「どうしてそうお転婆なんだ」
 リーマスは頭を抱えていた。その隣で、パジャマ姿のマクゴナガル先生が厳しい目つきでカナとリーマスを見比べている。
「ルーピン――あなたの教育方針に口出しするつもりはありませんが、規則違反などというのはもってのほかです」
「ごもっともです」
 マクゴナガル先生から、カナとリーマスは揃って説教を受けていた――リーマスは保護者として。
 あのあと、怒り心頭のリーマスに連れられて、ずぶ濡れの泥だらけだったカナは真っ先にお風呂に放り込まれた。着ていたものはリーマスが魔法で綺麗にしようとしたけれど、さすがにすべての泥は落としきれなかったみたいで、カナはリーマスのとても大きなローブを借りた。その間に寮監のマクゴナガル先生が到着し、今は暖炉に当たりながら、お叱りを受けているという状況だ。
「まったく、なんて命知らずなんでしょう。『禁じられた森』に自ら入っていくなんて。最悪、あなたはもうここにいなかったかも知れません」
 マクゴナガル先生が脅して言っているわけではないことは、カナにもわかっている。カナは一度、あの森で死にかけているから。
「どうして約束を破ったんだ?」
 リーマスの悲壮な声がした。カナも悲しみに誘われた。裏切りたかったわけじゃなかった。でも、これまでの努力も、パッドの協力も、むだにしたくなかった――
「犬を探しに行ったのかい?」
「・・・・・・そうです」カナは俯きながら、同意した。
「もうあきらめなさい。あれから何か月経ったと思ってるんだ」
「理由は反省文のなかできっちり説明してもらいます。グリフィンドールから二十点減点」マクゴナガル先生はカナのことをきらりと見つめた。「エリオット。夜中に寮の外をうろつくのはおやめなさいと、何度言ったらわかるのですか? そんなところまで似なくてよろしい――誰とは言いませんがね」
 双子のことだと、カナはすぐに思い当たった。
「ごめんなさい」
 マクゴナガル先生はカナに反省文の羊皮紙を四十インチ分言い渡し、あとをリーマスに託して、部屋を出ていった。
 リーマスは椅子に深く腰掛けながら、長いため息をついた。
「ごめんなさい。リーマス」
 カナは萎びたマンドラゴラのように、足をぷらりと投げ出してリーマスの向かいに座った。
「・・・・・・次に無断で城を離れたら、どうなるかわかるね?」
「ど――どうなるの」
「来年のホグズミード行きは禁止だ」
 カナはくちびるを尖らせたけれど、何も言えなかった。リーマスとの約束を破ったんだ――相応の罰が用意されて然るべきだろう。
「一人で抱え込まないようにと、以前言ったと思うんだけれどね」
 カナは顔を上げた。リーマスは傷ついたような弱々しいほほえみで、カナのことを見ていた。
「カナ。なんでもわたしに話してほしいんだ。きみが悩んでいること、恐れていること、悲しんでいること――教えてくれなければ、助けることができない」
 リーマスの言葉はカナの胸にナイフのように突き刺さった。いろいろなことが、頭のなかを巡った――アニメーガスのこと。パッドのこと。バックビークのこと。ハーマイオニーのこと。リーマスの病気のこと。おかあさんのこと。それに――カナの父親のこと。
 鳶色の瞳は真摯にカナを見つめていた。カナはふたたびうつむいてしまった。
「こんなこと、リーマスに聞いていいのか、わからない」
「なんだって受け止めるよ」
 パチパチと暖炉の火が爆ぜる音だけが、しばらく部屋に響いた。カナは、言い出そうか、言い出すまいかと、何度も口をパクパクと動かした。
「その――」カナは顔を青くして、ぶかぶかのローブの襟をぎゅっと握りしめた。「ぼくの、ぼくたちの父親は、ヴォルデモートなの?」
 沈黙が落ちた。カナがこわごわと顔を上げると、リーマスは呆然としていた。そのぎこちない表情に、カナはもう一度視線を落とした。
「誰がそんなことを言ったんだ?」うわずった声でリーマスがきいた。
「誰も言ってない――ぼくが、そう考えたんだ」
「それはなぜだ?」
「あいつが、ぼくを『血族』と呼んだから」
 カナはだんだん、自分の言っていることが確信めいてきた――これまでは、そうかもしれないと思いながらも、そんなはずがないとも同時に思っていた。いや、真面目に考えたことがなかったのかもしれない。
 そうでないなら、どうしてリーマスは黙っているの。
「だ、だって」カナはとうとう涙を落とした。「誰もぼくの父親を知らない――おかあさんだって教えてくれない――どうして隠す必要があるの――名前も、顔も知らない。ダンブルドアだって話してはくれなかった――リーマスだって知らないんでしょう――だって、なぜ、どうして否定してくれないの」
