「こっちだー! いっち年生はこっちに来ーい!」
駅に着くなり、野太い声が聞こえてくる。カナよりもすらりと背の高いガートが先をゆこうとするので、カナはその背中にひっついて歩いた。小柄なカナは上級生の波に押し流されそうになる。
「ガート、まって・・・・・・」
抜け出し損ねたカナは、一年生を呼ぶ声の主の姿も見えぬまま、ただ流されていく。なんとか逆流しようとして揉まれた結果、よろけて、後ろの人に思いっきりぶつかってしまう。
「あら? あらあら?」
ぶつかった女の子がカナを受けとめた。胸まで垂れた豊かな黒髪から、花の甘い香りがした。
「一年生はハグリッドのところよね?」そういって彼女はカナの手をとる。もちろんカナよりも大きな手だけど、小柄でふわふわしていた。
「アリー?」隣にいた背の高い女の子が声をかける。
「大丈夫よ! この子を届けて来るわ」と手をひらひらさせて、間延びした声で言った。「わたしも新入生の時は出口に迷ったの・・・・・・わたし、アリシアよ。今年から三年生なの。入学したら、グリフィンドールにぜひおいで」
アリシアはカナをくっつけて、魔法でも使っているかのようにスイスイと人を避けて歩く。
「グリフィンドールって?」
「入学したらすぐにわかるわ。ほら! あそこにいるデッカイひげもじゃの男が、ハグリッドよ」
たしかにアリシアの指さす先には、毛むくじゃらで、カナより、おかあさんより、リーマスよりもうーんと大きな人影がある。手にランプを持って、「いっち年生はおるか? いっち年生はこれでぜんぶか?」と大きな指が何度も数を数えている。
「あの、ありがとう。アリシア」
もじもじとカナが言い、握った手をぱっと離す。アリシアはえくぼを浮かべてにっこり笑って、黒髪を揺らしながら上級生の流れに戻っていく。
カナは一年生の集団のいちばん後ろにつけた。ハグリッドが「さあ、ついてこい!」と声を張り上げて子どもたちを先導する。湿った森の中はあたり一面暗く、獣道はでこぼこしていて、ひどく歩きづらい。いちばん前をゆくハグリッドのランプだけが目印だ。カナは今度こそはぐれてはいけないと、一生懸命その明かりを追いかけた。
ふと、目の前の小柄なブロンドの男の子がすんと鼻を啜ったのが聞こえた。背中を丸くして、震えているように見える。
「どうしたの?」カナがたずねても、「う」とか「あ」とかあえぐばかりで、男の子は答えない。
「ネビルは、ペットのヒキガエルに逃げられたんだよ」と、反対となりから声がした。振り返ると、やせた眼鏡の男の子が肩をすくめた。カナは今朝のトカゲのことを思い出して、ネビルになんと言葉をかけてやればよいかわからなかった。
「みんな、ホグワーツがまもなく見えるぞ」
子どもたちの頭の向こうで、ハグリッドが振り返りながら言ったのが夜闇にうっすら浮かび上がって見える。
「この角を曲がったらだ」
しばらく歩くと、鬱蒼とした狭い道がひらけていく。澄んだ風が吹き込んで、カナの肌を撫でた。子どもたちは歓声を上げる。カナもホグワーツを見たかったけれど、背伸びしても前が見えないので、ネビルと一緒に(ネビルもカナと同じくらい背が小さいので)わきにずれて前を覗いた。ふたりは共に「わあっ」と声をあげた。
はじめ、カナは夜空に浮かびあがった輝く城を見たと思った。よく見るとそれは、岩山のてっぺんにそびえ立っていた。その周りをぐるりと囲う巨大な湖は、水面をわずかに揺らしながら輝く城を鏡のように映し、キラキラと湖面が瞬いている。空に浮かんだ半分の月が、くすんで見えるほどだ。
あれがホグワーツ城だ。
古城で育ったとはいえ、そんなカナがぽかんと口を開けて見入っている気持ちもわかる。ぼくだってきっとこの場にいたら感激してしまうと思う――
ハグリッドが「四人ずつボートに乗れ!」と声を張り上げた。
目の前でネビルが乗るのを見送って、カナも近くのボートに乗ろうと足を踏み出した。
すると踏ん張っていた方の足がぬかるみにとられ、ずるっと滑り、カナの体は傾いた。このままでは、湖に落ちる!――カナはぎゅっと目をつぶったが、いつまでたっても水の冷たい感覚はしなかった。こわごわと目を開く。カナは宙に浮いていた――正確には、両脇を軽々と抱えられていた。毛むくじゃらの手だった。水に濡れてすらいないことに安堵するけれど、心臓はバクバクと驚いたままだ。
カナはそのままボートの上におろしてもらうと、助けてくれたハグリッドにお礼を言った。
「ありがとう」
「いんや、怪我ぁしてねえか? ならいいんだ。みんな、足元に気ぃつけろ、滑りやすいからなあ!」
そう声を張り上げると、彼は他の生徒を次々とボートに誘導した。カナの乗るボートには、ほかに三人の男の子が乗り込んだ。
「見たかクラッブ、この船は縁起が悪い。足を滑らせたら湖に落っこちるぞ」
カナは顔を上げた。にやにや笑いを浮かべた、プラチナ・ブロンドのマルフォイだった。彼の隣とカナの隣には、取り巻きだろうか、いかつい男の子がそれぞれ座る。カナはきょとんとして、目を瞬いた。マルフォイはカナへの興味をなくしたようで、友人たちとだけ会話を始めた。カナはだんだんと、いやみを言われたのだと気がついて――静かに眉をひそめた。
