――無事に「秘密の部屋」を抜け出してきた一行が校長室に入る。ロックハートに横抱きにされたままぐったりしているカナを見て、アーサーおじさん、モリーおばさん、マクゴナガル先生は大きく息をのんだ。おかあさんは見向きもせず、静かに座っていた。
 ダンブルドアが、ロックハートからカナを引き受けて、悲痛なまなざしを気絶しているカナへと向けた。部屋の奥へと足を向けながら、おかあさんに声をかけた。
「エリア、奥の部屋にカウチがある。使いなさい」
「ダンブルドア、ありがとうございます」
 おかあさんはやっと立ち上がり、よどみなくダンブルドアのあとへと続いた。
 暖炉の前のゆったりしたカウチに、カナは横たえられた。ダンブルドアは暖炉の火をつけた。
「この子はずいぶん怖い目にあったようじゃの」
「でも、生きています」おかあさんの声は、感情がないようで、わずかに震えていた。バッグから取り出した古枝をぱき、ぱきと手慣れた様子で折りながら、それをダンブルドアへ手渡した。ダンブルドアも、まるで当然とばかりに、枝を暖炉の火にくべた。
「七竈か」
「ええ・・・・・・」祈りを捧げるように、おかあさんは自分の杖を額に押し付けた。
「『七度の護り』かね」
「迷信です」ひどく真剣な口ぶりだった。
「それとも、反魂のまじないかね」ダンブルドアの穏やかな問いに、おかあさんは答えなかった。
「・・・・・・私はただ」扉に足を向けていたダンブルドアが、息のできないまま絞り出したような声を聞き、体を向けた。「・・・・・・祈っているだけなんです」
 また沈黙が落ちた。
「いきすぎた祈りは時に、呪いと区別がつけられなくなる」
「それ以外の方法が思いつかなかったのです」
「・・・・・・きみの心中は、察するに余りある」ダンブルドアは、おかあさんのそばに歩み寄った。そしてあわれむように、痩せ細った後ろ姿を見つめた。「しかし、これではあまりに・・・・・・」
「そう思われますか?」
 その言葉に、ダンブルドアは射抜かれたように立ち尽くした。
「先生、私、私自身が、どう振る舞えばよいのか、わからないのです」
「わしの考えでは」ため息のような声だった。「きみはもう充分すぎることをしたと、そう確信しておる。きみはすこしばかり、自分を責めすぎる」
「・・・・・・でも、私は身勝手ですから。ずっと、自分のための選択をし続けているつもりです」
「そのように我が子を騙しおおせているというわけじゃな?」
 おかあさんが短く息を吐く。
「エリア。わが家の鍋に火をかけたままでないのなら、この子が目覚めるまでそばにいてやりなさい」
 ダンブルドアはいたずらっぽく微笑み、静かに部屋を出ていった。
「・・・・・・カナ」
 おかあさんは霧のようにかすかな声で、ため息をついた。
「私・・・・・・愛しているわ、あなたたちのこと・・・・・・」
 暖炉のはじける火花の音にかき消されるほどの静かな嗚咽が、かたく目を閉じたカナの胸に落ちる。おかあさんは、そのだらりと垂れた手をぎゅっと握った。
 しばらくして、顔を上げると、おかあさんは自分の胸――心臓のあたりに杖を突き立て、聞き取ることのできない言葉をぶつぶつと唱え始めた――







 暖炉の火が爆ぜるパチパチという音が聞こえて、カナは目を覚ました。目だけぐるりと動かしてあたりを観察した。見覚えのない部屋だ。カナはふかふかのカウチに寝そべっていて、厚手のブランケットがお腹に掛けられていた。
「目覚めはどうかね」
 ダンブルドアの穏やかな声だ。どうして気が付かなかったんだろう。暖炉の目の前のスツールに、銀色の髭の長身の老魔法使いが、ちょこんと腰掛けているというのに。
 カナが返事をしようと咳払いをしていると、ダンブルドアがカナを待たずに再び口を開いた。