「ち、違う。カナ」リーマスは慌てて言った。「よく聞きなさい。きみの父親は『名前を言ってはいけないあの人』ではない」
「うそつき。知らないくせに」
「いや、知っている」芯のある声に、カナはしゃくりあげながら顔を上げた。「知っているんだ」
 カナは毛羽立ったローブのすそで涙をぬぐった。その動作にリーマスが苦い顔をしたのは見えなかった。
「誰なの」
「知らないほうがいい」
「ほらね! どうせ教えてくれないんだ」
「カナ。いずれ必ず、きみに伝えよう。シオンに誓って、約束するよ。今は知らないほうがいいんだ」
「闇の魔法使いとか?」カナの挑発にも、リーマスは揺らがなかった。
「その人がなんであれ、カナ、きみに、傷ついてほしくはないんだ。わかってくれるね?」
「わかんないよ」カナは立ち上がった。「自分が恐ろしい存在かもしれないって考えてる時間がどんなに不安か、リーマスにわかるわけがない」
 乱暴に扉を開けて、カナは部屋を出た。その場にいた二人組のゴーストが驚いて、ふわりと上の階に消えていった。ずんずんと、苛立つ気持ちのままにグリフィンドール塔を目指す――その五歩後ろを、リーマスがぴったりくっついてきていた。
「ついてこないで。ルーピン先生」
「いいや。『ルーピン先生』は、違反生徒を寮まで送り届けないと」
 リーマスはほんとうに、まぶたを擦るトロールが並ぶ廊下までついてきた。もうすでに空は赤みが差しており、すっかり晴れているようだ。
「それじゃ、ミス・エリオット。マクゴナガル先生の反省文を忘れずに」
 カナが「太った婦人レディ」の額縁に手をかけると、リーマスは立ち去った。カナは――怒ればいいのか、悲しめばいいのか――頭の中がスプーンでぐちゃぐちゃとかき混ぜられてるみたいだった。



 アニメーガスの儀式が成功したのか、失敗したのか、カナにはよくわからなかった。ガートの寄越した連絡でも、同じような状況らしい――半獣にはなっていないけれど、変身するには杖を振らなければいけないのか――そういえばマクゴナガル先生は息ひとつ乱さずに変身していた。いくらカナでも、「どうやって変身しているんですか?」と素知らぬ顔で先生に直接尋ねるなんてことはできない。
 でも、カナにそんなことを考えている暇はなくなってしまった。ようやく、ベッドの足元に山積みになっている宿題に気がついたからだ――イースター休暇は机にかじりつくはめになるだろう。試験はひと月以上先だというのに、先生がたは今から勉強に集中してほしいようだ。
 マグルの移動手段についてのレポートに頭を悩ませながら、カナは同時にゆったりと大鍋をかき混ぜていた。
 その向かいで、ハーマイオニーは全ての科目の宿題に取り組んでいた。朝早くから夜遅くまで、ハーマイオニーは図書館に行ったり、教科書に埋もれたり、底をつきたインク壺に苛立ったりと、相変わらず忙しない。ずいぶん疲れきっていて、色濃いくま・・が痛々しく、泣きそうに見えることもあった。
 ロンはハーマイオニーやカナがしていたように、バックビークの控訴の準備を引き継いだ。空いた時間には図書館へ通い、ヒッポグリフに関する本を読み耽った――クルックシャンクスに当たり散らすことさえ忘れているようだった。



「アリシア、アンジー。約束してたものができたよ」
 カナは薄青色の液体で満たされた瓶をふたつ、手に持っていた。ラピスラズリ色のインクで、ラベルにカナのサインが書いてある。ふたりはしげしげとそれを眺めて、「これは何?」とカナに聞いた。
「いい夢が見られる魔法薬だよ。やさしめの睡眠薬とも言える。寝る前にスプーン一杯、飲み物に混ぜてみて。その、色はあまりよくないけど。きっとリラックスできるから」
 アンジーとアリシアは顔を見合わせた。
「わたしたちだけで、もらっちゃっていいの?」
「うん。いつでも作れるから」
「さっそく使ってみるわ――睡眠薬って、自分で作ろうとは思わないから、不思議よね」
 アンジーの言葉に、カナも頷いた。
「ぼくも、はやく試せばよかったって思うよ――何かおかしなところがあったらすぐに教えてくれる?」
「ええ、もちろんよ。カナ先生」
 アリシアが久しぶりにえくぼを浮かべてにっこりと笑ったので、カナも微笑み返した。

 グリフィンドール対スリザリンの試合が、イースター休暇明けの土曜日に迫っていた。スリザリンはきっちり二百点をリードしている、つまり、優勝杯を手にするには、それ以上の点差で勝利しなければならないのだと――キャプテンのオリバーはチーム・メンバーに常々言い聞かせた。オリバーの熱はしだいにヒートアップしていった。寮のみんなもだ。
