マクゴナガル先生は二人に「ここでお待ちなさい」と言いつけると、部屋の奥へ立ち去ってしまった。
そこは広くて美しいまあるい壁の部屋だった。煌びやかな照明が、よく磨かれた床に反射して眩しかった。奇妙なからくりや魔法道具が並び、きっとひとつひとつ見て回ったら面白いだろうといったふうだ。
ハリーは物珍しげに、置いてある銀道具や歴代校長の額縁を眺めていた。けれどカナは歩き回る気にはなれず、手近なカウチに腰掛けた。
カナは、ダンブルドアが犯人の目星をつけているのではないかと考えていた。だから、なぜ新たに被害者が出てしまうのか、なぜ犯人を追い詰めないのか――それが疑問で仕方がなかった。
ふと――「ゲッ、ゲッ」と巨大な蛙のような鳴き声がして、カナは顔を上げた。その視線の先に、老いて羽根の抜け落ちた、一言で言えば醜い、しわがれた鳥が金の止まり木で休んでいた。カナはそちらに近づいた。ハリーも気づいて、近寄ってきた。
鳥はまたえづき、どろりと溶け出しそうなよどんだ瞳でカナとハリーを見た。その姿がひどく惨めに映った。
カナは、気づいた。この鳥のいのちはもう長くない――と。
突然、鳥はひとりでに炎に包まれた。カナとハリーは悲鳴をあげ、後退りした。あっという間に鳥は火の玉になり、最後の一声とばかりに、鋭く鳴いた。
ものの数分もかからないあいだのできごとだった。カナたちには何のすべもなく、鳥は骨すら残らずに、床の上で灰の山になってしまった。赤くちりちりと熱が残り、まだ煙が燻っている。
扉が開いた音がした。奥から、陰鬱な顔のダンブルドアが現れた。
「先生」ふたりが同時に声を上げた。ハリーが、あえぎながら言った。「先生の鳥が――僕たち、何もできなくて――急に火がついたんです――」
「そろそろだったのじゃ」ダンブルドアは意外にも、穏やかに微笑んだ。「あれはこのごろ惨めな様子だったのでな、早く済ませてしまうようにと、何度も言い聞かせておったんじゃ」
カナもハリーもポカンとしているので、ダンブルドアはくすくすと笑った。
「ハリーに、カナよ、フォークスは不死鳥じゃよ。死ぬ時が来ると炎となって燃え上がる。そして灰の中から蘇るのじゃ。見ててごらん・・・・・・」
言われるがまま、カナはしゃがみ込み、灰の山を見つめた。その時ちょうど、くしゃくしゃの、生まれたばかりの真っ赤な雛が、積もった灰のてっぺんから顔を突き出していた。その姿に見とれて、カナはため息をついた。
「ちょうど『燃焼日』にあれの姿を見ることになって、残念じゃったの」ダンブルドアは机に寄りかかった。
「残念だなんて」カナの呟きに、ダンブルドアが微笑んだ。
「あれはいつもは実に美しい鳥なんじゃ。羽は見事な紅色と金色でな。うっとりするような生き物じゃよ、不死鳥というのは。驚くほどの荷を運び、涙には癒しの力があり、ペットとしては忠実なことこの上ない」
なんだか、カナはこの一瞬だけ、ダンブルドアのまごころのようなものが透けているように思えてならなかった。そんな心地の悪さがあり、カナは彼のほうを見る事ができなかった。よたよたと歩き始めた雛のフォークスが、ふたたび灰の中に頭を潜り込ませるのをじっと見つめていた。
その時だ。大きな音を立てて扉が勢いよく開いた。飛び込んできたのはハグリッドだ。頭巾は脱げてしまい、もじゃもじゃの髪に引っかかっていた。まだ鶏の死骸をぶらぶらと引き下げている。
「この子たちじゃねえです、ダンブルドア先生」ハグリッドが急きこんで言った。「おれはこの子たちと話してたです。あの子が発見されるほんの数秒前のこってす。先生さま、ハリーとカナにはそんな時間はねえです・・・・・・」
ダンブルドアが何か言いかけていたけれど、ハグリッドは興奮して説明を続けていた。激しく両手を動かすので、鶏の羽根があたりに、カナとハリーの頭の上にさえ散らばっていた。
「この子たちのはずがねえです。おれは魔法省の前で証言したっていい・・・・・・」
「ハグリッド、わしは――」
「先生さま、間違ってなさる。おれは知っとるです。この子たちは絶対そんな――」