「さきほどまで、きみのお母上がここで看病をしていた」
 とたん、カナの心の中によくない気持ちが沸き起こってくる――川に黒く濁った水が流れ込むみたいに、それはカナを苛立たせた。
「さきほどまで、って――」
「エリアはきみに施しを授けて、そして帰ってしもうたよ。忙しい子じゃ」
「施し?」カナは、またか――と言う気持ちでため息を吐くとともに、そう訊いた。
「特級の保護魔法じゃ。わしにもその性質は計り知れん・・・・・・数多の呪い返しが、きみには授けられておる」
「でも、おかあさんはぼくにひと目だって会おうとしない」
 そんなの、信じられない――とでも言わんばかりに、カナはかぶりを振った。ダンブルドアは、何も言わず静かにカナを見つめた。そして、「おお、そうじゃった」と手を叩いて、思い出したかのように腰を上げた。
「ハリーから、きみの杖を預かっておったんじゃ」
 カナはゆっくりと、肘をつきながら身を起こした。不思議と、秘密の部屋でのあの怪我がうそみたいに、なんの痛みも感じなかった。それに、不自然に折れ曲がった足もすっかり元通りで、自由自在に動かせた。
 ダンブルドアが戻ってきて、カナに灰色の杖を握らせた。螺旋状に絡まった杖身は、まちがいなく去年カナが買ったものだ。
「リドルは――ジニーはどうなったんですか」
 ダンブルドアがここでゆっくりしているということは、事態は収まったか――あるいはどうしようもないことになったに違いない。カナは焦らずたずねた。
「まずは、きみとミス・ウィーズリーに感謝せねばならんのう。勇気を振り絞ってわしに手紙を託してくれたじゃろう――しかし、リドルのほうが一手早かった」
 カナはまっすぐダンブルドアを見つめ、黙って続きを聞いた。
「リドルの記憶は消えおったよ。ハリーがきちんと片をつけてくれた」
 カナはうなずいた。
「ミス・ウィーズリーは無事じゃ。それに、処罰もなし。大人の魔法使いや魔女ですら、ヴォルデモート卿にはたぶらかされてきたんじゃ」
 カナはやっと大きく息をついた。ジニーが無事に解放された――それだけで、カナがやってきたことが報われたような気がした。
「じゃが、心には深い傷を負ったじゃろうな。友人たちがそれをなぐさめ、たくさん休養できれば良いのじゃが――」
「はい、もちろんです、先生」
 カナは瞳を潤ませていたけれど、はっきりとそう答えた。その返答に、ダンブルドアは目を細めてにっこりと笑った。
「ハリーも元気にしておったよ。不死鳥の涙による癒しの力とは不思議で素晴らしい。バジリスクの毒を、ものともしないとは」
「それじゃハリーは、フォークスがいなければあのまま――」カナはその先、口をつぐんだ。
「それはきみもじゃよ、カナ。きみも癒しの力を受けたんじゃ。そうでなければ、きみは今ごろ聖マンゴに入院せねばならんかったじゃろうな」
 ダンブルドアは「ひと息入れようかの」と杖をふるった。カナの手元によく使い込まれたマグカップがふわりと舞い降りて、中は熱いココアで満たされていた。ダンブルドアも、同じものを手に持っている。
「疲れたときは、熱々のココアを淹れるんじゃ。わしはそれで元気が出る」ダンブルドアの目が暖炉の灯りを受けてキラキラとオレンジ色に光っていた。
 カナはココアを啜りながら、リーマスのことを思い出した。どうしていつもとびっきり甘いお菓子ばかり、ぼくやカナに勧めるのか聞いたことがある――「落ち込んだ時には甘いものを食べるといい、元気が出るから」と、彼はたびたび言っていた。

 カナのカップが半分ほど減った頃、ダンブルドアがカナを促した。
「さあ。他に何か聞きたいことはないかね」
 カナは、リドルと話したことを思い出していた。ココアの、白く浮かんだ泡がくるくると漂うのをじっと見つめる。
