コリンが石になったというニュースはあっという間に学校中に広がり、月曜日の朝にはすでにみんなが知るところとなった。「秘密の部屋」についてのざわめきの最中に、「『継承者』はスクイブやマグル生まれを標的にしている」という噂もたちまち加わった。

「カナ!」朝食の席でぼーっとかぼちゃジュースを啜っていると、ロンが声をかけてきた。「君、以前スネイプが話していた『最も強力な魔法薬』の本に興味はないかい?」
「バカ! 声が大きいわよ」後ろからハーマイオニーがやってきて、ロンの肩を小突いた。
「何の話?」
 ロンに代わって、ハーマイオニーがこそこそと耳打ちした。
「あのね、カナ。私たち、秘密の部屋について調べていて・・・・・・そのために『ポリジュース薬』を作っているの。マルフォイが何か知っているに違いないわ。彼から話を聞き出すためにね」
 カナはぽかんと口を開け、ハーマイオニー、ロン、ハリーの顔を順番に見回した。
 ポリジュース薬とは、一定時間のあいだ、他の人間に変身できる薬だ。スネイプ先生が魔法薬の授業で、すこしこぼしていたのを覚えている。カナは、みんなに内緒で変身術の訓練をしていることを少しだけ心苦しく思った。
「それで、どうしてぼくにそれを教えてくれたの?」
「ポリジュース薬ってものすごく繊細な薬なの・・・・・・それに一か月も鍋に火をかけ続けないといけないから、人手があった方がいいと思って。もしよかったら協力してくれないかしら」

 三人は朝食のあと、教科棟の三階の――「嘆きのマートル」のトイレへとカナを連れて行った。便座の上に大鍋をのせ、ハーマイオニーお得意の便利な炎が火壺に焚かれ続けている。
「カナ、あなたこの本に興味があるんじゃない?」
 ハーマイオニーは、大きくて革製の随分とかび臭い本をカナに手渡した。軽く引っ張ると破けそうなページを、カナはぺらりといくらか捲った。スネイプ先生いわく、禁書に指定されている上級者向けの本らしいけれど、それがなぜだかすぐにわかった。気持ちの悪い挿絵とともに書かれた内容は、人を狂わせる妙薬、拷問に使われるようなぞっとするようなもの、簡単に犯罪に使えるような恐ろしいものばかりだった。
「ぼくって、そんなに趣味が悪そうに見える?」
「いや、ない、ない」
 ロンとハリーが首を振った。みんな、カナがひたひたと笑いながら、内臓をひっくり返すような薬を作るために、腰を曲げて大鍋をかき混ぜている姿を想像したにちがいない。
「実は、スネイプの薬品棚から拝借しないといけない材料があるのよ。カナ、あなたは私たちよりもスネイプに信頼されてるし、魔法薬の成績がいいでしょ? 実験をすると口実して、なんとか材料を頂戴してもらえないかと思って」
 カナは申し訳なさそうに眉を下げ、みんなを見回した。
「悪いけど、ぼく協力できないよ」
 三人がいっせいに、ぎょっとして振り向いた。
「カナ、きみ――マーリンの髭。なんでだよ?」ロンが口をパクパクさせた。「校則破りがこわくなったのか?」
「カナ、あなたがいれば、この作戦の成功率はぐっと上がるわ。だってスネイプ先生の薬品棚に簡単に入れて、魔法薬での火の扱いに長けている人なんて、あなた以外にいないもの」
 カナはなんと言われようと、ガートとの「取引」を台無しにすることはできなかった。
「きみは、マルフォイがこのままヘラヘラ笑って、マグル生まれの石像の上でのさばっていても構わないのか?」
 ハリーがカナを焚きつけた――けれど、カナは協力するわけにはいかないのだ。
「残念だけど、ぼく、できないよ。ごめん。ほかにやらなきゃいけないことがあるから・・・・・・」
 授業の時間が差し迫っていた。カナは三人を置いて、女子トイレをあとにした――これでよかったのだ。これで――



 コリンの事件があってから、ジニーは憔悴していた。以前のミセス・ノリスの件でも落ち込んでいたし、同級生のコリンが襲われたことは心優しい彼女を深く傷つけただろう。
 カナはできるだけジニーに寄り添って過ごした。すっかり落ち込んだ彼女を励まそうと、必死になっていた。カナは、あの晩に寮の外に出ていたのか確かめたかったけれど、今にも逃げ出してしまいそうな雰囲気のジニーを目の前にすると、とてもそんな話を持ち出せそうにはなかった。
 ジニーを励まそうとしていたのはカナだけではない。フレッドとジョージはたびたび、ジニーを笑わせようと目の前に現れた。顔じゅうにおできをこさえ小芝居をしたり、今度は毛むくじゃらになって代わりばんこに飛び出したり、「ベロベロチューインガム」を食べたフレッドの舌を思いっきり伸ばしてマフラーにしたりだとか――とにかく、双子がジニーを心配しているのは十分に伝わってきた。
 ただ、ジニーは弱々しく笑みを作るだけで、暗い気持ちからは抜け出せないみたいだった。
 彼女はいつも、カナと二人きりになった時、何か言いたげに――不安そうに見つめてきた。
「ジニー、ミサンガだけど」カナは綺麗になったミサンガを、ジニーの手に握らせた。「きみから渡した方がいいよ。ハリーもその方が嬉しいと思う」
「・・・・・・カナ、ありがとう」
 ジニーは不安そうに、息を吐き出すように弱々しく笑った。