落っこちてたまるものか。カナは泳げないのだから。淡いため息をついて、星の光できらきら瞬く水面を見つめた。
全員が乗り込むと、ボートは湖の上を蛇みたいに滑る。カナはその景色に見とれながら、「シオンにも見せたかった」なんて思っていた。通り過ぎた橋の前には蛍のような美しい光が舞っていて、カナは感動して声をこぼした。
その時、船が横に大きく揺れて、カナはあわてて隣の子の腕をつかんだ。はっとして見上げると、彼――マルフォイの話からすると、クラッブというらしい――クラッブのいかつい顔がにやりと歪んでいた。
あわてて手を離す。マルフォイの下品な笑いが、カナをやじった。船を揺らしたのは、彼らのようだ。
カナは少し情けなくって、恥ずかしくなった。だけど、本当に水が苦手だったので、この船が沈むとしたら、今日この光景が最後の思い出になると覚悟しなければならないと思っていた。
――ああ、シオン? ぼく、さっそく意地悪な子に出会っちゃった――
顔を上げると、暗闇に輝く大きな城が、すぐそこまで見えていた。
やがて崖下を通り抜け、ボートは崖の隙間に滑り込んだ。カーテンのように伸びた蔦をくぐると、船着場に着いた。
マルフォイたちがさっさと船から降りる。カナは足を滑らせないように気をつけていると、細っこい手が眼前に伸びてきた。
「つかまって」
森で一緒に歩いた眼鏡の男の子だ。くしゃくしゃに跳ねた黒髪が風に揺れている。カナは「ありがとう」と、その手を掴んで安全にボートを降りた。歩いて桟橋から離れて地面を踏んだとき、男の子がカナの隣に並んだ。
「あいつに何か言われなかった?」
「あいつ?」
カナがきょとんとしていると、眼鏡の奥でエメラルド色の瞳が、ちらっと横目で背後を伺った。
「マルフォイを知ってるの?」
そう言うと、視線がカナに戻った。鮮やかな色の瞳は、不思議とじっと見つめていたいような気持ちになる。
「いや・・・・・・友達にはなりたくないってだけ」
眉をひそめて言う姿に、カナは思わず声をこぼして笑った。申し訳なさそうにニヤッと笑い返したこの子も、マルフォイの意地悪の標的にされたに違いない。
「だいじょうぶ。親切な子もいるって、わかったから」
カナが言うと、ほっとしたような笑顔が返ってきた。
「僕、ハリー・ポッター。きみは?」
「カナだよ。えと、カナ・エリオット」
ハリーは数秒かけて、様子を探るようにカナを見つめた。カナは、わずかに気まずい気持ちをごまかすために、後ろで手を絡ませた。
「ごめん、何か変だった? ぼく、自己紹介は慣れてなくて・・・・・・」
例のハリー・ポッターのことは、道に迷ったり足を滑らせたりしているうちに、すっかり頭から抜け落ちていた。でもハリーはそれで構わなかったみたいで、「ううん。カナ、よろしく」とやわらかい笑顔を浮かべた。
船着場を出た先は、ごつごつした岩の道だ。ふうふうと息が切れる頃、ようやく足元は石畳に変わり、やがて石のアーチが連なる広場へたどり着いた。アーチの向こうには荘厳なホグワーツ城の一部が見える。見上げるとうんと高くに窓が輝いて、それが空に向かってどこまでも続いているように見えた。
一行が立ち止まる。目の前には、巨大な城門が闇の中でぬらりと浮かび上がっている。ぼくたちが暮らしていた、あのがれきのお城の中でだって、こんな大きな扉は見たことがない。
「全員いるか? おまえさん、ちゃんとヒキガエル持っとるな?」
ハグリッドが大きなからだを折り曲げて、小さなネビルを覗き込んだ。ペットのヒキガエルは見つかったようだ。
大きな拳が扉を叩くと、ぎぃぃ、と蝶番が重くきしみながら、ゆっくりと開いていく。
扉の奥には、エメラルド色のローブを着た、背の高い魔女が立っていた。おかあさんよりもうーんと年上に見え、涼しい目つきをしている。片手に持ったランプの明かりが、夜闇の中にぼうっと白い顔を浮かべている。
「マクゴナガル先生、今年のいっち年生の皆さんです」
「ご苦労さまでした、ハグリッド」
マクゴナガル先生が扉の中へと入っていき、一年生は彼女にじょろじょろとついていく。
中は広々とした、石壁のホールだった。ぴかぴかに磨かれた大理石の階段が伸びて、あらゆる廊下へと繋がっている。
いくつか扉を通り過ぎたところで、先生が立ち止まる。
「ホグワーツへようこそ」
先生は振り返り、背を伸ばして話しだした。
「歓迎会の前に、皆さんが入る寮を決めなくてはなりません。寮の組分けはとても大事な儀式です。我が校にいる間は、寮生が皆さんの家族のようなものです。教室で共に勉強し、寝室を共にし、寮の談話室で自由時間を過ごすことになります。
さて、我が校の寮は四つです――グリフィンドール、ハッフルパフ、レイヴンクロー、スリザリン――それぞれ輝かしい歴史があり、偉大な魔女や魔法使いが卒業しました。ホグワーツにいる間、皆さんのよい行いは自分の寮の加点になりますし、反対に規則に違反した時は寮の減点になります。学年末には、最高得点の寮に大変名誉ある寮杯が与えられます。どの寮に入ったとしても、皆さん一人一人が寮にとって誇りとなるよう、望みます」