「ハグリッド!」ダンブルドアが大声を出した。「わしはハリーもカナも、みんなを襲ったとは考えておらんよ」
「へっ」手に持った鶏がぐにゃりと垂れ下がった。「へい。おれは外で待ってますだ。校長先生」
ハグリッドは決まり悪そうに校長室を出て行った。
カナは立ち上がって、ダンブルドアの机の前に近づいた。
「先生、僕たちを疑わないのですか?」
ハリーは切実な声で言った。ダンブルドアは机の上に散らばった鶏の羽根を払いのけながら、「そうじゃよ、ハリー。それにカナ」と言った。
「しかしきみたちには話したい事があるのじゃ」ダンブルドアは細長い指を組み、底の見えない青い瞳で、ハリーとカナを滑るように見た。
「ハリー、まず、きみに聞いておかねばならん。わしに何か言いたいことはないかの?」やわらかな口調だった。ただ、その表情は変わらず陰鬱そうで、思慮深さをうかがわせるアイスブルーが、有無を言わせないとばかりに異様な威圧感を放っていた。
「どんなことでもよい」
ハリーは押し黙った。ダンブルドアは、ハリーの答えをじっと待っていた。
しばらくして、ハリーが口を開いた。
「いいえ。先生、何もありません」
「そうか」ダンブルドアはゆらぐことなくカナを見た。「ならば、カナ。何かわしに話せることは?」
アイスブルーがカナを見た。カナはごくりとつばを飲み込んで――そして、意を決してダンブルドアをまっすぐ見た。
「校長先生、一連の事件の犯人を知っていますよね?」
ハリーもパッとダンブルドアを見た。先生は、スッと目を細めた。
「心当たりはある。が、確信が突けておらんといったところじゃな」
「『その人』もパーセルマウスなんですか」
「おそらくは」組んだ手をほどいて、ダンブルドアは机の上に手を置いた。「カナよ。きみもそのようだね?」
「校長先生はなんでもご存知なんですね」カナが挑戦的な目つきで言うと、ダンブルドアは風の止んだ水面のような動じなさで、ニコリと笑みを浮かべた。
「おお、カナよ、この老いぼれを買い被りすぎじゃよ。わしはちと、きみたち親子について知っている事があるだけじゃ」
「ぼくのおかあさんも、そうなんですか?」カナは身を乗り出して聞いた。
「カナ」ダンブルドアはたしなめるように言った。「それはきみのお母上に、直接聞いてみるとよい。彼女もそれを待っておるはずじゃ」
カナはピクリと眉を動かして、身を引いた。ダンブルドアの話は、はっきりいってカナの腑に落ちるものではなかった。
「もう戻ってよろしい。校内のみんなには、わしから説明しておこう・・・・・・」
カナとハリーが廊下に出ると、ハグリッドがほっと息をついて出迎えてくれた。
「ハグリッド、ぼくたちをかばってくれてありがとう」
「庇っただなんてとんでもねえ、おれはほんっとうのことを言ったまでだ」
「それでもうれしいよ。ね? ハリー」
カナが隣に目を向けると、ハリーは手のひらで口を覆い、ぶつぶつと考え込んでいた。
「ハリー?」
「カナ、そういえばきみはあの晩、どうして医務室に?」
「あの晩?」
「コリン・クリービーが石になった夜だ」
ハリーがなぜそれを、とカナはまばたきのあいだ考えた。ハリーはその時、ロックハートのせいで「骨抜き」になってしまい、医務室に入院していたのだ。そして、先生たちのやりとりを聞いていたのだろう。
「ぼくは・・・・・・」カナはあの「怪物の声」についてハリーに話してもよいものか、迷った。それにこの場ではハグリッドも話を聞いているし、友だちにまで気がへんになったと思われたら堪らない。
「コリンがきみのお見舞いをしたいっていうから、ついて行ったんだよ」
「なら、きみはコリンが石になった瞬間を見たんだ?」
「ううん。ぼくたち、ちょうどその時一緒にいなくて・・・・・・」
「それはどうして?」
ハリーの声は冷静だった。反対に、カナの心臓はいやな気持ちになるほど早くなっていく。エメラルド色の瞳がじっとカナのことを見つめていた。カナの嘘を見逃すまいと――
「ン、ン!」わざとらしい咳払いが廊下に響いて、ふたりの間にある緊張の糸がぷつりと切れた。「おまえさんたち、こんなところで話し込んでっと、風邪ひくぞ。さ、あったかい暖炉のあるグリフィンドールに戻るんだ」