 奇妙な緊張感が漂うホグワーツで、ジニーのケアに、週末はガートと呪文の訓練を繰り返す。そんな日々が続いた。
 十二月の二週目のことだ。去年と同じように、クリスマス休暇中に学校に残る生徒のリストを、マクゴナガル先生が貼り出した。それで、カナは気がついたことがある。
 リーマスにすっかり手紙を出していなかった。去年は毎月欠かさず出していたのに――最後のリーマスからの手紙は、ふた月も前になる。
 どうせ、クリスマスは家に帰れないのだろう。カナはそう思って、リストに名前を書いた。事件があったから、学校に残る生徒は少ないものだと思っていたけれど、意外にもそうではなかった。去年同様、ハリーに、ウィーズリーの兄弟たち。ハーマイオニーもだ。それに、マルフォイたちの名前もあった。

「ガートはクリスマスに帰るんだね」
 訓練部屋にて、ゴブレットを鶏に変化させ、それを戻すのを繰り返しながらカナが言った。じーっと観察すると、鶏の羽に、銀色の蔓草模様が残ってしまっている。
「うん。パパに会いたいから」
 ガートは蛙を水風船に変え、そしてティーポットに、毛糸玉に――と変身術を繰り返しかけ続けた。
 カナは頭の中に、去年の冬にダイアゴン横丁で出会った、バートラム・エイブリーの狡猾そうなオリーブ色の瞳、それにあの湿った声を思い浮かべていた。
「きみのパパって、どんなひとなの?」
「すっごく優しいよ」ガートは小麦色の頬を紅潮させながら言った。「パパはあたしの憧れの人で・・・・・・あの人に認めてもらうためなら、なんだってできる」
「ふうん」カナは目をとろけさせた彼女を、つまらなそうに見た。「そんなにお父さんのことが好きなんだね」
「そうだよ。あんたは?」
 カナは面食らってしまった。ガートが続きを促す。
「あんた、ママがいるでしょ? ママのことは好き?」
「べつに・・・・・・」くちばしと鶏の脚の生えたゴブレットが逃げるのを押さえながら、カナはぼやいた。「ガートは、『お母さん』ってどんなものだと思う?」
「そうだな・・・・・・」ガートも考え込んだ。「あたし、捨て子・・・でね」
「そうなの?」
「うん。それで、あたしを探して迎えに来てくれたのがパパだった。それまではマグルの孤児院で育ったから、普通の母親ってものを知らないんだ。マザーはすごく優しい人だった。いつもにこにこしてて、でも怒ると怖くてね。よくあたしの、他愛もないつまらない話を聞いてくれた」なんでもないようにガートが穏やかに微笑んでいるのを、カナはぼうっと見つめていた。
「参考になった?」
 パッとヘーゼルの瞳がカナを見た。
「リーマスみたい」
「誰?」
「ぼくの父親代わりみたいな人」カナは杖を下ろし、膝の上にこぶしを作った。その手の甲をじっと見つめ、カナは、入学直前のリーマスとおかあさんの姿を思い出す。「ぼく、おかあさんに愛されていないんじゃないかって、考えたことがあるよ。ううん、まだそう思ってる・・・・・・一緒に暮らしていたけど、ほとんど話したこともなかったし、だから何を考えてるかわからない。血筋や故郷だって、知らない・・・・・・」
 足を組み替え、ガートがため息をついた。カナはうつむいた。
「どうしてそんなに、自分のルーツに拘っているのか不思議だよ。あんたにはそのリーマスって身近な人がいて、グリフィンドール寮にいて、ウィーズリーと仲がいい。それだけじゃ納得いかない?」
 カナはガートの言葉に頷くことができなかった。彼女はまた息を吐いた。
「愛されたいんだ?」カナはパッと顔を上げた。ガートのはしばみ色の虹彩が、カナを熱っぽく見つめていた。「ばかだね。愛されるためには、自分から愛するしかない」
「いいんだ、わかってる・・・・・・」つられるように、目頭がかっと熱くなる。
 ガートは息をつき、足を組み替えた。カナは滲んだ目元をローブの袖で拭う。
 二人はそれ以上言葉を交わすことはなく、その日の訓練を終えた。



「リーマスへ。
 体調はどう? ぼくは風邪をひくこともなく、元気です。まるでうそみたい。
 リーマスに話したいことがたくさんあるよ。いつになったら会えるの? 来年の夏は? おかあさんは、なんて言ってる?
 自分ではどうしようもないことがあったとき、どうしたらいいんだろう。そういうのを、いったいリーマス以外の誰に話したらいいの?
 杖を振ると少しは気が晴れるんだ。教科棟にある銀の甲冑をかかしに変えた時はドキドキした。いつ見つかるのかってひやひやして、家にいたころにおかあさんの工房に忍び込んだときみたいに、楽しかった。
 ねえ、いつか、リーマスが知っているぼくらのことについて話してくれる? たとえば、むかしのおかあさんのことだとか・・・・・・それか、おかあさんから話を聞き出すのを手伝ってよ。
 それじゃあ、体に気をつけて。カナより」



