」と陰気で抑揚の無い声がした。
「グリフィンドールのカナ・エリオット。きみは?」
 乳白色の小さな体が、スーッとトイレの個室を通り抜けて現れた。ローブを着込んだ、ホグワーツの生徒に見える。小太りで、垂れた髪がべっとりと張り付いている。まだ、目からぼろぼろと涙を溢れさせていた。
「マートルよ。何――あんたも私を笑いに来たんでしょ。太っちょマートル、ブスのマートル・・・・・・」
「誰かがそう言ったの?」カナは気遣わしげに、マートルに言った。マートルは、またみるみる歯を食いしばって、泣き声をあげた。「ごめん、マートル――ぼくはきみを傷つけに来たんじゃないんだよ。女の子を見ていない? 一年生で、赤毛の――」
 かわいそうなマートルはカナの話を聞くまもなく、トイレの個室に舞い戻り、便器に勢いよく飛び込んだ。水が噴水のように天井まで溢れて、あたりを水浸しにした――そのあまりの勢いに、カナは廊下まで押し流されるかと思った。

・・・・・・血の匂いだ!

 尻もちをついたまま、カナは凍りついたように動けなくなった。心臓が止まったかと思った――振り返る。誰もいない。でも「あの声」が、今までで一番近くに聞こえた。カナは狂ったように辺りを見回した。天井にも、トイレの隅にも、流し台の下にも――何もいない。
 かすかな物音がした。それに足音だ――誰かが廊下にいる。
 カナは少し迷って――その足音が完全に聞こえなくなってから、そっと扉を開けた。
 誰の気配もしなかった。カナはぐっしょり濡れて重くなったローブを引きずって、廊下に出た。そして――異変に気がついた。
 どうして、最初に気が付かなかったのだろう――いや、最初はそこに無かったに違いない。
 松明の下に、猫がぶら下がっていた――ホグワーツ城の管理人であるフィルチさんの飼い猫、ミセス・ノリスだ。松明の腕木に尻尾を絡ませて、揺らめきもせず、目を見開いて――死んでいる?
 カナは視線を滑らせた。その真横の壁に、赤い液体で塗りたくるように文字が書かれていた。