ハグリッドにふたりまとめてぎゅうぎゅうと背中を押され、いつのまにかグリフィンドール棟のある階段の目の前まで来ていた。ハグリッドは片手に鶏の死骸をぶら下げながら、子どもたちを送り届けてから意気揚々と去っていく。
「ごめん、カナ。きみを疑ってるわけじゃなくて・・・・・・」
ハリーは恥入ったように呟いた。
「ううん・・・・・・ハリー、言っておきたいことがあるんだけど」カナとハリーは周りに誰もいないことを確認して、身を寄せ合った。「あの夜に、ぼく、地下のほうから物音を聞いたんだ」
「地下って、まさか、スリザリンの?」
「わからないよ」カナは首を振った。「ぼくの勘違いかもしれない」
「・・・・・・きみは『協力できない』ってあのとき言っていたけれど、この事件について知りたがっている。そうだろう?」
カナは無言で小さく頷いた。
「この話だけでもじゅうぶんだ。僕たちがそれを確かめる」
その言葉に、カナはあいまいに頷くことしかできなかった。ハリーたちが無茶をしなければいいけれど、と心配する気持ちと、隠し事をしているという後ろめたさが、肩にずしっと乗りかかっているようだった。
いよいよ、ホグワーツには安全な場所ではないと皆が恐怖を抱くようになった。みんながいちばん恐れたのは、「ほとんど首無しニック」の運命だった。ゴーストに――もうすでに死んでいる者に危害を加えるなんて、どんな強大な闇の力を持っているのだろうと、うわさになっていた。クリスマスにホグワーツに居残る予定だった生徒たちも、リストの名前に横線を引いて、ほとんどは帰宅することを選択したようだ。
ハリーやカナは、ずいぶん遠巻きに見られる事が多くなった。しかしフレッドやジョージがこれを放っておかなかった。カナとハリーをあいだに据え、貴族の護衛の騎士みたいにきびきびと大振りに手を振って歩き、「スリザリンの継承者様がお通りになられます! 道を開けてください!」と敬礼し、杖を腰に挿しては、またきびきびと歩き出すのだ。パーシーは「笑い事じゃないぞ!」とたしなめたけれど、少なくとも双子はハリーとカナが継承者だなんて少しも思っていないことがわかっていたので、構わなかった。
問題はジニーだ。カナやハリーが冷やかされていると「やめて、お願い」と涙をうかべ、あわれんでくれていた。ハリーが疑われている状況が見るに堪えないのだろう。しかし、そう言うジニーの方がずいぶんとあわれに思えた。いつも何かに思い詰めていて、いまにもどこかへ消えてしまいそうな、快活な普段のジニーからは考えられないような暗さをまとっていた。
学期が終わり、生徒がほとんど抜け殻になったグリフィンドールの談話室で、居残ったカナやハーマイオニー、ハリーたちは派手に遊んだ。ウィーズリーのきょうだいたちも、モリーおばさんとアーサーおじさんとともにエジプトへ発つよりも、学校に残ることを選んだ。パーシーは弟たちの行動を監視するために残るのだと、もったいぶって説明した。
「そりゃあそうさ。この中に校則違反をしてないおりこうさんが何人いると思う? ミス・グレンジャーに、ミス・ウィーズリーだけだ。さて、休暇が終わるまでにおりこうさんのままでいられるかな」指折ってジョージが言うことにさえ、ジニーはビクビクと肩を揺らしていた。
談話室の椅子やテーブルを思いっきりどかして、決闘の練習をするのも楽しかった。意外にも、カナはものすごく成績が良く、トーナメントを勝ち上がっていった。けれど、隙をついたフレッドの「くすぐり呪文」をまともに食らい、白旗をあげるしかなかった。
双子が先導した「爆発ゲーム」の大きな音に驚いたパーシーが、注意するために自分の部屋から出てきた時だ。暖炉の前のソファーに陣取っていたカナのもとにジニーがやってきた。
「カナ、今日は一緒に寝てくれない?」ジニーはモジモジしながらそう言った。幼い子どもみたいで、恥ずかしいと思っているんだろう。
「もちろん、いいよ」カナは笑って答えた。ジニーの元気の出ることなら、なんだってしてあげたいと思っていた。