「校長先生――ぼく、以前、ぼくがパーセルマウスだという話をしましたよね」
「覚えておるとも」
 ダンブルドアは、相変わらず感情の読めない瞳でじっとカナを見つめている。凪いだ湖面のようなその雰囲気が、少しだけカナは苦手だった。
「ぼく、例のあの人・・・・・と――」カナは、かぶりを振った。ヴォルデモートと血のつながりがあるかもしれないだなんて、そんなの、言葉にできなかった。
 息を吸って、カナは搾り出すようにたずねた。
「先生は、スリザリンのジョゼット・エリオットを知っていますか?」
「おお、おお、カナよ――そこまで知っておるのかね。いや――知ってしまったと言った方が正しいかの」
「ぼくは、なんなんですか?」
 半月眼鏡の奥で、ダンブルドア校長の瞳が、涙を浮かべて光った。
「なんじゃと思う」
 カナは息を吸った。
「ジョゼット・エリオットはゴーント家の子孫だと――つまり――その子孫であるぼくが、スリザリンの血を引いている、純血の魔女かもしれないと、リドルは言っていました」
「カナよ。きみは、自分が純血の魔女だと信じておるのかね?」
「さあ」カナはかぶりを振った。「おかあさんは、ぼくのおとうさんや、について話してくれたことはありませんから。それに、どうだっていい――純血だろうと混血だろうと――何の意味が? ぼく――」カナは笑えた。「ヴォルデモートは、ぼくを『崇高な存在』だって・・・・・・はは・・・・・・」
 カナはしばらく、乾いた笑いが止まらなかった。やがて――それは涙を伴った嗚咽に変わった。カナは泣いた。ダンブルドア校長は、静かにそれを見守っていた。
「カナよ」やがて先生が神妙に口を開いた。「顔を上げなさい。ヴォルデモート卿は、きみがこれから戦って行かなければならない相手じゃ」
 カナは顔を上げた。
「やつは躍起になってきみを手に入れようとするじゃろう。昨年度の邂逅で向こうもきみの存在を知っておる以上――カナ、きみは警戒せねばならぬ」
「なぜ、ぼくなんですか――」カナは前髪をくしゃくしゃに混ぜた。
「自らの運命を呪っておるな?」校長先生のしわがれた手がカナの手にふれ、マグカップを取りあげた。そして、未だにしゃくりあげるカナの髪を綺麗に整えた。「お爺さまにそっくりじゃよ」
「おじいちゃんに?」カナは先生の目を見つめ返した。
「さよう」校長先生は笑った。「きみが去年手にしておった杖の持ち主じゃな――エリアは何も話してくれんじゃったろうから、少しだけ、わしの知っておることを話してやろう」
 こほん――と、校長先生は小さく咳払いをした。
「彼はスリザリンの模範生じゃったが、生家の純血思想にうんざりしておった。憂いを多く抱えた、悩める美少年といったところじゃな。名を、ドナルベイン・レストレンジといった」
 校長先生はカナの、すっかり傷の塞がった手をさすった。しわだらけで、古枝のような白い指先は冷たかったけれど、手のひらはあたたかい。瞬きとともに、カナはぽろりと涙を落とした。
「そして、同じくスリザリンのジョゼット・エリオットを慕っておった。彼女はマグル生まれという肩書きを引っ提げていたにもかかわらず、スリザリンにおいて、監督生に首席まで勤めた。当時はそこまで純血思想が過激ではなかったが、それでもマグル出身者への向かい風は強かったことじゃろう。芯があり、優しく、とびきり聡明な女性じゃった」
「ぼくの祖母にあたるその人は――ほんとうはマグル生まれではなかったということですよね?」
 リドルの言っていたことを思い出す。「マグル生まれなんていうのは嘘だ」と。
