日曜日は、一日中医務室から出してもらえなかった。カナはまるで重病人みたいに面会謝絶となり、カーテンはぴっちり閉じられ、ベッドから出ているとお叱りを受けた。カナはいらいらが募っていくのが、自分でもわかるほどだった。医務室の中は薄明るいけれど、今が何時なのかもわからない。
 脱走するしかない。カナは決意して、そっと毛布を剥ぎ取った。カナはなぜ自分が閉じ込められているかも理解できなかったし、話を聞こうともしない先生たちにもうんざりしていた。
 音を立てないように机の上の杖をとり、カーテンをめくった。部屋の中央に備え付けられた暖炉の向こう、医務室の入り口に、マダム・ポンフリーが待機している。
 いっそのこと、窓を開け放って、そこから飛び降りてやろうかとも思った――でもカナにはどうせできっこない。下を見たら、足がすくんでしまうに違いない。
 カナは暖炉の前まで、足音を殺して忍び寄った。そして棚の上に積まれたブリキの洗面器に目をつけると、杖を振り、それを引っ張って落とした。
 けたたましい騒音が医務室にこだました。いくつかがごろごろと床を転がり、あちこちに散乱した。マダム・ポンフリーはなにごとかと、棚の方へ近寄った。
 カナはその瞬間、自分が今まで居たベッド脇の窓を勢いよく開け放った。冷たい風がぴゅうと吹き込んで、カーテンを大きく揺らした。マダムは「エリオット!」と叫んで、そちらへと駆けた。カナはこそこそと暖炉に隠れながら、視線をきり、そして――いっきに出入り口へと走った。
 マダム・ポンフリーはすぐに、カナが窓から飛び出したわけではないことに気づくだろう。それでもいい。医務室を出られたなら、もうそれで――寮にさえ辿り着ければいいのだ。カナは走った。

 階段を飛び上がって、自分以外の足音がしないことに気がついて、振り返る――誰もいなかった。カナはようやく歩調をゆるめた。なんとか医務室から脱出することには成功したらしい。
 ほっと息を吐いたのも、つかの間――突然、カナは暗闇に引っ張り込まれた。
 悲鳴をあげる間も無く、カナの口は塞がれ、杖が突きつけられた。
 心臓がドッと脈打った――夜闇の記憶が押し寄せる――あの声――ヴォルデモート――緑色の閃光――

「あんたが『秘密の部屋』を開けたの?」

 聞こえたのは、見知った声だ。
 カナはもごもごと顎を動かし、ペチペチと杖を持つ手を叩いた。すぐさま解放された。
「『秘密の部屋』だって?」
「なんだ、違うの」
 振り返る――やっぱり、ガートだった。カナの恐怖心はすっかり引っ込んだ。
 空き教室だ。照明はなく、薄暗い。それに埃っぽくもあった。
 カナはガートに向かって、やれやれと肩を落として見せた。
「わかっていたでしょ、ぼくにはそんなことできっこない・・・・・・『箱入り』なんだから」
「よく言うよ」
「ガートは、どうして待ち伏せを?」ため息をついて、カナは机に寄りかかった。
「あんたが錯乱したっていう噂を聞きつけてね、『友達』として気にかけてやったんだけど?」
 カナに向いたガートの鋭い目つきは、緩むことはなかった。疑いの色は消えない。でもカナは目を逸らさなかった。
「それだけじゃないよね」カナはきっぱりと言った。「ぼくに探りを入れに来たってところでしょう」
 ガートは感心したように笑みを深くした。カナはため息をついた。
「ぼくがヴォルデモートの娘だから?」
 カラン――と軽い音が教室内に響いた。ガートが杖を落とした。
「――あんたって、まさか――そうなの?」
「知らないよ――そうかもしれないと思っているだけ」
 カナはうつむいた。ガートはため息をついて、手近な椅子に座り込んだ。
「それ、他の誰かにも喋ったの?」
「ハリーと、そんな話をしただけ。彼は違うと言ってくれたけど・・・・・・」カナは息を吸った。「去年、色々あったでしょ・・・・・・ハリーが教えてくれたんだ・・・・・・ヴォルデモートが、ぼくを『血族』だって・・・・・・」
 ガートは黙り込んだ。カナは顔を上げることが出来なかった――しばらく沈黙が続いた。
 カナがようやく顔を上げた。
「きみはいろいろ知ってるみたいだね」
「よしてよ・・・・・・あんたこそ、わかってるでしょ。あたしはまた、ホグワーツで起きたことを嗅ぎ回ってるだけ」