腕の中にしっとりしたぬくもりを抱えながら、カナは目を覚ました。ぼんやりと目を開くと、赤で埋め尽くされていた。ジニーの頭だ。
カナが身動きすると、ジニーが擦り寄ってくる。背中に回った腕が、カナに懇願するように巻きついて離れない。
目を閉じて、カナはあわく息をついた。いまいったい何時なのかわからないけれど、ふたたび眠ってしまおうかと体の力を抜いた。
「ふふっ」それからすぐ、そばで息が漏れた。ジニーがお腹を揺らしているのが直接伝わってくる。
「起きてるんだね、ジニー」カナが腕をほときながら身を捩ると、声を上げながらジニーがひっくり返った。赤毛の垂れたすきまから、嬉しそうにはにかんだ顔が見える。
「ごめん、カナ。ちょっとだけ朝が惜しかったのよ」
その目は少しだけ腫れぼったい。カナは自分のヘアブラシを呼び寄せると、ジニーを座らせて髪をとかしはじめた。線の細いなめらかな赤毛は、カナが手をかけずとも軽くブラシを通せばサラサラになっていく。
「わあ、カナってば、見て! プレゼントが届いているわ」
カナの「動いていいよ」の合図も待たずに、ジニーはベッドから飛び降りた。プレゼントの山に駆け寄ってさっそく検分しようとする姿は、カナの知っている無邪気なジニーそのものだ。不思議なことに、カナの分のプレゼントもすぐ近くに並んでいたので、ふたりはプレゼントを見せ合いっこしながらひとつひとつ開けていった。
リーマスからはビスケットと紅茶のセットが、ハグリッドからはあのとびきり硬い糖蜜ヌガーの包みが届いた。アリシアとアンジーからもお菓子で、宝石みたいにキラキラ光るキャンディの詰め合わせ。なんと、ガートルードからもプレゼントだ。アンティークなシュガーポットだ。秘密の訓練の時に、ティーセットとして持ち込むようにということだろうか。そして、モリーおばさんからも小包みが届いていた。
「カナもお揃いのセーターだわ」あかね色のセーターに袖を伸ばしながら、ジニーが顔を綻ばせた。カナはベビーブルーのセーターを包みの中から取り出して、頭からかぶる。ひと夏じゅう世話になったり、新学期に車を飛ばしたりと、たくさん迷惑をかけたのに。カナのことを気にかけてくれるおばさんの心優しさが、指の先までじわじわと伝わっていくようだった。カナの瞳と同じ色のセーターは、びっくりするほどあたたかい。
カナとジニーは、連れ立って大広間に向かう。その道中に、きっちりとローブに三角帽子を着込んだパーシーと出会った。
「メリークリスマス、パーシー」
「メリークリスマス」きょろきょろと辺りを見回して、パーシーは二人に近づいてきた。
「朝から見回り?」
「違うわ、カナ」ジニーはくすくすと笑いをこぼした。「約束しているんでしょ、ほら、例の『彼女』と――」
「コホン!」パーシーはわざとらしく咳払いして、ずれた眼鏡を整えた。「ジニー、からかうのはよしてくれ」
「だって、このあいだも校庭の隅でこっそり話してたわ。レイヴンクローの・・・・・・」
「ジニー!」眼鏡の奥の頬が真っ赤だ。「そんなんじゃない。僕らはそんなんじゃないから――」
「はいはい」うきうきと言い、ジニーはカナの手を引っ張った。
「いいかい、カナ」去り際に、パーシーは念押しした。「ジニーの言うことを鵜呑みにしないように。それに、これはプライバシーに関わる」
「言いふらしたりしないよ」カナも見当がついて、笑い声が漏れた。
大階段に差し掛かったとき、ジニーのくすくす笑いが最高潮に達した。
「パーシーったら、焦りすぎよ」赤毛を揺らして、苦しげに手すりに寄りかかった。「レイヴンクローのペネロピーも、ホグワーツに残ってるみたいなの。ばればれだと思わない?」
「それに、ホグワーツで隠し事なんてできないよ」カナが朗らかに言うと、ジニーはようやく長く息をついた。
クリスマスはやっぱり素晴らしい。大広間は豊かなヒイラギやヤドリギの装飾がなされていたし、巨大なクリスマスツリーはきらきら光っていた。ふわふわ浮かぶ蝋燭も、ふだんより温かく輝いているように感じた。何より、ジニーが笑顔を保っていてくれることが、いちばん嬉しかった。