話の途中、マクゴナガル先生が生徒をひとりひとり見回し、カナとも目が合った。黒い目がなにやら言いたげにキラリと光る。でもカナが瞬きしたのち、その輝きを見失ってしまった。
「――まもなく全校列席の前で組分けの儀式が始まります。待っている間、できるだけ身なりを整えておくこと」
先生が部屋を出ていく。
しだいに一年生たちはこそこそと話し始めた。ふと視線を落とすと、目の前に見覚えのあるチョコレート色のロングヘアが見えた。カナがローブのうしろを少しだけ引っ張ると、その顔が振り返った。
思った通り、ガートだった。
「おや? カナ・エリオット」彼女は口角を上げた。見知った顔との再会に、カナは気持ちをほぐした。
「ガート、ほんとうに一年生だったんだね」
「なに、そんな嘘をつくと思ってたわけ?」
「うん。きみ、お姉さんみたいだもの」
素直に言うと、ガートは面食らって目を大きくしたのち、「あんたがおこちゃますぎるの」と朗らかに笑った。
「カナはどの寮に入る?」
「ううん、ぼく、わからない」
カナはほんとうにわからないのだ。寮の名前だけ聞いたって、どこがいいだなんて判断できるはずがない。ガートはカナの返答が予想通りだったのか、あいまいな答えに驚くこともない。
「まあ、あんたは寮なんて知らないか。あたしだってどこになるかなんてわかんないけど、スリザリンに入りたい。パパが卒業生なんだ」
突然、あたりから悲鳴が上がる。二人はパッと顔を上げた。高い天井と一年生の集団のちょうどあいだを、真珠色のカーテンのような薄ぼんやりした二人組が、部屋を横切ろうと浮遊していた。太った修道士と、ひだ襟の初老の男だ。誰かが「ゴーストだ!」と叫んだ。
「ゴーストって苦手。パパの別荘にもいたんだから・・・・・・背筋がぞくぞくするよ」
「そう?」
不思議と、カナはむしろ、当然のもののように受け入れていた。ゴーストを見るのは初めてだった。しかし、森に動物が棲むように、家に人が住むように、自然な存在だと感じていた。言葉になるほどの思いではなかったけれど。
ゴーストと入れ替わりになるように、マクゴナガル先生が入ってきた。
「さあ、一列になって、ついておいでなさい」
明かりを受けてキラキラと光るエメラルド色のローブに、カナは見とれていた。ちょうど、ぼくと一緒に受け取ったホグワーツの入学案内の手紙も、こんなキラキラしたインクで書かれていた。
正面の扉が開く。一行は大広間へと入り――みんな、「わあっ」と歓声をあげた。
暗闇にふわりふわりと、いくつもいくつもろうそくが浮かんでいて、まっすぐ伸びた四つのテーブルを照らす。寮ごとに分かれた、黒いローブを纏った上級生がそこにずらりと並ぶ。みんな三角帽子をかぶっていて、絵本に出てくる「小人」がひしめきあっているように見えた。テーブルの上には、月桂樹で飾った金色のお皿やゴブレットが鎮座し、それらはよく磨かれているみたいで、ろうそくの灯りを受けてぴかぴかと輝いていた。奥のほうにはもうひとつ長いテーブルがあり、そちらには大人たちが座る。案内役のハグリッドに、瓶底眼鏡に巻き毛の魔女、小人の紳士、銀色の髭を蓄えた老魔法使い、蝙蝠のような黒ずくめの男、ターバンを巻いた魔法使い――
マクゴナガル先生は並んだテーブルの目の前で止まる。一年生たちは一列に並べられ、ろうそくで青白く照らされた上級生たちに、じいっとみつめられているように感じる。さらにその向こうに目を伸ばすと、おそらく先生たちだろう。大人の魔法使いが並んで座っている――「スネイプ先生はどれなんだろう?」と、カナは考えて眺めていた。
ふと、一面がシーンと静まりかえっているのに気がついた。一年生の目の前には帽子を載せたスツールが置かれている。継ぎ接ぎだらけのボロボロで、うちにありそうな骨董品だ。
大広間にいる全員が、じいっと帽子を見つめる。すると――帽子がピクピクと動いた! つばの縁のところがパックリ裂けて、口のように開いて、歌い始めた。
ワタシはきれいじゃないけれど
人は見かけによらぬもの
ワタシをしのぐ賢い帽子
あるならワタシは身を引こう
山高帽子は真っ黒だ
シルクハットはすらりと高い
ワタシはホグワーツ組分け帽子
ワタシは彼らの上をいく
キミの頭に隠れたものを
組分け帽子はお見通し
かぶればキミに教えよう
キミが行くべき寮の名を
グリフィンドールに行くならば
勇気あるものが集うだろう
勇猛果敢な騎士道で
他とは違うグリフィンドール
ハッフルパフに行くならば
キミは正しく忠実で
忍耐強く誠実で
苦労を苦労と思わない
古き賢きレイヴンクロー
キミに意欲があるならば
機知と学びの友人を
ここで必ず得るだろう
スリザリンではもしかして
キミはまことの友を得る
どんな手段を使っても
目的遂げる狡猾さ
かぶってごらん! 恐れずに!