 ジニーが教えてくれた。グリフィンドールが最後にクィディッチ優勝杯を獲得したのは、兄のチャーリー・ウィーズリーがシーカーだった時代だ。それ以来、グリフィンドールはスリザリンに負け続けている。
 ハリーは見るからにマルフォイに対抗心を燃やしていた。前の試合でマルフォイがハリーを貶めようとしたこともあり、バックビークのこともあり――全校生徒の面前でマルフォイを打ち負かすのだと、息巻いていた。
 グリフィンドールはしだいに奇妙な熱気に支配されるようになった。こんなことは初めてだった――スリザリンとグリフィンドールのあいだの緊張感は、イースター休暇を終える頃にはピークに達していた。廊下のあちこちで小競り合いが起こり、ついには怪我人が出るほどだった。もちろん、選手も狙われた。とくにハリーだ。クラッブとゴイルはハリーをどうにか怪我させようと廊下で足を引っ掛けたりしていたけれど、そうするとオリバーが怒り狂い、「どこへ行く時もハリーを一人にするな!」と命令を出したので、みんながハリーを囲んで守るようになった。さすがにこれでは手が出せないだろう。グリフィンドールはそんな無茶苦茶な命令も喜んで実行した――カナもあんがい楽しかった。しかし弊害として、あまりに大勢で囲うので、みんなが時間通りに行動できたことは少なかった。

 そんなこんなで試合前夜――グリフィンドールの談話室は剣呑な雰囲気に包まれていた。みんな、いつも通りではなく、集中力を欠いたり、逆に普段よりもやかましかった。フレッドとジョージも、いつもよりプレッシャーを感じているにちがいない。みんなを笑わせているジョークの声が普段よりも一段と大きかった。
「ねえ、ずいぶん興奮してるけど――明日、スリザリンの選手と乱闘になったりしないでよ。ファウルになってスリザリンに得点のチャンスを与えないで」
「カナ、全然わかってないな!」フレッドが呆れたようにオーバーリアクションで言った。「やられたらやり返すんだ! やらせっぱなしじゃ、向こうがつけあがるだけだ。スリザリンはそういう集まりだからな」
「たしかに。チーム競技じゃ、士気は何より大事だ」ジョージも賛同した。
「ああ、そう」カナは双子を落ち着けるのをあきらめて、チェイサートリオのソファーに腰掛けた。
「カナも選手になってみればわかるわ――どう? 来年はキーパーが空いちゃうし」
「冗談にもなってないよ。屋根より高く飛べないのに」カナは伸びてきたアリシアの手を両手でふせいだ。
「カナ」
 四年生のケイティ・ベルが話しかけてきた。彼女はクィディッチ・チームのメンバーだったけれど、カナはあまり話したことがなかった。茶髪をくるくるといじりながら、ふだんは気の強そうな目が心許なげにカナをちらりと見た。
「その、アンジーとアリシアが使ってる魔法薬って、まだ余ってる? 私も今日は眠れそうにないの――ソワソワしちゃって」
 カナは目をぱちくりと瞬いたけれど、すぐうなずいた。
「うん。まだあるよ。明日は大事な日だから、早めに飲んで寝るのが良いと思う」
「ありがとう!」ケイティはカナの手を握って、ぶんぶんと手を動かした。カナは苦笑した。
「お茶を淹れてあげる。ミルクと砂糖は?」
「ええ! たっぷりお願い」
「アンジーとアリシアは?――」
 談話室はしらばく、いつも以上の大騒ぎに包まれていたけれど――唐突に「選手! 寝ろ!」というオリバーの大声が響き渡り、みんな解散することとなった。



 翌朝。グリフィンドール生が選手を囲うようにして大広間に入ると、割れるような拍手で出迎えられた。レイヴンクローとハッフルパフから応援の拍手と歓声があがり、スリザリンからは嫌味と野次が飛んできた。みんながどちらに勝って欲しいのかは見るからにあきらかだ。
 あれからアリシア、アンジーはずいぶんと顔色が良くなっていた。ケイティも昨日はぐっすり眠れたらしく、快活な笑顔を取り戻していた。「医務室に行くよりよっぽど良いわ!」と「カナ先生」の魔法薬は評判だった。
「マーリンの髭! カナ、商売のチャンスだぞ!」
 話を聞きつけたフレッドが、ずいと顔を近づけて、目を見開いていた。
「何言ってるの。こんなものでお金なんて取れないよ」
「いーや。こりゃ兆しだぞ。お前の魔法薬は将来売れるかもしれない。『ミス・ブランケットのすやすや安眠シロップ』とか名付けるのはどうだ。いや、集金しないで今から箔を付けておくのもいいか・・・・・・」
 やけに饒舌なフレッドの脇腹を、カナは肘で小突いた。
「いいから、今日の試合に集中してよ。負けたら口利かないからね」
「おい、聞いたか。ジョージ!