ダンブルドアが杖を振り、冷たくない魔法の雪をふわふわと降らせた。でも、手に取るとじわりと溶けてなくなるのだから、不思議だった。
「どうしてグリフィンドール生はわざわざあんなみすぼらしい格好をしていると思う?――もちろん、ウィーズリーの小銭稼ぎに協力してる、慈善事業さ」
後ろの方からいやみな笑い声が聞こえよがしに届く――マルフォイが揶揄っている。でも誰も相手にしなかった。わざわざクリスマスのディナーを自ら不味くする必要はないからだ。
温かいクリームスープに、チーズのたっぷり入ったパイ、中身が目一杯詰まったターキーに、デザートはクリスマス・プディングだ。双子がプディングに付いた火を盛大に燃えがらせてパーシーにお叱りを受けるという場面もあったけれど――その喧騒は酔ったハグリッドのがなり声に掻き消されていた。
カナはちらりとダンブルドアを見た。角のついた被り物を斜めにかぶって、楽しそうにクリスマス・キャロルを指揮して、ほんのりブランデーをあおっている――いつものダンブルドアだ。楽しそうで、何も考えていなさそうで、得体の知れない。
ダンブルドアは何か隠していることがある、というのがカナの考えだ。もしかしたら、ダンブルドア自身が――とすら思えるのだ。もちろん、証拠や材料があるわけではないのだけど。
ディナーのあとは、みんなちょっぴり眠気に誘われる。グリフィンドールの談話室でとろとろとまどろむ双子やジニーの隣で、カナはハーマイオニーたち三人組を見かけていないことに気がついた。
ふと、校長室を出たあとにハリーに言ったことを思い出して、カナはソファーからそっと立ち上がった――カナが地下があやしいと言ったから、ひと気の少ない休暇を利用して探しに行ったのではないか――ポケットに杖が入っていることをローブの上から確かめながら、額縁をおしのけた。
生徒の少ないホグワーツは、ずいぶんと静かだ。真珠色の透き通った体のゴーストたちが、普段より堂々と空中を泳いでいるようにも見える。
時々先生たちとすれ違う――みんな、カナのことを注視しているようにも感じた。まだ自由時間だ。呼び止められるくらいだったら、「目眩まし術」を使ったっていい――カナは早足で、玄関ホールのほうへ向かった。
以前、コリンと別れた玄関ホールの階段だ。カナはここから、スリザリン寮の方向へ降っていったのだ。
地下階段の石壁は、ところどころに蛇の装飾が施されている。そして、どこからか水の流れる音も聞こえる。壁のむこうに水路でもあるんだろうか。カナはゆっくりと階段をわたる。
やがて、絵本で見た「トンネル」のような、薄暗い通路におどりでた。ふだん、ホグワーツを自由に闊歩しているゴーストすら、いまは見当たらない。松明が壁に立てかけられているけれど、暗闇がその明かりを吸い込み続けているかのようだ。足音のひとつでさえ、音高く響く。カナは慎重に足を踏み出した。その時だ。
「わっぷ」
角を曲がった瞬間、カナは何かにぶつかってつんのめって、尻もちをついた。
見上げると、岩のように巨大で、角ばった――スリザリンのクラッブとゴイルが驚いた顔で、カナを見つめていた。
「大丈夫かい?」
一瞬、それが誰の声なのかカナには判断がつかなかった。すかさず、クラッブが流暢に手を伸ばしてきた。ぞわ、と背中が泡立った。乾いた、岩みたいにごつごつした手だ。掴まって立ち上がれという意味だろうか――とてつもない違和感がカナをおそう。
彼はいつもマルフォイの取り巻きで、カナのことを意地悪そうににやにやと見ては、嘲りに同調し、時には暴力をふるうような男の子だ――去年、カナは掴み掛かられて、杖を折られた。そのくらいのばか力なのだ。
「親切なふりができるようになったんだね」
カナはその手を無視して立ち上がった。今はリーダー格のマルフォイは同行していないみたいだけれど――ふたりはポカンと口を開けてカナを見ていた。
カナはクラッブの間抜けた顔を冷たく見上げた。
「いくらきみがお金もちでも、『手』の弁償はできないだろうからね。バイバイ」と目を半分にして言い捨て、その場をさっさと離れた。