「『秘密の部屋』っていうのは?」
 ガートは一瞬、カナを見た。
「あんたに話す理由がない」
「ぼくが『継承者』だったとしても?」
 はしばみ色の不思議な虹彩が、カナをにらみつけた。
「ガートは『継承者』が何なのか知ってるんだね?」カナはにやりと口角を上げた。
「ふん・・・・・・それで尋問してるつもり?」憤慨してガートが腕を組み、立ち上がった。そしてよどみなく歩き、カナに近づいた。「つまり、あんたがサラザール・スリザリンの継承者で、『秘密の部屋』を開け、フィルチさんの猫を石にした――」
「スリザリンの?」カナがきょとんとすると、ガートがあきれた。
「もっぱら噂になってるよ。ホグワーツの生徒はハリー・ポッターこそが『継承者』だとささやいているけど・・・・・・実際は違う。あんただってうわさもあるけど・・・・・・あたしから言わせてみれば、すべてばかげてる」ガートはカナのまわりをぐるりと歩きながら語った。「本物の『継承者』なら、あんな間抜けな見つかり方はしないって思うね。今もどこかで息を殺し、身を潜めている・・・・・・」
「それがあの『不気味な声』だっていうの?」
 カナはついうっかり、そう言ってしまった。あわてて口を塞いだけれど、遅かった。ガートはカナをじっと見つめた。
「『不気味な声』だって?」
 蛇のような探る視線に射抜かれる。
 カナは汗をたらした。でも――白状した。
 不気味な声を二度聞いたこと、声を追うとミセス・ノリスの現場にたどり着いたこと、「声を聞いた」と喋ると、マクゴナガル先生に錯乱したと疑われたこと――ガートはカナの話を真剣に聞いた。
「それであんた、医務室に閉じ込められてたんだ」同情するような、気遣わしげな目でガートは息を吐いた。「そうだね――そう思われてもしょうがないんじゃないかな。現にあんた以外はその『声』を聞いていないし。他の人には黙っておいたほうがいいだろうね」
 カナは気落ちした――うつむいて、孤独感とまだ色濃い恐怖に打ちのめされかけていた。だから、ガートが真剣な顔つきで考え事をしていることになんて、気がつかなかった。
「良いよ。カナ、取引をしよう」
 パッと顔を上げた。ガートは、恍惚と思惑――狡猾さの滲んだ蛇のような目で、うっとりと笑った。
「あたしはあんたの幻聴について黙っておく。そのかわり、ハリー・ポッターに協力しないこと」
「どうして?」
 ガートは答えなかった。
「これは取引、約束、契約だよ。あんたが違えたら、あたしはあんたの秘密を喋る」
「ぼくをハリーから引き離すのがきみの役目なの?」
 チョコレート色のつやつやした髪が、膨らんだ。ガートは怒気をはらませて、カナをにらんだ。
「忘れたの? 取引は無効? あんたがマグル生まれを迫害しようとしているって、魔法省に陳情してもいいんだからね」
「もう、わかった。きみの言うことをきくから・・・・・・」
 返ってきたのはにっこり笑顔だった。
「それと、この一年、あんたはあたしの週末の呼び出しにすぐ応じること」
「呼び出して何をするの?」
 ガートは目を爛々と輝かせた。
「『アニメーガス動物もどき』の訓練だよ!」
 カナはきょとんとして、両目を瞬かせた。
「『アニメーガス』?」
「あんた、見たことないの? ほら、マクゴナガル教授なんか、有名だよ。魔法省に公式に登録されているアニメーガスなんだから」ガートが、杖を絵筆のようにして空中に猫をえがいた。ただし、すぐにその絵の具は、空中ではじけて消えた。「ま、非公式のも、もちろんいるけどね。見つかったら罰金払わなくちゃいけないの」
「それで、どうしてぼくが訓練を?」
「あんたのためにもなるからだよ」ぐっと近づかなければばらないほど、ガートはひそひそと言った。「動物に、好きな時に変身できるんだ――魅力的だし、すっごく便利だと思わない?」
 頷くしかなかった。カナの週末の予定は、今年一年、思いっきり犠牲になるしかないのだ。

 すっかり力が抜けたら、カナは空腹だったことを思い出した。ぐうと思いっきり鳴いたお腹をさすって、ガートとともに大広間への道を歩く。
「むかついて、医務室で与えられた食事を全く口にしないなんて。あんたって捕虜の才能ないよ、ほんと」ガートはそんなカナの様子をけらけらと笑った。