興奮せずに、お任せを!
キミをワタシの手にゆだね
(ワタシは手なんか無いけれど)
だってワタシは考える帽子!
歌が終わると、みんなが拍手を送った。カナも遅れて、見よう見まねで手を叩く。
マクゴナガル先生が羊皮紙をクルクルと開いて「名前を呼ばれたら、帽子を被って座り、組分けを受けてください」と言って、最初のひとりを呼んだ。
「アボット・ハンナ」――フワフワおさげの、金髪の女の子が一年生の中から飛び出して行った。帽子を手に取って、被った。組分け帽子は大きく、すっぽりと白い頬が隠れる。ハンナが椅子に座り、一瞬、沈黙が落ちる――「ハッフルパフ!」帽子が叫ぶと、左側のテーブルから歓声があがった。さっきの修道士のゴーストが、ハンナに向かって嬉しそうに手を振っている。
「エイブリー・ガートルード」ブルネットがカナを追い越していった。ガートはつぎはぎだらけの帽子に目のあたりまですっぽり覆われると、緊張したように小さくなっていた。
「スリザリン!」ややあって帽子が叫ぶと、ガートは右端のテーブルに駆け寄って、緑色の装飾品を囲う集団の中に溶け込んだ。彼女は自分の希望通りに、スリザリンに組み分けされていった。
カナはガートが言っていたことを思い出す――おとうさんが卒業生だって? 背中に汗が伝うのを感じた。おかあさんがどの寮だったのか知らないけれど、一緒はいやだ、とカナは思った。
組分けは次へ次へと続いていく。「ボーンズ・スーザン」――ハッフルパフ。「ブート・テリー」――レイヴンクロー。スリザリンの隣のテーブルから拍手が湧く。テリーが向かった席で、何人かが立ち上がって握手を交わす姿が見えた。「ブロックルハースト・マンディ」――レイヴンクロー。「ブラウン・ラベンダー」――グリフィンドール。はじけるような歓声があがる。ピュウと口笛も飛んできた。ハッフルパフとレイヴンクローが挟んだテーブルに、柔らかなハニーブロンドの女の子が走った。そっちを見ると、ラベンダーを迎える、笑顔のアリシアの姿が見える。「ブルストロード・ミリセント」――スリザリンだ。茶髪の巻毛の女の子が、ガートの隣へ向かう。「コーナー・マイケル」――レイヴンクロー。「クラッブ・ヴィンセント」――カナが船の上ですがり付いてしまった子だ。スリザリンへ組分けされた。「デイヴィス・トレイシー」――彼女もスリザリンだ。
「エリオット・カナ」
ついにきた。マクゴナガル先生に名前を呼ばれて、カナは今までの子と同様に前に出る。椅子に腰掛けて、あのぼろぼろの帽子を頭に乗せたら、目がすっぽりと隠れてしまった。
「ほおっ! こりゃ珍しい!」
「ヒッ」頭に響いた大声に驚いて、カナは思わず帽子を脱いでしまった。上級生たちのクスクス笑いが、ろうそくの明かりでちらちらと見えた。「あ・・・・・・」
「ミス・エリオット。心配ありませんよ」マクゴナガル先生がなだめて、もう一度帽子がカナの頭にのった。
「こりゃあ、失礼失礼。失礼した。いやしかし、たまげたなあ。サラザールには脱帽するよ」
帽子は陽気に頷くが、残念ながら何かしらの冗談であってもカナはとても笑えなかった。
「さて、もちろんキミをどこに入れるかは・・・・・・」
「あの、帽子さん。お願い、おかあさんと同じところはいや」
「なんと! 勿体ない。こんなにすばらしい素養を持っているというのに」
「ねえ、お願い」帽子を握りしめて、爪先が白くなっていた。カナはおかあさんやリーマスがどの寮出身だったのか聞きそびれてしまっていたから、単純に懇願するしかない。
「スリザリンならキミは――フーム――さしあたり女王蜂というところか。いや王女蜂か――」
「でも・・・・・・おかあさんと違うならどこだっていい、なんだっていいから。ぼく、おかあさんみたいになりたくない」
「友人との約束だ、是が非でもスリザリンに入れたいがね、キミ自身がそれを誇れぬのなら、致し方ない。なら・・・・・・それも面白いだろう・・・・・・キミは・・・・・・
そう、むしろ・・・・・・
グリフィンドール!」
帽子が寮を告げると、大きな拍手と歓声が聞こえてきた。視界が明るくなって、大勢の生徒たちが座っているのが見えて、カナは今更ながら心臓の鼓動が早まっていることに気がついた。ドキドキして痛いほどだ。胸を撫でながらふらふらと立ち上がると、マクゴナガル先生に背中を押され、真紅色がトレードマークの生徒が座る――グリフィンドールのテーブルに駆け寄った。