 秘密の部屋は開かれたり
 継承者の敵よ、気をつけよ


「カナ!」
 ハリーの声だ。息をきらせて――走ってきたのだろうか。信じられないものを見たような形相で、カナの全身を眺めていた。「どうしたんだ――どうしてずぶ濡れで――」
 カナは今、水溜りのど真ん中に、全身水浸しで、呆然と突っ立っている。
 ハリーの後ろに、ロンとハーマイオニーも駆けつけた。
「なんだ、これは・・・・・・」と壁の文字をハリーが見つめた。「きみが書いたのか?」
「ちがう・・・・・・」カナは掠れた声で言った。「猫が・・・・・・ミセス・ノリスが・・・・・・」
「猫だって?」ロンがかすかに震えた声で言った。見回して――ハーマイオニーが指差した。その先にぶら下がっているミセス・ノリスを、全員が見た。しばらく、誰も動くことができなかった。
「降ろしてあげないと・・・・・・」カナがおもむろに伸ばした手を、誰かが掴んだ。ロンだ。
「ここを離れよう」震えた声で、ロンが言った。
「助けてあげなくていいのかな・・・・・・」ハリーもうめくように言った。
「僕の言う通りにして・・・・・・ここにいるところを見られないほうがいい」
 だけど遅かった。ざわめきが、廊下の両側から押し寄せてくるのが聞こえた――ハロウィーン・パーティーが終わったんだ。誰もが、カナたちのいる廊下の異変に気がついて――近づいてきた。
 ミセス・ノリスがぶら下がっているのを見た途端、ざわめきが嘘のように消えた。何十人もこの場にいるはずなのに――ささやき一つ聞こえなくなった。
 誰も、近づきたくないけれど、何が起こっているのか見たいと――押し合っていた。けれど誰も飛びだしては来ない――カナたちは、浮島のようにぽつんと、水浸しの廊下に取り残されていた。
「継承者の敵よ、気をつけよ!」突然、甲高い叫びが廊下に響いた――人垣を押し退けて出てきたのは、マルフォイだった。
「次はお前たちの番だぞ、『穢れた血』め!」
 いつもは青白い頬を紅潮させ、ぴくりとも動かなくなったミセス・ノリスを見て、ニヤリと笑った。
「なんだ、なんだ! 何事だ?」
 マルフォイの大声を聞きつけて、管理人のフィルチさんが人混みを押し分けて前に来た――そして、ミセス・ノリスを見た。彼は恐怖におののき、両手で顔を覆って、後ずさりした。
「私の猫だ! 私の猫だ! ミセス・ノリスに何が――」そして水溜りの真ん中に立つ子どもたちの中にハリーがいるのを見て、目を剥き出した。「おまえだな!」金切り声で叫んだ――錯乱したように。「お前だ! お前が私の猫を殺したんだ! あの子を殺したのはおまえだ! 俺がお前を殺してやる! 俺が・・・・・・」
「アーガス!」
 ダンブルドア校長の声だ。背後に数人の先生を従えていた。
 校長先生はさっそうとカナたちの目の前を通り抜け、ミセス・ノリスを下ろした。
「アーガス、一緒に来なさい。きみたちもおいで」校長先生はカナたちに目配せした。ロックハートがうやうやしく進み出た。
「校長先生、ワタクシの部屋が一番近いです――すぐ上です――どうぞご自由に――」
「ありがとう、ギルデロイ」
 人垣がパッと左右に割れて、一向を通した。カナは、その中にジニーの姿を探してみた――見つからなかった。
 興奮した様子のロックハートがダンブルドア校長のすぐ後ろに付き従い、その後ろをカナたちが行き、すぐ後ろにマクゴナガル先生とスネイプ先生が続いた。