「ああ。カナ、もっと言ってやってくれ」
「もう、静かに食事して!」アンジーの雷が落ちた。
 なんだか、例年以上にみんなそわそわしている。朝食に手をつけ始めたばかりだというのに、オリバーは「はやくフィールド入りして、状態を掴んでおけ!」なんて叫んでいるし――ほんとうにチームワークが取れるのかと、カナは心配になってきた。

 よく晴れた、乾いた、風のない日だった。選手のあとに続き、観衆も会場入りした。ペネロピーとパーシーが胸に真紅の薔薇飾りをつけているのを見て、みんながそれを真似した。シェーマスとディーンがライオンの描かれた応援旗を周りに配っている。反対側の席――競技場の四分の三ほど――では真っ赤な薔薇と旗で埋め尽くされ、「行け! グリフィンドール!」「ライオンに優勝杯を!」と書かれた横断幕が揺れていた。対して、ゴールポストの後ろでは、スリザリンの観衆が緑色の旗に銀色の蛇のシンボルを煌めかせていた。スネイプ先生も客席の一番前に陣取って、みんなと揃いの緑色のローブを着てグラウンドをにらみつけていた。
「さあ、グリフィンドールの選手が入場です!」
 リーの実況解説の声にも、これまで以上に熱がこもっている。
「ポッター、ベル、ジョンソン、スピネット、ウィーズリー、ウィーズリー、そしてウッド。ホグワーツに何年か一度に出るか出ないかの、ベスト・チームと広く認められています――」
 スリザリンから嵐のようなブーイングが起きて、リーの解説はかき消された。
「そして、対するはスリザリン・チーム。率いるはキャプテンのフリント。メンバーを多少入れ替えたようで、技術よりも体格重視と言ったところでしょうか――」
 ふたたびスリザリンのブーイングだ。たしかにリーの言う通り、スリザリン・チームはキャプテンのフリントが一番大きく、それに負けないくらい巨大な選手ばかりだ――マルフォイだけが、ただ一人ずいぶん小さく見える。
 フーチ先生の合図で、フリントとウッドが歩み寄り、互いの手をきつく握りしめているのが見える――この光景も今年で見納めだ。
 選手が位置につき――ホイッスルの音、そして割れんばかりの歓声とともに選手がいっせいに空中に舞い上がった。高く放り投げられたクァッフルを、すばやく飛び出したケイティがまっさきに取った。
「さあ、グリフィンドールの攻撃です。クァッフルはグリフィンドールのアリシア・スピネット選手の手に渡り、スリザリンのゴールへまっしぐら。いいそ、アリシア! あーっと、だめか――クァッフルがワリントンに奪われました。スリザリンのワリントン、猛烈な勢いでフィールドを飛んでいます――おっと!――ジョージ・ウィーズリーのすばらしいブラッジャー・ストライクで、ワリントン選手、クァッフルを取り落としました。拾うは――ジョンソン選手です。再びグリフィンドールの攻撃。行け、アンジェリーナ――モンタギュー選手をうまくかわしました――アンジェリーナ、ブラッジャーだ、かわせ!――ゴール! 一〇対〇、グリフィンドールの得点です!