「彼女は孤児じゃった。奇しくも、リドルと同じでの」先生は目を伏せた。「エリオットという姓も、彼女が育った孤児院で名付けられたものじゃ。ジョゼットが自身の血筋と、そして純血の魔女であることを知ったのは、もっとあとのこと・・・・・・彼女は捨て子の身じゃったが、成人のあかつきに、ゴーント家の――つまり、最後の純粋なスリザリンの末裔である、そのしるしの家宝を受け継いだ」
「そんなものが・・・・・・」
「それがいったいどんな代物で、いま何処にあるのかは、わしにもわからぬ――しかし、カナよ。ジョゼットとリドルの決定的な違いがわかるかね?」穏やかな声だ。「同じ時代を生き、同じ孤児の身、同じスリザリンの末裔、同じでないのは・・・・・・」
「他人を愛したかどうか」
「その通りじゃ」ダンブルドアは満足そうに頷いた。
「ハリーが言っていました・・・・・・『あいつは愛なんて知らない』って」
「その通り・・・・・・ジョゼットとリドルはスリザリンの先輩と後輩という関係でしかなく、関わりは少なかったようにみえたがの・・・・・・ジョゼットは自身の血筋のことを大っぴらにすべきでないと判断した。ジョゼットとドナルベインは大人になり、愛し合っていた。リドルにできなかったことを、彼女は果たしておった。しかし、純血主義で由緒正しき貴族のレストレンジ家がそれを祝福するはずもない・・・・・・」
 先生はココアを一口すすった。カナが、風のない湖面のような青い瞳をじっと見つめると、校長先生はほほえんだ。
「やがてふたりは身を隠し、ひとりの娘をもうけた・・・・・・それがエリアじゃ」
 ああ――カナはまた涙を落とした。ぽろぽろと、今度は止まらなくなった。何故だろう、どうして――今――どうしようもなくおかあさんに会いたくなった。
「おかあさんは、どうしてぼくを嫌うんですか」
「おお、カナよ! それは愚かな間違いじゃ――もちろんエリアはきみを愛しておる」
「どうして先生がそれを? 自分の口で言ったらいい! おかあさんは――そんなの――」
「ひとことも言っておらんかったかね?」
 カナは口をつぐんだ。そうではない――ぼくが死んでからだけれど、おかあさんは泣きながら、カナに「愛している」と頻繁に口にしていた――そうではないけれど。
「信じられません」
「エリアはいつも、大きな悲しみに満ちておる。きみもそう思うじゃろ?」先生はすべてを許容するかのような微笑みを浮かべていた。「あの子は――きみのお母上はわしにとってはまだ幼い子どものような存在じゃのう、エヘン――エリアには、よんどころない事情があるのじゃ」
 カナは目を伏せた――そうしないと、ダンブルドア校長のことすら睨みつけてしまいそうだった。
「こんなことを聞きたくないというきみの気持ちは、痛いほど分かっておるよ。ただ、わしの口からは説明できん。彼女の複雑怪奇な考えのすべてを、わしが知るはずもないでの。いずれ時が来たら、エリアがすべて託してくれるはずじゃ。じゃから――エリアを信じておくれ」
「でも・・・・・・」カナの手に、再びココアのマグカップが握らされた。もうずいぶんぬるく、カナの手の熱がひやりと移る。
「それに、愛していないのならば、どうして我が子に魔法の保護を施す必要があるかね?」
 カナが目を開くと、またぽとりと涙が落ちた。
「そんなのはいらないから、ただ、ただ会って」カナは顔を上げた。大粒の涙でしとどに濡れた顔なんて構わず、ダンブルドアを見た。
「ただ、前みたいにあの家で暮らしたいだけなんだ」
 それが叶わない願いだってことは、カナがいちばんよくわかっているはずだ。







 もうすぐ消灯時間になろうというのに、ダンブルドアはカナにふわふわのパジャマを着せた。同じくウールのパジャマ姿で「宴会じゃ」と、ナイトキャップを被り、うきうき微笑むダンブルドアに連れられて、カナは大広間に入った。