 それから一週間ほどが過ぎた週の始まりのことだ。カナとガートは、玄関ホールの掲示板の前に人だかりができているのを見つけた。新しく張り出された羊皮紙を見ようと、二人も近寄った。
「『決闘クラブ』? 今夜八時?」カナはコバルトブルーのインクで書いてある文字を読み上げた。
「面白そう! カナ、参加しない?」大人びて見えるガートが、年相応にうきうきと言った。
「ぼく、決闘なんてしたことないよ」
「だから見に行くんだよ。決闘の作法なんて物騒なだけかもしれないけど、『ヴァンパイアとバッチリ船旅』よりはよっぽど実用的」
 ガートもロックハートの言うことは胡散臭いと思っていたようだ。

 カナはガートに誘われるまま、その日の夕食のあとに再び大広間を訪れた。いつも食事をしている長テーブルは片付けられ、壁ぎわに金色の舞台が設置されていた。天井の星空は消え、真っ黒のカーテンでもかかっているかのように見えた。
 大広間にはほとんど学校中の生徒が集まっているように思えた。おのおの杖を手にし、興奮した様子で好きにおしゃべりして「決闘クラブ」の開催を待っていた。
「フリットウィック教授は学生時代に決闘チャンピオンだったらしいよ。それにスネイプ教授も、実践向きの呪文をたくさん作ったってうわさだし・・・・・・」
 ガートも興奮したように話し、カナを引っ張りながら舞台近くの前方まで割り込んだ。
 ちょうどその時、舞台の上に人影が現れ、みんなの視線を集めた。目立ちたがりのロックハートだ。ぶどう酒色のきらきらしたローブを纏い、そのうしろには影のように、真っ黒な出立ちのスネイプ先生を従えていた。カナとガートは顔を見合わせた。
「静粛に」
 集まったみんなに手を振りながら、ロックハートが呼びかけた。
「みなさん、集まって。さあこちらへ。みなさん、ワタクシがよく見えますか? ワタクシの声が聞こえますか? ええ、結構、結構!」
 生徒たちは舞台の方に詰め寄った。ロックハートはおおげさに手をひらひらさせて、生徒を見回した。
「ダンブルドア校長先生から、ワタクシがこの小さな決闘クラブを始めるお許しをいただきました。ワタクシ自身が、数えきれないほど経験してきたように、自らを守る必要が生じた万一の場合に備えて、みなさんをしっかり鍛え上げるためにです――詳しくは、ワタクシの著書を読んでください」
 生徒の何人かがウンウンと頷いているのが見えた。カナとガートはまた顔を見合わせて、ジトーっとした訳あり顔を作った。
「では、助手のスネイプ先生をご紹介しましょう」
 朗らかな声が聞こえてきたので、二人は弾かれたように舞台の方を見た。
 スネイプ先生はひどく不機嫌そうに、手首を固く握りしめて立っていた。ぎろりと睨まれているロックハートがにこにこと笑っていられるのが不思議に思えるほどだ。
「スネイプ先生がおっしゃるには、決闘についてわずかにご存知らしい。訓練を始めるにあたり、短い模範演技をするのに、勇敢にも、手伝ってくださるというご了承をいただきました。さてさて、お若いみなさんにご心配をお掛けしたくはありません――ワタクシが彼と手合わせしたあとも、みなさんの魔法薬の先生は、ちゃんと存在します。心配はご無用!」
「心配だよ。クリスマスが終わったら、防衛術の授業が無くなってるかも」ガートがこそこそ言った。
 先生たちは舞台上に並び、距離を取った。向かい合って一礼した――スネイプ先生は不機嫌そうに頭を下げ、ロックハートは腕を大きく振り上げて、芝居がかった礼をした。
 それから、先生たちは杖を前に突き出した。
「ご覧のように、ワタクシたちは作法に従って杖を構えています」
 生徒たちは静かに舞台の上を見守っていた。おそらく、半分以上――ほとんどの生徒は、カナたちと同じ気持ちを抱いていることだろう。
「三つ数えて、最初の術をかけます。もちろん、どちらも相手を殺すつもりはありません」
 歯をむき出しにしたスネイプ先生を見て、誰かが「そうは思えないけど」と呟いたのが聞こえた。
「スリー、ツー、ワン――」二人が同時に杖を高く振り上げた。スネイプ先生の声が稲妻のように響いた。
エクスペリアームス 武器よ去れ 
 紅色の閃光が炸裂した。まともに受けたロックハートは舞台から弾き出され、壁に激突した。そのまま滑り落ち、床に崩れた。
 生徒たちのあいだに、悲鳴と歓声が沸いた。スリザリン生は口笛を吹いてスネイプ先生を称え、ロックハート・ファンの生徒は悲痛な面持ちで心配していた。
 ロックハートがよろよろと立ち上がった。鮮やかな羽で飾った帽子を拾い、逆立ったカールヘアを整えながら壇上に戻る。
「さあ、みんなわかったでしょうね! あれが『武装解除の術』です――ご覧の通り、ワタクシは杖を失ったわけです――ああ、ミス・ブラウン、杖をありがとう――」
 カナはひやひやとスネイプ先生を見た。ひどく殺気立っているように見える――ロックハートが先生たちのあいだでも迷惑がられているのは有名な話だ。この機会に、めったうちにしようなんて考えているんじゃないだろうか、と心配になる。やりすぎてしまうことはさすがにないと思うけど――圧倒的な実力差を見せつけられてなお、言い訳のようにくだを巻くロックハートに、だんだんとスネイプ先生は目つきを鋭くしていった。
 ロックハートもそれに気がついたのか、あわてたように生徒の方を見た。
「模範演技はこれで十分! これからみなさんに二人組を作りますよ・・・・・・」