「カナ」手を振ってくれたのは、駅で助けてくれた、アリシアだ。「本当にグリフィンドールに入るなんて! 嬉しいわ。これからよろしくね」
「アリシア、ぼくも嬉しい」カナは赤い頬を綻ばせて握手に応じた。
先に組分けされたラベンダー・ブラウンの隣に腰掛ける。向かいのほうから、さっきのひだひだの襟のゴーストがウインクを飛ばしてきた。カナはほほえみ返した。
数分のことだったけれど、ずいぶんとくたびれた。永遠とあのスツールに腰掛けていたように感じた。
カナの興奮をよそに、マクゴナガル先生が残りの一年生をよどみなく読み上げていく。「フィンチ=フレッチリー・ジャスティン」――ハッフルパフ。「フィニガン・シェーマス」――およそ一分ほどの静寂を経て、グリフィンドールに決まった。カナの向かいに砂色の髪の男の子が座る。「ゴールドスタイン・アンソニー」――レイヴンクローへ。「ゴイル・グレゴリー」――マルフォイの取り巻きのもう一人だ。スリザリンへ。「グレンジャー・ハーマイオニー」――帽子は長考したけれど、グリフィンドールに。栗色のふわふわの髪を揺らして、カナの横に座る。「グリーングラス・ダフネ」――スリザリン。「ロングボトム・ネビル」――シェーマスよりも時間がかかったけれど、ようやくグリフィンドールに決定した。ネビルは帽子を被ったままこちらに走ってしまい、笑われたので顔を真っ赤にしていた。「マクドゥーガル・モーラ」――ハッフルパフ。「マクミラン・アーネスト」――ハッフルパフ。「マルフォイ・ドラコ」――帽子は被りきらないうちにスリザリンを叫んだ。「ムーン・ライラ」――レイヴンクロー。「ノット・セオドール」――スリザリン。「パーキンソン・パンジー」――スリザリン。「パチル・パドマ」――レイヴンクロー。「パチル・パーバティ」――グリフィンドール。姉妹で寮が分かれたらしい。ぼくも、カナとだったら寮が分かれたかもしれない。カナはおかあさんと同じがいやで、スリザリンを断ったから。「パークス・サリー=アン」――レイヴンクロー。
「ポッター・ハリー」
大広間のざわめきが、引き潮のように静まった。「ポッターだって?」「あのハリー・ポッター?」船着場でカナの手を引いてくれたハリーだ。カナはようやくそこで、船着場で会ったハリーと例の「ハリー・ポッター」が結びついた――他の生徒のこそこそ話を知らんふりして、ハリーは帽子を目深に被った。
――ずいぶんと時間が経ったように思える。はじめは静かに見守っていた生徒たちも、わずかに話し始めた。
やがて――「グリフィンドール!」
帽子が叫ぶと、真紅のテーブルは割れるような大歓声に包まれた。
上級生は立ち上がり、抱き合い、三角帽子を放り投げ、「ポッターを取った!」と大喜びだ。
残る「スミス・ザカリアス」がハッフルパフ。「トーマス・ディーン」がグリフィンドール。「ターピン・リサ」がレイヴンクロー。「ウィーズリー・ロナルド」がグリフィンドール。最後の「ザビニ・ブレーズ」はスリザリンへ。全員の組分けが終了した。
教師陣の座る席の真ん中――金色のひときわ大きな椅子に座る、白髪の長いひげをたくわえた老人が、腕を大きく広げて立ち上がった。ニッコリと笑みを浮かべている。心の底から喜んでいるような、そんな表情だ。髭の奥に隠れたひとみが、きらりと光った。目が合ったような気がした、と全員が思ったに違いない。その一瞬で、不思議な人だとカナは思った。
「おめでとう! 新入生の諸君、おめでとう! 歓迎会を始める前に、二言、三言、言わせていただきたい。では、いきますぞ――間抜け! 泣き虫! 半端物! 未熟者! 以上!」
老人は席についた。その場の全員が拍手を送る。カナは「あの人はだれなの?」と隣の女の子――ハーマイオニーにたずねた。
「知らないの? ダンブルドアよ! ホグワーツの卒業生であり、現校長。そして、近代で最も偉大な魔法使いと言われているの」
ハーマイオニーはあごをしゃくって得意げに話した。
カナが視線をテーブルに戻すと、目の前の金の皿があふれんばかりに満たされていた。見たことないものばかりで、食べ物かどうか判断するのに一瞬戸惑った。多様な肉料理に、ふわふわのポテトや大粒のビーンズ、香ばしいにおいのあらゆるソース、そしてゴブレットに満たされた縞模様のキャンディ。みんな好きに料理をとって、食べ始めている。カナは食べたことないもの――とくに肉料理を食べる気にはなれず、豆とポテトを自分の皿に取り分けた。その時、はっと思い出したことがある――リーマスにアイスクリームを買ってもらっていない!