 大広間はパーティーの真っ最中だった。四つの寮は入り乱れて、カラーなんておかまいなしの無礼講となっていて、みんな自由に食事やデザートを手にとり、好きなテーブルへ行って、先生たちはお酒も入っていた。みーんなダンブルドアやカナと同じパジャマ姿で、時間なんか忘れたかのように、襲撃事件の解決を祝っていた。城じゅうのゴーストも集まって――その中にはほとんど首なしニックの姿もあった(いったいマダム・ポンフリーは彼にどんな治療を施したのだろう)。そして、バジリスクの被害者の生徒たちの姿もあった。
 カナが大広間に入ってきたことがわかると、グリフィンドールのテーブルから「ピュウー!」と口笛が鳴った。カナはテーブルに駆け寄った。グリフィンドールの生徒たちも立ち上がり、カナの帰還をみんなで駆け寄って出迎えてくれた。傷ひとつなく治療されたハリーが目の前にやってきたとき、カナは涙を浮かべて、そして力強くハグを交わした。
 それから、お祝いは夜通し行われた。
 すっかり元通りになったハーマイオニーから、「あなたが『魔法生物』のヒントをくれたから、バジリスクに思い至ったのよ。ちょうど去年読んだ本に書いてあったのを思い出したの――」と説明された。
 パーシーからは「カナがジニーの助けになってくれてよかった」と顔を真っ赤にしてお礼を言われたので、「うん。それに、被害者のみんな・・・・・・・も元気になってよかったね」と言うと、さらに首まで茹で海老みたいに真っ赤にしていた。
 ジニーとロックハートも大広間へと入ってきた。すっかり顔色のよくなったジニーが元気に駆け寄る姿を見て、カナは涙が出そうだった。そして、「無事でよかった」とお互いに帰還を喜んで、長いこと抱き合った。
 教員席の端っこにぎこちなく座るロックハートはなにやら雰囲気が変わっていた。ロンによると、「秘密の部屋」へと同行させたけれど、ロックハートが暴走し、ロンの杖で忘却呪文を逆噴射してしまったらしい(そして、彼の著書がすべて忘却呪文によって他の人から奪われたものだということも、衝撃的なニュースとなった)。それに、「ロックハートが君を運んでくれたんだぜ。すっごく心配してたよ。『この子はちゃんと息をしているだろうね』とか言って――」というのも教えてくれた。
 明け方の三時ごろ、ようやくハグリッドが帰ってきた! カナがぎゅうっと抱きしめたあと、ハリーとロンが肩をポンと強く叩かれて、トライフル・カスタードの皿に顔を突っ込んでいてみんなで大笑いした。そんなことがあっても、ハグリッドが帰ってきてくれたことがうれしくて、二人もクリームまみれのまま笑っていた。
 ハリーとロンが勇敢にも「秘密の部屋」の問題を解決してくれたということで「ホグワーツ特別功労賞」と、それぞれ得点を二〇〇点ずつ与えられ、寮対抗優勝杯は二年連続でグリフィンドールのものとなった。
 それに、マクゴナガル先生が立ち上がって、学校からのお祝いとして期末試験がキャンセルされたと生徒全員に告げたときも、歓声がすごかった(ハーマイオニーだけは、「ええっ、そんな!」と叫んでいた)。
 ダンブルドアは「残念ながらロックハート先生は来学期学校に戻ることはできない。学校を去り、記憶を取り戻す必要があるからじゃ」と発表した。この時ばかりは、先生も生徒も一緒になって歓声を上げていた。
 いままでみんながたくさん怖い思いをした。その分、今夜の宴会では嬉しいことが数えきれないくらいあった――

 ――朝が近づいて、もう宴会もお開きになった。
 カナは、たくさん笑って真っ赤になった頬を冷やしたくて、大広間を出て裏口のほうへと出た。この扉は入学式の日に通って以来だ。もうすっかり夏の朝日が昇りきって、明るく輝く湖面を見ながら、手のひらで火照った顔をパタパタと仰いだ。