 その通りで、カナは丸一日、全く食事を摂らなかった。もう夕食の時間に近かった。ガートはグリフィンドールと並んで歩くことなど、まったく気にしていない様子だった。誰とすれ違おうが、スリザリン寮が近づこうが、カナに対する態度を変えることはなかった。カナは、それが心地よいと思った。カナは初めて――ガートルードに対する友情に手応えを感じていた。
 大広間の中ではさすがに、それぞれ寮に別れなければならなかった。
 カナがグリフィンドールのテーブルに近づくと、近くの生徒がおしゃべりをやめ、シーンと静かになった。カナはさっきまでの満ち足りた心地が、風で吹き飛ぶ木の葉のように散っていくのを感じた――「継承者があんただってうわさもあるけど・・・・・・」――ガートの声が頭の中でこだました。疑われるというのはこんな感じなのかと、カナは静かにテーブルの端席についた。

 グリフィンドール寮に戻ると、カナは真っ先にジニーを探した。談話室の隅っこで、パーシーと一緒に何やら話し込んでいるようだった。
「ジニー」
 カナが近寄るまで、ジニーは気配に全く気がつかなったようだ。弾かれるように顔を上げ、それがカナだとわかると、女子寮のほうへと逃げた。
「ジニー!」パーシーも、一応といった感じで引き留めたが、赤い髪は、階段の向こうに消えた。
 カナは、呆然とそれを見送っただけだった。
「カナ。ジニーは君たちを心配してた・・・・・・」パーシーが静かに言った。「君たちにあんなことができるはずないし、あんなひどいことをするような子だとは思っていない――そう、ジニーにも説明したんだ。だけど、それ以上にショックを受けてる――だから、カナ、しばらくそっとしてあげてほしいんだ」パーシーがカナを励ました。
「うん――」カナは少しショックだったけれど、無理もない。生き物が石になるなんて。それに、仲の良い友達や自分の兄弟が関わっていたとしたら、相当なショックを受けるだろう――あの場でジニーの名前を出さないでいたのは正解だったかもしれない。無関係の彼女を巻き込んでしまうところだった。優しくて純粋なジニーがこんなに心を痛めているのだ――
「スプラウト先生のマンドレイクが育つまでの辛抱だよ。ダンブルドアが言っていた――『マンドレイク薬』さえあれば、呪われた姿を元に戻すことができる」パーシーは、優しくカナの落ち込んだ背中を叩いた。



 カナをとりまくひそひそ声は、数日のうちに薄れていった。みんな、どちらかというと「秘密の部屋」が何なのか、という方向へと興味が傾いていた。図書館の利用者が増え、あらゆる歴史書に「貸出中」のラベルが貼られていく。
 マクゴナガル先生は気遣わしげにカナを見遣っただけで――とくにお咎めは無かった。
 午後の授業だ。満腹を抱え、グリフィンドールの二年生たちは日当たりはよいが非常に埃っぽい、魔法史の教室へと向かった。ビンズ先生の授業はひどく退屈で――ぼそぼそと一本調子で手元の手帳を読み上げる声は、生徒たちにとっては子守唄に等しかった。
 カナもうとうとと船を漕いでいた頃だ。突然、ビンズ先生が話すのをやめた。みんな、何事かと目を覚ました――ハーマイオニーが、他の授業でそうするように、まっすぐに手をあげていた。
「ミス――あー?」ビンズ先生が驚いて、ハーマイオニーに尋ねた。
「グレンジャーです」ハーマイオニーははっきりと言った。「『秘密の部屋』について何か教えていただけませんか」
 両腕を枕にしていたラベンダーが、髪がくっついたたままの顔を上げた。ディーンは窓の外を見るのをやめた。ネビルは驚いて、肘が机から滑り落ちていた。ロンの口が「マーリンの髭」とつぶやいたように見えた。
 ビンズ先生は、まるで生徒に質問されるのは初めてといったふうに、動揺して目を瞬かせた。
「わたしがお教えしとるのは魔法史です」とまどい、かすれた声だ。「事実を教えとるのであり、ミス・グレンジャー、神話や伝説ではないんであります」こほん、と一つ咳払いして、先生は再び一二八九年の国際魔法戦士条約についての項目を読み上げ始めた――が、また止まった。
 ハーマイオニーがもう一度手を上げていた。
「ミス・グラント?」
「先生、お願いです。伝説というのは必ず事実に基づいているのではありませんか?」