「おいしそうですね」
カナは器をひっくり返しかけた。周囲の子も飛び退いて驚いた。
テーブルの真ん中――カナの目の前だ――金の皿と皿の間から灰色の頭がぬっと飛び出して、悲しそうにつぶやいた。
「食べられないの?」ハリーがステーキを口に運んだ。それをじろりと眺めながら、ゴーストは答えた。
「かれこれ四百年、食べておりません」
「四百年前の人なのね」ラベンダーがゴブレットを傾けながら言った。カナのゴブレットには、黄色い飲み物が満ちている。飲んでみた――冷たいかぼちゃジュースだ。
真珠色の影がふわりと浮かび上がった。さっきのひだ襟のゴーストだ。
「まだ自己紹介しておりませんでしたね。ニコラス・ド・ミムジー=ポーピントン卿と申します。お見知り置きを。グリフィンドール塔に住むゴーストです」
「僕、あなたのことを知ってるよ!」カナの向かいに座った背の高い赤毛の男の子、ロナルドが言った。「兄さんたちから聞いたんだ。『ほとんど首無しニック』だ!」
「むしろ、呼んでいただくのであれば、ニコラス・ド・ミムジー・・・・・・」
「ほとんど首無し?ほとんどってどーいうことだ?」赤ら顔のシェーマスが興味津々という感じで身を乗り出した。
話を遮られて、ニコラス卿は「ほら、この通り」と腹立たしげに自分の左耳をつかみ、引っ張った。頭がぐらりとはずれ、落ちる――と思いきや、本を割って開いたように肩の上に落ちただけだ。一年生の、特に女の子は悲鳴をあげた。その様子を見て、ニコラス卿は満足げに頷いた。ゴーストは生きた人を怖がらせるのが好きらしい。ひょいと簡単に頭を戻した。
「さて、グリフィンドール生徒諸君。今年こそ寮対抗優勝杯を獲得できるよう頑張ってくださるでしょうな。グリフィンドールがこんなに長い間負け続けたことはない――スリザリンが六年連続で寮杯を獲っているのですぞ!『血みどろ男爵』はもう鼻持ちならない状態です・・・・・・スリザリンのゴーストですがね」
ひとつ向こうのスリザリンのテーブルには、おぞましげなゴーストが座っていた。うつろな目に、骨が出るほどこけた頬、銀色の血にまみれた衣服が、おそらく絶命した時のそのままだ。隣に座るマルフォイが、不愉快そうに食事をしていた。
「彼が血みどろなのはどーして?」またシェーマスがたずねた。ニコラス卿は「ワタクシ、聞いてみたこともありません」とあいまいに濁した。
カナは同い年の子たちよりもずいぶんと幼く見えた。頬は赤ん坊みたいにふっくらしているし、身長だって小さいし、食べるのもうんと遅かった。他のみんなはカナが皿にとった倍の量を食べていたので、食べ終わる時間は同じくらいになった。
みんながお腹いっぱいになると、料理が消え去って、ふとよそ見をしている間に今度はデザートでいっぱいになった。さまざまなフルーツ、ゼリー、トライフル、プディング、ジャムののったドーナツの山、糖蜜パイに――アイスクリームがある! カナは手を叩いて喜んだ。リーマスに聞いた通りだ――冷たくて、触れるととろりと溶けて、飲み物みたいな、食べ物のような――カナが選んだのはレタス味のアイスクリームだったけど、初めての食感が感激で、味についての感想は追いついてこなかった。それに、もっとポピュラーな味があるとは誰も教えてくれるはずもない。
「僕はハーフなんだ」
向かいに座るシェーマスが、パイをかじりながら家族の話を始めた。間延びした口調の彼はおしゃべりが大好きみたいだ。「僕のパパはマグルで、ママは結婚するまで魔女ってこと、隠してたんだー。パパはずーいぶんびっくりしたみたいだよ」
「ネビル、君んとこはどうだい?」赤毛のロナルドが聞いた。
「ボク、ばあちゃんに育てられたんだけど、うちはみんな魔法族だけど、でもボクの家族はずうっとボクのこと魔法が使えないと思ってたみたいなんだ・・・・・・」その流れに加わって、ラベンダーも、カナやパーバティに、自分が初めて魔法を使った時の話をする。
カナはそういえば、あの「家」にいた頃に魔法を使ったことはなかったな、とぼんやり思った。みんなの話を聞いていると、カナはなんだか眠たくなってきた。ハーマイオニーがカナの方に身を乗り出して、向かいに座る上級生の男の子――グリフィンドール監督生のパーシーと授業について語り合っているのにも気がついていなかった。