 先生たちは生徒の群れに分け入って、二人組に分けていった。無作為に行われていたと思われたが、カナは目を疑った。スネイプ先生はわざわざマルフォイを呼び寄せ、ハリーと組ませた。
 カナはそっとガートの近くに寄った。スネイプ先生はめざとくそれを見つけ、鼻を鳴らした。
「いいだろう。ミス・エイブリーはミス・エリオットと」
「ええ、教授」ガートはニコニコと答えた。
 壇上のロックハートが声を張り上げた。
「相手と向き合って! そして礼!」
 ガートはローブをドレスのスカートのようにつまみ、まるで社交場でそうするように、流麗に膝を折り曲げた。カナも見よう見まねで、ローブの裾をつまんで、頭を下げた。
「杖を構えて! ワタクシが三つ数えたら、相手の武器を取り上げる術をかけなさい――武器を取り上げるだけですよ――みなさんが事故を起こすのはいやですからね――スリー、ツー、ワン――」
 ロックハートが合図を言い終える前に、みな杖を振りかざし、やたらめったらな呪文をすでに飛ばしあっていた。
 カナとガートはほとんど同時に杖を振り上げた――ガートがわずかに早かった。空色の閃光が素早くカナの目の前に閃いた。カナは思わず目を閉じた――しかし、何も起こらない。
「はあ?」
 ガートのつぶやきが聞こえた。カナは隙をついた。
エクスペリアームス 武器よ去れ !」
 レッドオークの杖が石の床に落ちた。ガートは右手をかばっている。
「あんた、防御呪文でも使ったわけ?」
「どういうこと?」
「あたしの呪いを弾いたでしょ」
 杖を拾いながら、ガートが眉根を寄せてカナを見据えた。カナは困惑した。
「知らないよ。きみの呪文を弾いたりしてない」
「だったらあたしの呪文が間違っていたっていうの?」
 ガートはつかつかと歩み寄り、カナの目の前まで詰めた。
「ぼくになにをしようとしたの?」
「・・・・・・ちょっと髪を伸ばして、驚かしてやろうと思っただけ」
 気がつけば、あたりは大混乱、大乱闘だ。罵声や悲鳴、掴み合い、土埃と緑色の謎の煙があたりに充満していた。ロックハートが「やめなさい! 杖を取り上げるだけだと言ったのに!」と喚いているのが喧騒の中から聞こえてくる。
「そんなの面白くないったら。わからない男だね、あの人も」
 頭上を飛び交う閃光を避けながら、ガートはぼやいた。
フィニート・インカンターテム 呪文終了 
 スネイプ先生の一声で、大広間がしだいに落ち着いてきた。霧が晴れ、視界が戻ってくる。ほとんどの生徒がぴたりと立ち止まっていたけれど――なんとハーマイオニーとスリザリンのミリセント・ブルストロードがまだ取っ組み合いを続けていた。ふたりとも杖を放り出して、掴み合っている。
「なんてこと」ガートがぼやいて、ミリセントに近づいた。カナも、ハーマイオニーを引き剥がすのを手伝った。ミリセントはカナよりもハーマイオニーよりもうんと体が大きく、冬眠前の熊みたいに気が立っていたので苦労した。
「マクミラン、立ち上がって・・・・・・ゆっくりでいいから・・・・・・。ミス・フォーセット、しっかり押さえていなさい、鼻血は止まるから。ブート・・・・・・」ロックハートが生徒の間を縫うようにして見て回った。そして大広間の真ん中に戻ると、息を吐いた。
「むしろ、非友好的な術の『防ぎ方』をお教えする方がいいようですね」
 ロックハートは一度、スネイプ先生をちらりと見て――そしてめざとくハリーを見つけた。
「ハリー、キミにモデルになってもらおう。相手は――ミスター・マルフォイだね?」
 二人は大広間の真ん中に招かれ、他の生徒は後ろへ下がった。ハリーとマルフォイに、それぞれロックハートとスネイプ先生がなにか耳打ちしている。
「なんか入れ知恵してるみたい」カナがこそっと言うと、「少なくとも、うちのほうはね」とガートは二つの組を見比べた。ロックハートはくねくねと腕を振りまわしたあげく、杖を落としていたところだった。
 先生たちが離れる。「スリー、ツー、ワン――ゴー!」
 ロックハートの合図と同時に、マルフォイは「サーペンソーティア ヘビ出でよ !」と叫んだ。突き出した杖先から、黒い鱗の大人の蛇が飛び出し、ドスンと落ちた。蛇は目の前のハリーに向かって威嚇した。みんな、ぎょっとして後退りする。
「動くな、ポッター」スネイプ先生が悠然と進み出た。「私が追い払ってやろう・・・・・・」
「ワタクシにお任せあれ!」
 そこにロックハートが割り込んだ。蛇に向かって杖を振り回し、閃光が飛んだ。大きな炸裂音が響く。蛇は十フィートほど宙に飛び上がり、石の床に叩きつけられただけだ。
 攻撃された蛇は怒り、あろうことか周りの生徒に向かって滑り寄っていった。まっすぐ向かった先にはハッフルパフのジャスティン・フィンチ=フレッチリーがいた――みんなが恐怖で悲鳴をあげた。
 ハリーが勇敢にも進み出た。「手を出すな!」と叫ぶと、不思議と――蛇はとつぜん怒りを忘れたように穏やかになり、とぐろを巻いて大人しくなった。まるで従順なペットのようだ。カナは緊張がほぐれ、全身の力を抜いた。
 カナが顔を上げた時、みんなも同じようにほっとしていると思っていた――違った。恐怖に顔をこわばらせ、ハリーをじっと見つめていた。
 ジャスティンは助けてもらったにも関わらず、「いったい、何の悪ふざけなんですか!?」と言い捨て、怒って大広間から出て行ってしまった。
 カナが唖然としていると、蛇が消えた。スネイプ先生が消したのだ。しだいに、周りの生徒がひそひそとささやくのが聞こえた――「パーセルマウスだ」――「・・・・・・と同じ・・・・・・」――
 ハリーはロンとハーマイオニーに手を引かれ、大広間からいなくなった。まるで汚れたものでも見るみたいに、ハリーが通るとサッと人垣が割れているのが異質だった。
「みんなどうしたの?」カナはガートに尋ねた。
 ガートはぎょっとしてカナを見た。
「ポッターが何を話していたのか、聞こえなかったわけ?」
「ハリーは蛇を言い聞かせてたよ」
 カナが言い返すと、ガートは「ちょっと、来て・・・・・・」とカナの手を引っ張った。ざわざわと騒ぎ始めていた大広間をあとにして、ひと気のない玄関ホールに進み出た。ガートが「訓練部屋」を目指しているのはわかったから、カナも歩調を早めて、手を引かれずとも追いついた。