手を差し出してくれていたのに、去年杖を買い換えるはめになったことを引きあいに出したのは、すこし意地悪だっただろうか――と、トカゲのしっぽくらいの罪悪感をまといながら、カナは地下通路を進んだ。しかし、普段から向こうが意地悪でいやみな態度なのだから、このくらい突っぱねてもなんの問題もないだろう。むしろ、クラッブが転んだカナを気遣うなんて、まるでトロールが道ばたの草木をかばうみたいで、気味が悪かった。
「待って」
どたばたと足音が響いたのち、ゴイルのねばついた声が聞こえた。カナは後ろを振り返る。
「ここはスリザリン寮の廊下だ。きみ、ここで何をしてる?」
ゴイルの巨体が迫ってきて、カナは思わず後退りしたが、負けなかった。
「寮の廊下というけれど、べつにホグワーツの中は誰が歩いたって良いはず」カナはふたりの顔を見上げながら、あきれ気味に腰に手を当てた。「それに、何もしてないよ。ただ散歩してるだけ」
「迷子になったって知らないぞ」クラッブの追撃に、カナはむっとした。
「そっちこそ、どうなの。自分たちの寮がわからなくなってるんじゃないだろうね」
「騒がしいぞ」別の声がして、三人は驚いて振り向いた。暗がりから姿を現したのはマルフォイだった。鬱陶しそうにカナを睨め付けて、口元は気取ったように釣り上がっている。
「さっきから不愉快な声がすると思ったら、エリオット。はやくどこかへ行ってくれないか? せっかくの休日がだいなしだ」
マルフォイはクラッブとゴイルに「いくぞ」と声をかけて、二人を連れて廊下の奥へ引き返していった。
「そこまでいうなら帰ってあげるよ。誰かさんの気が小さいみたいだから」カナはわざと聞こえるように言ってやった。なにかあの「例の声」に関することが見つかればいいと思っていたが、すっかり気分が削がれてしまった。
グリフィンドールの談話室はひと気がなかったけれど、暖炉前のソファーから足がはみ出しているのが見えた。近寄ると、手がひらりと伸びて、カナを誘った。ソファーに寝転んでいたのはフレッドだ。どうやら一人でくつろいでいたらしい。珍しいこともあるものだと、カナは明け渡されたスペースに座った。
「ジョージは?」
カナが尋ねると、フレッドは「なあ、聞いてくれ――」と顔を輝かせた。「ジョージのやつをしばらく一人にしてやろうと思ってな。わけを知りたいだろ」
カナが「変な実験じゃないならね」と釘をさすと、フレッドが「耳を貸せ!」と男子寮に目を配りながら、こそこそ打ち明けた。
「アンジーからクリスマス・プレゼントが届いたんだ。まあ毎年のことなんだけどな。けど今年は、今までとまるっきり違うことが起きた。なんだと思う?」
「ふたりがすごく喜びそうなものが入ってたとか?」
「違うんだな。いいか――」フレッドが声のトーンを落としたので、カナも耳をよーく近づけた。「去年まで連名で届いてたクリスマスカードが、なんと、今年は別々に届いたんだ。まあ、プレゼント・ボックスの中身は同じだったさ。でもさ、コレ――どういうことだと思う?」
フレッドがにやにやと顔が緩んでいるので、カナはアンジーやジョージが気の毒になった。
「それは――アンジーはカードを別々に用意しなくちゃならなかったんだよ。なぜって、だって、フレッドは今みたいにすぐ茶化すから」
「なんだよ、こんなのおもしろいに決まってるだろ。リーが帰ってきたらすぐ教えてやるさ」
「ざんねんだけど、リーはアンジーの味方だと思うよ。女の子に優しいからね」
「ヘッ! あのたらし野郎」フレッドは不貞腐れたようで、でも実に楽しそうにしていた。「僕だって、ジョージのやつがゆっくりカードを読めるようにってさ、気を遣ってやってるんだぜ?」
やがて、くだんのジョージが談話室へと降りてきた。「二人して、密会でもしてたのか?」と言うので、カナとフレッドは「もちろん、ジョージには秘密」だと答えた。
カナはしばらく、双子と三人でおしゃべりに興じた。杖を振って遊ぶのも、今日は早めのお開きとなった。だんだんと消灯時間が近づき、二年生のみんなが帰ってくるかと思ったけれど、誰も談話室を出入りはしなかった。フレッドが言うには、ジニーはカナが帰ってくるよりずいぶん前に、女子寮へと引き上げていったそうだ。カナも休もうと、双子におやすみを告げた。