 先生の驚きようといったら――ビンズ先生の講義を途中で遮る生徒は、生きている間にも死んでからも、ただの一人もいなかったに違いない。
「ふむ」ビンズ先生は考え込むように呟いた。「しかり、そんなふうにも言えましょう。たぶん」
 先生は、ビンズ先生は、われを忘れたようにハーマイオニーを見つめた。
「しかしながらです、あなたがおっしゃるところの伝説はといえば、これはまことに人騒がせなものであり、荒唐無稽な話とさえ言えるものであり・・・・・・」
 先生がぼんやりと、教室の全体を見回した。この場にいる生徒は、みんなビンズ先生に注目していた――
「あー、よろしい」まごまごと、先生は「秘密の部屋」について語り出した。
「さて・・・・・・皆さんも知っての通り、ホグワーツは一千年以上も前――正確な年号は不明であるからして――その当時の、最も偉大なる四人の魔女と魔法使いたちによって、創設されたのであります。創設者の名前にちなみ、その四つの学寮を次のように名づけたのであります。
 ゴドリック・グリフィンドール。
 ヘルガ・ハッフルパフ。
 ロウェナ・レイヴンクロー。
 そして、サラザール・スリザリン」
 カナは、ガートがあの密会でサラザール・スリザリンの名を出していたことを思い出した。そして――組分け帽子がカナに言っていたことも。
「彼らは詮索好きなマグルの目から遠く離れたこの地に、ともにこの城を築いたのであります。なぜならば、その時代には魔法は、一般の人々の恐れるところであり、魔女や魔法使いは多大なる迫害を受けたからであります。
 数年の間、創設者たちは和気藹々で、魔法力を示した若者たちを探し出しては、この城に誘って教育したのであります。しかしながら、四人の間に意見の相違が出てきた。スリザリンと他の三人との亀裂は広がっていった。スリザリンは、ホグワーツには選別された生徒のみが入学を許されるべきだと考えたのであります。魔法教育は、魔法族の家系にのみ与えられるべきだという信念を持ち、マグルの親を持つ生徒は学ぶ資格がないと考えて、入学させることを嫌ったのであります。この問題をめぐり、スリザリンとグリフィンドールが激しく対立し、サラザール・スリザリンが学校を去ったのであります」
 生徒たちは、静かにビンズ先生の話を聞いていた――今までのような、まどろんだ静けさではない。真剣に、ひとつも聞き漏らすまいと、まっすぐ見つめながらだ。ビンズ先生はくしゃりと顔を歪めた。
「信頼できる歴史的資料はここまでしか語ってくれんのであります。しかしこうした真摯な事実が、『秘密の部屋』という空想の伝説により、曖昧なものになっております。
 スリザリンがこの城に、他の創設者には全く知られていない、隠された部屋を作ったという話があります。その伝説によれば、スリザリンは『秘密の部屋』を密封し、この学校に彼の真の継承者が現れる時まで、何人なんぴともその部屋を開けることができないようにしたという・・・・・・」
 カナの全身に、ぞくりと悪寒が伝う――「スリザリンならキミは、さしあたり女王蜂というところか」――組分け帽子が言っていたじゃないか。「是が非でもスリザリンに入れたい」と――
「・・・・・・その継承者のみが『秘密の部屋』の封印を解き、その中の恐怖を解き放ち、それを用いてこの学校から魔法を学ぶに相応しからざるものを追放するという」
 先生は語り終えた。沈黙が教室内を満たした――生徒たちは目を開いてビンズ先生を見つめていた。もっと聞きたい――もっと話してほしい――とそわそわした。カナの青い顔には誰も気づいていない。
 先生は困惑して、やや早口に言った。
「もちろん、すべてはたわごとであります。当然ながら、そのような部屋の証を求め、最高の学識ある魔女や魔法使いが、何度もこの学校を探索したのでありますが、そのようなものは存在しなかったのであります。騙されやすい者を怖がらせる作り話であります」
 再三、ハーマイオニーの手が空中に伸びた。
「先生――『部屋の中の恐怖』というのは具体的にどういうことですか?」