 明かりの消えたロックハートの部屋に一行が入ると、壁面であたふたと動くものが見えた。写真があちこちに掛かっている。どうせ自分の写真だろう――ロックハートらしい。
 部屋の主は机の上の蝋燭を灯した。ダンブルドア先生が、その机の上に猫を下ろした。マクゴナガル先生は暖炉に火をつけて、その前に椅子を並べた。カナのびしょ濡れのローブや髪を一瞬で乾かしてくれ、そこに座るように促した。子どもたちはぐったりと身を寄せ合うように座った。
 ダンブルドア校長は鉤鼻をくっつけるようにして、ミセス・ノリスを診察した。長い指でそっと突っついたり、引っ張ったりして。マクゴナガル先生も同じように身をかがめて調べていた。スネイプ先生はその後ろ、影の中にそっと立ち、笑いを噛み殺しているような――奇妙な表情で部屋全体を見ていた。
 ロックハートはというと、みんなの周りをうろうろ歩き、あれやこれやと意見を述べていた。
「猫を殺したのは、呪いに違いありません――たぶん『異形変身拷問』の呪いでしょう。何度も見たことがありますよ。ワタクシがその場に居合わせなかったのは、まことに残念。猫を救う、ぴったりの反対呪文を知っていましたのに・・・・・・」
 ロックハートのおべんちゃらに鞭を打たれているのは、フィルチさんだった。涙も枯れ果て――ミセス・ノリスをまともに見ることすらかなわず、ただ激しくしゃくりあげるばかりだ。
 ダンブルドア校長はぶつぶつと難解な言葉を呟き、杖先で猫を軽く叩いた――何も起こらない。
「――そう、非常によく似た事件がワガドゥグーで起こったことがありました。次々と襲われる事件でしたね。ワタクシの自伝に一部始終書いてありますが。ワタクシが町の住人にいろいろな魔除けを授けましてね、あっというまに一件落着でした」
 ダンブルドア校長がようやく身を起こした。そして、やさしく言った。
「アーガス、ミセス・ノリスは死んでおらんよ」
 ロックハートが、自分が未然に防いだ殺人事件の数を数えるのをやめた。
「死んでない?」フィルチさんは喉を詰まらせた。指の隙間から、ミセス・ノリスを覗き見た。「それじゃ、どうしてこんなに――こんなに固まって、冷たくなって?」
「石になっただけじゃ」ダンブルドアが言う後ろで、ロックハートが「やっぱり! ワタクシもそう思いましたよ」と頷いていた。「ただし、どうしてそうなったのか、わしには答えられん・・・・・・」
「あいつに聞いてくれ!」フィルチさんが悲痛な面持ちで、子どもたち――ハリーを指差した。
「二年生がこんなことをできるはずがない」校長先生はきっぱりと言った。「最も高度な闇の魔術をもってして、初めて・・・・・・」
「あいつがやったんだ! あいつだ!」フィルチさんは怒りに顔をゆがませ、たるんだ頬を真っ赤にして、血を吐くように言った。「あいつが壁に書いた文字を読んだでしょう! あいつは見たんだ――私の事務室で――あいつは知ってるんだ。私が・・・・・・私が・・・・・・」
 言葉が詰まり、舌が絡んだようにうめいて――フィルチさんの顔が苦痛に歪んだ。
「私ができそこないの『スクイブ』だって知ってるんだ!」
「僕は書いていない!」ハリーが立ち上がった。「それに、ミセス・ノリスに指一本触れていない。スクイブが何なのかも知らない――」
「そんなわけがない! あいつはクイックスペルから来た手紙を見やがった!」
「校長、少しよろしいですかな」
 スネイプ先生のねばついた声だ。影から数歩、歩み出してくる。「ポッターもその仲間も、単に間が悪くその場に居合わせただけかもしれませんな」まるでそうは思っていない様子で、スネイプ先生の口元が冷たい笑みを浮かべていた。「とはいえ、一連の疑わしい状況が存在します。だいたい連中はなぜ三階の廊下にいたのか。なぜハロウィーン・パーティーにいなかったのか」
「僕たち、『ほとんど首無しニック』の絶命日パーティーに出席していたんです!」ロンが叫んだ。
「私と、ロンと、ハリーの三人です」少し言いにくそうにハーマイオニーが言った。
「夜七時から、地下牢で・・・・・・」
「ゴーストが何百人もいましたから、私たちがそこにいたと、証言してくれるはずです」
「それでは、その後パーティーに来なかったのはなぜだね? なぜあそこの廊下に行ったのかね?」
 ロンとハーマイオニーが、ハリーの顔を見た。
「それは――つまり――」ハリーが口籠った。スネイプ先生は、ハリーをどうにか自白させようと、意地悪そうに微笑んで、真上から覗き込むようにして威圧感を与えていた。カナは咄嗟に「ハリーはあとから来たんです」と言った。
「エリオット、君には聞いていない」スネイプ先生の暗い目が、カナに向いた。
「いいえ、先生」カナはスネイプ先生を見据えた。「ぼく、ハロウィーン・パーティーにも『絶命日パーティー』にも行きませんでした。一人で――友だちを探していて、学校じゅうを歩いていました」
「ほう?」スネイプ先生の眉が、つーんと吊り上がった。冷たくカナを見下ろしている。
「ぼく、あの――それで――最後にマートルのトイレに入りました。廊下が水浸しで、泣き声が聞こえていたので・・・・・・そしてトイレから廊下に出たら――猫が――」
 みんな、カナの言葉を沈黙して聞いていた。
「だからハリーたちは、ぼくのあとから廊下に来たんです。ハリーはやっていません。スネイプ先生――フィルチさん――信じてください」
「君のその証言は、そのまま君が最も疑わしい者であると自白しているようなものだが、よろしいのかね?」
「よろしいも何も、事実です」カナが毅然と言うので、スネイプ先生は気に食わなそうに手を後ろで組み直した。フィルチさんががたりと音を立てて立ち上がった。
「それに――」カナは一度口をつぐんだ。浅く息をして、言おうか、言うまいか、何度か口を開いたり、閉じたりした――「先生、学校には、血の匂いを嗅ぎつける、透明の生き物がいるんでしょうか」
「透明の生き物だと?」スネイプ先生が、退屈そうに言った。「その『透明の生き物』がやったと? そう言いたいのかね?」
「わ、わかりません」カナは不安そうに、細く息を吐いた。握りしめた拳はすっかり白くなっていて、気づけば肩が、膝が、がたがたと震え出していた。「今夜だけじゃない・・・・・・ぼく――前にも――」
「セブルス、それくらいに」マクゴナガル先生が前に進み出た。「ミス・エリオット、一度落ち着いて。医務室へ案内します」