 歓声とともに、カナは思いっきり旗を振り上げた。アンジーはフィールドの端からぐるりと旋回して、客席に向かってガッツポーズを見せたが――
いたっ!
 なんと、マーカス・フリントの岩のような巨体がアンジーに体当たりをかました! アンジーはあやうく箒から落ちるところだった。グリフィンドールからは非難轟々のブーイングだ。
「悪いな、見えなかった!」フリントは悪びれもしない様子でにたにたと笑っていた。
 つぎの瞬間、フレッドが棍棒クラブをフリントの後頭部に投げつけて、それが見事にヒットした。フリントはつんのめってまともに箒の柄にぶつかり、鼻血を垂らしていた――昨晩カナが言ったことなんて、やっぱり意味がなかったようだ。フレッドは頭に血がのぼりやすい。
「それまで!」
 フーチ先生が叫び、二人の間に飛び込んだ。
「グリフィンドール、相手のチェイサーに不意打ちを食らわせたペナルティー! スリザリン、相手のチェイサーに故意にダメージを与えたペナルティー!」
「そりゃ、ないぜ。先生!」
 フレッドが喚いたけれど、フーチ先生はホイッスルを鳴らした。アリシアがペナルティー・スローのために前に出た。
「行けっ! アリシア!」みんなが沈黙して見守る中、リーが叫んだ。アリシアは精密な投球で、クァッフルを放り投げた。「よし!キーパーを破りました! 二〇対〇、グリフィンドールのリード!
 次はフリントだ。まだ鼻血を垂らしながら、巨大な体が前に進み出た。対峙するオリバーは、グリフィンドールのゴール前で歯を剥き出しに食いしばっている。
「なんと言ったって、ウッドは素晴らしいキーパーであります」フーチ先生のホイッスルを待つあいだ、リーが観衆に語りかけた。「すーばらしいのです! このキーパーを破るのは難しいぞ――まちがいなく難しい――マーリンの髭! 信じらんねえぜ! ゴールを守りました!
 ハリーがふわりと浮き上がったのが見えた。マルフォイもそのすこし後ろに付けている。ハリーは五十点差を待っているのだ――マルフォイがスニッチを見つけなければ良いけれど。
「グリフィンドールの攻撃、いや、スリザリンの攻撃――いや!――グリフィンドールがまた取り戻しました。ケイティ・ベルです。グリフィンドールのケイティ・ベルがクァッフルを取りました。フィールドを矢のように飛んでいます」
 そのとき、ケイティの目の前にモンタギューが飛び出した。クァッフルを奪うかわりに、ケイティの頭を鷲掴みにした。ケイティは抵抗して、なんとか箒からは落ちずに済んだけれど、クァッフルを取り落とした。
あいつめ、わざとやりやがった!
 リーの怒声とともに、フーチ先生のホイッスルが鳴り響いた。またもグリフィンドールにペナルティー・スローが与えられた。ケイティはラフ・プレーに負けず、冷静に、しっかりとゴールを決めた。
三〇対〇! ざまあ見ろ、汚い手を使いやがって。卑怯者――
「ジョーダン、公平中立な解説ができないなら――」
「先生、ありのままを言ってるだけです!」
 ふと、隣の席のジニーがカナの袖を引いた。グリフィンドールのゴールポストのひとつの真下に、キラリとスニッチが光っていた。グリフィンドールの観客席は神妙に静まり返った。ハリーも気づいたようで、まるで何かに気づいたようにスーッと方向転換し、スリザリンのゴール側へとスピードを上げて進んだ。マルフォイもそちらを追いかけた――その時だ。シーカーを妨害するために、ハリーめがけてブラッジャーが打ち込まれた。ハリーはそれを避け、もうひとつ打ち込まれたブラッジャーも、見事避けた。さらに、これまた揃って巨体のスリザリンのビーター、デリックとボールが、左右から棍棒を振り上げてハリーめがけて疾走してきていた。そして――ハリーはぎりぎりのところで箒を上に向け、ひょいと避けた。ボールとデリックはひどい打撲音を立てて、衝突した――
「ハッハー!」
 リーが、スリザリンのビーター二人がぶつけた頭を抱えてフラフラと離れるのを見て、嬉しそうに叫んだ。