女子寮の螺旋階段を登っていると、一年生の寝室の扉がうっすら開いていることに気がついた。カナは、なんだか誘い込まれているような心地がした。そんなはずがないのに――突然喉がかわいて、唾を飲み込むその音がやけに大きく聞こえた。
「ジニー」
顔を覗き入れて声をかけても、返事はない。部屋の明かりは灯っていない。今日は月のない夜だ。星の明かりも届かず、真っ暗だ。
カナは杖を灯す。そしてあたりを見回し、悲鳴を上げることとなった。
「ジニー!」
机のすぐ下に、ジニーは倒れていた。カナはあわてて顔を覗き込もうとした――その瞬間、ありえない力で引っ張り込まれ、カナは床にうつぶせに叩きつけられた。思わず目を閉じた時、手を頭の後ろで拘束されまとめて押さえつけられ、額に杖が突きつけられた。
カナは顔を横にして目を開けたけれど、暗くてよく見えない。足も馬乗りにされているようで動かせない。
赤毛が垂れ落ちてきた。半分の視界でやっと見えたのは、やはりジニーだった。でも、それは――口角を吊り上げ、カナのことを冷たく見下ろし、勝ち誇ったような――まるで顔だけ同じの別人がそこにいるようだった。
「誰なの?」
「もちろん、ジニーだよ」
「あの子はこんなことしない」
睨みつけると、背中に乗り上げて思いっきり体重をかけられて、カナはうめいた。
「素晴らしい友情だね」
それは確かにジニーの愛らしい声なのに、ぞっとするほど冷たい。
「ジニーのことを思うなら、あまり不用意なことはしないほうがいい。僕はいつだって、その気になればこの娘の頭を吹き飛ばす事ができる。もちろん君のこともね」
頭の後ろから囁くような声色に、カナは恐怖と同時に腹の底から怒りが湧いてくる。カナは身を捩ったけれど、相手は考えられないほど力が強く、手練れらしい。ぴくりとも動けなかった。
「はは」カナの頭から膝までじっとりと観察したあと、ジニーの喉が、乾いた笑い声を出す。「君はカナだね」
「そういうきみは?」
「さあ、誰でしょうか」顔は見えないけれど、きっとおそろしく意地の悪い笑みを浮かべているであろうことは容易に想像できた。「きみ、ジニーに聞いたのかな? 彼女が『穢れた血』を殺して回ってるって」
「誰も死んでない」カナは果敢にも言い返した。「それに、ジニーはスリザリンの『お手伝いさん』でもない」
再び背骨に体重がかかった。カナがうめくと、「あまり生意気なことばかり言うものじゃない」と嗜めるような声がカナの耳に囁かれた。カナは、思わず笑い声が出た――苦しげに搾り出したようなものではあったけれど。
「つまり、きみが『スリザリンの継承者』なんだね? ジニーを使って、悪さをしてた」
「それで?」威圧的で、冷たい声だ。
「スリザリンの血を引いてる、純血主義者なんだ」
「君の言うことは全くもって不明瞭だな。何が言いたい?」
カナはぎこちなく息を吐いた。
「・・・・・・ねえ、逃げたりしないから、少し手を緩めてくれない? きみはぼくをどうするつもりなの? マグル生まれの子みたいに、おかしな力で殺すの?」
ジニーを操る誰かは、変わらず拘束を続ける。
「君は純血か?」
「知らないよ」カナは息をついた。「ヴォルデモートはぼくを気に入っているみたいだけど」
突然、何者かはカナをひっくり返し、手のひらで下顎を掴んだ。そしてカナの顔をまじまじと観察した。
「なに――ちょっと!」
そしてカナの襟ぐりを引っ張った。曝け出た上半身をじっと見たあと、カナに詰め寄った。
「嘘をつけ」
「なら、なぜぼくはパーセルマウスなの」カナは襟の紐をかき集めながら言い返した。拘束の手は離れていたけれど、そいつは考え事をしているようで、カナの動きを気にも留めていないようだった。
そいつは目を細め――カナに向かってうっとりと微笑んだ。
「僕が君を殺すかと聞いたね。答えはノーだ」甘く、毒のような声だ。「どちらにせよ、君は僕の眷属になるだろう。別れが惜しいけれど・・・・・・次に会った時は、また君の話をしておくれ」