 カナはマクゴナガル先生に手を引かれ、ロックハートの部屋を後にした。カナは浅い息を何度も吐き、うつむいて歩いた。廊下の隅の物陰――空き教室の窓の向こう――天井の暗がり――夜闇の満ちた、いたるところから、また「あの声」がするのではないかとビクビクした。
「落ち着いて。ゆっくり息をしなさい」マクゴナガル先生は時々立ち止まり、カナを優しく宥めた。背をとん、とん、と叩かれると、少しずつ肩の緊張がほぐれるようだった。
「怖い思いをしましたね」
 先生はカナが落ち着いたのを見ると、また歩き出した。カナも先生に引っ張られるように歩く。
「マクゴナガル先生・・・・・・」カナが、あたりに視線を走らせながらうめいた。先生は立ち止まってくれた。「声を聞いたことはありますか?」
「城には、ゴーストもポルターガイストも、喋る肖像画も、動く甲冑もあります。エリオット、どんな声ですか?」
「『殺してやる』って・・・・・・」
「カドガン卿の寝言とは違いますか?」
「もっと殺意に満ちた・・・・・・恐ろしい声でした・・・・・・」カナの言葉を、マクゴナガル先生は頷きながら聞いた。医務室にたどり着くと、扉を控えめに叩き、中から校医のマダム・ポンフリーが顔を出した。
「まあ、ミス・エリオット。お久しぶり」
「ポピー、この子を一晩泊めてくださいな。恐ろしい体験をして・・・・・・深く傷ついているようです」
 カナは暖炉の前に座らされた。
「ミス・エリオット」マクゴナガル先生が、つとめてやさしく問いかけた。「先月の罰則の夜にも、あなたは声を聞いたと、言っていたそうですね」
 カナは頷いた。
「何か、心配事でも? 疲れていることは?」
「いいえ・・・・・・先生、ぼく、嘘じゃありません」
「ええ、もちろんですとも」
 カナの前に、熱い紅茶が差し出された。マダム・ポンフリーがカナのそばに来て、ブランケットをかけてくれ、背をさすった。
「体が冷えています」
「マダム、ぼく、病人じゃ・・・・・・」
「お茶を飲んで、今は休んで」
 カナはだんだん、自分が錯乱していると思われていることに気がついた。カナの言うことはまともにとりあってもらえない――その応酬に、だんだん、腹が立ってきた。
「ぼくはおかしくなんかなってない!」カナがマダム・ポンフリーの手を振り払うように立ち上がった。テーブルにぶつかり、はずみでティーカップが跳ね落ち、砕けた。
「エリオット。病人は皆そう言うのです」
「病人なんかじゃ・・・・・・」くらりと、世界が回り、閉じていく――カナは全身から力が抜け、マダム・ポンフリーの腕の中に落ちる。瞼が落ち切る直前に、一瞬、マクゴナガル先生が杖を手にしているのが見えた。眠らされたに違いない。
「ポピー、こんなことを言いたくはないのですが・・・・・・」わずかに、先生のささやきが、遠のく意識のあいまに聞こえてきた。「姿無き声に語りかけられたと言った魔法使いや魔女は、皆発狂しました・・・・・・」



20230324-20240515


戻る
TOP