「ポッターがなんて言っていたのか、説明できる?」
 ガートの言い方に引っかかりながらも、カナは歩きながら説明した。
「『手を出すな』って言ってたよ。ねえ、それが何なの? さっきから、様子が変だよ。ジャスティンはどうしてあんなに怒っていたの?」カナはいらいらと言った。
「まるで、ポッターが蛇を操っているみたいだった・・・・・・みんながポッターを『継承者』だと信じ込むだろうね」
 ぶつぶつとつぶやいたっきり、ガートは黙り込んでしまった。
 地図の額縁の裏をくぐり抜け、テーブルの上のランプに火を灯して、ガートは口を開いた。
「スリザリンのシンボルがどうして蛇なのか知ってる?」
「さあ。名前に入っているから?」
「ちがう」ガートは口角を上げた。「逆だよ。スリザリンはパーセルマウスだったんだ。つまりは蛇と話せたの。だから苗字がスリザリン」
 かすかな明かりが、夜闇の中でガートの顔を浮かび上がらせていた。
「あんたも蛇語がわかるんだ。蛇と話せるんだね」
「蛇語?」
「ポッターは蛇語を話してた」
 ガートのおおきな目がカナを見た。蛇の視線に射抜かれているように感じたのはこっちのほうだ。
「・・・・・・誰だって、蛇と話すことくらいできるしょ?」
「今の時代にはいないよ。蛇と話せたのは、スリザリンの家系の者だけ・・・・・・そして、最後に確認されたパーセルマウスは、ヴォルデモート卿なんだから」
 頭をうんと重いもので殴られたような心地だった。
「ねえ、カナ。あんたをいじめたいわけじゃないけど・・・・・・それでも、あんたとポッターがパーセルマウスだってことは事実だよ。つまりは、スリザリンの、あるいはヴォルデモートの縁者だってこと・・・・・・」
「でも、きみは『継承者は他にいる』って言っていたでしょう?」
 ガートは黙りこくった。
「ガートは、ホグワーツで何が起こっているのか、知ってる。そうだよね?」
「知らないよ」はっきりと、そう言った。「あたしは、知らない。何が起こっても関わるなとだけ言われてる」
「本当にそれでいいの? ガート・・・・・・罪のないマグル生まれやスクイブが、襲われてもいいって言うの?」
 カナはガートを見上げたが、目を逸らされた。
「もう遅いから、寮に戻ろう」
 ガートはカナを置いて、部屋を出て行った。カナはランプを消してから、そっと部屋を出た。
 窓の外は雪が落ち始めていた。うんと冷たく、悲痛な気持ちを誘う夜だった。



 翌日の薬草学の授業は休講となった。学期最後の授業だったけれど、昨夜降り始めた雪は窓一面を覆うほどの大吹雪となったため、スプラウト先生はマンドレイクに靴下を履かせ、マフラーを巻く作業に専念しなくてはならなかった。マンドレイクが繊細な時期だから、厄介な作業で誰にも任せられないのだそうだ。石になったコリンやミセス・ノリスを回復させるために、貴重なマンドレイクの育成には先生たちは慎重になっていた。
 その時間を、グリフィンドール生は暖かい談話室に集まって宿題をしたり、チェスに興じたりしていた。ただ、ハリーはいらいらしているように見えた――きっと昨晩のことでだろう。カナはそのことで、ハリーと話したいと思っていた。でも、いつハリーに声をかけるべきか、迷っていた。
「カナ、最近の週末は何をしているの? いつも見かけないから」
 同じテーブルで「髪を逆立てる薬」のレポートを書いていたラベンダーが顔を上げた。カナは鉢植えのサボテンを踊らせていた手を止めた。
「呪文の練習だよ。ぼく、苦手だから・・・・・・」
「隠れてすることないじゃない。談話室でやればいいのに」
「だって、みんながいるから集中できないんだもん」
 その時だ。がたりとソファーが動く音がして、カナはそちらを見た。ハリーが談話室を出ていくのが見えた。カナはラベンダーとパーバティにことわって、ハリーの後ろ姿を追いかけた。