 もう一度、扉が開く音がした。振り返ると、フレッドが顔を出していた。意外かもしれないけれど、あんがい、この双子は別行動をしていることも多いのだ。
「楽しかったか?」フレッドがたずねる。
「もちろん。それに、すごく安心した」カナは笑ってそう言った。「みんなが無事でよかったよ」
「ああ。きみもだろ、カナ」
 カナは、言われて初めて自分も被害者の一人であったことを思い出した。
 フレッドがカナの隣の芝生に腰を下ろしたので、カナも座った。朝露が二人のお尻を濡らしたので、揃って笑った。
「なあ、最近ずっと元気がなかっただろ――カナも、巻き込まれてたんだな。ジニーのこと、僕ら、気づいてやれなかった」
「ジニーは必死に隠してたんだ」カナはフォローした。事件について、フレッドが気負う必要はない。「ダンブルドアでさえ、知らなかった」
「そうだな」
 フレッドは煮え切らないふうに、頬をかいた。
「僕、じつは――クリスマスに、ほら、ジョージの話をしただろ。それでお前さんが落ち込んじまったのかと思ってさ――」
「ぼくが?」カナはぽかんとした。「・・・・・・なんで?」
「そりゃ――」フレッドは目をそらした。「その後もジョージのやつが、夜中――」
 そのとき、裏口の扉がガチャリと音を立てて開いた。飛び出してきたのはジニーと、シルクのキャップに髪の毛をぜんぶ詰め込んだ、色白の女子生徒だ。
「ジニー!」フレッドが叫んで立ち上がった。ジニーは何か悪戯が見つかった時のような顔で、そそくさと走って逃げた。フレッドもそれを追いかけたので、カナと、その女の子だけが残された。
「ふぅン、もう終わり?」
 カナと目が合うと、にこりと笑って、スキップでその子も去っていってしまった。



 残りの夏学期は、あっという間に過ぎ去っていった。最後の魔法薬学の授業のとき、ガートルードがこっそりとカナの無事を喜んでくれた。それにマルフォイの父親、ルシウス・マルフォイが、ダンブルドアを陥れようと画策した件でホグワーツの理事を解雇されたのだと、そっちの方をより喜んで報告してくれた。また来年も「訓練」をして、「アニメーガス」をものにするのだとガートは意気込んだ。

 カナは図書館で、卒業生のリストを捲っていた――そして、何冊目かの記録で、見つけた。
 一九四三年のスリザリン卒業生、その中に、「ジョゼット・エリオット」と「ドナルベイン・レストレンジ」の名前を見つけた。カナはため息をついた――こんなところに、カナの縁者の名前は残っていた。写真が残っていればよかったのに――ひと目でいいから、どんな人なのか見てみたかった。
 それまでの記録で、「ゴーント」とという家名は見当たらなかった。「レストレンジ」はいくらでも見つかった。カナはカンタンケラス・ノットの「純血一族一覧」で、一九三〇年代にはまちがいなく純血だと判断された「聖二八一族」も調べていた。いまもホグワーツに在籍している生徒の家名がいくらか連なっていた。アボット、エイブリー、ブルストロード、フリント――そこにはゴーント家の名前がしっかり残っていた。おそらく、ゴーント家はいまでは断絶してしまったんだろう。その血を引いているのが、ジョゼット・エリオット。そしてその娘のおかあさん。そしてカナだ。レストレンジ家が純血の家系なのだから、おかあさんはまちがいなく純血なんだろう。結局、カナは自身が純血かどうかを知るすべがない。だって、カナの父親が誰なのか、いまだにわからないままなんだから。
 それにしても――カナは何冊か前の卒業生の記録をもう一度めくった。そこにリーマスの名前がある。スネイプ先生やバートラム・エイブリーの名前もあった。その数年後の、どのページをめくっても、おかあさんの名前がないのだ――ダンブルドアは以前、「ホグワーツを巣立っていった」と言ったけれど――それが、腑に落ちなかった。