うとうとして、膝の上にベシャっとアイスクリームを落としてしまった。それではっと意識を戻す。どうしようかと、溶け出した乳白色を見つめていると、いつのまにか綺麗さっぱりなくなっていた。見上げると杖を手にしたハーマイオニーがいた。
「『ゴシゴシ魔法』よ。教科書に載ってたの。成功してよかったわ!」
わらうと、すこし大きな前歯が覗いて、得意げなリスみたいだと思った。
デザートも消え去り、ダンブルドア校長が「エヘン」と咳ばらいをした。広間じゅうが静まり返る。
「全員よく食べ、よく飲んだことじゃろうから、また二言、三言、言わせてくだされ――
新学期を迎えるにあたり、いくつか知らせがある。一年生に注意しておくが、構内にある森に入ってはいけませんぞ。これは上級生にも、何人かの生徒たちに特に注意しておこうかの」
その言葉に、グリフィンドールの上級生がクスリと笑いあった。ロナルドによく似た赤毛の二人組で、きょうだいみたいにそっくりだった。
「管理人のフィルチさんから、授業の合間に廊下で魔法を使わないようにという注意があった。それから――今学期は二週目にクィディッチの予選がある」
クィディッチは、カナも知っている。リーマスがよく言っていたのだ。「シオンはクィディッチの才能がある」と。箒に乗って競う有名なスポーツだ。ぼくは箒で遊ぶのが大好きだったから。
「寮のチームに参加したい人はマダム・フーチまで。
それから――最後になるが、とても痛い死に方をしたくない者は、今年いっぱい四階の右側の廊下に入らぬよう」
少しだけ笑い声が上がった。みんな、冗談だと思ったんだろう。
「へんだな、どこか立ち入り禁止の場所がある時は必ず理由を説明してくれるのに・・・・・・」パーシーが顔をしかめていた。
「では、寝る前に校歌を歌おうかのう!」
校長先生はざわめきを一蹴するように声を上げた。杖を複雑に動かすと、その先から金色のリボンが流れ出て、空中をくねくねとのぼりながら、文字をえがいた。
「みんな、自分の好きなメロディーで歌うのじゃ。ほれ、スリー、ツー、ワン!」
みんなバラバラに歌い始め、バラバラに歌い終えた。カナはほとんどとんちんかんに歌詞を読み上げるだけになった。さっきの赤毛のきょうだいが、とびっきり遅いメロディーで歌ったので、それが最後だった。校長先生はそれに合わせて最後は杖で指揮をして、歌い終わった時には誰よりも大きな拍手を送った。
「ああ、音楽とは何にもまさる魔法じゃ」
そう言って涙をぬぐうと、歓迎会の終わりを知らせた。
「さあ、諸君、就寝時間じゃ。かけ足で!」
グリフィンドールの一年生は監督生のパーシーに続いて大広間を出て、大理石の階段を上がった。廊下の肖像画のいくつもが新入生たちを指差してささやいた。「まあ、可愛い新入生ちゃんたち」ブロンドの帽子婦人がカナに向かってウインクをした。
パーシーはいくつもの廊下を通り抜け、いくつもの階段を登った。カナは道が覚えられるかどうか不安だったけれど、今はパーシーについていくしかないのだ。一年生はみんなへとへとになりながら続いた。
突然、パーシーが廊下の途中で立ち止まったので、みんなもその場に止まった。空中には杖が束になって浮いていて、パーシーが足を踏み出すと――それらはバラバラと飛びかかってきた。
「ポルターガイストのピーブズだ」
パーシーは一年生に向かってささやいた。
「ピーブズ、姿を見せろ」パーシーの声には風船の抜けるような音が応えただけだった。「『血みどろ男爵』を呼んできてもいいのか?」
そう言うとポン、と音がして、意地悪そうな目に大きな口をした小男が現れた。あぐらをかいて空中を漂っている。その手には杖の束があった。
「おおぉぉぉぉ! かーわいい一年生ちゃん! なんて愉快なんだ!」ピーブズは甲高い笑い声をあげ、一年生めがけて急降下した。みんなはひょいと身をかがめた。
「ピーブズ、行ってしまえ。じゃないと男爵に言いつける。本気だぞ」パーシーが怒鳴ると、ピーブズは舌をベーッと出し、集団の後ろのほう――ネビルの頭の上に杖を落とすと、姿を消した。それからそこらにある鎧をガラガラ言わせながら遠のいていくのが聞こえた。
「ピーブズには気をつけた方がいい。やつをコントロールできるのは『血みどろ男爵』だけなんだ。僕ら監督生の言うことでさえ聞きやしない・・・・・・さあ、ついた」