「ハリー」
 振り返った表情にはいら立ちが滲んでいた。
「やあ、カナ」ハリーは冷ややかに言った。そのまま歩き出すので、カナもあわてて歩き出した。「僕らの手伝いはしないんじゃなかったの」
「ハリーに話したいことがあるんだ」
「へえ」ハリーは振り向かずに話を続けた。「きみが蛇語に興味があったなんてね」
「昨夜、きみは蛇をなだめてた」
 はじけたように振り返って、ハリーはようやく目を合わせた。階段の途中で、カナがハリーを見下ろす形になった。
「カナ、きみ・・・・・・」
「ハッフルパフのジャスティンに説明をするんでしょう」カナは歩き出し、ハリーを追い越した。「ぼくも行く」
 階段を降りながら、カナは落ち着きのない様子のハリーに言い聞かせた。
「言いにくいけれど、ハリー、あまり期待しない方がいいかも。真実はどうあれ、蛇語を操るってだけでかなり分が悪いよ。ほとんどの生徒が、きみを『継承者』だと信じてる」
「だったらきみはどうなんだ?」ハリーは苛立ちを隠さずに言い返した。「きみはなんで蛇語がわかるんだ? きみこそ『継承者』なんじゃないのか?」
「そう思う?」カナは立ち止まって、ハリーを振り返った。「ハリーは、自分がなぜパーセルマウスか説明ができるの?」ハリーだって、両親の血筋のことは何も知らないはずだ。カナとハリーは、その点で言えば立場は同じなのだ。
「・・・・・・ごめん、カナ」
「ううん。行こう」

 ジャスティンは育ちのよい、真面目な生徒だ。休講のあいだも、授業に遅れないように勉強しているかもしれないと思いつき、ふたりは図書館を目指した。
 思った通り、図書館の奥の方のテーブルに、ハッフルパフの一団がいた。カナがまっすぐそちらを目指そうとしたとき、ハリーが「隠れ術」の本棚のところへカナを引っ張り込んだ。
「なに?」「シッ!」
 ふたりはハッフルパフの生徒たちの話に耳をすませた。
「だからさ」太った男の子が芝居がかった口調でしゃべっているのがはっきり聞こえてきた。「僕、ジャスティンに言ったんだ。自分の部屋に隠れてろって。つまりさ、もしポッターが、あいつを次の餌食に狙ってるんだったら、しばらくは目立たないようにしているのが一番いいんだよ。あいつさ、うっかり自分がイートン校に入る予定だなんて、自分がマグル出身だなんてポッターに漏らしちゃったから、いつかはこうなるんじゃないかって思ってたよ。そんなことをさ、スリザリンの継承者がうろついているとき喋るべきじゃないよな?」
「それじゃあ、アーニー? あなた、絶対にポッターだって思ってるの?」ハンナの声だ。
「ハンナ、彼はパーセルマウスだぜ? それは闇の魔法使いの印だって、みんなが知ってる。蛇と話ができるまともな人間なんて、聞いたことがあるかい? スリザリンのことを、みんなが『蛇舌』って呼んでたほどなんだ」
 ハッフルパフの子たちはひそひそとささやきあった。ハリーがこぶしをにぎりしめたのが見えた。
 アーニー・マクミランが再び口を開く。
「壁に書かれた言葉をさ、覚えてるか?『継承者の敵よ、気をつけよ』・・・・・・ポッターはフィルチとなんかごたごたがあったんだ。そして気がつくとさ、フィルチの猫が襲われた。あの一年ぼうずのクリービーはさ、クィディッチの試合でポッターが泥の中に倒れてる時に写真を撮りまくって嫌がられた。そして気がつくと、クリービーがやられていた」
 カナはあきれた気持ちで聞いていた。こじつけもいいところだ。でも、カナはハリーがそんなことをするはずがないと知っているからこそそう主張できるけれど、何も知らない人からしたらそんなゴシップでも信じてしまうのかもしれない。
「でも、ポッターって、いい人そうに見えるけど」ハンナが納得いかない様子で言った。「それに、ほら、『例のあの人』を消したのよ。そんなに悪人であるはずがないわ。どう?」
 アーニーが声を落としたので、カナたちはもう一つ近くの本棚の影へと移動した。ハッフルパフの生徒たちは額を寄せ合うようにして、アーニーの話を聞いた。
「ポッターが『例のあの人』に襲われてもどうやって生き残ったのかをさ、誰も知らないんだ。当時、ポッターはほんの赤ん坊だった。木っ端微塵に吹き飛ばされて当然だろ? それほどの呪いを受けても生き残る事ができるのはさ、ほんとうに強力な『闇の魔法使い』だけだよ」アーニーはさらに声のトーンを落とした。「だからこそ『例のあの人』は初めっから彼を殺したかったんだ。闇の帝王がもう一人いて、争いになるのを嫌がったんだ。ポッターのやつはさ、いったい他にどんな力を隠しているんだろう?」
 ハリーがおもむろに立ち上がった。大きく咳払いして、本棚の影から歩き出た。カナもその後ろを追いかける。
 ハッフルパフのみんなは、血の気のうせた表情で石のように固まった。突然、話題の渦中のハリーが姿を表したので、不意を突かれたにちがいない。ハリーは耳を赤くして、かなり腹を立てているように見えた。
 カナは呟くように「ハーイ、ハンナ。スーザン」と手を小さく上げた。
「やあ」ハリーはとげとげしく言った。「僕、ジャスティン・フィンチ=フレッチリーを探しているんだけど」
 みんな、こわごわとアーニーのほうを見た。
「あいつに何の用だ?」アーニーは震えた声で聞いた。
「ハリーはジャスティンと和解したいと思ってる」カナはハリーが冷静じゃないと思い、彼の手首を掴みながら前に出た。「彼と話がしたいんだ。その、決闘クラブでのことについて」
「僕たちみんなあの場にいたんだ。何が起こったのか、全員が見てたさ」
「それじゃ、僕が話しかけたあとで、蛇が退いたのに気がついただろう?」
 アーニーは立ち上がった。「僕が見たのは、君が蛇語を話したこと、そして蛇をジャスティンの方に追い立てたことだ」
「追い立てたりしてない!」カナの手をほどいて、ハリーは前に出た。「蛇はジャスティンをかすりもしなかった!」
「もう少しってところだった」アーニーが言う。そして慌てて付け加える。「それから、君が何か勘繰っているんだったら、言っとくけど、僕の家系は九代前まで遡れる魔女と魔法使いの家系で、僕の血は誰にも負けないくらい純血で、だから――」
「きみがどんな血だろうとかまうもんか!」ハリーが怒りを隠さずに怒鳴った。「なんで僕がマグル生まれの者を襲う必要がある?」
「君は、一緒に住んでいるマグルを憎んでいるんだろう?」
「ダーズリーたちと一緒に暮らしていたら、憎まずにいられるもんか。できるものなら、きみがやってみればいいんだ」
 ハリーは踵を返し、大股で図書館を出て行った。
「アーニー」カナが口を挟んだ。「ハリーは蛇をけしかけたりしていないんだよ」
「エリオット」立ち去ろうとしたカナを、アーニーが呼び止めた。「君も共犯なのか?」
 カナは、答えなかった。事情を知らないとはいえ、ハリーは傷ついたはずだ。肯定することもできないし、否定すればハリーを突き放すように捉えられるだろう。どのみち、アーニーが考えを変えることはなさそうに思えた。