「何らかの怪物だと信じられており、スリザリンの継承者のみが操ることができるという」先生は苛立ち混じりにいった。生徒は顔を見合わせた――カナは顔を上げることができなかった。「言っておきましょう、そんなものは存在しない」先生は授業用の手帳をぱらぱらとめくり始めた。「『部屋』などない。したがって、怪物はおりません」
「でも、先生」シェーマスだ。頬を紅潮させて、立ち上がった。「もし『部屋』がスリザリンの継承者によってのみ開けられるなら、他の誰も、それを見つけることはできない、そうでしょう?」
「ナンセンス。ミスター・オッフラハーティ」ビンズ先生の声は険しさを増した。「歴代のホグワーツ校長先生がたが、何も発見しなかったのだからして――」
「でも、ビンズ先生」パーバティが甲高い声で言った。「そこを開けるのには、闇の魔術を使わないといけないのでは――」
「ミス・ペニーフェザー、闇の魔術を使わないからといって、使えないということにはならない」ビンズ先生はぴしゃりと言った。「繰り返しではありますが、もしダンブルドアのような方が――」
「でも、スリザリンと血がつながっていないといけないのでは? ですからダンブルドアは――」ディーンが言いかけたとき、ビンズ先生が手帳を勢いよく閉じた。
「以上、おしまい。これは神話であります! 部屋は存在しない! スリザリンが、部屋どころか、秘密の箒置き場さえ作った形跡はないのであります! こんなばかばかしい作り話をお聞かせしたことを悔やんでおる。よろしければ歴史に戻ることとする。実態のある、信ずるに足る、検証できる事実であるところの歴史に!」
 ビンズ先生はビリビリと怒鳴って――いつもの無気力な授業に戻ってしまった。

「サラザール・スリザリンが狂った変人だってこと、それは知ってたさ。でも、例の純血主義のなんのってスリザリンが言い出したなんて。僕ならお金を貰ったって、そんなやつの寮に入るもんか・・・・・・」教室の隅で、ロンがそうぼやくのが聞こえた。
 授業が終わると――カナは早足で教室を飛び出した。
 うつむいて廊下を歩きながら、カナは回らない頭で考えていた。組分け帽子がカナをスリザリンに入れたがっていたのは、おかあさんがそうだったからだと思っていた。おかあさんが父親や他の家族の話をしないのは、何か事情があるからなのだと思っていた――でも、もしかしたら、おかあさんはカナにスリザリンの適性があることを知っていたのではないだろうか。
 カナがスリザリンではないのは、カナが拒絶したからだ――もしもあのとき、流れに身を任せていたら、スリザリンに入っていた――そしたらカナは、どんな運命を辿っていたのだろうか。もしかしたら、ほんとうにサラザール・スリザリンの継承者に――
「わっぷ」
 考え事をしたまま歩くからだ。カナは顔を打った――ぶつかったのは、幸いにも見知った顔の、パーシーの胸だった。
「カナ、夕食にも行かないで、どうしてこんなところに?」
「パーシーこそ、どうして・・・・・・」
「僕は、見回りだ」銀色の監督生バッジを見せつけながら、パーシーは言った。「ほら・・・・・・最近物騒だろう。それに、興味本位で現場に近づいて、フィルチさんに迷惑をかけている生徒も多いんだ。監督生として、そういう生徒の行いを正してやらないと」
 例の廊下の見回りを終えたら夕食に行くと言うので、カナはパーシーについていった。正直、あまり近づきたくもなかったけれど、一人で歩けばまた考え事をして、あらぬ場所に迷い込んでしまいそうだった。
 廊下には椅子が一つ置いてあった。「フィルチさんが監視してる場所だ」とパーシーが教えてくれた。壁には変わらず、赤黒い文字が並び、松明の明かりを受けてちらちらと光っていた。冷静になって見回してみると、あちこちに焼け焦げの跡が見えた。「故障中」と掲示された女子トイレのドアの前には、もう水溜りはない――カナが吸い込まれるように、真鍮の取手に手を触れたときだ。
 カチャ、と小さな音を立てて、ドアの取手が傾いた。ドアが開く――中から顔を出したのは、ハーマイオニーだった。いつもの三人組だ――向こうも驚いたように、目を丸くしている。
「ロン!」パーシーが飛んできた。「そこは女子トイレだ!」トイレの中から、ハリーとロンもばつが悪そうにしぶしぶ出てきた。「君たち男子が、一体何を・・・・・・」
「ちょっと探してただけだよ」ロンが肩をすくめて、何でもないことのように言った。「ほら、手がかりをね・・・・・・」