「お気の毒さま! ファイアボルトに勝てるもんか。顔を洗って出直せ! さて、またまたグリフィンドールの攻撃です。ジョンソンがクァッフルを手にしています――フリントがマークしています――アンジェリーナ、やつの目を突いてやれ!――あ、ほんの冗談です。先生、冗談ですよ――ああ、ダメだ――フリントがクァッフルを取りました。フリント、グリフィンドールのゴールめがけて飛びます。やれ! ウッド、ブロックしろ!――」
 しかし、フリントのシュートが決まった。スリザリンからは大きな歓声が沸き起こった。それでリーはさんざん悪態をついたので、マクゴナガル先生に杖を取り上げられそうになった。
「すみません、先生。すみません! 二度と言いませんから! さて、グリフィンドール、三〇対一〇でリードです。クァッフルはグリフィンドール側――」
 試合は、カナが見た中でいちばん最悪の泥試合となった。グリフィンドールが速攻でリードを奪ったことに腹を立ててか、スリザリンはクァッフルを奪うためなら手段を選ばない戦法に出た。スリザリンのビーター・ボールはアリシアを棍棒で殴り、「ブラッジャーと間違えた」と言い逃れしようとした。これには今度、ジョージも頭にきて、ボールの横っ面に肘鉄をお見舞いした。フーチ先生は両チームからペナルティーを取り、オリバーが二度目のファイン・プレーで、スコアは四〇対一〇となった。
 ケイティはふたたび速攻で、見事得点を決めた。五〇対一〇だ。スリザリンが仕返しをしかねないということで、フレッドとジョージは棍棒を振り上げながらケイティの周りを飛び回った。しかし、その隙にデリックとボールはブラッジャーでオリバーを狙い撃ちした。ブラッジャーが二つ、オリバーの腹に立て続けに命中し、観客席からは悲鳴と怒号が飛んだ――オリバーはなんとか宙返りして、箒にしがみついた。
 これにはフーチ先生が怒り狂った。
クァッフルがゴール区域に入っていないのにキーパーを襲うとは、何事ですか!」フーチ先生はボールとデリックに向かって叫んだ。「ペナルティー・スロー! グリフィンドール!」
 アンジーが得点した。直後、フレッドがワリントンに向かってブラッジャーを放ち、見事クァッフルが落とされた。それをアリシアが拾い、速攻のゴールを決めた。七〇対一〇だ。
 観客席はもう声が嗄れるほど歓声が湧いている。スリザリンのラフ・プレーに負けない、グリフィンドールの華麗な逆襲は大いに興奮した――そして、みんなハリーに注目した。
「できるわ、できる。できないはずがないわ――」
 ジニーがハリーを見つめながらぼそぼそと言った。
 そして、ついにハリーが身を屈めて、思いっきり急上昇しようとスピードを上げた。ハリーが手を伸ばしたとき――ガクッと勢いを失った。
 なんと、マルフォイが身を乗り出して、ファイアボルトの尾を握りしめて引っ張っていた。意地汚くみっともない妨害に、当然、大ブーイングだ。ロンも身を乗り出して、「なんて野郎だ!」と叫んでいる。そんな諍いの間に、スニッチは姿をくらましてしまった。
「ペナルティー! グリフィンドールにペナルティー・スロー! こんな手口は初めてです!」
 フーチ先生が金切り声をあげた。マルフォイは自分の箒の上に戻るところだ。
この下衆野郎!」リーがマクゴナガル先生の手の届かないところへと躍り出ながら、叫んでいる。「このクズ、卑怯者、この――!
 しかし、マクゴナガル先生はリーを叱るどころではなかった。自分も拳を振り上げながら、三角帽子がずり落ちているのもかまわずに、怒り狂って叫んでいたからだ。
 アリシアがシュートを放ったけれど、怒りで手が震えて外れてしまった。グリフィンドールは乱れて集中力を失ってしまい、逆にスリザリンはマルフォイがハリーに仕掛けたことで活気付いていた。カナはようやく、フレッドとジョージが言っていた「士気」がなんなのか、わかってきた。
「スリザリンの攻撃です。スリザリン、ゴールに向かう――モンタギューのゴール――」リーも勢いをなくして呻いた。「七〇対二〇でグリフィンドールのリード・・・・・・」
 今度はハリーがマルフォイをぴったりマークしていた。マルフォイはハリーを振り解こうとしたけれど、箒さばきも箒の質も、ハリーのほうが上なのだ。できるはずがない。
「アンジェリーナ・ジョンソンがクァッフルを奪いました。行け、アンジェリーナ! 行けーっ!