 マダム・ピンスに睨まれながら、カナはすぐに図書館を出た。廊下に続く階段の上の方に、ハリーの後ろ姿が見えた。走って追いかける。
 背の高い窓もすっかり雪に覆われ、石の回廊はいつもより薄暗い。他に生徒もおらず、カナがパタパタとハリーを追いかける足音が響く。
「ねえ、ハリー、言ったでしょう・・・・・・きみのことをよく知らない人は、平気できみを傷つけるようなことを言うんだ・・・・・・」
 ハリーが立ち止まり、振り返った。そしてぎょっと目をむいた。
「どうしてきみが泣いているの・・・・・・」
 いつのまにか、じわりとまぶたに涙が浮かんでいた。カナはあわてて目元をぬぐった。
「ごめん」
「いや・・・・・・」ハリーは目を逸らし、一瞬言いよどんだ。「カナ、きみは本当に蛇語が話せるのか?」
「そうだと思うよ」カナはまっすぐにハリーを見た。「それに、きみが『継承者』なんかじゃないってことも知ってる」
 ハリーはうつむいて、それから前を向いて歩き出した。
「行こう・・・・・・次は変身術の授業がある」
 しかし角を曲がった瞬間、ハリーは弾き返されたように尻もちをついた。カナはあわてて駆け寄る。角の向こうにいたのは、巨大な雪男――ではなく、頭巾に顔が覆われていてもわかる。この巨体は、雪まみれのハグリッドだった。
「ハリー、大丈夫か?」頭巾を引き下げて、ハグリッドはハリーに話しかけた。反対の手に、死んだ鶏をぶら下げているのが見えた。「それに、カナ。おまえさんたち、授業には行かんでいいのかい?」
「吹雪で休講になったんだよ」カナはハリーが立ち上がるのを手伝った。「ハグリッドは?」
 ハグリッドは力なく垂れ下がるかわいそうな鶏を持ち上げた。
「今学期になって二羽目だ。狐の仕業か、『吸血お化け』か・・・・・・そんで、校長先生から鶏小屋の周りに魔法をかけるお許しを貰わにゃ」
「『吸血お化け』?」
「ああ・・・・・・すっかり干からびっちまってる。かわいそうにな」羽毛でよくわからないけれど、確かに、「隠れ穴」で飼われていたまんまるの鶏と比べ、萎びているように見えた。
「ハリー、おまえさん、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「なんでもないよ」ハリーはハグリッドと目を合わさずに言った。「次の授業があるんだ。僕らもう行かなくっちゃ・・・・・・カナ、行こう」