ジニーのからだは、そのまま、事切れたように後ろへ倒れた。カナはあわてて起き上がり、赤毛をかきあげ、ジニーの顔色、そして呼吸を確かめた。
生きている。
それだけで、カナは涙が出そうになった。
ジニーをなんとか抱えて、ベッドにからだをよこたえた。その脇にカナは座り込み、ジニーの寝顔を呆然と見つめた。
「どういうこと・・・・・・」
カナひとりでは、とてもじゃないけれど考えきれない。ジニーが、マグル生まれを襲ってるって? そうだとしても、あの不気味な声はいったい? ジニーのふりをした、いまのは何者? ジニー自身は、このことを知っているの?――頭の中が焼き切れそうだ。でも、だからといって、こんなことを誰に相談できるだろう。
その夜、なぜかハーマイオニーは寝室へと帰ってこなかった。カナはどうしても寝付けず、再び一年生の寝室へと入り込み、ジニーのようすをうかがった。
ジニーはカナの心配なんてよそに、眠り続けていた。このまま目覚めなかったらどうしよう、と思うほどだ。だけど、はたいて起こすほどの気にはなれなかった。カナも随分考え込んで、疲れていた。
「・・・・・・カナ、カナ!」
ジニーに揺り起こされて、目が覚めた。いつのまにか眠っていたようだ。
「おはよう」
「おはよう、カナ。どうして一年生の寝室に? そんなにあたしと過ごしたかったの?」
くすくすと笑いをこぼす少女は、朗らかないつものジニーだ。カナはあまりうまく笑みを返すことができず、何も言えなかった。
寝起きのカナがはっきりしないのは、ジニーも知っていることだ。きっとそう思って、ジニーはカナのことをあまり気にならなかったんだろう。ブラシを手に、鏡の前へ向かった。
「ねえ、ジニー」
「なあに?」
よどみなく振り返る姿に、カナは何も言えなかった。昨日のことを聞きたかった。でも、どんなふうに言葉にするべきか、わからなかった。どんなふうに言えば、ジニーが傷つかないだろう。
「昨日――」結局、カナは口をつぐんでしまう。
「変なカナ。顔を洗った方がいいわね」ジニーは髪をとかす作業を再開した。カナはあきらめて、ジニーの言う通りにしようと、ベッドから降りた。
ふと、カナはジニーの机の上に、開きっぱなしの手帳が伏せられていることに気がついた。それが日記帳だと気がつくのに時間はかからなかった。表紙に「1942」と刻印された褪せた黒革を――あれを夏休みにジニーが持っていたのを、カナは知っているからだ。
「ジニー、大事な日記が開いたままだ――」
「触っちゃだめ!」
大声に、カナはびくりと肩を揺らした。ジニーは振り返りもせず、肩を怒らせていた。カナはジニーが恥ずかしがっているのだと思って、なだめようとした。
「中は見てないよ。安心して」
「ち、違う――」
よく見ると、ジニーの肩は震えている。カナはそっとジニーに歩み寄った。カナの気配を察して、ジニーも振り返った。くるみ色の瞳に涙をたっぷり溜めて、ひどく顔色が悪い。
「あ、あたし――」
ジニーは腰が抜けたように、カナに縋りながら座り込んだ。
「落ち着いて、ジニー」カナも腰を落として、ジニーの背中をゆっくり叩く。「何も話さなくていいから・・・・・・息を吐いて」
こわばってふるえた腕が、カナのローブをかたく握りしめていた。ジニーの呼吸は、しばらくかけてゆっくりとしたものになっていった。ジニーが顔を上げたとき、カナの胸は涙で濡れていた。
「ジニー、きみに、いろいろ聞きたいことがあるけど・・・・・・」カナがそう言うと、またジニーのこぶしがぎゅっとかたくなった。「ううん、いまは聞かないよ。いつかジニーが話したくなった時に、教えてほしいんだ」
「ごめん、カナ。ごめんなさい――」
再び顔を埋めたジニーの肩越しに、机の上の日記帳を見つめた。カナは、いつかの校長室でハリーが何も話さなかったときの、ダンブルドアの気持ちがすこしだけわかるような気がした。
信頼を失うくらいなら、この子が傷つくくらいなら、ただ黙ってそばにいるだけでいい。
20231224-20240518