 パーシーは蛙のように体を膨らませた――それが、モリーおばさんにそっくりだった。
「そこから、早く離れるんだ」パーシーが手で払うような動作で、三人を追い立てた。「人が見たらどう思うかわからないのか? みんなが夕食の席についているのに、またここに戻ってくるなんて」
「なんで僕たちがここにいちゃいけないんだよ――いいか、僕たち、あの猫に指一本触れていないんだ!」ロンがかっとなって言った。「それに、カナだってここにいるだろ」矛先がカナに向いた。カナが口を開くより前に、パーシーがかばった。
「彼女はふらふら歩いていたから、この後僕が大広間に連れて行く予定だったさ――僕もジニーに、君たちの無実を説明してやったよ」パーシーが、四人を見回しながら語気を強くした。「だけどあの子は、それでも君たちが退学処分になると思ってる。あんなに心を痛めて、目を泣き腫らしてるジニーを見るのは初めてだ。少しはあの子のことも考えてやれ。一年生はみんな、この事件で神経をすり減らしてるんだ――」
「兄さんはジニーのことを心配してるんじゃない」ロンが耳まで真っ赤にしながら言った。「兄さんが心配してるのは、首席になるチャンスを、僕が台無しにすることだろ!」
 ロンが口を噤んだ。カナが、杖をロンの鼻先に突きつけたのだ。
「今の言葉を訂正して」
「なんだよ、カナ。やるってのか!」
 カナはすばやく杖を振るった。ポケットに伸びたロンの右手を冷凍呪文でくっつけて、動けなくした。
「その折れた杖を振るうのは許さない。パーシーに謝って」
「カナ!」パーシーの鋭い声だ。「僕のことはいい。それに、廊下での魔法の使用は禁止だ。グリフィンドールは五点減点」言いながら、二人の杖を取り上げた。「これは今夜、寮で返してやる。もう探偵ごっこはやめにしろ。さもないと、ママに手紙を書くからな」
 パーシーはそのまま、肩を怒らせて歩き去っていった。
「君のせいだぞ」ロンが手首をさすり、カナを睨みつけながら言った。
「あんな杖じゃ、どうせろくでもないことしか起こらない」カナも力強く言い返した。
「やめて!」ハーマイオニーがぴしゃりと言った。「カナも、ロンも、すぐカッカするのをよしてよ。喧嘩っ早いんだから・・・・・・」
 二人とも、まだ鼻息を荒くして睨み合っていた。ハーマイオニーがあきれて、大広間に向かって歩き出したので、ハリーも気まずそうについていった。カナとロンも後に続く。
「ロン、パーシーは心配していたんだよ。新学期の日だって、あのあと、彼、ぼくの膝を手当してくれたんだ」
「そりゃ、それが君だったからだ! 僕だったらまちがいない、さっきみたいに膨らんで、ママ譲りのネチネチしたお説教が始まってただろうさ」ロンが、何もバッジのついていない胸元を引っ張って見せながら、うらめしそうに言った。「女の子はいいよな、めそめそ泣いてりゃ、誰かが慰めてくれるんだ。どんなに悪いことしてもね!」
「だったらきみも泣いたらいい。一人前のふりなんてしなければいい。そしたらみんながきみを毛布にくるんで、大切にして、ご飯を口に運んでくれるよ」
「いいかげんにして!」先頭を歩いていたハーマイオニーが、カナとロンの口を粘着呪文でくっつけた。「夕食の時以外、もう口を開かないでちょうだい」
 カナとロンはお互いに目を見合わせて――思いっきりそっぽを向いた。



 金曜日の午後の授業が終わり、「闇の魔術に対する防衛術」――ロックハートはたいした授業をとり行ってはいなかった。もはやその大量の著書の焼き増し、演劇みたいなものだ――その塔から出たカナのもとに、またもや小柄なカラスが訪ねてきた。薄暗い空から降り続いた雨で、青黒いつやつやした翼は雫を滴らせていた。
 カラスはカナの手元にずぶ濡れの羊皮紙を吐き出したあと、すぐに飛び去っていった。羊皮紙は濡れてはいたけれど、インクが滲んだりはしていなかった。魔法で保護されているのだろう。
「夕食のあと、ヘザートンの絵画の前で落ち合おう」と、簡潔にそう記されていた。
 記名はなかったが、カナにはその字が誰のものかすぐにわかった。カラスの郵便配達も特徴的だ――ガートから、「週末の呼び出し」だ。
 カナは夕食のあとに、大広間から教科塔方面に降りて、指揮者の絵画の前に向かった。