 カナはハリーに手を引かれるがまま、廊下を歩いた。
 いつのまにかたどり着いた廊下はいちだんと暗い。窓の隙間から氷のような風が吹き込んでいるせいで、松明の明かりが消えていた。だんだんと、ハリーの足が早くなる。
「ハリー、待って、ねえ、痛いよ・・・・・・」
 次の瞬間、ハリーが何かにつまづいた。カナも引っ張られるように前方に倒れ込み、ハリーを押し倒して転がった。真っ暗な廊下に、二人の悲鳴が響いた。
「ハリー、大丈夫?」カナが起き上がりながら、ハリーを見た。ハリーは足元のほうに釘付けになっていた。カナもそちらに視線を滑らせ――喉を引き攣らせた。
 ジャスティン・フィンチ=フレッチリーが倒れていた。
 ピクリとも動かず、石のように硬直している。その表情すらも、恐怖を浮かべたまま固まって――うつろな目が、まっすぐに天井を凝視していた。
 その傍にもうひとつ、奇妙なものが浮かんでいる。「ほとんど首無しニック」の黒く煤けた体が横たわって浮かんでいた。首は半分ころりと落ちて、ジャスティンと同じように、その顔は恐怖で引き攣っている。
 ドクドクと、痛いほど心臓が胸を叩く。立ち上がりかけた腰が抜け、再び座り込んでしまう――カナはようやく、ぎこちなく、詰まった息を吐き出した。
 ハリーが立ち上がる。鼻息を荒くして、狂ったようにあちこちを見回した。そして廊下の隅のほうに目を留めた。
「また、蜘蛛だ」
「蜘蛛・・・・・・?」
 小さな蜘蛛が、ひとつの行列になってその場から逃げ去るようにこそこそと移動していた。
 その時、大きな音とともに、すぐそばの扉が開いた。ポールターガイストのピーブズが、気の抜けた風船のように宙に躍り出た。
「おやまあ、やせっぽっちのポッターに、チビの襟巻き・エリオット!」
 カナのマフラーを引っ張り、ハリーの眼鏡を叩いたりして、ピーブズは甲高い声ではやし立てた。
「ポッター、こんなところで何してる? エリオット、どうしてここにいる――」ピーブズは宙返りの途中でぴたりと止まった。頭を逆さまにしたまま、倒れたジャスティンと「ほとんど首無しニック」を見つけ――体勢を立て直すと、大声で叫んだ。
襲われた! 襲われた! またまた襲われた! 生きてても死んでても、みーんな危ないぞ! 命からがら逃げろ! おーそーわーれーたー!
 バタバタと教室の扉が、次々に開いた。中から生徒が湧き出て、ジャスティンと「ほとんど首無しニック」の周りを取り囲んだ。
 カナとハリーは廊下の壁際に追いやられた。生徒たちは被害者の近くに来ては悲鳴を上げ、騒ぎ立てた。先生たちが「静かに!」と怒鳴っても、何の意味も成さなかった。
パーン!」と爆竹の大きな音がした。マクゴナガル先生だ。一瞬でその場の全員が静かになり、先生たちはそれぞれに自分の教室に戻るように指示をした。
 そのとき、大きな体を揺らしながら、アーニーが息を切らせて走ってきた。
「現行犯だ!」真っ青な顔をこわばらせて、アーニーがハリーとカナを指差した。カナは無意識にハリーのローブの裾をぎゅっと握り締めていた。
「おやめなさい、マクミラン!」マクゴナガル先生が厳しくたしなめた。
 ピーブズは廊下の上の方で、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべ、成り行きを見守っていた。先生たちがかがみ込んでジャスティンと「ほとんど首無しニック」を調べているときに、ふわふわと漂いながら歌い始めた。

 オー、ポッター、いやなやつだ
 わるもの、のけもの、エリオット
 二人で生徒を皆殺し ふたりで愉快な大笑い

「お黙りなさい、ピーブズ」
 マクゴナガル先生が一喝すると、ピーブスはハリーとカナに唾を吐きかけ、吸い込まれるようにどこかへ消えてしまった。
 ジャスティンは天文学のシニストラ先生によって医務室に運ばれた。「ほとんど首無しニック」をどうやって運ぶのか、しばらく誰も思いつく事ができなかったけれど、結局マクゴナガル先生が大きな扇を作り出して、アーニーに扇いで運ぶように言い渡した。
「ポッター、エリオット、おいでなさい」
「先生、誓って言います。僕たちはやっていません――」
「わたくしの手に負えないことです」
 二人の弁明にも、マクゴナガル先生はそっけなく突き放した。
 カナとハリーは、不安と怒りにかられ、まるで運命共同体みたいにぴったりくっついて歩いた。会話はない。押し黙って、ただ廊下を進んだ。
 たどり着いた醜いガーゴイル像の前で、先生は立ち止まった。
「レモン・キャンデー!」
 先生が言うと、ガーゴイル像は生き物のように動き始めた。石の台座を跳ね降りて脇に避けると、後ろの壁が左右に割れた。
 壁の裏には上へ伸びた螺旋階段が続いていた。マクゴナガル先生が足を乗せると、石段はひとりでに上昇し、運ばれて行った。ハリーが足を踏み出したので、カナもそれに続いた。みんなが階段に乗ると、背後で壁が重い音を立てて閉じた。
 しばらく、くるくるとねじ巻きのように運ばれていくと、輝くような樫の扉が前方に佇んでいた。グリフィンのドアノッカーが来訪者をじろりと見た。
 カナは、この先に何があるのかピンと来た。ダンブルドアの私室だ。



20230410-20240515


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