廊下にはピンクのドレスを纏った、とろけたように太った婦人の肖像画が掛かっていた。パーシーを見ると「合言葉は?」と婦人が問う。
「カプート・ドラコニス」
言い終えたと同時に肖像画はパッと前に開き、その後ろの壁には丸い穴が開いていた。カナやネビルのような小柄な子は、やっとのことでよじ登ることができた。
穴の先はグリフィンドールの談話室だった。円形の部屋の中央に暖炉がある。グリフィンドール寮のある塔はホグワーツ城の一番高い階にあり、日が落ち切った今ではうんと肌寒い。誰かが先回りして暖炉を灯してくれたのだろう、熱い炎がパチパチと弾けていた。その周りには、いかにもふかふかのクッションが付いた心地良さそうな肘掛け椅子が、いくつも置いてある。
「ハハ! 一年生のみんな、グリフィンドール寮へようこそおいでくださいました」「お近づきのしるしに、おひとつどうぞ」
そっくり同じ声が二重に聞こえた。カナの目の前にビスケットの包みが降ってくる。見上げると、顔にそばかすを散らした、いたずらっぽい表情の赤毛の男の子が二人、カナを見下ろした。
「心配するなよ、ちょっと刺激的なだけのビスケットのお裾分けだ。寝る前には歯を磨くんだぞ」
カナにお菓子の包みを手渡してきた方の子が、ウインクを飛ばした。カナは「ありがとう」と小さな両手いっぱいのそれを受け取って、ローブのポケットに仕舞った。
「こいつはフレッド」「こいつはジョージさ」「ほら、監督生さまに見つかる前に行った行った!」
一年生の女の子たちは監督生に指示され、女子寮へと続くらせん階段を上がった。
らせん階段はどこまでも続くように思えた。高い塔がまるごと女子寮になっているらしい。上級生はばらばらと、それぞれの階に着くと部屋へと入っていく。
やがていちばんてっぺんにたどり着くと、ベッドが四つある部屋に着いた。荷物は先に部屋の中に運び込まれていて、カナのお古のトランクや革の肩掛け鞄も、ルームメイトの荷物とともに部屋の真ん中に鎮座していた。
「なんて素晴らしいの!」
ラベンダーは喜んで声をあげた。深紅のビロードのカーテンがかかった四本柱の天蓋付きベッドが、円形の部屋に沿ってぐるりと置かれていた。部屋の雰囲気はがれきの城の寝室にも似ていたが、ここはぼろぼろでもないし、蔦が覆ったりはしていない。
ラベンダーは真っ先にベッドの上によじ登り、カーテンに隠れてはしゃいだ。ラベンダーのくるくる巻き毛のブロンドが、その深紅によく映えた。
「ああ、でも、赤よりもピンクが良かったわね」
「グリフィンドールの赤なんだから、文句を言ったらだめよ」ラベンダーの隣のベッドに座るパーバティが言った。
古ぼけたトランクはカナのものだ。それが置いてあるベッドに腰掛けながら、カナはポケットからさっきのお菓子を取り出した。
包みを開くと、グリフィンドールカラーをした鳥の形のビスケットだ。カナは口の中に放り込んだ。フレッドは「ちょっと刺激的」だと言っていたけれど、何が刺激的なのだろう。味は至って普通の、むかしリーマスが贈ってくれたのと変わらない、ただのビスケットだ。
顔を上げると、ラベンダーが口を覆って、目を見開いていた。
「ラベンダー?」とカナが声を掛ける。パーバティも足をじたばたさせた。
ラベンダーが口を開くと、ピィピィと、鳥の鳴く様な高い音が寝室に響いた。パーバティが笑う――見るからに笑っているが、こっちも鳥がカラカラと囀るような鳴き声で、彼女の落ち着いた声音は聞こえない。二人とも派手な色の包み紙をパタパタと振った。カナと同じようにビスケットを食べたんだ。でもカナとは違う、カナは声が変わったりはしていない。
「面白いわ! このビスケット、ホグワーツ特急でも売ってなかったわよね?」ハーマイオニーが包みを眺めながら言った。「でも、ずっとこのまま?」
「あ、あー」そのうちラベンダーが声を取り戻した。「すごいわ、聞いてた? カナリアみたいに鳴いてたの!」頬を紅潮させて、ラベンダーはベッドのスプリングに倒れた。
「元に戻らなかったらどうしようかと思ったわ」パーバティも楽しそうに笑った。「カナははずれだったわね」
「残念。でも、またフレッドに言ったら貰えるよ」カナは肩をすくめた。
ハーマイオニーが言った。「歯磨きを忘れないでね。歯医者の娘として、友達が家に通うのを見たくないから」
20170920-20230301