 楽器奏者の絵画が集まった区画だ。その演奏はだいたいはめちゃくちゃで、それぞれが好きな曲を弾くために指揮者の意味はなさそうに見える。でも時々、見事な演奏会が開催されることもある。ほんとうに時々。
 ガートはそこにいた。窓際に寄りかかって、めちゃくちゃな演奏を楽しそうに聞き入っていた。
「ハーイ、ガート」
 カナの声に、ぱっとこちらを見た。
「ちゃんと来たね」ガートは嬉しそうだ。「あたし、この場所が好きなんだ。だってみんなのびのびしてて、楽しそうでしょ」
「喧嘩もよくしているけどね」
「まあね。だけど、ヒース・ヘザートンの指揮の腕は一流だよ。せめて廊下の反対側に飾ってあれば、奏者のみんなが合わせてくれると思うんだけど・・・・・・」
 ガートは歩き出した。髭を整えているひょろ長ラックランの像を通り過ぎたとき、階段の裏にカナの目を引くものがあった。黒々とした、刃物のようにするどいドラゴンの絵画だ。その隣に並んで、へブリディアン・ブラック・ドラゴンの生息地が描かれた、一八〇〇年代の古い地図が大きく張り出されている。
「見ててね」
 周りに人がいないことを確かめてから、ガートはポーチから羽根ペンを取り出して、へブリディーズ・ブラックの真横に羊を描き足した――すると、ドラゴンはその羊を丸呑みした!
 ドラゴンが獲物を飲み下し、満足そうに火を吐くと――となりの地図が、がたりと傾いた。その奥の壁に、グリフィンドール寮の談話室に続くのによく似た、大穴が空いている。
「額縁の裏を通り抜けるのは得意でしょ」
 そう言って、ガートはカナを押しやった。
 暗い――中は教室よりも狭く、ほとんど物置みたいな、雑然とした場所だった。はめ殺しの窓から月明かりがわずかに室内を照らしていた。椅子や机が乱雑に端に寄せられており、その上に埃が積もっている。真ん中で折れたベンチが置いてあったり、汚れた布でぐるぐる巻きにされたクローゼットや鏡が放棄されていた。額縁に入っていない、色褪せた風景画も壁に立てかけてあった。
 まるで「がれきの城」の一室みたいだ――とカナは思った。
 ガートは杖をくるりと回し、天井からぶら下がる、しみだらけのペンダントライトに明かりを灯した。
「知ってた? エイブリー家の『秘密の部屋』」
 カナがぎょっとして振り返ると、ガートは「冗談だよ」と笑った。
「四年生のタウンゼントに教えてもらったんだ――ほら、その――ボーイフレンドの」
 カナはさらに目を剥くこととなった。口をパクパクさせて――色々と思い出しながら、首を傾げた。
「でも、ガート、きみ、おとうさんへの手紙に――」
 ガートは、声を出さずに口元に指を立てた。その顔は笑っていた――カナはくらくらしてきた。考えるのをよそう。
 今は、このひどく埃っぽい小部屋をなんとか使えるようにしないと。
 歩き回ると埃がたち、ガートがむせ込んだ。はめ殺しのステンドグラスがあるだけで――窓は開かない。
 ガートが「ヴェンタス 風よ 」で部屋じゅうの埃を巻き上げて、掃除していた。カナもスコージファイゴシゴシ魔法で、埃が消え去った床を磨いた。二人は机と椅子を一組ずつ運び、ベンチを修復レパロし、ネズミの親子を追い出した。
「いい感じじゃない?」ごみが消え去り、呼吸がしやすくなった室内を見回して、ガートは満足そうに頷いた。
「勝手に使っていいの?」カナがベンチに腰を下ろしながら言った。
「かまわないでしょ。何十年も使われていないから、こんなありさまなんだろうし」
 ガートは、壊れたクローゼットや鏡を覆っていた布を取り去り、ぐるぐる巻きにして――ふかふかのクッションに変えてしまった。驚いてぽかんとしているカナに、それを投げ渡す。
「魔法の訓練をするって言ったでしょ」
 カナはふわふわと、その手触りを確かめた。間違いなく、上等なクッションだ。
「きみにその必要は、ないようだけど」
 ガートは肩をすくめた。
「こんな程度じゃ足りない・・・・・・『アニメーガス』は高等な変身呪文なんだ」ガートは机を水瓶に変えた。そしてすかさず植木に変え――机に戻した。「物から物へ。こんな単純な変身術じゃなく――物を生命へ、生命を液体へ、液体を空気へ、空気を物へ変えるような、緻密なコントロールと知識、そして想像力が必要なんだ。だって、失敗したら足の生えた水瓶が、そこらをうろつくことになるでしょ――常に成功させるには、血を吐くような訓練を繰り返すしかない」