「あ、母さんの名前」
 カナはリストを落っことしかけた。いつのまにやらカナの真横に、陰影の濃いブロンドをだらりと垂らした少女が立っていて、カナの手元を覗き込んでいた。
「それに、カナ・エリオット」
 カナは目をぱちくりと瞬かせた。ぼんやりした銀色の瞳に、唖然としたカナが映り込んでいる。少女は穏やかな雰囲気で、にぃっと唇を釣り上げた。
「あたし、ルーナ・ラブグッドだよ。ジニーの友だち。あんたもなんだもんね?」
 カナはようやく「あっ!」と声をあげた。思い出したのだ。宴会の翌朝、カナとフレッドの様子を見に来たジニーと共にいた女の子だ。
「きみが、レイヴンクローの」
「そーだよ」ゆらゆらと揺れるブロンドのすきまから、欠けたペン先のイヤリングがチラリと見えた。「あたし、ずーっとあんたを見てみたいと思ってた。だってジニーが、あんたと兄貴の話ばっかりするンだもん――」
「なんだって?」カナは今度こそリストを落とした。あわてて拾って、マダム・ピンスの注意が飛んでくる前にルーナを連れて、図書館の隅へ移動した。空いたテーブルにルーナを座らせて、カナもその隣に座った。手に持っていたいくつもの本と記録を積み上げて、司書に見つからないようにした。
「それで――ジニーがしてる、ぼくとフレッドの話って――」
「誰もフレッド・ウィーズリーだなんて言ってないもン」
 カナは両手で自分の口を塞いだ。耳まで真っ赤だ。
「でも、ジニーの言う通りだ。フレッドが好きなンだね」
「ち、ちがうよ」カナは弱々しく言った。
「違う?」ルーナは小さな頭を梟みたいにかしげた。「そうは見えない」
「その、好きだけど。友だちだよ、もちろん」カナは自分に言い聞かせるように言った。「ルーナ、そんなことを言うためだけにぼくに話しかけたの?」
「ウウン。あたし、靴の片いっぽを探してた」
 ルーナは膝を曲げ、カナにはだしの足を見せた。つま先にキラキラした青いペディキュアが光っていたけれど、その足は赤くなっていた。
「どうしたの? 図書館でなくしたの?」
「ふわふわどっかに飛んでいっちゃうンだもん。あたしがお昼寝してるときとか、ソファーで父さんの『ザ・クィブラー』読んでるときとか。今日は片っぽ捕まえたけど、片っぽがどっか行っちゃった」
「それって――」カナは、ルーナの靴は誰かに隠されているのではないか、と言い出そうか迷った。カナが積み上げた本の山をどかし、ルーナは自分が持っていたくたびれた雑誌を広げた。
「あのね、ホラ――『五本足のフェ・プーカ』は悪戯好きなポピュラーな生き物なのよ。この子は靴を欲しがってるンだ。足が人間より多いンだもん。ホグワーツにもいるにちがいないよ。姿をくらますのが得意でね、いくら探したって、見つかんない」
 カナはけばけばしいデザインの「ザ・クィブラー」誌面をまじまじと見た。ルーナは自分の靴がなくなるのは、この生き物のせいだと主張しているようだ。
「ホグワーツって、なにがいるかわからないからね」カナも同意した。「でも、靴がないと足が痛いでしょ――」カナは鞄から羊皮紙の束を取り出して、杖をふるった。
カルケアフォース靴になれ
 羊皮紙の束は、ルーナの履いている革靴そっくりに変化した。カナは変身術がうまくいって、息を吐いた。
「あんた、すンごい!」ルーナは大喜びだ。「これ、履いていい?」
「もちろん」カナはルーナのことがすこし心配になったけれど――新しい友人との出会いがうまくいったことを素直に喜んだ。