 シーカー以外のスリザリンの選手が、アンジーに向かって疾走していた。全員でアンジーをブロックする魂胆だろう――しかし、ハリーが身を低く屈めて、その集団のさなかに鋭く矢のように突っ込んできた! ファイアボルトがものすごいスピードで突撃してくるのを見て、スリザリン・チームは悲鳴を上げて散り散りになり、アンジーはノーマーク状態になった。
アンジェリーナ、ゴール! アンジェリーナ、決めました! グリフィンドールのリード、八〇対二〇!」
 ハリーが猛スピードで突っ込んで急ブレーキをかけたあと、急いでフィールドに戻るなか――マルフォイが急降下した! スニッチが芝生の上できらめていていた。ハリーもファイアボルトを叱咤して、最高速度で追いつこうとした――
「行け! 行け! 行け!」
 グリフィンドールは総立ちでチェイスを見守った。シーカーの背後をブラッジャーが飛び交う――ハリーはピッタリと箒に身を伏せた――マルフォイとの距離が縮まる――踵に箒の先が追いついた――ついに並んだ――
 ハリーは箒から両手を放し、身を乗り出して、マルフォイの手を払いのけ――そして――
掴んだ!
 会場は爆発したかと思われた。大歓声だ。ハリーが急上昇して、空中高くに手を突き出して、金色のスニッチを掲げた。ハリーは観客席の上をくるりと旋回した――みんな、思いっきり両手を上げて、旗を振り、シーカーを称えた。ジニーは目を潤ませていた。
 オリバーは号泣しながら飛んできて、ハリーに抱きついて肩に顔を埋めながら泣きじゃくった。フレッドとジョージも飛んできて、ハリーの背を強く叩いた。アリシア、アンジー、ケイティもクルクルと空中で舞い踊った。
優勝杯よ! わたしたちが優勝よ!
 腕を絡ませて、もつれあい、声を嗄らして叫びながら、グリフィンドールの英雄たちは地上に降りて行った。もちろん、真紅の薔薇の観客たちもグラウンドになだれ込んだ。あっという間に、選手たちは担ぎ上げられた。それぞれ肩車されて、まばゆい陽光が選手たちを照らした。
「やっつけたぞ、あいつらをやっつけた! バックビークにはやく教えてやんねえと!」からだ中に真紅の薔薇飾りをべたべた付けているハグリッドが、ハリーを軽々と一番高く持ち上げながら、はしゃいでいた。
 あのパーシーも飛び跳ねながら喜んでいる。ジニーはまだ涙を流していた。マクゴナガル先生なんか、オリバーに負けないくらい大泣きして、グリフィンドールの寮旗で涙をぬぐった。そばでリーマスも選手たちに惜しみない拍手を送っている。カナはいつのまにやらフレッドに捕えられて抱え上げられて、落ちないようにぎゅっと抱きつきながら、恥ずかしいくらいたくさんたくさんキスを贈った。
 ダンブルドアが大きな優勝杯を持って、スタンドで待っていた。選手たちは担ぎ上げられたまま運ばれていった。オリバーが優勝杯を受け取って、それをハリーに渡した。ハリーが優勝杯を高く高く掲げた――陽光にきらめく金色のその輝きを、この先忘れることはないだろうと思った。



 天気もグリフィンドールを祝福してくれているようだった。雲ひとつない晴天が続き、昼間は蒸し暑くなり、冷たい魔女かぼちゃジュースが心地よい季節になった。校庭の芝生に腰を下ろしているだけで心地よく、風がさらさらと髪を撫でるまま、ぼーっと大イカがゆらめく湖面を見つめているだけでしあわせだった。しばらくはみんな、あらゆる悩みを忘れて過ごした――
 夢見心地は、六月が近づいてくるとそうもいかなくなってきた。年度末の試験が間近に迫っていた。ぽわぽわと陽気に取り憑かれた脳みそを奮い立たせて、みんな気合を入れて勉強に取り組まなければならなかった。フレッドとジョージすらも勉強しているのを見かけることがあったけれど、どこまで真剣に取り組んでいるのかは不明だ――O.W.Lふくろうで立派な点数を稼ごうだなんて考えてはいないだろうけれど。対して、最終学年であるパーシーは、魔法省への就職希望のためN.E.W.Tいもりで最高の成績を取る必要があった。パーシーは見るからに日増しにとげとげしくなった。誰であろうと夜の談話室の静寂を破る者がいれば、容赦なく厳しい罰を与えていたので、みんな静かに勉強に集中しなければならなかった。