 ガートの真剣なまなざしが、カナを射抜いた。カナは身がすくんだ。
「ぼくには、そのどれもが足りないよ」
「だから訓練をするんだよ」にっこりと笑った。「今すぐ机を豚に変えろなんて言わない――マクゴナガル教授だって、最初の授業はマッチ棒を裁縫針に変える課題だったでしょ。だからカナ、まずはあんたの腕前が知りたい」
 ガートは、粉々に割れてゆがんだ鏡を、杖の一振りで藁葺きのかかしに変えた――そして、カナにウインクを飛ばす。
 カナは立ち上がって、「『ハービフォース 花になれ 』!」と杖を突き出した――かかしの両腕から暗赤色のつるが伸び、枕カバーで覆われた顔面を二枚貝のような捕食葉が突き破った――スプラウト先生が三号温室で育てている、毒触手草だ。
「やるじゃないか!」ガートは伸びてきた触手を手で払いながら、喜んだ。「あたしが思っていたよりもうまくやれそうだよ。やっぱりあんたに目星をつけておいて正解だった――」
「ガート、それなんだけど・・・・・・」カナが毒触手草をトイレの手洗い台に変化させながら、言った。「どうしてぼくに声をかけたの? 他にももっと、それらしい人はいるでしょう? たとえば、スリザリンの同級生とか・・・・・・」
 ずいっ! とガートの華やかな顔が急接近して、カナは口をつぐんだ。はしばみ色の瞳が、ランプの明かりを受けてきらきらと不思議に光る。
「・・・・・・知ってるでしょ、あたし、あたしは・・・・・・」ガートは一度息を吐いた。「友達がいないのよ」
 ――沈黙が落ちた。カナは目をぱちくりとさせた――そして、首を傾げた。
「うん、知ってるよ?」
「あんたしか友達がいないって言ってんの!」
「ボーイフレンドはいるのに?」
 ガートは頬を膨らませた。そのしぐさがあまりにも幼くて、似合わなくて――カナは笑った。
「とにかく!――今日はここまでにしよう。そろそろ消灯の時間だしね――それに、明日は待ちに待ったクィディッチの試合だよ」ガートは口を「へ」の字にして言った。
「マルフォイがシーカーなんでしょ」カナは杖を弄びながら言った。「ガート、結局きみは?」
「誰があんなチームに。お願いされたって、お断り」チョコレート色の髪を揺らし、肩をすくめた。「一応、応援には行くけどね。あんたは? もちろん行くでしょ?」
「うん」
「だったら、昼食のあとにまたここに来て。今日の続きをやろう」ガートが杖を振ると、ライトの明かりが消えた。室内が夜闇に染まる。
「そうだ、ガート、マルフォイといえば・・・・・・」カナは出口に向かうガートの背中に問いかけた。「きみは『純血主義』についてどう思う?」
「直球だね」暗闇でもガートが微笑んだのがわかった。「どうでもいいよ。以前も言ったけど、あたしはマグル育ちなんだ。だから他人事。血統がまったく意味を持たないとは思わないけど、差別の理由にはならないかな。あんたは?」
 聞き返されて――カナはなんと言えばいいのか戸惑った。
「ぼくは・・・・・・ぼくも、差別は気に入らないよ。ただ、ぼく自身が何なのか、知らないから・・・・・・」
「自分の血統が気になるって?」
 ガートの言葉に、カナは頷いた。
「・・・・・・まあ、あんたの出自ならそうかもね。ヴォルデモート卿の傘下の魔法使いや魔女はみんな純血主義者・・・・・・」ガートの不思議な瞳が、月明かりでぼんやりと光ったように見えた。「でも、あんたには関係のないことだよ。そうでしょ?」
 ふたりは地図の額縁の裏から出た。
「ティーセットを持ってきておかないとね」ガートは指を折って数えた。「火壺に、ポット。熱いお茶がないと――ストーブもないのに、風邪ひいちゃう」
「瓶に炎を入れて持ってくるよ。ハーマイオニーが教えてくれたんだ」
「お見事だね」ガートは肩をすくめた。「グレンジャーはそのうち、商売か慈善事業のどっちかを始めると思うね。まちがいなく」



20230326-20240515


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