 いつの間にか、もうホグワーツ特急に乗る日が来てしまった。カナは、ジニー、フレッド、ジョージ、ロンにハーマイオニーとハリーと、特大のコンパートメントを一つ独占して、魔法を使うことを許された最後の時間をぞんぶんに楽しんだ。「爆発ゲーム」は杖の壊れたロンが不利だったし、カナは夏休み中にもらった「花火」に火をつけてみんなを驚かせた。それに、お互いに魔法で武器を取り上げる練習も盛り上がった。カナとハリーは、武装解除術の腕でいえばほぼ互角でいい勝負だった(あの・・カナが! とロンはたいそう驚いていた)。
 森を抜け、田園地帯に家がぽつぽつと増え、街が向こうに見え始めてキングス・クロス駅も目前となった時、ハリーが突然思い出したように言った。
「ジニー、パーシーが何かしてるのを、きみ、見たんだろう。パーシーが誰にも言わないように口止めしたって、どんなこと?」
「あっ――あのことね」ジニーはなんとかハリーと面と向かって話していた。くすくすと笑い、カナに目配せした。カナもピンときて、「あのことね」と頷いた。
「あのね――パーシーにガールフレンドがいるのよ」
「マーリンの髭!」フレッドがジョージの頭に本をひと山落とした。
「レイヴンクローの監督生、ペネロピー・クリアウォーターよ」
「夏休み、パーシーはずっと篭ってたでしょ・・・・・・あれは『O.W.Lふくろう』の成績を見てたんじゃなくて、彼女に手紙を書いてたんだ」カナも思い出したように言った。ジニーもぐいぐい身を乗り出して楽しそうに語る。
「学校のあちこちで、二人でこっそり会ってたわ。あたしとカナはずっと知ってて、応援してたの。ある日、二人が空っぽの教室でキスしてるところを、たまたまあたしが見ちゃったの。ペネロピーが、ほら、襲われたとき、パーシーはとっても落ち込んでた・・・・・・みんな、パーシーをからかったりしないわよね?」ジニーが今さら心配になって聞いた。
「夢にも思わないさ」フレッドは誕生日がひと足早くやってきたという顔だ。
「絶対しないよ」ジョージもにやにや笑っていた。
 そんなやりとりのわきで、ハリーがハーマイオニーとロンに「電話番号」なるものを教えていたときだ。
「あーあ、カナもお兄ちゃんの誰かと付き合ってくれないかな」
 ジニーが何気なく呟いたのを、みんな聞いていて、その場がシーンと静まり返った。カナも「え?」とポカンとした。ジニーはあわてて、みんなを見回して、弁解した。
「違うの、カナ・・・・・・」ジニーはモジモジした。「あたし、あなたがずぅっと家に居てくれたらいいなって思うの。本当の家族になってくれたらって・・・・・・だから、もしあの家が嫌じゃなかったら、そうしてほしいの」
 カナがむかしリーマスにねだったようなことを、ジニーは言う。
 沈黙が漂った。カナは呆然として、ハーマイオニーは栗色の目をぱちくりし、ロンも口をぽかーんと開けたまま、ハリーは百味ビーンズの箱を落とした。突然、フレッドが「いってぇ!」と叫んだので、みんなそっちを見た。
「ジニー」ジョージがしょんぼりして言った。「ごめん――僕ら、お前が寂しがってるのに気づいてやれなかったんだな。ほら、僕たちって、おまえの女きょうだいにはなってやれないだろ。でもこれからはフレデリカとジョージアって呼んでいいから・・・・・・」
「もう!」ジニーがもどかしそうに膝を叩いた。「そういうことじゃないわ! ねえ、カナ。あなたもなんとか言ってよ」
 カナはちらりとフレッドを見た――心配そうな顔をした彼と目が合った。
「あは・・・・・・」とあいまいな笑いをこぼし、みんなを見回した。「ぼく、今年も『隠れ穴』に預けられることになってるんだ、だから――ジニー、いっぱい遊ぼう!」



20240604


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