 ハーマイオニーだけは、パーシーと同じくらいか、それ以上に気が立っているように見えた。結局、ハーマイオニーがどうやっていくつもの授業に出席しているのかという謎は残されたままだったし、カナもロンもハリーも聞くのを諦めていた。しかし、ハーマイオニーが自分で書いた試験の予定表を見て、とうとう我慢できなくなった。
 ――月曜日、九時「数秘術」、九時「変身術」。ランチを挟んで十三時「呪文学」、十三時「古代ルーン語」――
「ハーマイオニー?」ロンは慎重に話しかけた。このごろのハーマイオニーは邪魔されると怒ることが多いからだ。「あの――この時間表、写し間違いじゃないのかい?」
「なんですって?」ハーマイオニーはキッとなって予定表を取り上げて、確かめた。「大丈夫よ」
「どうやって同時に二つのテストを受けるのか、聞いてもしょうがないよね?」ハリーが聞いた。
「しょうがないわ」ごく短い答えだ。「あなたたち、私の『数秘学と文献法』の本、見なかった?」
「うん。ハーマイオニーがここに置いたのは見たよ。あの表紙の取れかかったやつでしょ――」
 カナが指差した羊皮紙の山の下を、ハーマイオニーはがさがさと探り始めた。そのとき、開け放った窓辺に真っ白のフクロウ、ハリーのヘドウィグが舞い降りてきた。嘴にメモを咥えている。ハリーが急いでそれを受け取った。
「ハグリッドからだ」カナがねずみ型のシュガーをヘドウィグに与えていた傍ら、ハリーが手紙を開いて読み上げた。「バックビークの控訴裁判――九日に決まった」
「試験が終わる日だわ」ハーマイオニーがまだ本を探しながら言った。
「みんなが裁判のためにここにやってくるらしい」ハリーが続けた。
「みんな?」カナは振り返って聞いた。
「魔法省からの誰かと――死刑執行人が」
 カナは声が出なかった。ハーマイオニーは驚いて作業を中断した。
「控訴に死刑執行人を連れてくるなんて! それじゃまるで、判決が決まってるみたいじゃない!」
「ああ、そうだね」ハリーは考え込んだ。
「そんなこと、させるか!」ロンが叫んだ。「僕、あいつのためにながーいこと資料を探したんだ。それを全部無視するなんて、そんなことさせるか!」
 ロンの言う通りであって欲しいと思った。でも、カナはうっすら思っていた――ぜんぶルシウス・マルフォイの思い通りなんだ。去年のダンブルドアの停職命令だってそうだった。魔法省は、一度決定したことを簡単には覆してはくれない――確たる証拠か、大きな利益でもない限り。ハグリッドの言う通り、今のうちにどこか遠くへとバックビークを逃してやるべきかと考えた。でも、どうやって? いったい誰が? 捕まれば、魔法省の意向に反したとして、アズカバン送りになるかもしれない――カナはゾワっと背筋をあわ立てた。
 ハグリッドはひとりで絶望してはいないだろうか。バックビークは自分が処刑されるかもしれないだなんて、感じとってはいないだろうか。今すぐにでも小屋に行って、彼を慰めてやりたかった――でも――カナは頭を振った。リーマスのことはもう裏切れない。もう一目だけでいいから、バックビークに会いたかったけれど。
 マルフォイはクィディッチで敗北して以来、目に見えて大人しくなっていたけれど、バックビークの件が耳に入ったのだろう――今までの不遜な態度を取り戻していた。ガートもカナを心配していた。厳戒態勢のせいで週末に落ち合うのは控えていたので、「魔法薬学」の授業中にこっそりと話してくれた。
「あいつ、自分がハグリッドのペットを処刑するよう差し向けたんだって、おもしろくてたまらないみたいだよ。不愉快なやつ――周りがそれを褒めそやしてるのも気分が悪い。ねえ、まだ決まったわけじゃないんでしょ? チャンスがあるんだよね。あんた、どうにかできないの?」
「できるなら、どうにかしたいよ」カナはユニコーンの角を砕きながらうめいた。「でも――どうしていいかわからないよ。ぼくらに何ができるっていうの?」
「あんたらしくないね」ガートは選り分けたサンザシの実をカナにも分けながら言った。
「だって、考える時間がないよ――来週から試験なんだもん」
 カナの泣きそうな目を見て、ガートもため息をついた。



20240729


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